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君と暮らす退屈な日々  作者: サクラギ
≪第二章≫
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【5】 悪影響

「あなたは、なに?」


 細い路地の奥に人影がある。

 そこから聞こえた小さな声が、コウヤに向けられているとわかったのは、その人物から一族の気配がしたからだ。


 コウヤは足を止め、声の主を見極めようと目を凝らした。

 気配はある。しかし、コウヤが見極める前に、人影は奥へと走り去って行く。


 追おうと思ったのは気まぐれだった。

 アードの気配を纏った者が初めて声を聞かせたのだ。しかも、それは高く甘い声で、懐かしいユズナの幼い頃を思い出させた。


 細い路地に足を向け、奥へ入って行くと、建物の密集する袋小路となる。

 高い壁と、高い位置にある窓。青く丸い形のゴミ容器がいくつも置かれ、そこから腐った何かの発酵した匂いが漂っている。

 どこにも隠れる場所のないそこで立ち尽くしたコウヤは、飛ぶことのできる一族もいたかと思い出し、逃げられたのだと悟った。


 しかし、気配は続いており、人とは違う、気配を追うことのできる一族特有の目を持って見れば、それはゴミ容器の脇、地面にある蓋のようなものに続いているとわかる。

 その蓋は、大陸のパン屋の、地下室へ続く扉に似ており、開ければ通路があるのかと想像した。

 それが何かの策略で、コウヤを導き、罠に嵌めようとしているのかもしれないと警戒したが、どうせ自分で死ぬことも逃げることもできない身の上だと悟ると、新たな何かを得られるかもしれないという好奇心が勝った。


 蓋の取っ手に手を掛ければ、鍵はかけられておらず、簡単に持ち上げることができ、空いた隙間から、地下特有の閉塞した空気の香りが忍び出て来る。

 コウヤは片開きの蓋をゴミ容器にもたせ掛け、穴に足を入れるとふちに腰掛けた。穴はさして深くなく、飛び降りれば、地面が頭に擦る程度だと目測し、一応、蓋を閉めながら下へ落ちると、目測通りの位置で床が足に届き、しゃがんだ体勢でしばし様子を伺った。


 穴は、コウヤの前後と左が壁となっており、右に長く続いていた。行先が一方であることに安堵し、その先から何の気配も感じないことを確認すると、立ち上がり、足を進める。


 閉塞した空気の中に、少しだけ真新しい空気を感じ、それが穴の突き当たりにあるドアから流れていることを感じ、どうせ行き場所は一か所しかないと、ドアに手を掛け、軽く引くことができるとわかると、その隙間から奥を覗いてみた。


 明かりの灯っていない暗い部屋がそこにある。

 人の気配も、一族の気配もない。

 思い切ってドアを開け、奥の部屋に入ると、部屋の反対側にある壁に、もうひとつドアがあることがわかる。そのドアに近づいて行けば、その向こうに明かりが灯っていることが、ドアにある小さな穴に光があることでわかった。


 誰かがいる。

 ドアに耳を寄せれば、さえぎられた小さな声が聞こえて来た。

 ふたつの声が行き交っている。

 人の気配と、一族の気配を感じ、そのふたつの者が語り合っている場所というものが、あまりに想像しにくい。

 さきほど、酒を手に入れる為に入った店の者の態度が、人の通常の対応だと思えた。

 桐原のように、一族に慣れ、一族を手玉に取ろうとする者の方が珍しいだろう。

 友のように、たとえば、コウヤとバジルのように、何の隔たりもなく話し合える状況が、この人の地にもあるのだろうかと、コウヤは胸が逸るのを感じた。


 一族は人である。

 人が手を加え、変化させてしまっただけの、人である。

 確かに危険かもしれないが、話し合えば存在を近くすることも可能であろうと、その可能性に胸を焦がした。


 人と一族の違いは、自身を正常に保てるかどうかだろう。

 人にも一族と同じ過ちを犯す者がいる。

 一族には、人と同じであろうとする者がいる。


 それを人、桐原のような人ではなく、一般的な感覚を持つ人と話し合い、意見を聞いてみたい思った。


 自身の想いに耽っていたからだろう。内側からドアが開けられ、コウヤは意図しないまま、ドアの方へ倒れてしまった。

 地面に両手をつき、起き上がろうとすると、背中を踏みつけられ、うつ伏せで倒れる形になった。

 顔を斜に向け見上げると、コウヤを踏み付けているのは、薔薇印を左腕に持つ男だった。


「エル、あれほど外に行くときは気を付けろと言っただろう」


「ごめんなさい、リト」


 大陸にいるアード一族と同様の、黒一色の服を着た男、リトは、部屋の奥にいる少女に背中越しで話している。少女の体にもまた薔薇印があり、彼らがアード一族であるとわかった。


「おまえは何だ」


 腕を取られ、後ろにひねられ、地面に押さえつけられた。

 変に曲げられた腕とわき腹が軋んで痛い。

 苦痛の表情をしながらも、この状況から逃げるにはどうしたら良いかと考えを巡らせていた。


「その人、変な気配がするでしょう? 思わず声を出してしまって……」


 少女はコウヤを遠巻きにしながら、困ったような声を出した。


「確かに、さっきから気配が読めない」


 リトの手がコウヤの首にある包帯を引き千切り、首から肩に描かれているベレスの刻印を見て息を飲んだ。


「……なるほど、おまえはアード当主のお気に入りか」


「アード当主のお気に入り? そんなものがいるの?」


 リトはベレス印が何であるのか知っているようだった。だからだろう、アード印を持つ者として、アード当主の意思に逆らうことはできない。いくらこの地が人の地であろうが、その規律は守られなければならないことだった。

 だが、腕を捻り上げる力が緩むことはなく、ベレス印を確認したにも関わらず、警戒を解いてはくれなかった。


「だが、なぜアード当主の傍を離れ、人の地にいるんだ? それに、バラム、セバル、ストラ……複数の気配を感じる。いったいどういうことだ?」


 話せというように、地面に伏している顎を掴まれ、冷たい視線を投げかけられた。


「人につかまって、ここに連れて来られました。……ここはアード管理区なのに、なぜ他の種族がいるのか知りたくて、アードの気配を感じて、ついて来てしまいました。何もするつもりはありません。ただ話をしたくて……」


 つらつらと思うことを並べ、話した。


「話だと? そんなもの、大陸に戻り、アード当主にしろ。俺たちには関係ない」


 コウヤに反撃の意思がないとわかったのか、リトはコウヤの体に触れ、武器がないか探り、無いことを確認するとやっとコウヤの腕を放した。


 コウヤは腕とわき腹の痛みから解放され、体を起こし、胡坐をかいて地面に座り込み、痛かった肩を撫でた。


「あなた達は、この地に、アード以外の当主がいることを、知っているのですか?」


 一番聞きたかったことを口にした。

 この地にいるアード一族がどこまで他種族の企みを知っているのか。それとも、アード一族も、アード当主を裏切り、他種族に協力しているのか。


「知っているわ」


 答えたのは、離れた場所にいるエルだった。


「でも、知っているだけよ。あたしたちは、元々人だったから、本当の種族とは関わりたくないの。わかるでしょう?」


「俺は元からアードだ。一緒にするな」


 エルの答えに、リトが付け加えた。


「……大陸にいたアード一族と、所有種。こんな地下で何をしているのですか?」


「別に、何も……」


 エルはプイッとそっぽを向いた。


「おまえに教えると思うのか?」


 リトは侮蔑の表情で笑う。


「……そうですね」


 複数の一族の気配を持つコウヤであるし、不法侵入をしている身である。そんな不審な者に説明をと言われても、答えを口にしてくれるはずもない。


 それでも話せる相手は彼らしかいないと、コウヤは覚悟を決め、彼らを見た。


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