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「安全だと思ったことはないよ」
コウヤの気持ちが落ち着くまで待ったエンジュは、これ以上、コウヤを刺激しないように気遣い、冷静な声を出した。
「それでも、このままで良いとは思えない。君の言うように、島がいつ君の島のようになるのかはわからない。なってもおかしくないと思っている。だが、アード管轄にない島は、他の一族に荒らされている。島ごと消え去った話は聞かないが、人が減っているのは事実のようだ。だからこそ、アードに望みを賭けたい。全ての一族がアードになれば、少なくとも今よりはマシになる筈だ。人がアードに従うとしたら、アードはどう出るか、君はどう分析する?」
「無駄だよ」
コウヤは全てを一言で済ませた。
コウヤの横で、ゲンゾウが苦笑いをする。
「まぁまぁ、少し落ち着けよ。あくまで想像の話だろ? アード当主の傍にいたことがあるのはコウヤだけだ。少しだけ、話せるだけで良い。聞かせてはくれないか?」
「ゲンゾウも、アードが人を受け入れると思うのか? 人が従うと言って、アードがそれを受け入れるとでも? それに大陸には毒がある。人が生きて行ける環境じゃない。どう考えたって無理だ」
「君は人に戻りたいんだろう?」
エンジュの発言に、コウヤは思わず立ち上がる。震える手を握り締めながら、エンジュを見下ろし、睨みつけた。
「……簡単なことじゃない。アードだって恐ろしいのに、アードだけじゃない。ベレスもいる。一族を人ごと消し去って笑っていられるような相手だ。おまえに何がわかる」
「アードを味方に付けるという話ではない。アードを騙し、こちらの良いように扱えないかと聞いている」
エンジュの声は、さっきまでの冷静な声ではない。熱を飲み込んだような、怒りを孕んだ声だった。
コウヤは息を飲む。エンジュは甘い考えで、この大陸に来た訳ではないのだと、その言葉だけでわかった。
しかし、コウヤには、アードを騙すような危険を冒す覚悟はない。
コウヤは毒気を抜かれたように、ふらふらとベッドに腰を下ろした。
「俺には無理だ」
「そればかりだな」
エンジュは飽きれたように首を傾げた。
「だって、アードは頭が良いよ。妹だって人質に取られているようなものなんだ。妹を使い、ベレスがアードの味方であるような振る舞いをしている。そんなことは全然ないのに、それを他族に信じさせる狡猾さがある。他族だけじゃない。アード一族だって当主の手の中だ。アードを騙せるなんて考えない方が良い」
エンジュは、じっとコウヤを見つめ、それから視線を外し、頬に笑みを乗せた。
「それはすごい。アード当主には他族を騙し、手のひらで躍らせるほどの能力がある。……それを私たちが騙せたとしたら……」
視線をコウヤに戻したエンジュは、笑みを暗いものに変えた。
「どのみちこの先、人に自由は生まれない。後世の為に、今できることをしてみるのも一興だと思わないか?」
エンジュを見つめていたコウヤは、視線を横に移した。
「ゲンゾウも同意見なのか?」
コウヤの視線を受けたゲンゾウは、どうだかなと呟いて首を捻る。
「俺の望みは家族が無事でいることだ。家族のいる島も、今後襲われる可能性があるというのなら、そうならないうちに何かできることはないか……そう思うくらいだな」
ゲンゾウの意見は、コウヤにも良くわかった。
話を聞いたところで、コウヤは自らが先頭に立って動こうとは思えない。今はベレスに受けた印を消す為の方法を見出すことの方が先決だからだ。それでも言いたいことはわかった。
「……考えてみる」
コウヤがそう呟けば、心配そうなゲンゾウの視線がコウヤに向かい、エンジュは細い息を吐きながら、安堵の表情を浮かべていた。
「急ぎはしない。良く考えてみて欲しい」
そう言ったエンジュは、願いを伝えるように、胸に手を当て、目を瞑った。