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君と暮らす退屈な日々  作者: サクラギ
≪第一章≫
19/53

>2

 扉の先には衝立がある。

 扉三枚分の大きさの衝立は、銀色をしており、薔薇の花と蔓の模様が描かれていた。


 衝立が隠すものは、外に続く扉と、ユズナの着替えをする間へ続く入口だ。

 コウヤの入った扉の右側に、続きの部屋があり、ユズナの衣装などもその部屋に収納されている。侍女が世話をするのもこの部屋で、“鳥籠”と呼ばれる公開の場に侍女が入ることはなく、客である者も、衝立の向こう側、ガラス張りの舞台から見える場所になるのだが、そちらに立ち入ることは稀で、立ち入ったとしても、ガラスには近寄らず、衝立の陰に身を隠し、ユズナと会話をした。


 コウヤの知る限り、堂々と“鳥籠”に踏み入ったのは、当主は勿論だが、他にはバジルだけだった。そのバジルにしても、当主の許しがあった訳ではなく、監視の隙間を狙って踏み入っているようだった。


 コウヤだけは、当主から“鳥籠”に入る許可を貰っている。

 兄妹であるし、同じベレスの刻印を受けているから当然であるのだが、一族に兄妹という概念はない。覗き見て行く他一族には、ユズナの所有を狙う者のひとりとして見られている。それを知りながらコウヤに許可を与えている当主には、コウヤがユズナに会うことにもまた、何らかの意図が絡んでいるのだと思えた。


 “鳥籠”に踏み入りたくない理由はたくさんある。

 何をしていても当主に踊らされているとしか思えないからもあるが、一番の理由は、何年も会いに来ない兄をどう思っているのかということだった。


 道を違えたことに目を塞ごうとした。

 兄だから、妹を救わなければならない。

 相反する気持ちを抱えながら、目を反らし続けた10年だった。

 しかし、いざ10年を経てみると、ユズナの気持ちを蔑にしていただけなのではないかと不安に駆られる。こんなことなら、ユズナの傍にいて、当主に傾いて行く心をこちらに向けさせ、説得を続けていれば良かったと後悔ばかりが押し寄せる。


 コウヤは、衝立の向こう側へ行く勇気を失い、立ち止まっていた。


 丸く張り出したガラスの壁の、舞台のようになった部分の中央に、天蓋付きのベッドがある。四本の柱が天井を支える形のベッドには、ベールさえかかっておらず、全てが丸見えの状態になっている。

 ガラス壁に近い位置にはカウチがあり、ユズナはそこに座り、外を眺めていることが多かった。

 この日もユズナはカウチの中央辺りに腰を下ろし、空を見上げている。

 コウヤが部屋に入ったことは、感覚でわかっている筈で、ユズナが“鳥籠”で暮らし初めて間もない頃は、こうしてコウヤが無言で衝立の傍に立っていても、ユズナの方から振り返り、嬉しそうなくしゃくしゃの笑顔で駆け寄り、飛びついて来たもので、胸に顔を埋め泣くユズナを見て、以前と変わらない姿に安堵を覚えていた。


 しかし、コウヤの視界に映るユズナの背中は、幼い頃のユズナではなく、大人の女性のものだった。細くくびれた腰もそうだったし、流れる金の髪も昔とは違う。抜けるような肌の白さも一族のもの。以前は、コウヤと同じ、茶色い髪と茶色い瞳の色をしていた。肌も日に焼けた健康的な色で、今のような滑らかな肌とは程遠く、それでも人である象徴であれば、刻印を受けた者でも人に戻れる可能性があると思え、そこにわずかな希望を見ていたのに。


 ユズナを変えたのは、当主の血だ。

 刻印を、しかも仮契約でしかない印を受けただけでは姿まで変わることはない。それはコウヤが証明している。

 一族の血。しかも、一番最初の一族であるアード当主の血である。より濃く一族特有の姿に変化しても仕方がないのかもしれなかった。


 ユズナが静かに振り返った。

 コウヤは、ユズナと視線を合わせ、逃げたい衝動に駆られたが、体は固く縫い止められたように動かず、笑おうとして、笑うこともできずに、視線を逸らした。


 ユズナの瞳の色が青く輝いた。

 瞳の色を反射させる光など、今の時刻には入って来ていないのに、美しい瞳は、見つめられただけで、その輝きを映す。


「……甘いパンを持って来ようかと思ったけど、持って来られなかった」


 何を言っているんだろうという自覚はある。

 話さなければならないことがあるのもわかっていたが、口を突いて出たのは、どうでも良いことだった。


 ユズナの視線が逸らされ、背中を向けたかと思うと、優雅な仕草で立ち上がる。


「パンは食べません」


「……そ、そうなんだ」


 俯いた先に、自分の足がある。

 成長の遅れた自身の姿が頭に浮かび、酷く恥ずかしいと思えた。

 美しく成長を遂げたユズナは、もう泣き虫だった妹と同じだとは思えず、守ろうと思っていた自分さえも委縮した。


 一族の者は総じて美しい姿をしている。

 この世の中で、美しいとされる容姿を、彼らは選んで変化している。

 中でもアード当主は群を抜いており、見た目の美しさだけではなく、それを引き立てる気品や物腰をしているからでもある。

 その当主の横に立っても遜色のない作りを、ユズナは得ていた。


 昔は、ガラス壁の向こうに来る一族の者の視線が興味本位であったのに対し、今の状況は別の興味を含んでいる。

 あからさまな欲を現した視線がユズナを捕えていた。

 そんな中でもユズナは自然に、そんな者などいないも同然に振る舞い、視線ひとつも合わせずにいられた。


 アード当主がユズナを語った時の、誇らしげな表情を思い出した。

 バジルが、コウヤには守れないと宣言をし、仲違いをした朝を思い出した。


 ガラス壁の傍に凛と立つユズナの背中を見つめたコウヤは、自分がユズナにはもう必要とされていないことを悟った。


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