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君と暮らす退屈な日々  作者: サクラギ
≪第二章≫
35/53

>2

 吹き出すような笑い声が聞こえて来た。

 また誰か来たのかと視線を向ければ、笑ったことを隠そうと口に手を置く桐原の姿があった。


「なんで……」


 確かにコウヤのいる場所は人の住む土地だ。人である桐原がいるのに疑問はない。ただ、一族の当主に連れられて来た場所にいるというのが不可解で、どうしてそうなっているのか、どう考えて良いのかさえわからなかった。


「失礼しました」


 笑ったことに対する謝罪だろう。桐原は、壁際からコウヤの方へ歩いて来る。

 濃紺のスーツに鮮やかな青いネクタイ、手には大きめの手帳を持っている。

 コウヤの脇に立つと、手帳に付けられていたペンを取り、何やら書き込んでいる。


「ご気分はどうですか?」


「……」


 気分など最悪に決まっている。

 コウヤは、寝返りをうち、聞きたくないと態度で示した。


「見れば見るほど美しい姿ですね。しかも刻印が定着しています。この刻印とは不思議なものですね」


 桐原の言葉で、桐原に向けた背中に刻印があることを思い出し、全てを隠すようにシーツを被った。


 桐原は笑う。それは何の含みもなく、ただ笑っただけだろう。しかし、コウヤにはあざ笑うように聞こえた。


「姿は変化しても、中身は子どものままのようですね。たった7日眠っていただけでは、思考は変わらず、以前のまま。当然ですね」


 桐原のつぶやきは、コウヤにとって痛いものだった。

 子どもでいられたのは、アードに守られていたからだ。深く思考することもなく、アード一族に囲まれながら、自分は彼らとは違うのだと虚勢を張り、その意味も、あり方にも興味を示すことはなく、ただ淡々と過ぎる時を無意味に過ごして来ただけだった。


「刻印を受けた者は、人とは違うことわりの中に存在する。次元が違うと言えば良いのでしょうか。しかもそれは第一、第二、第三の種族とは別のもの。第四の種族はさらなる高みへ誘われたということになるのでしょうか」


 桐原の手が、シーツ越しのコウヤの背中に触れた。

 その感触に気づいたコウヤは、嫌がるように体を起こし、桐原から遠い位置に移動し、触れるなという警戒の視線を向けた。


「第四の種族ともなれば、人が触れることも許されない、神の領域なのかもしれませんね」


 ほぉと、感嘆の息をついた桐原は、差し出した手を引き、崇拝するような眼差しでコウヤを見た。

 眠る前と後では、桐原の態度がまるで違う。

 ただの子どもとし、以前と変わりないと言いながら、そのまなざしの中にあった一線を引き、観察するような態度ではなく、触れたくとも触れられない、尊いものを目の前にしているような、奇妙な距離感がある。


「第四の種族? 第一とか第二とか、いったい何のことだ?」


 桐原の態度に馴染めず、不可解で逃げ出したくなる。体が思うように動いたのなら、さっさと部屋から出て行っただろう。


 桐原は居住まいを正し、仕事用の表情を作る。


「第四の種族、おわかりの通り、それはあなたのことです」


「……だから、どういう意味かと聞いている」


 桐原とは意思の疎通が成されない。いつも同じ意味の言葉を繰り返し問ってやっと欲しい答えにたどり着く。それは意図して桐原がやっていることのように思えた。理由としては、コウヤを苛立たせる為か、もしくは、間を取り、相手の出方を見極める為なのか。


「それも聞かずともおわかりでしょう」


「……」


 コウヤは苛立ちのまま髪を掻き上げ、俯いて桐原から視線を逸らすと、見えない位置で舌打ちをした。


「おわかりになりませんか? おかしいですねえ。あなたには4種族の刻印が成されているというのに……」


 桐原は、コウヤが何も知らないということを、知りたくないのかもしれなかった。

 崇拝する視線を投げかけた桐原だ。崇拝する相手が劣っているなど許せないのかもしれない。しかし、コウヤは何も知らない。4種族の刻印を身に宿したからといって、彼らの思考を手に入れられる訳ではない。刻印の示すところは、その種族の当主の従順なしもべとなること。種族の規律を守り、他種族と一線を画し、種族の安寧を維持することだ。


「つまり、複数の刻印を身に刻めた者が、第四の種族ということか?」


 桐原の言葉を頭の中で整理し、導き出した答えを口にする。


「ええ、その通りですが、それだけではありませんよ」


 コウヤは、桐原の言葉を無視し、さらに思考を深め、それに没頭した。


 第一の種族は、最初の種族である、当主たち5人。第二は、人を媒体にした者たち。第三は、人型に魂を宿した者たちとなるだろう。第四の種族は、刻印を複数刻むことが出来る者。しかし、それは単に他種族の当主に仕えるという意味でしかない。それが桐原のように、崇拝の対象となるとは思えなかった。


「……それに何の意味がある。種族の境界が曖昧になれば、それぞれにある規律が乱され、さらなる混乱に陥るだけだろう」


「それはそうかもしれませんね」


 珍しく桐原は、コウヤの意見を重複した言葉を返さず、素直に同意した。

 だが、コウヤはそれに警戒心を持つ。まだ言い足りないことがあり、あえて同意して見せたに過ぎないと、注意深く桐原を見れば、桐原はコウヤの意思を量ったのだろう、意図して笑んで見せ、言葉を紡ぐ。


「アード当主の、“人を人のまま残し、以前と変わらぬ世を取り戻す”という考え方は尊いものです。人には有難い話なのですが、本当に以前と同じでいられるとは思えません。仮に一族を一掃し、人だけの世界になったとしても、人はまた新たな種族を生み出し、同じことを繰り返すだけだとは思いませんか? 今度は人に従順な一族を創る。そうして生まれる新たな世界は、本当に人にやさしい世界になるのでしょうか」


「……同じことの繰り返し。確かにそうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。それは未来の人に託す他はないだろ」


 桐原はコウヤを見つめながら、仕事用の笑顔を張り付けている。


「託された人の中に、私は存在しないでしょう。今、この世界が私の生きている場所なのです。私は、現在の地位を気に入っています。手放すのは惜しい。それは、バラム、セバル、ストラ、当主たちも同じ意見です。私たちは今を手放す訳には行かない。たとえアード当主がそう決めたのだとしてもです」


「それで当主たちがここにいるのか?」


 桐原は、企むような暗い笑みを表情に乗せた。


「第三の種族の恨みは晴らされました。すでに第三の種族の興味の対象は、同じ種族、当主へと移り変わっています。元々、生殖機能を持たない一族ですから、敵う筈のない当主や、お互いを対象にすれば、その数は減るばかり。あと何年かすれば、この地に残るのは、第一、第二の種族のみでしょう。その数は50に満たないと考えられる。力の強い一族ばかりが残るのですから、人が敵うとは思いませんが、今とは違う関係を築くことができる。第四の種族は、その時に力を発揮する。そう予測しています」


「刻印を複数宿せたとしても、当主に逆らうことはできない。何の意味も成さないと思う」


「それはそうですね。私もそう思います。ですが、当主たちは、そう思っていないようです。当主には当主の考えがあります。私のような人にはわからない何かが、あるのだと思いますよ」


 コウヤは、当主の姿を思い出しながら、当主の使う力を考えていた。

 記憶や感覚の操作をされていると感じる時はある。思うように動かされているとした、不可解な思いも何度かした。だからといって、当主たちが、自身よりも上の力を持つ者を創るのかと考えれば、それはありえないと思えた。


「騙されていないか?」


 結果、思い至るのはここで、コウヤは誰一人として信じることができなくなっていた。


「確かに、そうかもしれませんね。人と一族、全てをわかり合え、協力できるのかと問われれば、無理だと答えるでしょう。ですが、お互いに利用できる部分は利用する。そうした頭脳戦も、時には楽しいものですよ」


「楽しい? 生死を掛けての頭脳戦が? 大地ごと失う結果になってもか?」


 コウヤはすでに桐原を敵だと見なしている。

 地位の為に一族を利用しようとする桐原を信じられるはずもなく、その陰謀の一端に据えられてしまった自分自身さえも、恐ろしく、受け入れられない者となっていた。


「生きている間にできることなど、僅かなんですよ」


 桐原は、仕事用の笑みを消し、真剣な眼差しでコウヤを見据えた。

 コウヤは、その視線を受け止め、忌々しいとばかりに振り切った。


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