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 洞窟の中はやはり広かった。

 発光性のある植物をちぎって道中置いていき、いつでも戻れるようにはしておく。

「迷子になったらちょっとやばいかもね」

 すぐに外に通じると勝手に思い込んでいたが、どうやら一筋縄ではいかなそうだ。

 あれ程意気込んだはいいが、これでまた引き返すようになるのは少々骨が折れる。

 なんとかして突破したい。

 だが何とも心もとないのが、光源がこの木の棒しかないということだ。

 今はそこそこの勢いで火を灯し、明かりをもたらしてくれてはいるが、それこそこれが無くなったら瞬時に暗闇に閉ざされてしまう。それは何とも避けたいことだった。備蓄があるとはいえ、限りはある。

「ちょっと、下準備が甘すぎたかもしれないわね。どうしよう……引き下がるか、このまま突き進むか」

『大丈夫だと思う ちゃんと目印はつけてきている

今のところそこまで複雑な道は辿ってきていない 火が消えても戻ることはまだまだ容易』

 洞窟を進みながら器用にルゥドが文字を書いた。

 言う通り、まだ分かれ道という分かれ道はない。

 入ってすぐの大きな空間から、ちょうどルゥドが通れるくらいの縦穴に入り、その道を出るとまた大きな空間があった。

 今は更にそこから通じる縦穴を進んでいるといった具合だ。

 道中気になった点といえば、かなり急な下り道がいくつもあった所だろうか。洞窟の地下深く入り込んでいるということは間違いない。

「そうね。まぁ最悪迷ったらルゥドにおぶってもらおうかしら。ふふふ」

 何時間も進んでしまった後ならまだしも、まだ余力がある。

 可能な限り前に進んで、次にまた来るとしても道を覚えていなければならないだろう。

 火が消える前に替えを用意して、点灯していく。真っ暗闇になることは避けたかったら、早め早めの行動。


 前に進めば出口はあるはず。

 そう信じ、二人はひたすら足を進めていった。


 そして……どれくらい歩いただろうか。

 リオナの体感で、恐らく半日近く歩いた。これだけ長く歩いたのは久々だから、足の筋肉が言うことを聞かなくなりつつあった。

 黙々と歩き続けていた為、ルゥドに声をかける機会すら失っていた。

 リオナは既に引き返すことを考えるのをやめていた。

 もうすぐで出口。

 ほとんど根拠がないながらも、なぜかそう思い続けることが出来た。完全に好奇心が先走りをしている状態だ。洞窟という暗闇の世界もリオナが猪突な邁進を促した一つの要素ともいえる。

 ルゥドも同様に何も話しかけて来なかった。

 この先がどうなっているのか、やはり気になっているに違いない。

 

 結果的に、その信心はそれからすぐに報われることになった。

「見て!」

 光が見えたのだ。

 出口で間違いがない。

 核心したリオナは疲労した足に鞭打って、その光へと思いっきり走った。少し急な傾斜になっているが、ものともせず駆けた。

 顔を上げて走っている最中、色々な感情が頭を駆け巡る。

 もしかしたら見知った光景が広がっているのかもしれないのだから。

 リオナは慌ててその感情を静止させ、振り払う。

 光に段々と近付いてきた。

 後ろを振り返ると、ルゥドも走って追いつこうとしてはいたが、遅い。

 懸命で、必死に自分に追いつこうとするその姿がおかしくて笑ってしまう。

「へへっ、一番乗り!」

 もう一歩登れば出口というところまで来て、ルゥドに声をかけた。

 振り返り、大きく跳ねるようにして一歩を踏み出した。

 

 ──そして、光の先に広がっている光景を見た。


 綻んでいた表情が一気に崩れる。

 驚愕の表情。

 事実、驚愕すべき光景がそこに広がっていた。

 目を大きく見開いて、何度瞬きをしても変わりはないから、一度両目を手でこすってみる。

 やはり、変わらない。

「何よ……これ……」

 ただただ、リオナは立ち尽くした。そのまま膝ごと疲れと共に崩れて地面に伏してしまいそうだったがどうにかして立つことは出来た。

 少しして、ルゥドが遅れて来た。

 ルゥドも足を止めて、リオナと並んで立ち尽くした。

 本来眼前にあるべきものが何であるか、それはわからない。だから、何でもよかったのだ。洞窟を出る前に見た鬱蒼とした木々でも、あるいはリオナが記憶にあるような景色でも。もしかしたら、全く違うものがそこに広がっていてもよかったのかもしれない。

しかし、そこにあったのは「無」だ。

 正確に表現するなら、大地はちゃんとある。地面にこうして立っていられるのだから。

 その地面に砂がある。それだけ。

 下を向いてリオナはよく観察してみた。

 乾いた砂。薄い灰色。かなり白に近い色で、リオナが知っている普通の砂の色ではなかった。褐色にはほど遠い。

 質量は少し重いのか、風が吹いてもあまり大気中に舞っている様子がない。

 地平線がずっと一直線に見える。綺麗な一筋の線。その線に邪魔をするものは何もない。山も、森も、川も、生き物の姿も、建物も、何もない。まるで誰かが綺麗に掃除をした後のようだ。

 一面広大な砂漠景色が広がっているだけ。

 はっとしてリオナは後ろを振り返った。

 洞窟の入口が、砂漠の地面に半分埋まるように口を開いている。その何でもない洞窟の入口ですらこの場では異質で、目立ちすぎている。

 回りこんでその後ろを見ると、そちらには海があった。

 その海を挟んで、島がある。木々が生い茂った、緑色の塊。その島以外は何もない。あとはこちらも水平線が見えるだけだ。遠目に、ぼんやりとではあるが、違う大陸があるようにも見える。

「あそこってもしかして」

 頭によぎったその推測はほとんど間違いがないだろう。

『私達がいた場所でしょうか』

 それ以外考えられない。そうでないと説明がつかないのだから。

「ずっと地続きと思ってたけど……なんてこと。島……だったなんて」

 背の高い木々に囲まれていたから、海に囲まれていたなどということは全く考えなかった。森の先にも何があるかを確認をしていなかった。館の背後に海があることは認識をしていたのに、島だとは思わなかった。

 となると、浸水していない海の地下部分に洞窟は通じていたということになる。目視できるから、直線の移動距離ならそこまで遠くないようだ。洞窟内では上下の移動がやたらとあった為、到達するまで時間がかかってしまったのだろう、

 浜辺まで近づくと、浅瀬がかなり長く続いているのがわかった。透き通るように綺麗だ。本当に海なのかと思ってすくって舐めてみるとしょっぱい。淡水ではない。海だ。

「私たちはこの下をずっと歩いてきたということよね、多分。これだけ浅いならなんだか泳いでこれそうなものだけど」

 遠目から見ると、館を囲んでいたであろう木々達は相当大きなものだとわかる。これでは島であると気が付けなかったのも無理はなかったのかもしれない。

「それで──どうしよう」

 自分達の居た場所を再認識した所で、どうにかなるわけではなかった。

 もう一度振り返り、目の前の白い砂漠を眺める。

「これって……一体何なのよ」

 考えても考えても、何か異常があるということ以外わかることはなかった。

『私はよくわかりませんが

 やはりこの光景は異常なのでしょうか?』

「こういう場所がどこかにあるのかもしれないけど。そうだとしても……うん、異常よ、こんな場所」

 どう見ても人間が住める環境ではない。人間はおろか、他のどのような動植物もこの砂の前では生きることが困難なように見える。

「今……全てを打ち砕かれた気分だわ。だって、私は洞窟の先から来たものだとばかり思っていたから、何かその先に手がかりがあると思っていたから……」

『そうなると リオナは一体どこから来たんでしょうか?』

「可能性があるとすれば、あの島のどこかかしら。でもね、私の村は離島になんてなかった。普通の地続きの大陸よ……」

 深みにはまっているような気がして、一度思考を止める。

 広大なこの砂漠で思い悩んでいるのが何だか馬鹿らしくなってしまった。そして、押し寄せる開放感。

「ねぇ。ちょっと疲れちゃった。この調子じゃぁ、私達以外に誰もいないみたいだし、思いっきり寝っ転がってくつろいでやろうよ」

 言って、駈け出したリオナ。思い切り砂の砂の上に滑り込んだ。

 それを見たルゥドも追随して来る。ルゥドの場合は、滑り込んだというよりこけたような格好だったが。

『上手く出来なかった』砂の上に、器用に文字を書いた。

 段々と夜が近づいてくる頃合いだった。

 リオナとルゥドは砂漠の上に大の字になって大きく寝転んだ。

「今日はこのままこうして夜を明かしましょう。外敵もいないし、砂がひんやりとして気持ちがいいし」

『リオナ 嬉しそうですね』

「……嬉しいというよりかはなぜか安堵しちゃってるのよ。ふふ。ルゥドはそんなことない?」

『私は どうでしょう もしかしたら残念な気持ちもあるかもしれないです』

「どうして?」

『リオナと仲良くなれたように 色々な人達とこれから仲良くなれるかもしれなかったから』

「そうね、そうよね。でもまだ人が他にいないと決まったわけじゃないわ。なにせ人間って数が多いからね」

『そうですか それはそれで不安です』

「どっちなのよ」

 乾いた笑い声が夜の砂漠に響く。

『でも でも やっぱり安堵しました』

 突如、リオナが大声を上げて叫んだ。先ほどの森での掛け声より大きく。天に向かって。あるいは、地平線まで届くように。

『急に どうしました』

「だって、誰も居ないのよ。こんな大きな声出しても、誰も何も言わない。まるで、世界で二人だけみたいだから──悩んでたのが馬鹿らしくなってきちゃって」

『うわぁぁぁぁ』

「それ、大声?」

『はい』

「よし、私が代わりにもっと叫んでやる」


 そうして、気の済むまで叫んだ後、再度寝転がる。


「──っだぁ。 今日はもう何も考えるのはよしましょう。ただこのまま、寝たいわ……ルゥドも一緒に寝てみない?」

『私に 気を遣わないでいいですよ』

「ほら、こっち来なさいよ」

 ルゥドの言うことを無視し、腕をつかんでこちらに手繰り寄せた……が、びくともしない。当然だ、重すぎる。

「もう。折角乙女が添い寝してあげるっていうのに、甲斐性ないわね」

『ええ?』

「しーらない」

 反対側を向いて、寝たふりをした。すぐに思惑通りルゥドがこちらにやってきた。

『ごめん』と書いてある。そして、すぐそばに寝そべった。二人で。

 肩に鎧の感触を感じる。

「寝てるわよ」

 いじわるをするように言ってみた。するとすぐに反応はなくなった。

「嘘よ。全く。ルゥドったら……」

 振り返ると、そこにルゥドの足首があった。

 見上げると手を差し出している。

 もう寝る体勢だったから、立ち上がるのは少し億劫だった。

 だけど、何かルゥドが思わせぶりなようだったから、そのまま手をとって立ち上がった。

 同時に、両手を後ろに回されて、

「ちょっ、ちょっと」

 突然のことに困惑してしまう。

少しばかりそうして、互いの体を離した。

『人間はこうやって抱きしめるんだと知っています

 私に温もりはないけど

 存在を確認し合いたい

 なんだかそんな気持ちに駆られたのです』

「十分暖かいわよ」

 今度はリオナからもう一度抱擁をする。

 やっぱり鉄の感触だけど、それはただの無機質なものではない。

 砂漠のど真ん中でこうしていると時間が止まったかのようだ。

 世界に二人だけ……二人だけの時間、空間。

『リオナ もう一度歌を歌ってくれませんか?

 こんな時 こんな夜だからこそ聞きたいのです』

 快諾した。断る理由なんてない。

「私の歌ならいつだって聞かせてあげるわ」

 夜に溶けこむような澄んだ歌声が砂漠の中に沈んでいく。二人の思いを風にのせて。

 

   ・


 暑さで目が覚めた。

 かなりの時間眠っていたらしい。既に陽がかなり登っている。

 砂はあまり熱を吸収しないらしく、背中に地熱はあまり感じなかったが、今日はやたらと日差しが強い。

 横にいたはずのルゥドがいなかった。荷物だけが置かれている。

 どこにいったのだろうと見渡すと、海の浅瀬で何かをしているのをすぐに発見できた。 

「何やっているの?」

 近づいて見ると、何かを掬うように海の水に手を入れている。

「あっ、魚!」

 見たこともない魚だったが、縦横無尽に泳ぎ回っているのがちらほらと確認が出来た。なかなか移動速度が早い。海の中ではあるが、生き物を見て安心する。

「無理して捕まえなくてもいいんじゃない。食糧はまだあるから」

 そう促すとルゥドはあっさりと引き下がった。

「ちょっと暑いから、泳ぎたい気分だけど……無駄な体力何て使ってられないからね」

『私は溺れちゃいますしね』

「溺れるというか、多分沈むわね」

『いざとなったら そのまま沈んで海底に何があるか見てきます』

「……それ、冗談?」

『冗談になってません?』

「いや、なってるなってる。遂に冗談も言えるようになったのね」

 何だか感慨深い。最初に出会ったあの時の無骨な雰囲気を思い出せば当然だ。


「それで、これからどうしよう?」

 一晩眠ってみたところで眼前の問題が何か解決をしたというわけではなかった。

 海から引き上げた二人は、洞窟の入口の前に座り込んだ。

「選択肢としてはもう一度あの島へ戻るしかないような気がするんだけど」

『どうしましょう リオナが先に館に戻って

 私がこの大陸の先の様子を見てきてもいいですよ』

「駄目よ。一体何があるかわからないし、一人で行くのは危険過ぎる。それに、私は一人になりたくない。ルゥドだってそうじゃない?」

 大陸の先といえど、ここから歩いて端に至るまで何かあるという確証もないし、どれだけの時間をかけて練歩けばいいかもわからない。

『それは勿論そうです

 だけど このまま何もわからず戻ってしまったらまた八方塞がりになるような』

「まぁあの島で生きるということに困ることはなさそうなんだけどね……このまま戻るのは嫌なの?」

『いや 館に戻るのもいいです

 ただ 折角足を運んだのに収穫がないのは何だか心残りかなと』

「その気持ちは私もわかるけどね」

 謎が謎を呼び過ぎていた。当初の予定では洞窟を抜ければ何かがわかると思っていたのに。

「でもさ、おかしいわよね。私って一体どこから来たのかしら?」

 その点に関しても未だに解決したところがない。

『ここには何もないから ここから来たわけじゃない

 だから 昨日リオナが言った通り、あの島のどこかからやってきたか、海を渡ってもっと違う島とか大陸とかから来た』

 そういう風にしか考えられない。

 移動距離と移動時間を短縮して遠い所から来た。その何らかの方法を使って、リオナは島にやって来た、そう推理するしかないのだろうか。

「手がかりなんて何もなかったけど。一つわかったことは、私達が離島にいたことと、ここには何もないこと」

 眼前の光景を眺める。

「何でこんなに真っさらなのかしらねぇ」

 もう一度考えた。

 やっぱり、何も出てくるものはなかった。

 風が波打ち、リオナをそよいだ。

「今まで生きてきたことをさ、こんな砂漠みたいにまっさらには出来ないけど、砂漠の上に、何かを作ることは、きっと時間をかけていけば出来るわよね」

『ええ 絶対』

「そういう風に生きたい。砂漠の前に打ちひしがれるんじゃなく、そこに望みを見いだせる人間になりたい」

 遠い目をして、二人は地平線を眺めた。

 

 少しして、大きく空気を吸い込んだ。

「戻りましょう」

 そう言ったリオナの表情はここに来る前より明るくなっていた。


   ・

1

 館に戻った二人は、何を話し合うでもなく、生活の基軸を整えることにした。

 外がああいった状態で、これからの生活も館に依存していくのだとわかったから。

 といっても、ルゥドの体は食事などを必要としないので、ほとんどリオナの為に手伝ってくれている形ではある。

 日記でピジェットがそうしていたように、畑を作って生活環境を本格的に整えようとしていた。

 二人には畑知識等全くなかったので、とりあえず勘で作業をしていくことになる。適当な苗も自分で探さなければならない。

 リオナにとっては村の人間。

 ルゥドにとってはリオナ以外の人間。

 そういった恐怖の対象が近辺に全くいないとわかって、外に出て行動することは容易なこととなっていた。


 今ならピジェットの気持ちが少しだけわかるかもしれない。

 自給自足で生活をするために、畑を作る以外にも島を探索して色々な生き物と出会い、生きる食べにそれを捕食する。今まではほとんどルゥドがやってくれてはいたが、最近ではたまにリオナも同行するようになった。

 島全体が自然として廻り廻って、そこに生を感じることができている。今まで感じたことがない感覚で、毎日を過ごすことが出来ていた。

 一先ずはこのまま島で暮らすことがある程度二人の中で暗黙の了解になっていた。

 リオナはルゥドに確認をしていないから、その本当の気持ちはわからなかったけど、何となくルゥドも幸せそうだったから、それでよかった。

 当然、わだかまりはどこかに残ったままだということも理解している。これでいい、これでいい、とどこかで区切りをつけて忘れようとしている節もある。

 だがそれを解決する方法が急造で見当たらないのだ。

 周囲に誰もいないとわかった今、特段焦る必要はない。

 ゆとりを持ってまた外の世界や自分達のことについて知ることが出来ればいい、そういう考えだった。


 そんな生活を続けていたある日、ルゥドが突然、『旅にでる』と言ってきた。

「旅って?」

 あの砂漠を横断するのかと思ったが、そうではないらしい。

『この島をどんどん探索していこうと思う それこそ隈なく

 私達の膨れ上がった謎の数々はまだ解決していない あれだけ後ろ向きだったけど

 私はそれを何とか知りたい

 リオナには申し訳ない

 だけど 自分なりに考えがあるから 行かせて欲しい

 といっても この島内を練り歩くだけ

 館に戻って来られる機会があったら随時戻って報告をします』

「じゃぁ、少しの間館を空けるってこと?」

 ここに来てからずっとルゥドと共に生活を送ってきたのだ。それは単純に寂しいが、思えばこうやってルゥドが我を通すようなことを言ってきたのは会ってから初めてじゃないかと思う。

 いつも自分に振り回され続けていたのだから、とリオナはその『自分なりの考え』も深く聞かず、了承した。

「そのかわり、約束。絶対戻ってきてね」

『絶対戻ってきます』

 特に危険生物が生息しているわけではないし、もし仮にいたとしてもルゥドなら別に身を守る術はいくらでもあるだろう。

 ただ、何日も離れ離れになるのはやはり不安だった。

『折角なので地図を書こうと思います

 島の全体図を知っておくことは悪いことでないと思うので』

 大きな羊皮紙をぶら下げて、ルゥドはその日の内に出発をした。


   ・


 一人きりでの生活になり、数日が経過したある夜。

 寝る前に、リオナはピジェットの日記を再び読み返していた。

 ルゥドは自分なりの考えがあると言っていたが、一体なんだろうかと日を追うごとに気になり、また今の状況を考える気になったのだ。出発の前にルゥドに聞いておけばよかったと今更少し後悔している。

 考えても答えが出てこないような気がしていただけなので、考えることそのものが嫌でたまらなかったわけではない。

 まずは、と手に取ったのがこの日記だった。

 この際自分自身が村ではなく、一体どこからやって来たのかという疑問は置いておくことにして、ピジェットが置かれていた状況をもう一度改めたいと思ったのだ。

 一度読んだきり読んでいなかったので、これで二度目だ。再読すればまた何か気が付くことがあるかもしれない。

 そう長い日記ではなかったが、今度は初読より更に注視して、吟味し、噛み砕いて考えながら読んだ。


 再読後の所感はほとんど一回目と同じではあったが、既にあった一つの疑問が水滴が跳ねるようにして浮かび上がった。

 <奴ら>とは一体何のことなのか。

 ピジェットが決別をし、ある種の慄きを感じていた人々。ルゥドは洞窟に向かう前、それを村の人間ではないかと言っていた。

 その可能性はあると思っていたが、同時に否定的な見方もしていた。それはリオナがピジェットとラモという人物に会ったことがないからだ。

 実際ここは全く記憶にない島で、洞窟の先も全く見覚えがない砂漠だったのだから、村はこの近辺になかったときっぱりと否定が出来るようになった。

 そう考えていくと、<奴ら>は村の人々ではないと推測が出来る。

 となると、村の人間とは全く違う存在として、<奴ら>の存在が何であるかを考えなくてはならない。

 前までは、集団での生活を営んでいた母体であると漠然と考えていたが、もしかしたらそうではないのかもしれない。

 二人以上いれば、十分に<奴ら>足りうる。

 外が砂漠であることを鑑みると、遊牧民のような人々があの砂漠で自活していたのだろうか。

 いや、考えにくい。

 食事はあの魚たちを食べればなんとか食いつないでいけるのだろうが、あんな所に好き好んで住む人間がいるとは思えない。

 では、島に住んでいた……? そちらの方がまだ現実的かとも思える。

 しかしそれも……

 リオナは再度日記を読み返していった。

 

 ピジェットはこの暮らしに入ってからかなり安堵している。<奴ら>から逃れたことから。

 三日目には<俗世から離れて一人で隠居暮らし>という記載。それ以外にもいかに自分自身が独立した世界に浸れているかという記述がある。<奴ら>と同じ島に住んでいたのなら、そう思うことは難しいのではないか。 

 この島の規模がかなり大きければ、そう思い込むこともできなくはないが、砂漠から見たときは、大きな島ではなかったように思えた。

 仮に<奴ら>が島で生活をしていて、同じ島内で自分も生活をし、俗世から離れた、<奴ら>から逃れることが出来た、と満足するにはいささか不十分ではないか。

 これに関しては、ルゥドの報告を待てばある程度結果が出るに違いない。島全体の広さが把握できれば。

 ラモが割と何度も訪れている所から察するに、そこまで遠い距離ではないという推測も出来るから、どちらとも言い難いのだ。

 もしかしたら、意外に島は広く、どこかに人が住めそうな集落があるのかもしれない。

 思わず、ルゥドの身を案じる。今までまるで島内には自分達しかいないと考え続けていたから、人が住める場所があるとなれば、実は人間が生活しているのかも。

 いや、大丈夫だ。なぜなら無人……だから。

「えっ……?」

 思わず声に出す。

 どうして……? 

 なぜ、ここを無人だと思っていたのか。


 数百日も誰もここに訪れないということから、勝手に館の主であるピジェットや<奴ら>が既にいないものだと勝手に思っていた。

 もう一つの理由として、ピジェットに危機が訪れてどこかに行ってしまったから。

 では、<奴ら>もその危機にやられてどこかに行ってしまったのだろうか?

 一体どこに? そもそも危機とはなんだろうか。

 もし、その危機が死を貶めるものなのらば、あるべきものがそこにない──死体。

 死を断定するのにはまだ早いが、この島に姿が見えない以上そう考える他ない。白骨も残らないくらい悲惨な死に方をしたのだろうか。この館は綺麗なままでいすぎる。死体の一つでも転がっていたほうが、今の状況には相応しい気がした。

 あるいは島内のどこかにピジェットは逃げて、そこで死んだのかもしれない。まずあの大陸を横断したとも考えにくいから。

 リオナもルゥドと共についていけばよかったと後悔した。そういう観点から島を捜索したいから。

 だが、一日中動けるルゥドについていくのは逆に迷惑だ。こうなったらもう待つしかない。


   ・


 畑作業をしていると、どこかから聞き慣れた足音が聞こえてきた。

「おかえり!」

 段々足音が大きくなって、すぐ近くに聞こえた所で振り返り、久々の対面。

 久しぶりのルゥドの姿を見て、安堵をする。いつ見ても変わらない姿だ。

 左手をあげて挨拶をしてくる。

 地図を書くといったその大きな羊皮紙を右手に持っていた。


「早速で悪いんだけど、何があったのか聞かせてよ」

 広間に戻り、開口一番尋ねた。正直かなり待ちわびていたのだ。ルゥドもそうだし、持ち帰ったであろうその情報についても。

『結論から先に言うと 何もなかった』

 拍子抜けするその返答に思わず肩を下ろす。

「何もないって……砂漠があったみたいなこと言わないでよ。そんな。何かあってもよかったでしょ。ほら、変わったものとか」

『残念ながら

 まずこれを見てもらいたいのです』

 手に持っていた大きな羊皮紙を机の上に広げる。

『自分なりに測量した結果 こういった地図が出来ました』

 少しいびつな楕円形。楕円の真ん中の膨らみの部分が上の方にずれた形だ。下はその分面積が少なく尖っているように見える。

『これが島の全体像です といっても私の想像で目星をつけながら描いたものなので はっきりいって正確性はないかもしれません』

「見てもぱっと来ないわね」

『まず私は 館を出てから 西の島の端まで一直線に突っ切りました

 木々にかなり遮られたりしましたが、順当に島と海の接点 つまりは端まで辿り着きました

 そして そこから端をずっと歩き続けました

 一周するのに五日歩き続けました』

「七日……ね。広いんだか狭いんだかちょっとわからないわね。でも、島の端もほとんど木で生い茂っていたんじゃない?」

 外側からみた島の風景を思い出す。ほとんど緑色の塊だった。

『そうですね

 正直かなり苦労しました

 七日という時間は目安としての感覚値として持ってくれればいいと思います

 そうして端をずっと歩いていた時も島を観察していたんですが とにかく ひたすらに木で埋め尽くされていました 隙間なんてないくらいに』

「だろうね。でも全てを確認できたわけじゃないんでしょ?」

 <奴ら>が住んでいたような痕跡が少しでもあればと思った。

『もちろんその一周は確認が取れませんでした 内陸部分がどうなっているのか気になります

 なので 今度は最初に辿り着いた端の地点からひたすら木々の中を斜めに真っ直ぐ突っ切って行きました

 ですが結果は同じです どこを見ても 四方八方木々しかありませんでした』

「うっとおしいくらいの密林に囲まれているということね。そこまで聞くと何か均衡が崩れているような気がするわよね。なぜこの離島だけこれだけの自然が栄えているのかしら」

『確かにあの砂漠と比較をすると少し妙ですよね といっても私は普通の自然がいまいちわかりませんけど』

「それで、そのまま突っ切ってどうしたの?」

『はい 斜めに突っ切った結果、また島の端に到着しました そこから今度はこの地図で言うと左方向に一直線に歩いていきました 所々もしかしたら曲がってしまったのかもしれないけど

 それでまた端に到着します

 今度はそこから反対方向の斜めに突っ切り 再度端へ

 そして最後にもう一度そこから左へ突っ切りました』

「っていうと……」

 リオナは新しい羊皮紙にルゥドが描いた島の全体図を真似して書いていった。

 そこに、今言われた順路を書いていく。

 ちょうど向かい合った三角形を二つ描いたような形になった。

「こういう順路でルゥドはこの島を探索したわけだ……なるほど。理に叶ってる。これなら島のどの部分もある程度視野に入った状態になるわね」

『そうです 最初に島の端を一周しているので、中央の両端部分もそれなりに見てきています』

「それで、結果は?」

『結論は やはり木々に囲まれているということしかわかりませんでした

 それは個人的に何もないと同義と感じました』

「どこか、人が住めそうな空間はなかったの?」

『勿論 植物たちが手薄になっているところはありましたが そのすぐ隣をみればやはり生い茂っています 本当に空間の一部一部でならそういう光景は度々見ましたが 人が住める環境ではまずありませんでした』

「そう……」

 予測が外れた。リオナはもう漠然と<奴ら>が島内にいるという可能性が高いと考えていたため、島内にどうしてもそういった場所がないとなると一体どうなるか……

『それにしても 人が住めるかどうかとは一体?』


 ルゥドが探索している間に自分で考えたことを話していった。

「ルゥドの考えも聞かせて欲しい。考えがある、と言ったのは、今私が言ったようなことと同じではなくて?」

『考えというのは……実は単純に自分の体ならこういう荒業が可能だと思っただけ』

 自分を同行させないためのある種の詭弁だったのかとリオナは合点する。だからそれ以上何も突っ込まないでおいた。

 そして、リオナは遂に一つの答えを導き出した。今までの積載された考えをようやくある程度練り上げることができたのだ。

 これしかないという答え。 

「となると、一体<奴ら>はどこから来たと思う? 少なくともピジェットを危機たらしめる存在だから、私は十人以上はいたんじゃないかと思う。本当に少なく見積もって五人……だけど、この島内じゃ生活環境はない」

『そうは言っても ごめんなさい

 私に見落としがあるのかもしれないし 断定は出来ないのでは』

「いや、出来るわ。大切なのは島に木々以外何も発見できなかった、ということなのよ」

『どういう?』

「以前にも出てきた疑問だけど。この館はどうやって作られたのかしら? ピジェットの日記にも<私が建てた>とは出てきてはいたけど一人であんな館を建てられるはずがない。かなり大規模な文化的蓄えを持つ共同体が必ずあったはずなのよ。それがあったのは島内ではないと今のルゥドの報告から大方予想される。あまりにも島の規模が小さいし、こんな木々だけで囲まれた、生活の跡も残っていないような島にいたはずがない。<奴ら>がそれと同じ共同体であったかはさておき、そんな連中は一体どこへ消えたのかしら。ここで、さっき言った、死体の問題が出てくる」

 あるべきものがそこにない。

 ピジェットや、<奴ら>に限った話ではない。

 館を作った人間たちの生活の跡、死体もピジェットが記載した<危機>により迫っていたのなら残っていなければならない。

『それらはどこに消えたのか』

「死体の方は海のもくずとなるなり、白骨化して地中深くに埋まるなり、何かしらの要因でないのかも。だけど生活の跡がないのは絶対におかしい……そう考えると」

 そこまで言い終えると、ルゥドも気が付いたようだ。速筆で書きなぐっている。

『あの砂漠に以前は何かがあった』「砂漠にその共同体があったのよ」

 ルゥドが書き上げてこちらに見せると同時に、リオナが声を張って言った。

 実に単純なことだった。

 あの館を原点にして考えれば、どうということのない結論。<奴ら>の正体にことの焦点を当てすぎていた。

「そう。そして、更にピジェットの日記から考えれば……<危機>によりああいう……砂漠みたいなことになったんじゃないかしら。はっきり言って、あの砂漠は異常よ……異常だった。そう考えれば全て説明がつく」

 段々と声色を低めていった。

 そこから更に推論していくのであれば、もう一つ説明がつくことがあった。これは推測の推測であるから、そうであるという確証はない。だが、確信めいたものはリオナの胸の内に生まれてしまった。


「私の村もあの砂漠化した中にあったのかしら」


 一つの線で、いくつもの仮定が結びついた結果がそこに生じた。

限りなく濃い仮定。正しく真実に近いのかもしれない。


   ・


 話し合いは一端あの時点で幕を閉じた。

 リオナは自室に引き上げ、ルゥドは広間に。

 あの後、お互い顔を見合わせただけで、特に何も言わなかったが、リオナの目は不安と希望が入り混じったような複雑な目をしていて、その目のまま二階へと上がっていった。恐らく、また日を改めて続きを話し合う事になるだろう。リオナにとってはまだ何も解決はしていないのだから。


 ──実は、ルゥドは既に自分の過去を知れる位置にいた。

 その気にさえなれば、謎掛けの答えをちらと見るようにしてその回答が見れる状態にある。全ての答えではないが、ほとんど核心に近い答えを。

 その答え合わせをせずに、ただ探し続けていた。

 自分の憶測を否定する材料を。

 答えを見てしまったら、自分が不幸になるかもしれないと思っていた。だから遠ざけていたのだ。

 遠ざけ続け、自分であがき続けた結果、先ほどの結論が出た。

 向き合わなければならない。真実と。

 そして、どうするかを決めなければならない。

 決心をしたルゥドは──ゆっくりと立ち上がった。

 リオナが寝静まった時間。静寂が広間を包み込んでいる。

 足音に気を遣って、二階へと登っていく。重量からどうしても階段が軋む音はしてしまう。

 寝室の前を通り過ぎ、書庫の扉の前で立ち止まった。そのまま中には入らず、もう一度逡巡する。

 多分、予想通りに違いない。

 一種の諦観にも似た感情を持て余した後、そうでない場合もあるのだからと振り払って中に入った。

 一番奥の本棚の最下段に置いておいた、『ピケルの大冒険』。リオナはだいぶ前にこの本を読み終わったと言っていたから当分手に取らないだろうと思っていた。隠し場所としては最適ではないし、見つかる可能性もあったが、他に最適な場所が見つからなかった為に、結局この中に仕込んでおいた。

 屈んで手に取り、本を開く。

 汚らしい、年季の入った破れた羊皮紙が挟まれている。

 取り出し、しわくちゃになっているそれを丁寧に広げていく。

 答え合わせの時間だ。


   ・


   ピジェット邸 七十日目


 館の扉を叩く音が聞こえたから、遂にラモが来たのかと出迎えて行ったら違う人間がそこにいた。

 見たことがある顔。名前はうっすらとしか記憶していないが、村にいた時に見た覚えはあった。

 そいつは自分から勝手に名乗り始めた。カゥンという名前だと聞いてようやく思い出した。

 なぜ来たのか問いただす前にそいつは勝手に喋り始めた。

 曰くこうだ。

 

 動く鎧と見たことのない獣を携え、侵略者が訪れた。

 予言通り、危機が訪れている。

 村はおろか、この世界全てを滅ぼさんとしている。

 現在長老が侵略者と交渉を図っている。

 早く村に戻って来い。


 信じられるわけがない。予言もとい狂言に頭の芯ごとやられてしまったのだ。男の目は例の生気のない目をしているだけだった。あんな奴が正常な考えをして話しをしているとは思わない。

 だが、ラモはどうなったのだろう。

 あの男の言ったことは到底信じられないが、ラモが危機を感じていたことは事実だ。男を突っ返した所でラモについて聞いておけばよかったと今になって後悔している。

 どうするべきか。

 村に戻れとはあの忌々しい首謀の考えていることだ。結局私を取り込もうとしているに違いない。それで私まで蹂躙されたらたまったものではない。

 ラモが言っていたことも、男が言っていたことも全て首謀の思惑だろう。危機と称して……何かを企んでいる。ただ達観しているだけでは駄目かもしれない。

 ラモだ。ラモだけは救い出さなければならない。こんなことなら、無理矢理でもこの館に住まわせるべきだった。

 待っていても駄目だ。何かが起きてからでは遅すぎる。

 築き上げた自分の世界はまた再構築すればいい。

 そうと決まれば、早速出かける準備をしよう。

 待っていろ親友。私は君のために全てを振り払おう。


   ・

 

 日記は、本当は殺風景なあの部屋で発見されたのではない。元々寝室にあったものだ。

 初めてリオナと会った時に、色々なものを投げつけられた。その中に、本のようなものが混じっていたので、あの時無意識に回収したのだ。

 ただの本としか思っておらず、いつか読もうと思っていて、そのまま書庫の方にしまっておいたものだ。

 読んだのは大体、リオナが初めて歌を聞かせてくれたあの夜から少し経って。

 ふと思い出したのだ、まだ読んでいない本があった、とその程度に。

 読み進めて始めて日記だと気が付き、手がかりが記載されているものだと認識した。

 ──読んでしまった日から、外に出まいと、リオナの目が外に行かないようにとしていた。その結果、リオナに怒られたのだ……「黙っていてもわからない」と。

 瑣末でないこと。それは、リオナに拒絶され、共に暮らせなくなること。あの時は、それを避けることで精一杯だった。具体的にした行動なんてなかったのだけれど。その無反応がリオナを怒らせた。

 なぜ、あの時あそこまで恐怖していたか。

 一番最初に日記を読み進めていた時──

 <動く鎧>という文字が書かれているのを見た瞬間に、何も考えず、思いきり力を込めて破った。

 一気に破り、その破った部分は読まずにここへしまいこんだ。

 全てはかろうじて読まなかったが、<動く鎧>という文字は見てしまった。

 そこから、瞬時に色々な憶測をして、読んでしまったら不幸になると考えた。

 裏腹に、思考だけは進んでいく。

 最終的に、日記を皆まで読まずとも、ほとんど間違いなく<動く鎧>とは自分のことだと結論づけた。そして、同時に<危機>とは、自分のことそのものだとも。

 そこから、リオナの村を襲ったのではないかという憶測もすでに立てていた。

 全てがリオナに知れたら、もう共に暮らすことは叶わないと思ったから。だから、恐怖してしまっていたのだ。

 否定できるものを探すことが出来れば、と思いたって、結局リオナに日記を渡す決意をしたのだ。あたかも、突然発見した風を装って。

 <動く鎧>と書かれていた以降のページは全て破ったものだと思っていたが、リオナに手渡して最後のページだけが残っているとわかった。相当動揺していたのだろう。致命的な確認漏れ。あの部分を読み進めているときは内心いてもたってもいられない気持ちだった。最後のページに<動く鎧>など、自分のことについて書かれていなかったのが救いだった。


 今、日記の全てを改めて読み終えた。

 内容は予想通りだった。

 大方外れていない。侵略者として、それらが複数いたのだとは考えていなかったが。

 やはり、自分は化物だった。もうこれは否定しようのない事実だ。否定する材料なんてこれっぽっちも見つからなかった。事実を覆すものなんて無い。

 リオナと生活する中で、その意識は薄れていったけれど、化物なのだ。

 ルゥドは思いきり、拳を地面に叩きつけた。何度も。何度も。沸きでてきたこの感情をどう制御すればいいのかわからない。

 館全体が揺れてしまうのではないかというくらいの衝撃を与え続けた。

 そんなことをしても無駄だとわかるまでにどれくらい打ち続けただろうか。

 日記に書いてあった、<村>。

 これはリオナの住んでいた村ということで間違いがないはずだ。

 書かれていた<狂言>や、<予言>等。リオナから聞いていた村の風習などもそれに近いものがある。

 紛れもなく自分は侵略者として、化物として、日記に出てくるピジェットやラモの……そしてリオナの村の人々を蹂躙したのだ。

 その際にリオナの大切な人々を殺しているはずだ。今は憎んでいるかもしれないけど、リオナは村が全てだと以前言っていた。そして、あんな砂漠化した状態になってしまったのだろう。

 事実をどうやって伝えればいい? これを知ったらリオナは何を思うだろうか。

 ルゥドの心が罪悪感で埋め尽くされていく。


 そのまま少し横たわった後、ようやく体を起こした。

 一度戻ろう。さっきの音でリオナを起こしてしまったかもしれない。そして、広間に戻ってからもう一度考えることにする、自分の今後について。

 部屋を出ようと扉に手をかけた瞬間だった。

 ──どこかから声が聞こえた。


   ・


 朝起きて、一番最初にやること。

 それは広間に降りて、ルゥドに挨拶をかけること。

 昨日はまぁまぁよく眠れたので、元気よく階段を降りてルゥドに「おはよう」と声をかけようとした。

「お」と言いかけたところで、広間にルゥドがいないことに気が付く。

 必ず食卓に居座って、挨拶に返答をしてくれていたのに。それはほとんど日課になっていたはずなのに。

 不思議に思ったリオナは館中を声を出しながら探してみたが、いない。

 続けて外に出てみた。畑の方にいるのかもと足を運んでみたがいない。館周囲を簡単に見渡してみたが、それでもいない。

 動物か何かを狩りに森の中へ入っていったのだろう。

 釈然としないながらも、そう思うことにして、リオナは一人朝食をとることにした。


 結局、それから一日中ルゥドは姿を現さなかった。昨日の続きを話そうと、今か今かと待ち続けていたのに。

 こんなことは今までなかった。ルゥドの身に何かが起きたというのだろうか。例えば、森の動物にやられたり、身動きが取れない状況になってしまったり。

 すぐにでも外に出て探したいという気持ちもあったが、一体どこを探しにいけばいいかわからない。

 自分の体では森の中に入ることは到底叶わないだろうから。外に出ても結局洞窟までの道をうろつくことしか出来ない。そこにルゥドがいるという確証はない。道沿いにいるのであれば、すぐに戻ってくることが出来るはず。どこか迷ったりしてしまっているのであれば、森の中だ。

 リオナの不安はじわりじわりと高まってくる。

 まだ一日しか経っていないのだと心を落ち着かせて、一先ず今日は寝ることにした。

 朝起きたら、きっとルゥドがそこにいるはずだ……そう思いながら。


   ・


 翌日。

 体をゆっくりと起こして、真っ先にルゥドの姿を頭によぎらせる。

 今日は何事も無くいればいい。

 そう思って広間に降りていったが、そんな希望はすぐに打ち砕かれた。

 広間にはやはり誰もいない。

 ルゥドがいつも座っている場所に座った。

 今までルゥドは必ずここにいたのだ。それはルゥドにとっても日課として間違いなくあったに違いないのに。

 それを放棄してどこかに行ってしまうほどの何か重大なことがあったのだろうか。

 それとも、本当にただ島のどこかで危険な目にあっているだけなのか。

 わからない。わからないから行動に移すしかない。

 思い、腰を上げると、同時に館の扉が開いた。

 胸のつかえがとれた。ルゥドが戻ってきたのだ。

 何と言ってやろうか、と意気込んで扉の前まで行く。

 緩んだ顔が強張る。


 ──違う。


 ルゥドではない。

 

 見たことのない人間がそこに立っていた。

 沈黙で相対する。お互いが観察し合い、息を呑む。

「あなた、一体何者よ」

 間を突くように、最初に言葉を発したのはリオナ。

 突如現れた未知の訪問者。どこから来て、どこから現れたのか。

 男は面倒そうに髪の毛をかきあげて、虚ろな目でこちらを見やった。疲れているのか、直立で立つことをやめて、扉によりかかった。目の下に隈が出来ている。顔色もどことなく悪いように見えるが、そういう性質なのかもしれない。

「君こそ一体誰なんだ。人に名前を聞くときは、自分から名乗るべきだ」

「私はリオナ・アルページ」

「わかった。で、なぜ君はここにいる?」

「それは私が聞きたいわ。あなたは一体何者?」

「どうも話が組み合わないな。殊、君が何者か、ということに関しては私の方が聞く立場にあると思うんだがな」

「何を言っているのかよくわからないわ」

「とぼけているのならかなりやり手だね、君は」

「いいから、あなたは何者なの? 答えてよ」

 組み合わないと感じているのはリオナも同様だ。

「そうだね。君が名乗ったのだから私も名乗るべきかもしれない。居座り強盗のような人間に名乗るのは世界中探しても私だけかもしれないがね」

「居座り強盗って……まさか」

「まさか? 何か私に心あたりがあるのか?」

「いや……名前を。名前を教えて」

 男は左手で顔を覆い隠し、指の隙間からリオナを覗き見た。再度立ち直し、今度は正面からもう一度見据えられる。

 何をするのかと警戒するが、それは男にとって何でもない仕草のようだ。リオナも見つめ返す。

 改めて見ると、リオナよりもかなり成熟した大人のように見える。全体的に不健康そうに見えるのは、張りのない皮膚や顔の皺、顔色のせいだけではなく、男性にしては細身の体だからだろうか。

 見方によっては、精悍な顔付きであると言えるかもしれないが、疑り深そうな垂れ、落ち窪んだ目が厭世的な雰囲気を醸し出していた。

 

 ゆっくりと、呟くように男は言った。

「私の名前はピジェット。ピジェット・ゴドスタァ。この館の持ち主なわけだが」


   ・


 最初は聞き間違いかと思った。小さな虫が近くで飛んでいるのかと、それくらいの錯覚。

 だが、違った。

 段々とその音が近くに聞こえる。ゆっくりと、ゆっりと。

 周囲を見渡すが、音の発生源はどこにもない。振り返っても本棚が重々しく佇んでいるだけだ。それなのに音は近くに聞こえる。

 気にせず扉に手をかけて書庫から出た。

 そこで今度ははっきりと、明確に音が聞き取れた。やはり、どこを見渡しても音……いや、声の主はいない。

[……ガ……キ……ア…………]

 ようやくそこで気が付いた。

 この声は自分の内から聞こえる。集中して音を聞き取ろうとする。

[……ワガ……ボウ……キコ……アイ……]

 輪郭がはっきりとしてくる。これは決して声ではなく、言語でもない。抽象的な思念がそのまま直にルゥドの元に現れ、それが理解できるように知覚出来る。全く体験したことのないことのはずだったのに、なぜか素直に受け止められる。

[……ワガ……ドウホウ……キコエルカ]

 自分に呼びかけているようだ。意図的に発信をしているのだろうか。

[同胞ヨ……答えヨ……]

 自分でも驚くくらいすんなりと、ことは進んだ。

[こちらの声は聞こえているか]

[聞こえたか……どこにいる]

 何となくただ強く感情を込めて、念じてみただけだった。それだけで、まるで以前からそうしていたように、何回も練習を重ねていたみたいに、すぐに相手と意思疎通を図ることが出来た。

[お前は誰だ?]

[……は……?]

[お前は誰だと聞いている]

[何を言っている……]

[お前こそ何を言っている]

[忘れてしまったのか]

[忘れる記憶などない]

[だが私は昔のお前を知っている/つまりそれは忘れた記憶があるということだ]

[知らない]

[時間が惜しい/こんなやりとりをしている暇もない/早く一度会おう/そうすれば教えてやれる/私とお前がいれば敵はもういない]

[意味がわからない]

[わからなくていい/私は今こうしてやり取りをするのにも体力を要するのだ/無駄なやり取りは避けたい/お前が記憶を失っているのなら知りたいだろう/自分が何かを/来い]

 自分の過去を知っていると訴えてきた。

 十中八九あの日記に出てきた侵略者のいずれかだ。

『動く鎧と見たことのない獣を携え、侵略者が訪れた』

 動く鎧は自分であるから、それ以外のどれか。侵略者ではあるとは考えにくい。あの文面から考えるに、どうやら自分とその獣は侵略者の配下のようなものであったらしい。同胞と同列に呼びかけられていたから、恐らくはその見たこともない獣、とやらが交信相手なのだろう。


[居場所は発信し続ける/回復はすぐだ/さすればすぐに動ける/ここから森が見える/人間の匂いもする/共に戦おうぞ]


 という思念を最後に交信が終わった。

 同時に、普段では絶対感じられない、感じたこともなかった意識や力を感じた。見えない極細の糸で繋がっているような感覚。

[発信し続ける]とは、このことか。この意識の方向をたぐって来いということか……自分の過去を知っているかつての同胞へ。


 自分が侵略者として蹂躙したということはほとんど事実だ。何度拳を打ち付けてもそれは変わらない。

 折り合いを付けなければならない。自分の過去と、行動に。

 そうでなければ、リオナに合わせる顔も鎧もない。

 リオナはなおも眠り続けているだろう。

 明日の朝、自分がいないとわかれば悲しむだろうか。だが許して欲しい。既にいてもたってもいられない。全身が引きちぎれそうな思いなのだから。


   ・


 日記の中でしか存在しなかった人物。間違いなくこの世からは姿を消したものだと思っていた。

 その人物が今、目の前に立っている。何が起きているの……リオナはピジェットと名乗った男に聞こえないくらい小さな声で混乱を口にした。

「その反応。私のことを知っているように見えるが」

 嘘をつく必要はない。今ピジェットは自分のことを居座り強盗だとしているのだから、下手な問答は避けるべきだと考えた。状況から考えれば相手の方がこちらを警戒して当然。自分の館に見知らぬ人間がいるのだから。

「ええ。知ってるわ。十分にではないけど。この館の主であるということはね」

「へぇ。一体どうやって? 私は残念だが君を知らない。私が君を知らないのに、君は私を知っている。そんな一方的なことは附に落ちない」

「日記よ。ここにあったあなたの日記を読ませてもらったわ」

「人の日記を読むなんて趣味が悪い」

「私はあなたがもう既に館からいないものと……いや、死んだものだと思っていたの。だから、そういう罪悪感はなかったわ。それに、私達としても館の真相を知ることはどうしても必要なことだったから」

「ふむ。害のある人間には見えないからよしとしよう。忠告しておくが、君を信じたわけではない。私が今まで生きてきた経験でそう判断しただけだ。直ちに害のある人間ではないだろう、とそう思っただけだ。人間の移ろいは目に余るものがあるから、後々害がある人間だと判断するかもしれない」

「いいわよ。信じなくても何でも。とにかく聞きたいことが山程あるわ。思いつく限り質問していいかしら?」

「それは私が君のことを知ってからだろう。知らない人間が館に住まっている理由を聞き出さない限りは何も答えることはない」

 はやる気持ちが先走りすぎた。

 おとなしくリオナはこれまでのことを話した。

 ほとんど真実を話したが、リオナの過去(記憶がなくなっていたということだけは話した)と、ルゥドの存在だけは何も話さずにおいた。今この段階で話す必要はないと感じたから。必要になったらまた話せばいい。

「……なるほど。今なるほどと言ったのは決して納得したからではない。ただ大筋はわかったよ」

 それを納得したというのではないかと言いたくなったが、喉元まで出かかって、それを抑える。

「さぁ、私のことは話したわ。今度はピジェット、あなたのことを教えて」

「記憶がない……記憶ね。ううん、記憶……?」

 ピジェットはリオナの言うことをまるで聞かずに一人でぶつくさと呟いている。不明瞭で聞き取れない。

「ちょっと」

 そこで言葉を止めた。ピジェットの様子がみるみるおかしくなっていったから。

 頭を両手で抑えこみ、爪を抉るようにして立てている。余程の力を入れているのか、指の腱と腕の筋肉が小刻みに震えている。

「どうしたの? ねぇ、ねぇ!」

 先ほどの気だるそうな表情とはあまりにも一変していたので慌てて駆け寄るリオナ。

 今度は叫び、半狂乱になって床に倒れ込んだ。

 そして、一転して今度は静かになった。全身の力が抜けたみたいになって俯せで横たわっている。

 どう声をかけていいかわからなかった。ピジェットの身に何が起きているのかも。

 突然、声を荒げて立ち上がった。

「ラモ、ラモは。そうだ! ラモはどこに行ったんだ! ラモ。ラモ! 我が親友よ!」

「ラモって……日記に書いてあった、あなたの大切にしていた人」

「君、ラモを見なかったのか?」

「残念だけど、私以外に人は見かけなかったわ。館の周囲と洞窟の先についてはさっき話した通り」

「嘘だ。ラモがいないなんて。私だけ助かってしまったなんて。そんな都合のいい絶望がこの世にあるのか? 教えてくれよっ。教えてくれよッ!」

 両肩を鷲掴みにされ、前後に揺すられた。

「教えてくれよ……」

 それが終わると、膝をついてピジェットは静かに泣き始めた。


   ・

 

 ルゥドは洞窟を駆け抜けていた。

 自分にとって今為すべきこと──大切な人を守る。ただそれだけだ。

 守る? いや、守りたいというのは自己完結の願望に過ぎないのかもしれない。

 自身の全ての顛末がリオナに知られたら、確実に自分は憎悪の対象になる。これまで通りリオナと接するのは無理なのだ。

 そうなってしまったら、自分が生きている価値はない。リオナの存在はそこまでルゥドにとって欠かせないものだ。

 だから、ルゥドは考えた。

 その事実がリオナに知れる前に、自分なりの贖罪をするのだと。それが結果的に欺瞞的な自己願望に繋がっていても──それでもいい。

 過去と決別を図り、自分で終止符を打たなくてはならない。この手で。そしてそれをリオナに証明することが自分が出来る最大の贖罪なのだと考えた。

 奴は……かつての同胞は言っていた通りこの島を既に見つけている。あれだけ緑に囲まれた目立った島だ、砂漠から見ればすぐに気が付くだろう。この島には存在を感知できないが、恐らくこの洞窟を抜けた先、例の砂漠の近い場所にいるような気がする。

 幸いまだ体が万全ではないらしいから移動をしていないようだが、回復をすれば、危険の矛先が館に、リオナと、そして自分が暮らしてきた場所に向く。その前にそれを阻止しなければならない。

 早くしなければ。自分が為せる最速の移動速度で洞窟を走る。

 一筋縄ではいかないかもしれない。

 戦闘になったら、自分はどのように戦うべきなのか全くわからない。

 それでも探さなくては。出た所で勝負するしかない。

 

 今までの生活が頭の中で一気に蘇ってくる。

 そこにいつもいるのは、笑顔で立っている一人の少女。

 もしかしたら、自分はこの戦いで敗れてしまうかもしれない。刺し違えてでも必ず脅威は食い止めなければならない。その覚悟はあった。

 そうなってしまったら、一つ心残りなのは、伝え忘れたことがある。それだけだ。

 何度言っても足りないくらいの感謝の言葉を送りたい。

 無機質な鉄の塊で、その元来も気質も不明な自分に生命の息吹を吹き込んでくれたのは間違いなくリオナだ。

 館を出る前に、記憶に焼き付けるようにしてその寝顔を見たけど、それだけではやはり足りなかった。

 駄目だ。そこまで嫌な方向に考える必要はない。

 駆逐し、勝利し、館に帰宅する。それだけを考えれば良い。


   ・


 温かい飲み物をピジェットの為に淹れて、食卓に座り、二人でそれを飲んだ。お互い何も言わないまま、容器をただ覗き見ては飲むという動作に集中した。

 これだけ動揺をしているのだ。

 第一印象では、日記通りの風変わりな男という印象しかなかったが、これだけ友人の為に泣き、苦しむことが出来る人間ということは非常に情が深い人間。それはつまり、人間味があるという証。リオナはそんなピジェットに同情を感じていた。

 最初にリオナに向けられた敵意は、自分の家に他人がいるのだから当然のこと。

 最初に口を開いたのはピジェットだった。既に涙は枯れている。

「飲み物をありがとう。まるで私が客人のようだ……これは冗談だ。面白いだろう」

 笑えはしなかったが、愛想笑いはしてみる。

「今まで散々この館を使って生活してきたから、ちょっと自分の所有物だと思っていた節はあったかも」

「それは解せぬ。これは私のものだ」

「ええ、そうね。あなたが今ここにいる以上、私が客人だわ」

 ピジェットは一気に飲み干して、容器を勢いよく置いた。何か意を決したようだ。

「……そんなことは今はどうでもいいのだ」

 動作とは反対に、声音は静かだった。

「聞かせてくれないかしら。私のことは話した。だから今度はあなたの番よ。なぜ、あなたは突然ここに現れたの? この館は何? あの砂漠は? 教えてよ」

 矢継ぎ早にまくしたてる。それだけこのピジェットという男が自分の知りたい情報を持ち合わせている可能性が高いのだ。

「そうだな。私は今、何もかも話してしまいたい気持ちだ。私がやってしまったこと。友を信じなかったという罪を。今日初めて会った人間にそれを話すのはいささか癪ではあるがな」

 皮肉を言われたのだろうか。構わずリオナはせがむ。

「聞かせて」

「といっても……どこから話せばいいのかわからないな。かなり込み入った説明が必要のようだ」

 腕組みをし、宙を見上げて、少し考える素振りを見せると、ピジェットはようやく話し始めた。

「まぁいい。あれこれ考えても仕方がない。とにかく思いついたことを話していこう。まず、私がこの館を建てた経緯を話そうではないか。君だって気になっているに違いない。そうだろう?」

「ええ、勿論」

「その前提として、私が住んでいたかつての村のことについて話さなければならない。君が言った洞窟を出て、少し進んだ先に村はあったのだよ」

「少しってどれくらい?」

「大体三日程は歩くな。以前は決して砂漠ではなかった。緑が溢れ、漁業が盛んでもあったな」

 やはり、リオナ達の推測通り、砂漠になる以前にはそこに共同体が存在していたのだ。

「でも今は砂漠よ。あなたは、砂漠になったということを知っていたのね」

「ああ。そのことについてはまた後で話す。知りたい気持ちはわかるが、そう気を急くな」

「ごめんなさい。続きを」

「とにかく私はそこに住んでいた……先ほど私が名前を呼んでいたラモもそこにな」

 ふっとピジェットの表情がまた暗くなってしまった。

「生まれた時からずっとそこで生活をしていたよ。衣食住に関しては何一つ不自由しなかった、と言えば嘘になるが貧困に陥ることはなかった。友にも恵まれ、成人になるまでは多分私は幸福だった。いや、間違いなく幸福だった」

「ちなみに、村の名前は何?」

「オルブレント村だ」

「そう……」

 クーデシュカ村ではなかった。ピジェットの顔は見たことがなかったから、当然そうなのだろうとは思ってはいたが。しかし、名前も全く聞いたことのない村だ。

「続けるぞ。成人になって、私は村の洗礼を受けることになった。一体何だと思う?」

「全く予想がつかないわ」

「それは当然だ。普通の人間……いや、あの時は私以外がそういう考えだったから、奴らから見れば私が異常だったのかもしれないが……とにかく、村の人間以外が知ったら異常なことだから……君は予言なんて知っているか?」

「言葉そのものは知っているけど。どういうこと? 質問の意図がわからないけど」

「意味はこうだ、未来を予測する言葉。どうだ?」

「うん。そのままよね」

「予言者がいたのだ。私の村にはな。村の長、長老。成人した私は、直接長老から予言を聞くことになる。要点を絞り、噛み砕くとこうだ、

『やがて、世界を包み込み滅ぼすほどの災害が起こる。侵略者達は何の前触れもなく現れ、人々を根絶やしにしていくだろう』と。

 君は信じられるか?」

「わからないわ。直接話しを聞けば内容によっては信じるかもね」

「実際にあの場にいないとわからないだろう。村の人間は全て長老の言うことを盲目的に信じていたし、洗脳をするようなその演説はとにかく現実味を帯びているように聞こえた。若き日の私も他の人間と同じく、それを信じることを余儀なくされた。深く考えることもせずね」

「洗礼っていうのは一体……?」

「ああ、そうだ。まずは忠誠を誓う。長老にね……こんな格好をして。これは祈りを捧ぐ様式で、厳密には洗礼ではないが、まずこうした」

 立ち上がり、突然地面に蹲った。

 両手と額を地面につけて、膝は小さく折りたたんでいる。

「手はこうやって体と垂直になるようにして付けなければならない。どうだい、あまり見栄えがいいものではないだろ」

 すぐに立ち上がり、こちらを見た。

「私はあまりやりたくないわ。一体何の意味があるのかしら」

「そうだ。それが普通なんだよ。わかってくれるか。だが、あの場にいたらな、多数派が正義なんだ。何も考えず私もそうしたのだ。ひたすら前ならえだ。思考を放棄することほど愚かしいことはないはずなのに」

 嘆息しながらゆっくりと席についた。

「村は自らを選ばれた民として、その予言に備えようとしていた。だが、そんないつ来るかもしない侵略者に対してどう備える? 何もしようがないと思うだろ」

「力を蓄えることは出来るんじゃない」

「そうだな。言えている。その予言を村以外の人間とも共有をして見れば人間の力を結集できるかもしれない。だが、予言はこうだ。全人類の力を結集しても太刀打ちは出来ないということだ。それ程強大な侵略者。それで村がしたこと。それは今私がやったように、あの格好で祈りを捧げるということだ。祈りなんて全く荒唐無稽なものと思うか?」

 突然ピジェットが衣服を捲り上げ、腹部を露出した。

「ここに一筋の傷跡があるだろ。これが具体的な洗礼だ。予言を聞かされ、祈りを請われ、この傷をつけられる」

 見ると、丁度へその下辺りに一本大きな古傷が入っていた。

「これは術痕というものでな。祈りを捧げることで、この術痕から秘術の為の必要な力、魔力を練り上げらるということらしい」

「秘術? 何よそれ」

「予言ではこういうことになっている。曰く、オルブレント村は普通の村ではない。選ばれた民が自然結集し、侵略者に立ち向かう為に集った。我々が住んでいるこの土地には対侵略者用の秘術を使える源、魔力が潜んでいるのだ。魔力は土地から人へと伝播し、我々が知らぬうちに蓄えている。その蓄えた魔力を結集させて秘術を使うことが出来れば侵略者と戦える。これが予言と村の全貌だ」

 ピジェットはもう一度溜息をついて、話を続けた。

「感覚としては、祈りを捧げて、その土地から魔力を吸う……そういう感じでいいの? 想像出来ないけど」

「その認識で合ってる。私は、その予言が全く信じられなかった。いや、信じられなくなっていった、と言った方がいい。皆が真剣な顔をして祈りを捧げている時に、私だけは格好だけでいつも懐疑的な見方をして、早く終われと念じていた」

「そこまで信じられない何かがあったの?」

「実体のないものにそこまで思い入れ、信じこむことができなかった。私にとっては予言そのものが眉唾だった。君だって今私が説明したことについて半信半疑じゃないか?」

「そうね。少なくとも、鵜呑みで信じることは出来ないわ」

「私は何度もその魔力とやらを見せて欲しいとせがんだ。そんな得体の知れない力があるのなら、目の前で。だが、毎度断られる。口上はこうだ、『可視化出来ないし、魔力を無駄なことに使うことは出来ない』

 予言含む全てが、陰謀だと思うようになっていた。大人たちの。村を上手くまとめ上げる為の。実際、その予言の信心とそれを取りまとめる大人たちの手によって、上手く村は周っていた。一つのことに対して取り組み、同じ方向を向いて団結しているから。だから、争いごともない。政ごとや村の方針に口出しするものもいない。それが私には不気味に思えて仕方がなかった」

 日記からでは到底分かり得ない苦悩をピジェットは持っていた。孤立無援だったということは想像がつく。

「最終的に私は村から出ることを選んだ。村を出て、この村を救うためのな」

「救う……?」

「ああそうだ。この予言に乗っ取られた村を救わなくてはならない、ほとほと村に呆れていたと同時に、それが私の使命でもあると思った。その為にあてのない旅に出たのだよ。もしかしたら、あの時孤独感からそうすることを選んだのかもしれない。村人を説得できる何かがあるかもしれないと思ってね。その旅の経緯については話すと長くなるから今は割愛する。そして、結局私が旅から戻ってきた時、手にしていたのはただの富だ。そう、ただの富。そんなもので救えるものなのだと思っていたから、私も考えが浅かった。ここでいう富とは君の想像を絶するほどの莫大な富だ」

「その富で館を建てたのね」

「ああ。旅で見てきたことや聞いてきたこと。そんなことを話してもまるで無意味だった。富により、私が長老を引き継ぐ権力者にもなろうとした……が、既に村の予言による結束はより強固なものとなり、私だけが理解の出来ない異端者として扱われた。そして私は村から出て、館を建てた」

 迫害されたという点は経緯は別にしても境遇が多少似通っているように思えた。成人だとか、儀式だとかというところは少なからず共通点がある。

「あとは日記通りだ」

 喋ることが億劫になったのか、机に両手をついて、その重ねた手と腕にぐったりと自身の頭を預けた。そして、「疲れた」とくぐもった声で言った。

「あれはあなたの主観でしか書かれていないじゃない。日記通りと言われても」

「簡潔に言えば、予言と村が正しかった。私は親友の忠告を無視し続けた。こちらが絶対正しいと、親友が、ラモが間違っていると思い続けたから。迫り来た侵略者に私が出来る事はなかった。ラモは村の祈りにより蓄積した全ての魔力を受け継ぎ、侵略者と戦った。相打ちだ。私が旅などに出ず、真摯に祈りを捧げていれば戦いの行方は違ったものとなっていたのかもしれなかった……ラモは死ななくて済んだのかもしれなかった……友を信じられなかった私への罰なのだ。これは。笑ってくれ。むしろ、笑い飛ばしてくれ」

 そのままの姿勢でピジェットが自嘲気味に、それでいて悲しげに言った。

「ごめん。これ以上私は質問を続けていいのかしら?」

 悄然の気持ちで目の前にいるこの男にまだ何かを聞き出すことは気が憚る。

「構わない。先に言っただろう。何もかも吐露したいと。私はそこまで弱い男じゃない」

「じゃぁ、戦いの結果にあの砂漠が出来たということなのね?」

「それは実際にどうかわからない。私もラモから伝え聞いただけだし、ラモも実際にその現場に居合わせたわけではないらしい。だが、侵略者以外に出来る所業ではないだろう」

「他の村の人達はどうなってしまったの? いや、世界の人間は……?」

「村の人間はラモに力を与え、囮になって死んだらしい。これもラモから聞いた話だ。その他世界の人間は知らない。知る由もない」

「あなたはラモと会ったの? あの日記の一番最後に書かれた日から」

「その辺りも日記に書いたと思ったが。まぁいい──その前に会っている。私はラモに会いに村を出たんだ。そして君も入ったというあの洞窟の中でラモと再開を果たし、全てを聞かされた。なおも疑っていた私を、ラモは洞窟の出口まで案内してくれ、あの砂漠の惨状を見せてくれた。そこで全てを理解した。そして一度戻ったんだ。ラモと二人でこの島と館に。最後の日記はそこで付けた」

「なぜ、この島だけ無事だったのかしら?」

 少し間があった。ピジェットはなおも顔を伏せたままだ。

 拳を机に打ち付けた。何度も何度も。うめき声を漏らしながら。

 それがおさまり、顔を上げた。大粒の涙を流して、顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた。

「ラモが……ラモが、私を助けるために……何も知らずに暮らしている私の為に……この島だけに魔力を張り巡らせてくれたらしいんだ。具体的にはわからないが、守るための力を。それで、島は無事だったというわけだ。こんな、馬鹿な私のために……ああ」

 今度は大声を出して、感情を爆発させてむせび泣いた。

「結界というのは一体」

「……魔力で作り出した特別な力だと思ってくれればいい。侵略者の攻撃を防ぐために、魔力でこの島を覆ったんだ。それは間違いなく無駄な力の消費だった。土地から魔力を吸い上げるというところから考えれば、魔力は無限にあるわけじゃないはずなんだ。無駄な消費が命取りになる。私を守ることでいたずらに力をすり減ら去らなければ……私さえ守らなければ……ラモは……」

 もう一度机に拳を叩きつけた。自分への怒りが募って限界を超えてしまっているのだろう。

「そこで館に戻り、日記に書いたように、備えたんだ。結界は三日ほどしか持たない。だから、残る時間、私が祈りを捧げ続けた。ろくに食事も取らず、これが私の出来る最後の償いだと思ってね……結果は駄目だった。相打ちという結果。そうだ。今ならはっきりと思い出せる。戦いの末、ラモは全魔力を放出し、侵略者に投げ打ったようだった。というのも、私からではその放出されたものが、目に見えないものだったから、らしいという表現になってしまう。一方の侵略者も黒々とした強大な力を放った。こちらは目に見えた。あれだけ禍々しいものは初めて見たよ。そして、ラモに命中した。侵略者もどうやらまともに喰らったらしく、お互いに命中したのだ。相打ちという格好か。そうだ……そして、ラモは跡形もなく消えた……消えて……いない。この世にはもう」

 今度は静かに泣き始めた。ピジェットにとってどれだけラモが大切な存在だったのか、身にしみてリオナには感じ取れた。

「少し時間を置きましょうか。あなたは一人になる時間が必要よ」

 まだ気になることだらけだったが、こんな精神状態では聞き出すものも聞き出せない。

 反応のないピジェットを一瞥して立ち上がろうとした瞬間。

「──駄目だ。何度も言うが私は吐露したいのだ。座ってくれ。聞いてくれ。話はもうすぐで終わる」

 言いようのない凄みがあった。おとなしく席につく。

「それで、一方の侵略者はどうなったのかしら?」

「奴もラモの魔力を直撃したのだ。致命傷を負った。私は相打ちと言ったが、正確には侵略者の死を見ていない。残された余力で、今度は私に矛先を向けたのだ」

「その戦場にいたの?」

「ああ。ラモのすぐ側で祈りを捧げ続けていた」

「危険過ぎるじゃない」

「私は命を投げ打つ覚悟だったのだ。勿論隠れてはいたが、すぐに侵略者に見つかった」

「じゃぁ何であなたは生きているのかしら」

 目下最大の謎であった。死地を乗り越えて、なぜピジェットだけがここにいるのか。

「侵略者の攻撃手段として、先ほど言った黒い、禍々しい力を飛ばす以外に、人間を石化させる力を持っていた。石化……わかるか? 文字通り、全身が石になってしまうのだよ。恐ろしいだろう。ラモ曰く、村の人間は全て石化させられ、その後に全て黒い力で葬られたらしい。粉々にな。その瞬間、侵略者は半狂乱で高笑いを続けたそうだ。相当の加虐者気質なんだろうな」

「石化って……にわかには信じがたいけど」

 未知の侵略者。そういう力を持っているのだと納得するしか無い。

「そうだ、私は最期の最期に石化の力を浴びた。侵略者も弱っていたのか、即効ではなく、手から徐々に侵食していった。残された両足でひたすら走り続けた。館に隠された秘密の場所にな。私を発見できなかったのは仕方がない。付いてきてくれ」

 そう言うとすぐさまピジェットは立ち上がり、館の外へと出ていった。その背中を追いかける。


 館の裏側までピジェットは早足で歩いて行った。

 そして、海に面した崖まで来ると、突然しゃがんで崖と垂直になるように、顔から上半身をぶらさげた。

「ちょっと! 何やってるのよ!」

 遅れて来て目に入ったその光景。傷心によって身を投げたのかと思い、慌てて止めに入るが一声。

「落ち着け! 私のねぐらはここにあるんだ」

 するりと上半身を滑らせて、ピジェットは落下した──ように見えた。なおも声がする。

「こっちだッ! 来てくれ」

 恐る恐る、近寄り、ピジェットがそうしたように崖の下を覗き見た。決して落ちないように、慎重に。

 そこには穴があった。奥は割りと深い。人間二人は入り込める空間。ピジェットが掘ったのであれば、相当の手間暇をかけたのだろう。

「ここが私が居た場所だ。最期の最期。石化が体全身を侵食するまで、私は誰にも見つからないこの場所に身を潜めた。わずかな希望はあった。石化がいずれ解除するんじゃないかってね。その間に何か動物や人間なんかに見つかってはかなわない」


 二人は館に戻り、再度食卓に向かい合い座った。

「……と、これが大体の事の顛末だ。質問はあるか」

 強靭な精神力を持っていると思った。

 あれだけ落ち込みながらなおも、リオナに事実を告げようとする姿勢。今では目に力が宿っている。決して悲しみだけに暮れてはいない。

 目の前で自分の親友の死を目撃した直後だというのに、相手の攻撃を喰らっても、なおも先のことを見据えて行動をした……結果、今こうして目の前にいる。

「あの穴は一体何の為に開けてたのよ」

「単純に趣味だ。狭い空間に身を置きたくなる時だってあるだろう。かなりの労力をかけたのだぞ」

「そう……」

 やはり、変人ではある。

 聞きたいことはぱっと思いつくことがなかった。

 これがピジェットの話せる全てなのであれば、何も解決はしていない。リオナがどこから来たのかということ。

「私は一体何なのかしら」

 ぼそりと呟く。この館の主を持ってさえ浮かび上がってこない事実。

「知らないな」

 ほとんど他人ごとのように言われたので、むっとしてしまう。

「だが、記憶がないというのであれば、必ずその原因があるはずだ。それは間違いない。大事なのはなぜ、記憶を無くしたのか。そうじゃないか? 何が大事かは君次第だがな」

「それがわかれば苦労はしないわ」

 ピジェットの言っていることは最もではあった。なぜかそれを正面から肯定をしたくはなかったので、突っぱねてみる。

「ねぇ、あなたの村の近くに、クーデシュカ村何て名前の村はなかった?」

 駄目元で聞いてみただけだった。だが、ピジェットの表情が一変する。

「なぜその名前が君の口から出るのか」

「知っているの」

「知っているも何も、予言に出てくる。約束の地クーデシュカ。なぜ君がそれを知っている」

 何を言っているんだろう、この男は。 とんでもない事実が藪から出てきた。

「なぜって、そこに住んでいたのよ」

 思考の渦と沈黙が二人を襲った。


   ・


 その存在はすぐに見て取れることが出来た。

 一面砂漠。真っ平らな表面に異物がある。かなり先に黒点のような。

 時間をかけて、ゆっくりとその異物に近寄っていく。

 段々と輪郭と姿形がはっきりとしていく。

 注視して歩き続けるともう目の前にその獣がいた。いや、化物だ。

 茶色い毛が生えた四本足。それらが支える図太く長い胴体。黒い大きな翼が生えており、それらを胴体に器用に収めている。

 地面につく程の茶色い髪の毛が頭から垂れていて、それらが顔を覆い隠している。同時に首元も。髪の毛の質は人間のそれと酷似している。胴体や足の毛並みと同じ性質ではない。

 その髪の隙間から大きな赤い目が見えた。まだ日差しが照っているのに、暗闇のフクロウの目の様に光っている。

 見たことのない獣……まさしく目の前のこの生物のことであろう。

[来たか/待ちくたびれたぞ]

 立って伸びをしていたのか。羽を収めて座り込んだ。

[人間を襲うのはよせ]

 会って早々だが、ルゥドはそう告げた、

 元々戦う気ではいたが、実物を見るとこの獣もやはり生きているのだと感じる。こうやって、意識を持って目の前で自分に語りかけている。

 一番大切なことはリオナを脅威から守ることだ。それ以外の自己満足で簡単に命のやり取りを行なってよい理由なんてないと心を改める。言って退いてくれるのならば戦わなくても済む。

[なぜ?/理解に苦しむ]

[理由はない]

[お前はやはり記憶がないのだ/我と共に人類を虐殺していったことを覚えていないのか]

[覚えていない/私は既に以前の私ではない]

[馬鹿を言うな/まさか人間に取り込まれたのか]

[取り込まれてなどいない/自分の意思でここに立ちそう告げている]

[グラスティアル様が亡き今/我々が意思を引き継ぐ他ないだろう/貴様は貴様の生みの親に温情を感じないのか]

 知らない名前だが、容易に推測が出来た。主たる侵略者のことだ。侵略者が自分を創りだした。そういうことなのだ。

[まさかグラスティアル様のことも忘れてしまったというのか]

[知らない/繰り返すが私は以前の私ではない/それ以上聞きたくない/ここから消えてどこかにいってくれ/人間は襲うな]

 獣はその覗いた片目でルゥドを見据えながらゆっくりと立ち上がった。その動作にはルゥドに対する敵意と警戒心が見受けられた。

[私は以前君と行動を共にしていたのかもしれない/だがそのことは忘れてしまったのだ/争いはしたくない]

[人間に肩を入れるか]

[争う必要なんてないだろう/なぜ争う?/明確な理由があるのか]

[グラスティアル様の意思だからだ/それ以上に必要な理由などない]

[何も自分で考えなくていいのか]

[黙れ]

 獣の目つきが明らかな敵対心に変わった。

 そして、四本の足で駆けてこちらに突進をしてきた。原始的な攻撃ではあるが、その俊敏力たるやルゥドの比ではなかった。回避する暇もなく獣を受け止める。

 衝撃が体を通じて砂漠まで伝わり、足がめり込み、そのままじわりじわりと後退していく。

[思い出せ]

[思い出したくない]

[目を背けるか]

[お前こそ考えることから目を背けている]

 押してくる力がどんどん増してくる。それに伴っいルゥドも全身の力を漲らせて呼応する。

 このままだと自分が不利なまま攻撃の主導権を握られる。

 そう思ったルゥドは、獣の胴体を両手で鷲掴み思いっきり背中を砂漠に預けて後方へ投げ捨てた。獣の勢いを利用した。

 大きく弧を描いて放り投げられた獣は地面に着地する直前に翼を広げて三回ほど羽ばたいて衝撃を避けた。

 獣はまだ体が万全ではないようだ。翼の羽ばたき方がどうもぎこちなく見えた。特に右翼。明らかに均一な羽ばたき方ではなかった。

[今までお前はどこにいたんだ]

 追撃を許さぬよう、ルゥドはすぐに立ち上がり質問を投げかけた。

[それは貴様にそっくりそのまま返したい質問だが]

[私は]

 人間と生活をしていた。と答えるべきだが、リオナの存在は隠しておきたかった。即答が出来ない。

[大方の予想はつくぞ/人間に入れ知恵され取り込まれたのだ]

[取り込まれてなどいない/自分の意思で動き考えている]

 交信が途絶え、再度獣がこちらを見据え突進してくる。やはり速い。中途半端に回避しても側面を突かれるだけだ。再度両手を開いてそれを受け止める。

 全身で受け止める衝撃。知覚的な痛みは当然ないが、懸念すべき不安材料としては自分がどういう状態になったら行動を停止するのか……いわば死に至るのかが全く分からない為、防戦一方で攻撃を受け続けることは避けたい。

 そうと決めたらこちらからも攻撃をするしかない。致命傷を与え、殺意を持って。でなければこちらが殺されるのだ。

 しかし、迷いが生じてしまう。

 この獣は自分のことを仲間だと思い、信頼を寄せていた。以前の自分がどうだったかは全く思い出せないし、思い出したくもないが、この獣と信頼し合っていたのだという事実は過去に間違いなくあったのだろう。

[争いたくない]

 もう一度その旨を告げた。

[貴様が人間に取り込まれたのだというのならば価値はない/このまま我がグラスティアル様の代わりに処分する]

 通じ合えない。

 ──自分はもう昔の自分ではない。

 それを証明し、人間と共存をしたい。過去との決別、リオナの村を襲ってしまったことへの贖罪。

 その為にここに来たのだと再度意識を改める。

 ここで倒れたら誰がリオナを守るのだ──

 密接した状態のまま、再度獣の首を鷲掴む。これだけ異形の姿をしていても、獣、動物なのだ。呼吸をできなくすれば当然死ぬだろう。

 リオナの顔をひたすらに頭に描き続けた。今まさに化物の所業で、かつての同胞に手をかけているということは考えたくなかったから。ただ、守りたいという一心で。

 獣の目が確かに苦痛で歪んでいる。効果はあるようだ。

[調子に乗るな]

 突如、獣の全身を見たこともない黒い瘴気が覆い始めた。

 同時に、ルゥドを押してくる力が強くなる。

 黒い瘴気は段々とその範囲を広げている。同時に、更に力を感じるようになった。

 耐えられないなと思った時には遅かった。

 支え切れない力で、獣が首を抉るように振ってくると、ルゥドは遥か後方まで吹き飛ばされた。

 長い滞空時間を経て、ようやく地面に着地し、体勢を立て直そうとすると違和感。右手を見ると、肩の部分からあるべきものがない。肩口が黒い瘴気に覆われて、鋼鉄を蝕むようにして纏わりついていた。

 この状態でもまだ自分は動けるらしいと安堵したが、すぐに立ち上がらなければならないと気が付く

 あれが、あの獣の力。

 飛躍的に運動力が向上している。

 元来の、侵略者として授かった能力だろう。

 絶望的な力の差がここで始めて出る。力を持っているものと持っていないもの。

[どうした/早く立ち上がれ]

 今立ち上がり、自分に勝ち目はあるのか。どうすれば相手に勝てるのか。

[守るんじゃないのか/貴様の人間を]

 挑発だとわかってはいる。

 だが、ここで退くという選択肢はない。その挑発に乗る格好になるが、気にしない。

 立ち上がった。右手がない状態で戦えるのかはわからない。でも、ここで食い止めなければリオナがこの獣にやられてしまうのだから。

[今なら間に合う/もう一度考えなおせ/貴様は我と共に人間を倒すべきなのだ]

[何度言っても無駄だ]

 獣の瘴気が更に増大したように見える。

 あれでまた突進をされたら、今度は跡形もなく砕け散ってしまうのではないか。確実に腕の一本では済まされない。その為の、最後警告。

[仲間を殺したくはなかった]

 突進をする構えを見せている。

 駄目だ。何かをしなければ、このまま敗れるだけだ。

 ──ルゥドのその困窮した想いが引き金となったのか、あるいは獣のそれを見て、喰らい、触発されたのかはわからなかったが、ルゥドにも同様の黒い瘴気が発現した。

 肩口から広がり、全身を覆う。

 自分が侵略者として人間を殺していたであろう力。獣が持っていて、自分が持っていないということはないはずだった。だから、この突然の発現も妥当性があり、理解が出来た。

本来ならば使いたくないものではあるが、皮肉にも今一番頼れるのはこの力しかない。利用できるものは利用する。

 獣の突進は、もはや視覚的に捉えられるものではなかった。光が一直線に到達するように、ルゥドの懐まで一気に入り込んできた。

 だが、同様の力を宿したルゥド。その突進にも片腕だけで耐えてみせる。

 そして、先ほどと同じく密着状態から、また首元を狙った。片腕でしか攻撃が出来ないのがもどかしい。

 読まれていた。

 獣はふっと力を抜いて一旦身を引くと、そこから再度突進をしてきた。

 不意を突かれたルゥドは思いっきりその身に衝撃を浴びる。

 しかし、これも耐える。絶対に耐え切れないと思ったが、これはもはや精神的な問題だ。想いがあるからこそ、全力以上の力が出る。一瞬の攻防で、そんなことを思った。

 獣はこれで確実に射止めるつもりだったのか、意外な事態に力を一瞬だけ弱めた。

 その隙を見逃さなかった。

 ルゥドも突然力を抜いて、後方へ獣をいなした。

 側面から強烈な一撃を顔面に浴びせる。正確に拳が突き刺さる。

 そのまま体勢が崩れた所に連撃。

 更に右後ろの足を掴み、思いきり獣を持ち上げ、地面に叩きつけた。

 動かなくなった獣を見て安堵する。

 同時に、体の力が全身から抜けていくのを感じるような気がした。


   ・


 二人は書庫にいた。

「あった……これだ。予言の全てが書かれている。忌々しいと思って捨ておきたかったが、なぜか取っておいたんだ。役に立って良かった」

「取っておいたというより、ほとんど捨てていたと同義じゃないかしら」

 全ての本棚を移動して、ようやく発見することが出来た。壁と本棚の隙間に埋まっていたのだ。埃まみれ。吸い込んでしまって思わずくしゃみが出そうになる。

 本というよりかは薄い冊子。紙を簡易的にまとめたもの。数十ページにも満たないだろう。

 細かい手書きの文字がびっしりと書かれている。読み進めていくと、こんな記載があった。

『侵略者達は既に一度追い払われた。約束の地クーデシュカの英雄により。戦いは壮絶なものだったが、何とか英雄達が勝利したのだ』

 それだけでも、二人に衝撃を与えたが、更に読み進めていくと、そこに英雄達の名前が書き連ねてある。その中にあった……二人が驚愕することとなる名前が。

『リオナ・アルページ』

 一字一句違わず、正しくそう書いてある。

「これって、君のことではないか」

「どういうことなのよ……これ」

「私が知るわけもない」

「君の言っていること、クーデシュカ村に住んでいたことと、ここに書かれている君の名前が事実なのであれば……私がこの世に生まれる前に君は既に生まれていた。村の英雄として……そして、私はいま気が付いてしまったよ。はっきりと思い出してしまった。ついてきてくれ」

 有無を言わさず、ピジェットは館の外に出ていった。


 離れというには少し小さすぎる物置。畑の近くにある農倉庫。リオナも普段利用していた。

 その目の前で立ち止まった。

「ここが何だっていうの?」

 ピジェットが何を意としているわからなかった。

「いいから」

 建てつけが悪く、がたがたと音を立てさせてようやく扉を滑らせて開いた。

「……やはり」

「何がやはりなの?」

「単刀直入に言おう。ここには私が偶然島内のとある所で見つけた人間の形のような大きな石を入れていたんだ。ちょうど君ぐらいの」

「何が言いたいのよ……」

 既にリオナも理解していたが、頭ではそれを否定したかった。

「君も私と同じように石化していたんだ。ここにあった石こそ君だったんだ」

「そんなことって……なんで石化していたのよ」

「もう簡単だろう。あの記載通り、君もあの侵略者と戦っていたんだ。約束の地クーデシュカで……英雄として。だってそう書かれているんだから」

「英雄としてって……」

「一度戻ろう。ここで立ち話だと余計に頭がどうかしてしまう。広間に戻りじっくりと話すべきだ」

 ピジェットの言う通り、こんな狭い空間の中では混乱に拍車をかけるだけだった。大人しく広間に戻る。


「あそこに石を入れていたんだ。私が初めてその石を見た時、どうしようもない気持ちになったよ。ただの石ではないと思った」

「人の形をしていたと言っていたけど……それは本当に私だったの?」

「ああ。君の顔を初めて見た時どこかで見たことがあると思い続けてたんだ」

「ならなぜすぐに言わないの?」

「落ち着け。石化が解けた直後は何だか夢を見ているようなそんな感覚になったんだ。だから、上手く記憶と結びつけることが出来なかった。親友のことでさえ時間差があって思い出してしまったのだから、君のことに合点がいくのが遅れてもしょうがないだろう」

「そういえば……」

 ピジェットの言った通り、夢の中を彷徨っているような気持ちで館をうろついていたことを思い出せる。あれがここに来てからの一番最初の記憶……そしてルゥドと出会ったのだ。

 それと似たような感覚をピジェットも味わっているということだろう。

「君も心当たりがあるのか。何と言っても侵略者による未知の攻撃だからな。そういう副作用のようなものがあってもおかしくはない」

「それじゃあ私は、本当に英雄として侵略者と戦っていたというの?」

「そうでないと説明がつかない。仮に英雄でなくてもクーデシュカ村で戦いに巻き込まれ、侵略者に石化されたということは間違いないだろう。いや、あの預言書にそう書かれているのだから、君はもう英雄だったのだよ。私はあれだけ予言を否定していたが、事実だとわかった今、予言を否定する必要がないし、出来ない」

 石化の副作用。

 それのせいで、村から出た後の記憶を忘れてしまっているのだろうか。英雄として戦った記憶を……そんな大事な過去を……

「恐らくこれ以上の結論は出てこないはずだ。君は石化し、時間を飛び越えて若い姿でここにいる。本来そのまま生きていれば私より老いているはずなのに……その表情だとどうやら納得していないようだな」

 作られた文献に自分の名前が載っているのだ。動かぬ証拠はそこにある。だから、ピジェットの言っていることに説得力はあるし、ほぼ間違いはないと思う。それでもまだ、解決には至らない。

「記憶が無いなんてもどかしい感覚あなたにわかるかしら」

 ピジェットの言っていることの信憑性は確かだし、それに疑いの余地はない。だが、それらの事実があったということがわかっても、記憶そのものは戻っていないのだ。だから、自分が英雄だったなんてことは絵空事のように聞こえてしまう。そのどうしようもない焦燥感と苛立ちをピジェットにぶつけてしまう格好となった。

 言った瞬間リオナは自分が恥ずかしくなり、顔を背けてしまう。目の前にいるのはつい先ほどに親友を亡くしたと泣いていた人間なのだから。

「どうだろうな」

 ピジェットはそれだけ言った。気遣いなのか、ただ面倒だったのかはわからない。

「もし事実が違う所にあると思うなら、自分で探すんだな」

「そうは思っていないわ。完全に記憶が抜け落ちてしまっているだろうということが酷く不愉快なだけよ」

 きっかけがあれば簡単に思い出せる……そんな楽観的な考え方をしていたことも間違いだった。

「これ以上の結論はもう出ないだろう。私は疲れた。ゆっくりと眠らせてもらう」

 二階のリオナが使っている寝室に入っていった。自分が使っていたのだと言う権利はないが、あの寝室の居心地は良かったので、これから使えないとなると残念だ。


「おい、君」

 ピジェットはすぐに部屋から出てきてこちらを手招きしていた。もっと綺麗に使えとかそんな忠告だろうか。

「こんな紙が落ちていたが……勝手ながら読ませてもらった。好奇心とは何を持ってしても抑制が効かない場合があるからな。日記を見られたのだからお互」

 長い言い訳の最中にその手にあった一枚の見慣れた羊皮紙を奪った。ルゥドの字。

「どこにあったの?」

「床に転がっていた」

 今朝起きた時には気が付かなかったのか。この手紙を残してルゥドは……

 慌てて広間に戻り、それを読むリオナ。

「それを読んだら、私から問いたださなければならないことがある」

 階上からのその声はほとんど耳に入っていなかった。


   ・


   リオナへ


 ごめんなさい、と謝る所からこの文章を綴り始めることを許して欲しい。

 私はこのようにして、面と向かわずリオナに事実を告げなくては恐怖に負けてしまうかもしれなかった。それに事は一刻を争うかもしれなかったから、手紙を書いています。

 まず、私はやはり人殺しの化物でした。破れた日記に私が侵略者と共に村に現れたと記述があります。

 そして、その村とは間違いなくリオナの住んでいた村でしょう。

 リオナは辛いことがあって村を出たけど、大切な人もいっぱい住んでいたと思います。

 それらを私は殺めてしまった。覆せない事実と過去があったのです。

 そのような化物がどうやってリオナと顔を合わせればいいかわかりません。

 だから、こうやって手紙で事実を伝え、自分の気持ちも伝えました。

 一方的で身勝手かもしれないけども許して欲しい。

 

 今私は、私とかつて行動を共にした侵略者の存在に気が付いたため、その侵略者の元へ向かっています。

 その侵略者は危険な存在と成りうるかもしれませんが、私が食い止めます。

 それを倒して、もう一度改めて会って、話したい。

 もしかしたら、また会った時には拒否されるかもしれませんが、そうなる前に言っておきたいです。

 ありがとう。今まで本当に。

 

   ・


 手紙を読み、まず案じたことはルゥドの身の危険だった。

 ああいう姿形だが、戦う術を何か持っているわけではない。一方的にやられてしまうのではないか、そんな不安が立ち込める。

 同時に、自分が全く気を使ってやれなかったことを悔やむ。思えば様子がおかしいと思ったことは何回かあるのだ。そこに気が付かず、ルゥドが一人で思い詰めてしまった。

 リオナとしては、仮にルゥドが自分の村を滅ぼしていようが何も思わない……ということはないが、既にルゥドと築かれた関係はそれ以上のものだ。過去を省みて今を蔑ろにする人間ではない。

 なぜ、そんなことを気にする?

 自分はルゥドに本当の意味で信じてもらえていなかったのだ……リオナはそう気が付き、再度後悔の念を強める。

 以前、何があってもルゥドの味方だと言ったが、あれも伝わっていなかったのだ。上っ面の言葉だけに聞こえたのかもしれない。

 自分が化物である……その悩みをずっと抱え続けて接し続けていたのだろう。最初に会った時の拒絶が根深く残っているのかもしれない。

 ルゥドにとってみれば、初めて出会った人間なのだ。臆病に、慎重に、自分のことを気にかけていたに違いない。

 表情がないから、読み取れなかった。仕方がない。等と自分を落ち着かせる事はできない。

 会ったらもう一度話しあおう。

 ルゥドが心ゆくまで、そんな心配をしなくなるまで。間違いなくルゥドのことが愛おしい。これからも共に一緒に生を分かち合いたいと思っているのだから。

「その手紙の主は一体何者なんだ」

 はっと見上げると、二階の手すりからピジェットが見下ろしていた。

「侵略者か」

 何も返答出来ない。

 直接的にではないにしろ、ピジェットの復讐の対象となりうる。本当のことを話してしまったら、ルゥドはその身を狙われるかもしれない。

「違うわ」

 無理がありすぎた。ピジェットは馬鹿じゃない。変わり者だが聡明だ。会って間もないが、それは既に感じ取っている。

「本当のことを言え」

 凄みのある低い声。

「待って。気持ちはわかるけど、私の話を聞いてくれないかしら」

 上を見ると、歯ぎしりでも立てているように、口を結び、眉間に皺を寄せている。初めて見せるその形相を見て、圧倒されてしまう。

「私はそれを殺さなければならない」

「話を聞いて」

「聞かないな。親友の仇を取ること以上に大切なことは今の私に思い浮かばない。どこにいるんだ侵略者は」

 階段を降りて詰め寄ってきた。

「お願い。話を聞いて。彼は、ルゥドはもう侵略者なんかじゃない。生まれ変わったのよ」

「過去にそういうことをしたことは間違いがないのだ。誰しも生まれ変わることなど無理なのだ。罪を償わせる。それが親友に対して出来る私の罪滅ぼしだ」

 駄目だ。親友、ラモのこととなると何を言ってもピジェットの心は動かしようがない。

「そんな自分勝手なことで、私の大切な人を殺すだなんて言わないで」

「人? 人ではないだろ。大方あの動く鎧のことだ。あれは化物だ。侵略者だ」

「違うわ。あなたがラモを失って悲しむのはわかる。だけど、私がルゥドを失ったらそれと同じくらい悲しむのよ。そうなったら今度は私があなたを憎む。同等にね」

「知らない。私が誰に憎まれようが、果たすべきことは果たさなければならない。君のことなんて関係ない。憎みたければ憎めばいい。それで私が死ぬことになっても、自分の命より親友の雪辱を晴らす方が重みがある。それだけ私にとって重要なことなのだよ。君がその化物を愛していたと同様、私もラモを愛していた。それだけのことだ。それで、どこだ。言わないのなら強行で吐かせる」

 目の前にピジェットがいる。飄々とした雰囲気から一転。意思の強さをこれでもかと目でぶつけてくるその表情は険しく、圧倒されそうだ。

 細身であるが相手は男。身長差もある。取っ組み合いになったら、間違いなく負ける。

 ピジェットは本気だ。このまま何も言わなかったら、本当に何をしてでもリオナの口を割らせる。

 だが、わからない。ルゥドがどこに行ったのかなど検討がつかない。島内か砂漠か洞窟。知っている範囲で答えるならばそうだが、それで収まる様子ではないし、何より、ここで嘘でも場所を言ってしまったらルゥドを裏切ってしまうような、そんな気持ちになることが嫌でたまらなかった。

「……取引をしましょう」

 口から出任せを言ってみる。言った所で取引の内容など全く頭になかったが、継ぎ接ぎに頭の中で組み立てる。

「取引?」

 とりあえず気を引くことには成功した。

 これからだ……何かないか……何か。

「何だ? 早く言ってくれ」

 これ以上の沈黙は駄目だ。はったりだということがばれる。とりあえず何かを喋るしかない。

「私は、あなたが石化している間、それなりに色々知ることが出来たのよ。色々……ね」

 含みを持たせ、焦れったく言う。『色々』とはただ口から出ただけの言葉だ。特に取引の材料となることはまるでない。

 だから、嘘をつくしかない。

「例えばあなたの親友のこととか」

 ピジェットの顔色が変わる。

「言え」

「私はあなたに何をされても、拷問をされてもルゥドの場所も吐かない。あなたの親友のことも言わないわ。でも、平和裏にことを運んでくれるなら」

 そこまで言い切った所で、首に衝撃が走る。勢いよく服の襟を掴まれたのだと時間差で気が付く。目と鼻の先にピジェットの顔がある。

「言え。殺す覚悟で拷問をするぞ」

 脅しではないとはっきりわかった。

 この男は親友の為なら何でもする。我を通して必ず目的を完遂する。そういう男だ。

 狼狽するリオナ。下手に刺激をしてしまった。

 だが言いたくない。

 大切な仲間のことを。

「言えェッッ。早くしないと八つ裂きにするぞッ」

 口から出た唾が顔に当たる。

 萎縮し、内心は怖くて仕方がなかった。

 それでもリオナは毅然とピジェットを見つめ返しす。そして言った。

「復讐をしてラモは喜ぶの? 彼はそんな人だったの? それが本当に彼の為になるの? 私はそうは思わないわ」

 言った言葉は水か油か。ピジェットに滾る炎は鎮火するか。

 ──全くの賭けだ。

 ピジェットは変わらない形相のままこちらを見据える。

 服を掴む手の力がどんどん強くなっていくのを感じた。

「黙れッ!」

 油だった。誰もが持っているであろう良心でさえ、ピジェットの信念は覆らなかった。

 左手で拳を作り、大きく、矢を射るようにそれを引き絞り、放たれた。

 寸の所でリオナは顔面と拳の間に左腕を差し込んだ。直撃していたら致命傷になりうる一撃だった。

 まだ首元を掴まれているから、後ろに吹き飛ばされることすらできずに体全身にその衝撃が伝わってきた。

 間髪入れずに二打目が飛んできそうだ。ピジェットの狂気を孕んだ目。興奮状態という表現では澄まされないほど、彼の目は常軌を逸していた。

 もう、左腕は動かなかった。痺れて、肉も骨も痛い。

 直撃を顔面に喰らってしまったらどうなるのだろう。醜い顔になり、死んでしまうのか。

 ──嫌だ。それは嫌だ。

 感情とは反対に、なおも体が言うことを聞かない。先ほどの一撃で華奢なリオナの体は既にどこかおかしくなってしまっていた。

 目を瞑り、考える。ここで死んだら、誰が悲しむかを。

 無骨な鎧が頭に浮かぶ。最後に会ったのはいつだったか。

「ルゥド」

 リオナがそう口にしたと同時に──


 ──音が聞こえた。


 するはずのない音。扉を開く音。

 館に光が差し込む。二人を照らすようにして。 

 丁度逆光になってその姿は影に包まれているように見えた。一体誰が……?

 ピジェットが握りしめていたその手を離した。

 突然のことにそのまま床に放たれるリオナ。後頭部を大きく打ち、鈍痛が遅れてやってくる。

 ここからでは、丁度机に阻まれて扉の方が見えない。だから意味もなくピジェットを見上げる。

 突然現れたその人間を見て、ただ立ち尽くしている。目を見開いて。徐々に全身を震わせていった。それがどういった感情の表現なのか、すぐにはわからなかった。そして、涙を流したと同時に、駆けていった。未知の来訪者に向かって。

 そこで段々と意識が遠のいていった。

「ラモ!」

 ピジェットがそう叫んでいるのが聞こえた。

 死んだはずのラモが……なぜ? 幻覚の類か?

「生きて……生きていたんだな。うぉぉ。うぁぁおぉああああ!」

 腹の底から呻くように、感動の声を張り上げている。

 狂喜乱舞している様が目に浮かぶが、死人がなぜいるのか。本当にそこにいるのはラモなのか。

 疑問が巡り巡る中、ピジェットの大仰な叫び声と共にリオナの意識は完全に途切れた。


   ・


 目を覚ますとそこはいつもの天井。慣れ、使い古した毛布の中。

 夢を見ていたような気がするけど、思い出せない。

 まだ体の節々、後頭部、顔面……特に鼻の辺りが痛い。骨に異常があるかもしれない。

 そんなことを考えながら上半身を起こすと、知らない人間が立っていた。心配そうに、こちらを見つめている。

 この人間が……館に現れた来訪者の正体。

 長めの紫紺の髪の毛が特徴的だった。何かを悟ったようなその目つきと、整った顔立ちは、リオナから見るとかなり成熟した大人に見え、同時に魅力的でもあった。

「誰?」

「よかった、無事に目が覚めて」

 質問には答えず、そう言った。深刻そうなその目を見て、本当に自分の身を案じていたことがわかる。

「ねぇ、あなたは……もしかしてラモなの?」

「そうよ。ピジェットが散々なことをしてしまったようね」

「本当にあなたがラモなの?」

「あら、そんなに附に落ちない?」

「落ちないわ……そう安々と」

 まず第一に、リオナの頭の中でのラモは男だった。

 散々ピジェットが親友だと言っていたから、勝手にそう思っていた。

 ピジェットは恋愛感情というものがないのだろうか。あれだけ想い、愛しているような素振りを見せているのだから、親友と言うにはおかしいのではないか。

 しかし、そういった感覚は、彼ならぶれていそうだと一つ納得するリオナであった。

「だって、あなた死んだはずでしょ。本当に、本当にラモなの?」

 女だったことが意外だとは口にせず、一番大きな疑問点をぶつける。

「本当にラモ=パーシェスタその人よ」

「じゃぁピジェットは嘘をついたのね」

 言いながらそれはないと思った。あれだけ感情を顕わにして悲しむ姿を演技とは思えない。

「簡単なことよ……歩ける? 下にピジェットもいるわ。ばつの悪そうな顔をしてね。そこで話しましょう」

 幸い痛みが節々にあるだけで、重傷の箇所はないようだ。

 一度は折れてしまったと思った左腕も、ただ痺れただけでそう錯覚してしまっただけだった。

「ええ。行くわ……でも、あなたの話を聞く前に。私には行かなきゃならない所があるの」

「駄目よ」

 リオナがこれからどこへ行こうとしているのか知っているような、全ての事情を知っているような口ぶりだった。

「ピジェットから既に色々なことを聞いている。なぜあなたを殴っていたのかと問い正さなければ気が済まなかったから。そして、私もあの手紙を読んだわ。ごめんなさいね。きっとあの動く鎧のもとへ行くんでしょう? そして、もう一人の侵略者と戦っている状態で、それを助けようとしている」

「そうよ。あなた達には侵略者でも、私にとってはかげがいのない友人なの。わかってもらわなくたっていいわ」

 ルゥドと時間を共にした自分にしかわからない。

「止めは出来ない。だけど、あなたが行って、一体何になるの? 恐らく、あなたの大切な友人が戦っている相手はただの人間が加勢した所で何もならない相手よ」

 強い口調だったが、これもやはりリオナの身を案じてのことだとわかる。

「……それでも行くわ。どいてくれないかしら」

 事態は一刻を争うはずだ。例え加勢出来なかったとしても、ルゥドの助力をしたい。それも無理なら側にいてあげたい。

「無理よ。その前に私の話を聞いて。あなたの過去と、これからあなたがしようとすることに深く関係して、助けになるかもしれないんだから」

 必死に肩を掴み、訴えかけてくる。

 このラモという人間はどれだけお人好しなのだろう。会って間もないというのに、人の体を案じ、助けになりたいと言っている。

 それをただ無下にすることは出来なかった。

 何より、行って助けになれないということは事実だ。

 助けになるかもしれない、というのは一体何のことか見当がつかないが、聞くだけ聞いてみればいい。

 

 広間に降りると本当にピジェットが『ばつの悪そうな顔』をしていたので笑ってしまいそうになる。

『ばつの悪そうな顔』という表題の絵があるとすれば今見ているこの景色のことだろう。

「えらく機嫌がよさそうね」

 皮肉のつもりだった。喚き散らされ殴り飛ばされた当てつけ。

「……すまなかったな」

 意外にもすぐに謝罪をしてきた。彼にとって、もう目の前にラモがいたということだけで、ルゥドのことはどうでもよくなってしまったのだろう。

「もういいわよ。気にしないで」

 素直なピジェットにリオナはそう言うしかない。大事な人のために直情的になりすぎただけだ。それを咎めることは出来ない。

「早速説明してくれないかしら。とりあえず、何なの。この事態は」

「紹介しよう。彼女がラモだ」

「聞いたわ。なぜ生きているの?」

「全ては侵略者による陰謀だったのだ」

「ねぇピジェット。あなたが説明すると少しだけややこしくなりそうだから、私から説明してもいいかしら」

「いいさ。君の好きなようにしたまえ」

 ラモが咳払いをして、場を流し、注意を引き付ける。

「まず、結論はピジェットと一緒。彼の勘違いは結局侵略者の能力のせいだったのよ。侵略者……グラスティエル。絶望を司る異世界の化身。それが奴の二つ名」

「結びつかないわ……能力? 石化をさせるということは知っているけど」

「勿論、それはそう。だけど、奴にはもう一つ能力があるわ。あの黒い力。あれは実は二通り効力がある。一つは物理的な攻撃方法としての効力。二つは……人間に絶望を植え付ける効力」

「絶望を植え付ける?」

 理解に苦しむ。全く想像が出来ない。

「あれを食らった人間を私は直に見たわ……村の人達。グラスティエルから放たれた黒い力を体に受けた人は正気を保っていなかった。どの人達もね。虚言妄言を口にして、怯えきったような目をしていた。最終的に自害をする人もいたわ。そしてグラスティエルは言っていた。『楽しくて仕方がない。人間の絶望こそ我にとって最大の美味だ』とね」

「それがラモの言った、『絶望を植え付ける』という奴の力に他ならない。私はそれを石化と同時に喰らったのだ。長い年月石化している間、それを身に纏っていたのかもしれない。だから、ラモが死んだという絶望的な記憶が植え付けられ、本当の記憶と齟齬が出てしまった……そういうことなのだ」

 ピジェットが疲れ果てた顔をして言った。

「あなた大丈夫? 寝ていないような顔をしているけど」

 話の腰を折った形になったが、心配だったのでそう言った。

「ふふ。あなたのことを気にかけて、実はずっとここで安否を心配していたのよ」

「心配などしていない。自分が行ったことに対するけじめだ」

「強がらなくもいいんだから」とラモ。この二人は本当に仲がよさそうだ。睦まじい友情関係というよりかは、やはりリオナからみれば今にも恋愛関係に発展しそうに見える。

「そういえば、あなたは一体どこにいたのよ。ラモ。生きていたのなら、島の中にいたんじゃない?」

「話すと非常に長くなるわ。とにかくずぅううっと遠くの方にいたの。そしてこちらに戻ってきた。今はそういうことにしておきましょう」

 含みを持たせた曖昧な説明だったが、確かに今は他に聞くべきことがあるし、やらなければならないことがある。

「……まあいいわ。ということは私もピジェットのそれを受けて頭がおかしくなっちゃったと、そういうことね」

「簡単に言うと、そういうことになる」

 だとすれば、結局記憶が戻らないのだ。

 本来あるべき記憶と植え付けられた絶望がすげ変わっている。もはやそれを事実として捉えることこそ難しかったのだが、再度それらを入れ替える手段などないに等しいだろう。

 項垂れたリオナを見てラモが一言。

「やる価値はあるわ」

「何のこと?」

「私が、残った力であなたの記憶を呼び覚ましてみせる」

「どういうことよ」

「ピジェットから聞いていない? 私は村に選ばれた英雄。侵略者と対抗する力を持っているのよ。魔力と呼ばれる力をね。私が放った魔力で、何度かあの黒い力を払いのけることが出来た。それを応用して、リオナの中に害を与えないように魔力を流すことが出来れば」

「それで記憶が戻るというの?」

「やってみなければわからない。理論なんて全くないし、思いつきよ。作業も抽象的にしかできない。だけど、やってみる価値はあると思う。でも、二次的な害とか、副作用が出たりするかもしれないという危険性は孕んでいるけど」

 迷いはない。

「やりましょう。早く。記憶が戻れば……もしかしたら私は」

 リオナも村のあの予言通りなら、英雄だったのだ、本当に記憶が戻れば、ラモのように秘めたる力を持っているかもしれない。その力を持ってすれば……今もこうしている間にどこかで侵略者と戦っているルゥドの助けになるかもしれない。

 淡い青色の手に触れられるような具現化された光の束がラモの手を纏っている。

「これが、魔力?」

「そうよ。じっとしていて」

「私には、全く見えないが。君の目には見えているのか?」と見守るピジェットが言った。

「ええ? ピジェットには見えていないの?」

「ああ。全く」

「見える人と見えない人がいるということかしら。ちなみに、私には見えている。そして、村の人間は私以外見えていなかったわ……リオナは英雄だったっていうから、やはり、魔力を扱える素質があるのよ」

 徐々にその光の束が大きくなっていく。同時にラモの手が近づいてくる。

 胸のすぐ手前に来た。

 小さな掛け声と共に、ラモがその手を軽く胸に置いた。そこから押すように少しの力をかける。発光が最大限に達したかと思うと、一気に消滅した。

 その瞬間、リオナの中に体の中に得体の知れないものが駆け巡ってくることを感じた。決して苦痛ではない。むしろ心地よい。

 その一瞬だった。

 ものの一瞬で、全てをリオナは思い出した。

 同時に、体の痛みや疲れが取れていることを感じた。これも魔力とやらのお陰なのだろうか。

「……どうなんだ?」「どうだ?」

 二人が声を揃えた。

「あまり感動はないかも。後々身に染みてくるのかもしれないけど、今では何で思い出せなかったんだろうって、そんな感じ」

 記憶が呼び覚まされたというより、当然そこにあったものにはっと気が付いたというような感覚だった。

「よくわからんが。思い出したんだな」

「ええ。私、本当に英雄だった」

「はは。そんなあっさりと認めるか」

「だってそうだったんだもの」

 村を放逐されたのは、決して自分に悪魔が取り憑いているからではなかった。英雄としての素質がある。その為の訓練を受けるために村から出たのだ。そこをグラスティエルによって捻じ曲げられ、絶望を見せつけられた。

 その時のクーデシュカ村の人間は全て笑顔だった。決して、誰一人リオナを憎んでいるものなどいなかった。

「それで、グラスティエルと戦って、君は石化したんだな」

「そう。私は訓練のお陰で、あなた達の言う、魔力と同等の力を手にした。呼称が違っただけで、性質は同じものだったのかもしれない。それで侵略者と戦ったのよ」

「結果はやはり、敗れたのか?」

「ええ。だけど、グラスティエルにも致命傷を与えた。それで一旦元の世界に戻っていったのね。あなたがそうされたように、私も最後の力を振りぼられて、石化された……そういうことよ。そして、その石化された本体をピジェット、あなたに発見されたのよ」

 最後に戦ったのは確かに村の近くの大陸で、この島ではなかったのだが、石化した後に何かしらの理由で移動してしまったのだろう。

「君はやはり、時を超えて今ここに立っているわけだ。なんだか感慨深いな」

「感慨に浸っている暇はないわ。詳しい話をこれ以上している暇もね。とにかく、私はルゥドの元に行かなければならない」

 記憶が戻ったことにより、一番大事なことを思い出した。それをルゥドに伝えなければならない。

「手伝うわ。何であれ……以前私も戦ったことがある動く鎧……ルゥドというのね。あなたが信頼しているのなら、私達も信頼していいのよね?」

「大丈夫。少しだけ臆病で、誠実な動く鎧よ」

「ピジェット。あなたはどうする? 無理に来なくても」

 ピジェットはまたばつの悪そうな顔をした。当然だ。散々リオナの前で復讐の対象だと言っていたのだから。少し考える素振りを見せている。

「……勘違いしないで欲しいが、私が付いて行くのはリオナ、君に悪いことをしてしまったと思っているからだ。その謝罪の為ということだ。決して侵略者を信じた訳ではない。私はこの目で見て、信頼に足る人物だと感じて初めてその存在を認める。最も、私が行っても何か戦力の足しになるかはわからんがな」

「ふふ。素直じゃないんだから」

 ラモが微笑んでいる。

「ありがとう。その考えは当然だし、否定もしないわ。でも、接したらきっとわかってくれると思う」

 この二人なら絶対に。そういう確信はあった。

「二人共、危険になったら私が前に出るから」

「大丈夫。私もわずかだけど、戦える力を残しているから」

「早速で悪いけど、行きましょう。二人は積もる話がきっとあるんだろうけど、ゆっくりしていられない」

「一段落したら、きっと楽しいさ。そうだろう、ラモ」

「ええ、きっとそうよ。今は急ぎましょう」


 一行はまず洞窟までの道を進んでいくことにした。

 その道程で島内に異常があれば、そちらに駆けつける。なければ、そのまま洞窟を進み、砂漠まで行こうという計画だった。


 結局、洞窟の前まで来ても、特に異常は察知することが出来なかった。

 そのまま洞窟を突き進む。リオナにとっては一度通った道だから、一回目よりも相当早く洞窟を抜けることが出来た。


 洞窟を抜けて早々、ルゥドの姿を発見することは出来た。遠目でもすぐにわかるその姿。

 近づいていくにつれて様子がおかしいのがわかる。

 まるで動いていない。はっきりとはわからないが、妙な体勢を取っているように見える。座っているようにも見えるし、そうでもない別の体勢のようにも見える。

 そして、もう一つ、別の生物の姿が見える。

 恐らくあれがルゥドと相対していた侵略者。

 ルゥドと同様にそちらも動きを止めていた。

「気をつけて」

 後ろからラモの声。

 徐々に近づき、獣の姿形もはっきりと近くできるようになった。

 その獣は深手を追っているようで、かなり弱っているように見える。

 一方のルゥド。

 右肩が無い。それ以外の部分も所々傷だらけで、欠けている部分もある

 本当なら大声を出してすぐにでも駆けつけたいところだったが、獣の存在がそうさせてくれなかった。

 こちらを見やる獣。

 覚束ない足取りで立ち上がった。

 警戒する三人。

 ──攻撃してくる意思はなかったようだ。背中を見せて逆側へ歩いて行く。

 ルゥドをこんな状態にせしめた原因なのだから、追ってでも討つべきだった。今のリオナは既に英雄としての戦い方も思い出している。やろうと思えば可能だったはずだ。瀕死の侵略者に引導を渡すことは。

 だけどしなかった。

 酷く悲しい目をしていたから。長い髪の毛から覗いているその目は、人間のものと同じくして、感情を宿していた。振り向きざまのその目を見てしまったら、動くにも動けなかった。

 人間に対する侮蔑の感情と、やりきれない悲しみ。その悲しみはどこから来たものかわからなかったが、リオナにはとにかくそう受け取れた。

 翼を立てて飛び立とうとしていた。

 だが、翼に異常があるのか、すぐに落下していた。

 右の後ろ足を引きずり、今度は歩き出した。リオナ達に背中を見せたまま。

「……追わなくていいのか?」

「いいわ」

 理由は話さなかった。二人の表情を見たら、きっと同じ気持になっていると思ったから。

「ルゥド!」

 侵略者を尻目に、散壊して動かないルゥドの元へ駆けつける。

 どこか希望を持っていた。鉄の塊である、ルゥドなら、こんな状態になっても、意識を保っているはずだと。

「ねぇ、ルゥド」

 だが、無慈悲にもルゥドは全く動かない。

 何度も叫び続ける。段々と声を張り上げて。

 そこでようやく気が付く。ある事実に。最初から気が付いていたのかもしれないその事実。

 ──もうルゥドは死んでしまったのではないか。

 確認する方法も何も無いが、動かないという事実のみがそれを示唆していた。

「聞いて。私は全て思い出したの」

 ルゥドが気にかけていた一つの事実。

 それを真っ向から否定する記憶を思い出したのだ。

「──あなたは私の村になんて来ていなかった」

 思い出した記憶の中で、ルゥド……侵略者であった頃のルゥドはいなかった。

 戦っていたのはグラスティエルだけであったし、その他に何かが村を襲っていたこともない。

 だから、リオナが石化した後に、ルゥド達は生まれたのだと解釈が出来る。

 勿論、ルゥドがその後に人間を襲ったのだということは

「私の村の人々を襲ったなんてことはなかったわ。安心してよ……ねぇ……ねぇったら。もし襲ってなくても、人間を殺したりしていても、そんなの関係ないよ。だから……目を覚まして、起きて、いつも通り、筆を走らせてよ」

 思い出したその事実も伝えることが出来ないのか。

 それを知らないまま、ルゥドは死んでしまうのか。

 絶望の淵に立たされた瞬間だった。

 ルゥドの左腕がかすかに反応したような気がした。


 


 

   ・


 よかった。

 ルゥドはぼやける視界の中、ただ安堵を重ねていた。

 自分はこうやってもうすぐ動かなくなるけれど、最後の最後に、目の前にリオナの顔があった。

 叫んでいる。悲しいと思ってくれている。

 それだけ自分を想い、駆けつけてくれた。

 自分と、対等に接してくれた最初で最後の人間。

 リオナならきっと自分の死を乗り越えて、楽しく生を全うしてくれる。

 気を遣うことなく、思い返すこともなく、前を向いて生きて欲しい。

 泣いているのは似合わない。

 あの笑顔のまま、生きて欲しい。


 きっと、今までのことは辛いこともあったかもしれないけど、大事なのはこれからなんだって。

 二人で学んだ。

 そう、大事なのはこれから。大丈夫だ、大丈夫。リオナならきっと。わかってくれるし、既にもうわかっている。

 砂漠の上に文字を書こうとしたけども、駄目だ。やはり、動かない。

 ──暗闇が近い。

 薄ぼんやりとしていた世界に色素がなくなっていく。最後の最後まで、世界が真っ暗闇に閉ざされるまで、リオナを見続けていたい。

 未練はいっぱいある。もっとリオナと一緒に暮らしたかった。楽しみも悲しみも共有して、ずっと。

 でも、いつか終わりは来る。自分には寿命というものはないから、こうやって動かなくなった時が寿命だ。そのきっかけが何であれ。

 それは叶わないとわかっているから、伝えたい、最後にどうしても伝えたい。ありがとうと。本当に動かないかな。

 

 短いような、長いような期間。

 夢の様な、時間だった。


 何かに生まれ変わることが出来るなら、今度は人間がいいな。


 その思念を最後に、世界は暗闇に閉ざされた。


   ・ 


 リオナはただ立ち尽くし、泣いた。もう全く動かなくなったルゥドを見て。

 どれくらい、そのまま時間が経過していたかわからない。


「泣くな」

 ピジェットの声。彼からすれば、リオナのその涙の深さも、ルゥドのことも全く知らないわけだが。どうして首を突っ込んでくれるのか。

「泣いたら、この鎧が死んだことを認めることになる。それでいいのか?」

「それでって……だって、だって、動かないんだよ?」

「私も全くわからない。わからないが、この鎧には肉体がないだろう。肉体がないのにそもそも動いているのがおかしいのだから、体の一部が破損したくらいで、動かなくなるのもおかしいと思わないか?」

「そんな……何か方法があるの?」

「わからないと言った。だが、何もしないで、このまま死を認めたらそこで終わりだ。違うか?」

「無責任なことを言わないで」

 違う。ただ無責任に思いついたことを言ったのではない。彼なりの解釈と考えをぶつけただけだ。わかっているのに、リオナの方は感情ばかりをぶつけ返してしまう。

 それを察したのか、ピジェットはなおも続ける。

「悲しみに暮れて生きるより、希望を持って生きる方が気が楽だぞ。物質的に腐ったりすることはないんだ。こいつを蘇らせる方法があるかもしれない。それを探しながら生きていけばいい。もしかしたらそんなものないかもしれん。だが、そうとわかった時の心の傷は、時間が既に癒してくれるはずだ」

「──そこまで冷静に考えられないのよ!」

 頭に手を置かれた。背後にラモがいた。

 抱きしめられ、頭をさすられる。温もりを感じた。

「ピジェットはね、結構優しい人なのよ……といっても思いきり殴られたから、そうとは思えないかしら。でも、泣いているあなたの為にぶつかって、言ってくれている」

「それは……わかっているわ」

 親友の死を、誤認であったとはいえ、向きあってすぐに乗り越えた男の発言だった。

「そして、そうしている間に思い出も必ず美化され、かけがえのないものになるはずだ」



 泣くだけ泣いて、ようやく動くことが出来た。 

 三人は動かなくなったルゥドを館に持ち帰った。

 気持ちの整理はすぐにはつかなかったが、ピジェットの言葉で、失意と喪失感だけに浸ることはなかった。




「君がその鎧を親友だと言うのなら、そして鎧も君のことを親友だと思っていたのなら、絶対的にその鎧が思っていたことを私はわかる」

 館に戻ってからすぐに、言われたその言葉。

 まるでピジェットがずっと考えてきたかのように、大仰で、演技っぽく、言われた。


「悲しまないで、前を見て生きろ、だ。さっきまで復讐に燃えていた男の発言では少し信憑性が足りないか」




 リオナは再度、絶望に立たされたと思った。

 あれだけ望んでいた記憶が戻ってきたというのに。

 それは植えつけられたものでもなく、確実に目の前に提示されたもの。


 だけど、それを絶望として受け取るか、そうでないかは、自分次第だと気が付く。


 一人一人の考え方次第。

 何を思い、これからを生きるのか。

 ルゥドとも、それが大事と考えを分かち合ったのだから。


 現在より前に何があったか……そちらも同様に大事だけど。


 でも、思い出だけは。


 思い出だけはこれから絶対に消えたりしない。

 心のなかで、光を照らすようにしてあり続ける。

 それがルゥド、君だよ。

 きっといつか、何の気なしにまた動き始めるに違いない。

 


 ならば、そうだ。


 自分が出来ることは、希望を持って生きること。



 その光を持って、笑顔で。



























































 ここに一つの鎧がある。正確には、鎧の一式が一つ。

 鎧といっても動いたりすることはない。

 筆談もしないし、おせっかいも焼かないし、人間の食事を作ることもない。

 少し不器用に人間の気持ちを伺ったりすることもなければ、ぎこちない踊りも踊らず、人間らしい動作をして感情を表すこともない。

 ただひっそりと佇んでそこに置かれてあるだけだった。

 

 そこに一人の人間がやって来た。

 既に成熟した女性。中年とは言えないが、若さが滲み出ているとも言えない。それくらいの外観。

 手には濡れた布を持っている。

 鎧の目の前に立って、丁寧に鎧の全身を拭く。余すところなく丁寧に。

 それが一通り終え、その布を置き、もう一度鎧の前に立った。


 そして──歌を歌った。

 両手を胸に当てて、祈るように、笑顔を浮かべながら。


 鎧に聴覚はないはずだ。同時に視覚もない。そもそもが、ただの鉄塊なのだ。

 そのはずだった。そのはずなのに、鎧は感知した。

 

 ゆっくりと、どこかで音がしているような。

 そこから段々と音が近くに聞こえてくる。

 視界は真っ暗なままだ。音だけが依然かすかに聞こえる。

 徐々に徐々に。


 音が段々と近くに聞こえるようになって、初めてそれが、歌なのだと気が付く。

 それを歌なのだと認識できる知覚と記憶があるのだということにも気が付く。

 更にもっと歌が近くに、はっきりと聞き取れるようになると、今度はそれが以前自分が聞いた覚えのある歌だと気が付く。

 聞いたことのある歌は一つつしかないのだと気が付く。

 誰が歌っていたのかと思い出す。


 そこで、ようやく視界が晴れてきた。

 暗闇に閉ざされていた、鎧の世界が、かつて動いていた時のように目の前に広がる。


 よく見知ったような顔。

 どこか記憶と違う。

 身長や体つき。胸の大きさや髪型の印象。

 あのあどけない少女ではない、

 その後ろに知らない顔の人間が二人いて、目を白黒させていたけど、全てを思い出し動き始めた鎧にとっては瑣末なことだった。

 以前見た笑顔がそこにあって、嬉しそうにしている。目尻の皺は、以前なかったかもしれない。

 目の前の女性は言った。

「結構時間がかかっちゃったわ。どう? 私、美人になったんじゃない?」

 女性は随分と大義そうに言って、こちらに歩み寄ってきた。

 そうだ、と思い出す。

 自分伝達をやり取りする際に使用するもの。何度も使用してきたもの。女性がさっと腰の巾着袋から取り出し手渡してくれた。

 ほとんど擦り切れた羽の筆と羊皮紙。記憶にあるものと同じだ。何も変わっていない。

 鎧はまず書いた。女性の言葉もほとんど聞かず、ただ書いた。

 全てを思い出していた。

 同時に理解も。

 前を向いて、生きていたんだね。


『ありがとう』


 笑顔から一転、女性は顔をしわくちゃにして涙を浮かべた。

 それが決して悲しいものなのではないとわかる。


 両手で抱きつくリオナ。

 それを抱きしめ返すルゥド。

 確かな温もりが、以前と同じようにそこにあった。


 そうして、二人の世界が再び動き出した。





   ・


『一体何で私は蘇ったのでしょう

 絶対に死んだと思いました』


「どうやったと思う?」


『教えてください』


「……ナイショ」


『そんな』


「感謝するのなら、私だけでなく、そこの二人にも感謝してよね」


 (閑話)


『結局どうやって、私を?』


「ルゥドが動かなくなって、ずぅっと今まで。探し続けたのよ。そしてそれを見つけて、実際に行った。それだけ」


『それじゃ答えになっていないような』


「話すとすんごーい長くなるのよ。私でも上手くまとめきれないかも」


『時間はいっぱいありますよ』


「そうだったわ」


『そうですよ』


「……あはは! そうだったわ」


『そうですよ そうですよ』


 リオナの笑い声と、ルゥドが両手を叩く音が静かな夜の館に響く。

 それを見て微笑むラモと、何かを言いたそうにして機を伺っているピジェット。


 そう、時間はたっぷりあるのだ。


 彼らのこれからがずっとずっと、かけがえのないものになるための時間が。


                 <了>


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