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君と暮らす退屈な日々  作者: サクラギ
≪第二章≫
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【1】 密航船

 自身が“人”で無いことを、本当の意味で自覚した。


 むせ返るほどの“人”の匂いに眩暈を感じ、ここがどこであるのか、自分がどういう状況にあるのかを考える前に、怯えが体を支配した。


 一族を怖いと思っていた。

 異質な視線や行為に怯えるのは、“人”だからだと思っていた。


 しかし、自分は“人”とも違った。

 むしろ“人”の中では完全なる一族で、それ以外のなに者でもなかった。


 足元が不安定に揺れる。

 その揺れが船内にいる為だと気づくのに遅れたのは、感情の揺れの激しさと、それに伴う震えのせいだった。


 コウヤの視界の先には、たくさんの足があった。

 薄汚れた皮製の靴と、擦り切れ、解れたズボンの裾。裸足の者もいて、その足は爪の中まで黒く汚れている。


 目の前に歩み出た足には見覚えがあった。

 その人物を思い浮かべ、頼りにしながら顔を上げれば、懇意に感じていた者の顔にも侮蔑の色が浮かんでいた。


 ……怖い。

 全ての視線が、珍しいものを品定めするように、コウヤを見下ろしている。


 “人”は仲間だと思っていた。

 いつか“人”に戻り、“人”として生きて行くのだと思っていた。

 しかし、それはもう無理なのだと悟る。


「……なぜ……あなたなのですか? ゲンゾウは? どうしたのですか?」


 自分はもう“人”で無くとも仕方がなかった。

 自分から望んで手に入れた刻印ではなかったが、刻印を受けてしまった以上、“人”に一族の仲間だと言われても仕方がないのかと諦められた。

 しかし、ゲンゾウは違う。

 ゲンゾウは、家族を人質に取られ、取引として一族に印を付けられてしまった者だ。

 哀れに思われることはあっても、簡単に傷つけられて良い存在ではない。


「ゲンゾウは、あなたを信じていたのに……同じ“人”として協力していたのに……」


 溢れそうになる涙を堪えながら、伝えた言葉は途切れがちで、思うように声にならなかった。それでも、あのパン屋での光景は、頭の中に残り続けていて、新たな傷になっていた。


「ゲンゾウ?」


 見知った男。あの日、パン屋の地下室で会った男、エンジュ。どこかの島の兵士で、アード一族の加護下にあり、物資の受け渡しをしていたと言っていた。アード当主を欺き、一族を一掃できないものかとコウヤに協力を求めて来た男。


 エンジュは、冷めた目でコウヤを見下ろし、頬を引き上げ、忌々しいとばかりに笑った。


「ゲンゾウ? 魔物に寝返った裏切り者のことか?」


 嘲るようにエンジュが言うと、周りの者から笑いが起こる。鼻で笑う声。あざ笑う声。馬鹿にした声。


 コウヤは、周りから起こった声を聞きたくなくて視線を逸らし、なぜ笑わなければならないのかと理不尽に思う。しかし、何一つ言葉にして返すことはできなかった。


 エンジュが、さらに一歩の距離を詰め、コウヤと視線を合わせるようにして片膝をつき、コウヤの顎を指先で持ち上げる。


 合わせたくないと抗った視線がエンジュの視線と合い、逸らしたくとも顎を掴まれ、逃げようとすると力を込められ、阻まれた。


「おまえも、切り刻んでしまえば、元に戻れなくなるのか?」


 “人”である筈のエンジュが、一族の姿と重なる。

 侮蔑の目。弱者とする目。

 狩る者と狩られる者。その境界線が、“人”と“種族”ではないことを知る。


「……切り刻む? まさか……本当に……」


 ゲンゾウは、“人”であることを捨てず、“人”であることを貫いていた。血肉を口にせず、他の有印種とも距離を置き、人であった頃と同じようにパンを焼き、生活していた。エンジュの言う事が本当であるなら、そんな最期を迎えるような人ではなかった。


「奴らは一族の望むままに協力し、従い、尽くしていた。それはもう人ではない」


「そんな、まさか……」


 ゲンゾウだけでなく、あの地に住んでいた有印種全てなのかと驚愕する。


 コウヤの脳裏に過去が蘇った。

 全ての人が一族に消された幼い日の光景が、過去ではなく、昨日のことのように思い出され、その光景がゲンゾウと有印種たちの姿に変わる。


「いずれ我々の手で一族を根絶やしにしなければならない。その実験として最適な素材だった。どれほど切り刻めば生き返らないのか、実験には事欠かなかった。それに、魔物たち誰ひとりと現れなかったところを見ると、奴らは魔物にも見限られていたのだな。尽くした相手に裏切られ、裏切った相手に消されるんだ、本望だろうよ」


「嘘だ! ……そんな……どうして……」


 顎を放され、自由を得た途端、感情の糸が切れ、我を忘れて目の前のエンジュに掴みかかった。

 しかし、手が届くと思った瞬間、横から蹴り飛ばされた。勢いの反動で転がれば、反対側の人に踏みつけられる。腹の中の空気が押し出され、口から変な音が出た。

 気持ち悪いと声が上がり、何度も踏みつけられ、丸まった背中を蹴られ、壁に激突する。血が口から滴り落ちる。それを腕で拭き、血の匂いに気分が悪くなった。


「それくらいにしておけ」


 エンジュの声がして、まわりの動きが止まった。


「目障りだ、甲板の後ろにでも括り付けておけ。どうせ死にはしないのだから」


 エンジュの声に従ったものたちが、コウヤの胸倉をつかみ、物のように運ぶ。

 ケホケホと咳込めば、汚い物のように引き上げられ、突き飛ばされた。それを何度か繰り返し、船室から甲板に連れて行かれると、一瞬にして開けた風景に眩暈がした。

 “人”の匂いから解放された先は、暑苦しく濃厚な大気だった。


 帆柱に繋がれながら、コウヤは眠ることを選択する。

 それは全てから逃避する行為だった。


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