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君と暮らす退屈な日々  作者: サクラギ
≪第一章≫
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【7】 A princess's room

 5年前、ユズナと最後に会ったのは、塔の最上階にある“鳥籠”ではなく、“鳥籠”へ向かう廊下の途中にあった、この日だけ特別に発見できた部屋でだった。


 薄く開きっぱなしになっている扉の隙間から、部屋の明かりが漏れており、コウヤの嫌いな肉の焼ける香りが流れて来る。食事をしている食器の触れ合う音と、小さくぼそぼそと聞こえて来る会話の声。時折、聞こえる笑い声で、そこにいるのが誰であるかわかった。


 当主とユズナだ。


 重く重厚な造りに見える大きなテーブルの、角を挟んで斜に座ったふたりは、焼いた肉を食べながら談笑していた。当主の前には酒もある。

 ユズナが肉を食べることを知ったのは、この日が初めてで、わざわざ焼き立てパンを持って来たことが無意味に思えた。


 話し声は聞こえるけれど、その内容まではわからない。

 当主はコウヤに気づいていないが、それが気づいていないふりであることもわかっていた。

 扉の隙間から覗いているのを感覚で知られていると思うと恥ずかしくなり、先に“鳥籠”へ行って待っていようと、扉から離れようとした。


 その時だ。

 当主の手がゆっくりとユズナの頬に触れ、ユズナを立たせるとその腹辺りに顔を埋めた。

 ユズナは、見下ろす体勢にして、すぐ視線の下に当主の頭部があるくらいの身長しかない。

 ユズナの手が当主の髪を梳き、当主の首筋があらわになった。


 その瞬間だった。

 当主の爪が自身の肩の肉を裂き、滴り落ち出した血液を、屈んだユズナの舌先が舐めた。

 ペチャペチャと音が聞こえて来る。

 深紅の血が、鎖骨を滑り、胸元を染めていた。

 そのうち傷口が塞がり、顔を上げた当主は、ユズナの濡れた唇を指先で拭う。ふっと笑みを漏らした当主は、陶酔する表情のユズナを見つめ、その左手を引き寄せると、手首に口づけをした。ふつっと音を立てて盛り上がる鮮血。当主の喉元が上下に動く。


 血の交換、と、脳裏に言葉が浮かび、背に冷たいものが這い上った。


 見たくはなかったとコウヤは扉から離れ、“鳥籠”へ行く廊下ではなく、帰る為の道を選択した。


 あの日、見た光景は忘れないだろう。

 ユズナが当主を見つめた、陶酔しきったあの表情も。








 “鳥籠”と呼ばれているユズナに当てられた部屋は、塔の最上階にある。

 長い螺旋階段を登って辿りつくこともあれば、長い廊下を歩き続けた先にあることもある。

 コウヤひとりで辿り着けることはなく、いつも誰かの案内によって辿り着いていた。


 “鳥籠”は、眩い光の中に、儚い月の光の中にある。

 毒に汚染されてからの大陸は、薄い煙幕のような靄に包まれてしまい、地上から見る太陽も月も、薄いベールの向こうにあるようにぼんやりとしか見ることができない。

 しかし、“鳥籠”は、そのベールを越えた上空にあり、むしろ眼下の方がベールに包まれていた。


 窓のないガラス張りの壁は、部屋の中を何一つ隠すことがないので、飛ぶことのできる種族の者は、ガラス張りの“鳥籠”の外で休息を取り、“鳥籠”に住むユズナを十分に観察してから飛び立って行く。


 日中よりも夜に多いその光景は、闇の中に浮かぶ月明かりに照らされており、見ず知らずの奇妙な姿をした一族の監視下にあることもあり、一層禍々しく感じさせた。


 しかし、ユズナは平然としている。

 “鳥籠”に住み、他の一族の目を惹くことがユズナのアードにいる存在理由であるし、それを当主に約束させられているのもあるだろう。幼い頃から10年も住み続けているから慣れたのかもしれない。

 見知らぬ者の視線に晒されながら眠ることもできたし、ガラスに近づき、外の風景を眺めることにも躊躇いはない。


 コウヤは、この“鳥籠”が嫌いだった。

 見ず知らずの者の目に晒されることも嫌だったし、晒し者にされているユズナを見るのも嫌だった。


「この扉の向こうが“鳥籠”です」


 螺旋階段が途切れた先に、白い壁があり、そこにひとつだけ扉がある。上部が弧を描いた木製の扉には、首の長い大型の鳥が2羽、顔を合わせる形で羽根を広げた絵が刻まれている。


 “鳥籠”まで案内をしたヴィータは、躊躇いもなく扉を開け、開けたままコウヤを待っていた。

 扉が開くと、甘い薔薇の香りが流れ出して来る。

 それは、アード当主の纏う香りと同じもので、ユズナにもその匂いが染みついていた。


 コウヤは、ヴィータの横に立ち、重い一歩を覚悟を決めるように踏み出した。



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