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君と暮らす退屈な日々  作者: サクラギ
≪第一章≫
20/53

>3

 なんだ……と、コウヤは思った。


 結局、人に拘り続けていたのは、コウヤの記憶の中に幼い頃の幸せが張り付いていただけで、あの日に戻りたいと強く願っていたに過ぎないのだ。

 その願いの中にユズナがいて、ユズナと共に人に戻れるのなら、人として生きて行く希望を現実にして行く勇気を持つことができた。しかし、その願いはコウヤひとりのもので、ユズナが願うものは別のものであるのだと、気づいていたのに目を閉ざしていたに過ぎなかった。


 わかっていた。

 わかっていて、目を背け続けた10年だった。


「ユズナは、アード当主を選ぶの?」


 持つ刻印はベレスだ。

 ベレスが目覚め、ユズナを求めて戻って来る。

 それはもう間近に迫っている。

 けれど、ユズナがアード当主を選ぶと言うのならば、アード当主であれば、その運命を引き寄せる力がある。


 ユズナは、ピクリと肩先を揺らし、俯き加減で小さく笑った。


「……ここに私たち以外の視線があることを、忘れていませんか?」


 ユズナの言葉を聞いたコウヤは、ガラスの向こうにある数々の視線に目を向け、コウヤの言葉を聞いた彼らの視線の中に、好奇に光る目があることに気づいた。


「そうだったね」


 コウヤは、好奇の目の他にも、アード当主の監視下にあるのだと思い出した。

 どこにいても、当主の関心がこちらに向いていれば、その気配だけで何かを察し、すぐに扉を開けられる環境下にある。この城は当主の息吹の中にあり、人としての常識とはかけ離れた造りをしているのだ。当主専用区と“鳥籠”を繋ぐことなど簡単なことだ。


 ユズナは、ガラス壁から離れ、ゆっくりと歩み、衝立の向こう側、控えの間と呼ばれる続き間の方へ入って行き、そこで待機していた侍女たちを部屋の外に行かせた。


 控えの間には、入口付近に鏡台があり、その椅子に座ったユズナは、鏡越しにコウヤを見る。

 衝立の陰に入ったコウヤには、鏡台の鏡に映るユズナの顔が見えた。

 先の言葉を聞いた後に、控えの間に移動したユズナの行動から、質問に答える意思があると推測したコウヤは、控えの間の入口に近づく。

 鏡を見て髪を直し始めたユズナの背中を見つめ、コウヤは返事を待った。


「……選ぶのは当主で、私ではありません。私は待っているだけです」


 ユズナの手が止まり、首筋の刻印を指先で辿る。


「ベレスなのか、アードなのか……それとも別の存在に、なのか。私には抗うすべも、選ぶ方法もありません。……でも、人に戻りたいとも思えない。人に戻るくらいなら、一族の傍にいた方が良い」


 ユズナの指先が刻印から離れ、鏡台の上に置かれている、銀色の小箱に移された。


「一族は、心から欲する相手に心臓を渡し、その気持ちの確かさを伝えるのだそうです。そういう行為は、人の求婚に近いと思いませんか? ここに、私を選んで下さった方の心臓があります」


 ユズナの手が銀色の小箱の表面を辿る。

 小さな鍵穴のある、薔薇模様の刻まれた小箱は、ユズナの指先の下で、冷たく光って見えた。


 コウヤの目に映るその小箱が、ユズナの言葉により、生々しく生きているように思え、そこに心臓が入っているのかと考えると、それに愛しそうに触れるユズナが、恐ろしいものに見えて来る。


 美しい魔物。

 それがユズナに対する印象となる。


「心臓を抜いても、本人に影響はないの?」


 気持ちを落ち着かせる為に、呼吸を意識する。

 声が震えてしまわないように、強く拳を握った。


 ユズナが小さく笑う。

 指先が小箱から離れ、体ごとコウヤを振り返った。


「それはコウヤが一番良く知っているでしょう? だって、一緒に住んでいるのですもの」


 ユズナの笑んだ表情が、あまりに綺麗すぎて、作り物のように思えた。

 思わず背筋が凍りつき、それを表情に表さないように、必死に耐えた。


「……バジル?」


 バジルはユズナが欲しいと言った。

 アード当主にではなく、自分にと。


 ユズナの表情の中の笑みが消え、真顔に戻った。

 美しく作り物としか思えないのは、幼い頃の面影がひとつもないからだろう。


「バジルの心臓を受け取ったということは、ユズナはバジルを選んだってことじゃないのか?」


「……さぁ、どうなのかしら。私に選ぶ権利はありません」


 はにかんで笑うしぐさまで、嘘としか思えない。

 そうするように選んで張り付けた、心の籠らない表情ばかりだ。


「もう気持ちまで明け渡したの? 誰かを好きになる感情まで失くしてしまった?」


「そんなものが必要ですか? 永遠に続く命に曖昧なものなど意味がないとは思いませんか?」


「……もう人に戻ろうとは思っていないんだね」


 コウヤが哀しそうにそう言えば、ユズナは苛立った態度で椅子に座り直した。

 鏡に映る表情に怒りが見える。そればかりは偽りに見えなかった。


「もう、ではないです。初めから人に執着はありません。残念ながら、私には人として生きた思い出の中に、幸せな記憶なんてないのですから」


「……記憶が、ない?」


 今度はコウヤが怒りを覚える番だった。

 コウヤの中にあるのは、両親と過ごした静かな生活だ。こうなってしまった今、それがいかに幸せだったかと思い知らされる。


「いいえ、訂正します。私には、コウヤの記憶にあるような、幸せな記憶がありません。幼かったからではく、覚えているのは、辛く悲しい思い出ばかり。周りの人の冷たい視線や腕を千切れるかと思うくらい引かれたこと、何か失敗をすると蹴られたり、叩かれたり……。泣いてばかりいたことを思い出して辛くなるだけです」


「……それは、本当の記憶か?」


 コウヤは、記憶の中にある麦畑や海辺の風景を呼び覚まし、楽しく笑う人の姿を想い出した。

 ユズナの言う記憶の風景は、その中にひとつもない。


 ユズナが鏡越しに、覚めた表情でコウヤを見た。


「……それは本当の記憶なの?」



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