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君と暮らす退屈な日々  作者: サクラギ
≪第三章≫
51/53

>7

 偽りの記憶は、未だコウヤの中にあり続けている。


 真実の記憶と並行するように並び立つそれらは、明暗。

 今ではなぜ暗い穴の中に住まわされ、外界との接触を阻まれていたのか、その理由も、自身の存在の意味も知り得ている。

 アード当主のやり方は、コウヤを絶望に貶めるに最適な方法だったといえる。いわばこの真実の歪みこそが、ユズナとの確執の原因といえるからだ。

 こうなることを予想し、ユズナの記憶の操作をせず、ユズナを我が物として傍に置いた。幼き日のユズナが、どれほど酷い状況下で暮らしていたのかは、体に残されていた傷跡を思い出せばわかること。今では痛みを理解している。偽りの幸せな記憶が、記憶に伴う平凡な暮らしが理解できるからこそ、ユズナの生き方がどれほど歪んだものだったのかがわかる。


 ユズナを守りたい。

 ユズナと共に、幸せな未来を生きたい。


 それは今でも変わらぬ夢だ。

 しかし、それはもう手に届かないほどに遠く、夢見ることさえ許されないのだろう。


「おまえに選ぶ権利などない」


「なぜ俺なんだ……」


 侮蔑の感情を露わにしたアードは、皮肉な笑みを交えながら、コウヤを見下ろしている。

 アードの視線など見なくても感じられる。

 そういう感覚を得たのは、背にある3つの刻印と、刻印を得た為に開花した、アードの分身ともいえるコウヤの細胞が活性化した為なのだろう。もしかしたら、アードの意思も含まれるのかもしれなかった。

 アードは死を待ち望んでいる。

 永く生きたことに飽き、未来に希望を抱く気力もない。

 そういう投げやりな感情は、永く生きる間に経験し続けた様々な思いによるもの。

 たった数年の記憶の相違に悩まされているコウヤには、漠然と届く情報としか思えず、全てを一瞬に終わらせるという極論に至る気持ちを理解することは難しい。


「なぜ、と問われようとも、それが結果であるとしか答えようがない。なにも選択せずとも全ての頂点に立てるのだ、これほどのやりがいはないのではないか?」


「俺は特別でなくても良かった」


 こんなことなら生まれなければ良かった。

 そう続けようとして、それこそ自身では決められない出生のことわりなのかと思う。


「人はより多くのものを手に入れようと思うものだろう? 良かったのではないか? より多くのものを手に入れ、頂点に立てたのだ。人ならざる者が、人に近づく。おまえの理想ではないか」


 コウヤは、体を強張らせ、震える両のこぶしを握り締めた。

 人だと思っていた。

 人に戻りたいと思っていた。

 中途半端な存在ではなく、完全なる人に。

 しかし、コウヤは完全なる一族だった。その存在そのものが一族だった。

 全てを統べるアードの力を凌ぐ、第4の種族。全てを凌駕する為に創られた特殊な存在。


「あきらめろ。それとも、あきらめ切れないのか?」


 不敵な笑い声が後に続く。


「ここは言わば避難所シェルターだ。外側に溢れるものを遮断している。私ははじめ、ひとりだった。それから4の仲間を得、次第に増え、今では把握するのも難しいほどの数が地上に蠢いている。おまえはこの先、それらの感情、行動を把握し、己の駒として扱わなくてはならぬ。幾千、幾万もの感情が一気に流れ込んで来る状況に、さて、おまえはどこまで耐え続けられるのかな? いや、耐えられる。耐えなければならぬ。でなければ、おまえはおまえという存在だけではない。全てを道連れに、闇に沈んで行くことになる」


「選択の余地はないと……」


 あるわけがない。

 警鐘が頭痛の刻みと共に鳴り続けている。


「おまえはもう逃げられぬ」


 アードがベッドから腰を上げ、ベッドを周り、コウヤの正面に回って来る。

 寝そべっているコウヤの手を引き、体を起こさせると、さらに強く手を引き、床に足をつけさせ、立ち上がらせた。

 足がおぼつかず、ふらりと揺れた体をアードが抱き留める。

 長いアードの髪から、懐かしくも思える薔薇の香りがした。


 すでに身長も同じほどだ。

 生き写しといって良いほど、コウヤとアードは似通っている。

 コウヤが自身の姿に見慣れていたのなら、鏡の前に立った気分になっていたことだろう。


「これを取り出し、私を塵にするのだ」


 アードの右手は、コウヤの左腕を掴んだままだ。胸が合わさる位置にいながら、アードの左手がアード自身の心臓の位置を示す。


「私が消えれば、薔薇紋などなくとも、私の存在になり替わることができよう。第4の種、……いや、第0の種か……。全てを手に入れ、全ての者の支配者となれ」


「……いらない、そんなの……」


 離れようと体を引けば、アードの手がコウヤの右手を掴んだ。

 ここだと示すように、アードの手は、コウヤの手を掴んだまま、アードの胸へと誘う。


「逃げられぬと言ったはずだ」


「……いやだ、許してくれ」


 何もいらない。

 特別など望んでいない。

 足元にあるモノが全て崩れ去り、遥か上空に聳え立つ、一本の細い柱の上に立ち、ひとりで震え慄く姿が想像され、深い絶望の闇に墜ちて行く。


「闇こそが我が同胞だ」


 アードの思念が伝わって来る。

 それはアードが最期の時まで封印していた記憶と感情だったのだろう。


「ユズナ」


 思考はコウヤの奥深くに侵入し、一気に絶望へと突き落とした。


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