【3】 AIRD castle
“人”が海を渡り、大陸の隅に上陸していることを知ったのは、パン屋に“人”がいたからだった。
そんな衝撃的な出来事を経験した後に、そのままパン屋に住むことなど出来なかったコウヤは、“人”と話をした事実を自身の中でどう処理して良いのかに迷い、結果、変わらない日常を暮らすことを選択した。
しかし、良かったこともある。
パン屋のゲンゾウに、妹の話をしなくても済んだからだ。
妹の存在は、コウヤの中で重く、守る唯一の存在であるのに、会わないうちに遠くなってしまった。そんな話もまた、自身の中で整理がついていない。話せば整理がついたかもしれない。でも話さなくて良かったと思えていた。
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アードに拾われ、アード当主の前に連れて行かれた日から、コウヤは妹と共にアード城で暮らしていた。
妹には、城の最上階にある、ガラス張りの展望室と連なる個室が用意され、ユズナ付きの召使いまで与えられ、ユズナはまるでお姫様のような暮らしをさせて貰っていた。
ユズナは当時まだ5歳で、5歳から10年間、ずっと城で暮らしていた為、両親と暮らした5年間よりも、アード当主と共に暮らした10年間の方が鮮明な色を持って心に残っているのだろう。
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アード城は、緩やかな山の斜面に建つ、白い壁、青い屋根をした、美しい尖塔型の建物だった。
その城の最上階にはガラス張りの展望室があり、そこに美しいベレスの娘が暮らしていると、アードだけではなく、他の3種族の間で噂され、その噂の真実を解き明かそうとする者が、アード区に侵入し、通り過ぎる形で展望室を伺って行く。
ユズナは、アード城のガラス張りの部屋に住む、飾り人形として存在した。
それを当然として受け入れているユズナのことを、コウヤは遠い存在としてしまっている。アードに保護を申し出た手前、アードのやり方に口を出すことなど出来なかった。
見せしめにすることで、ユズナを守っていると言われてしまえば、事実、噂が先行し、興味の対象となっているユズナだが、誰も手出しをせず、ベレス印を持つ娘だと畏怖させているところを見せられてしまえば、そういう守り方もあるのだと納得させられてしまう。
アード当主のやり方は奇妙であるが、物を知らないコウヤには思いもつかない魔法のようで、アード当主を心酔していた時期もあった。
けれどそれはアード当主の表の顔でしかない。
コウヤにとって幸せは、両親と暮らした島での日々だ。
しかし、ユズナにとっての幸せは、今であるのだろう。
その隔たりがふたりの間に溝を作ったと言っても良い。
ユズナにとってベレスは脅威だが、アードは信頼のおける美しい青年だった。
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コウヤにもベレス印がある。だがユズナの持つベレス印とは意味が違った。
ユズナの印は、当主の興味を得た娘という意味があり、何れ所有物となる資格を持つ。
それに比べ、コウヤのベレス印は、ただの従者という意味でしかない。
その差は、アード城へ入ろうとした時に思い知らされる。
アード城の城壁は、傍に寄ると空に届きそうに高く感じる。城へ入る門は一か所しかなく、その門には蝶の羽根模様を鉄格子で模した扉がある。蝶門と呼ばれる扉の前には門番がいるのだが、特に門番という仕事はなく、アード当主を崇拝している者が自ら立ち、入城の管理をしていた。
コウヤの為だけに蝶門は開かない。
いつもはバジルと一緒に蝶門を潜った。バジルはアード当主直々に声を掛けられる立場にある。それは当主を崇拝する者たちの羨望の対象となり、バジルはその存在だけで蝶門を開くことができた。
アード城に行こうと思ったのは、バジルに当主が呼んでいると聞いたからだ。それにやましい気持ちがあったからかもしれなかった。
この日もコウヤは蝶門の前で立ち往生をした。
「アード当主に呼ばれている」
そう告げても一族の者は、一瞥をくれるだけで、まるで無いもののように扱った。
力ずくでどうこうできる相手でもなく、話し合いができる雰囲気でもない。
どうしようか蝶門を見上げ、空の青さをただ見つめた。
当主には、コウヤが蝶門に出向いていることが分かっている。当主は、どこにいても誰が何をしているのかを感じ取ることができるからだ。もちろん、他方に目を向けられる状況にない場合もある。あえて無視をする場合もあるだろう。
コウヤは、蝶門を見上げたまま、その向こう側にいる筈のアード当主を思った。
いつでも若々しく、洗練された優雅な物腰で、艶やかな金の髪は両肩を包み込み、胸元でさらりと流れる。深く澄んだ青い瞳が肌の白さを際立たせ、程よい厚さの美しい唇は、生きている証のように赤く色づいている。
とても長く生き続けているとは思えない若さに見えるが、深い思考を話す内容や吟味する表情から読み取った時、背筋に冷たいものが這う。
確かにアード当主は異質で、異質であるとわかりながらも、従わずにはいられない、そんな存在であった。
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