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君と暮らす退屈な日々  作者: サクラギ
≪第一章≫
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【6】 Bird cage

 ヴィータは、コウヤの意思も聞かずに歩いて行く。

 その背を追う義務はないのだが、城の中をひとりで勝手に歩くことは考えられず、仕方なくヴィータの背を追っていた。


 何枚かの扉を潜ると、最初の塔に戻っていた。

 その塔の、壁際を沿うようにある螺旋階段を下って行くと、地上よりも深い場所へと誘われて行った。


 地下に部屋があることは知っていたが、実際に入るのは初めてだったコウヤは、興味深く辺りを見回し、明かりのひとつもない廊下の暗闇の中を進んでいる。


 天井部分が円を描き、横壁に繋がっており、床はごつごつとした石の感触を残している。空気が籠った匂いと、湿度の高い肌に張り付くような嫌な感触がある。風を感じないことから、閉塞された廊下なのだと推測され、空気が薄かろうが、毒が噴出していようが体に影響はないため、何も恐れることはないのだが、元が人だったからか、無駄に警戒してしまった。


「どこへ行くのですか?」


 ヴィータの背中に恐る恐る問い掛ければ、ヴィータは足を止めた。


「鳥籠です」


「鳥籠?」


 それがユズナのいる場所を表しているのなら、地下ではなく、城の最上階になる。コウヤの想像はそこまでで、ユズナとはもう何年も会っていないのだ。居場所が変わったのかもしれないとも考えた。


「そうです。少し、お付き合いください」


 ヴィータは、胸に手を当て、恭しく視線を下げた。


 ヴィータが歩みを進め、少しすると、扉に行き当たる。鋼で出来た扉は、コウヤの住んでいる家の扉と似通っていた。


 ヴィータがゆっくりと扉を開けると、中から静かな歌声が聞こえて来る。

 歌声と、水滴の落ちる音が相まって、とても美しい楽曲のようにも聞こえ、聞いたことのない言語で歌われているそれは、儚く、寂しく耳に届く。


 扉の中へ踏み入ったヴィータに続くように、コウヤも扉の中へ入って行く。


 そこは洞窟のようで、天井から幾つもの突起が下がり、その下には、地面から突起が生えている。乳白色のそれは、地面も天井をも覆い、丸く開かれた空間の、ちょうど中央に位置する場所に、舞台のような段差がある。そこには一筋の光が落ち、その光に包まれるようにした、ひとりの女の姿があった。


 両肩を出す形の黒いドレスに身を包んだ女は、背を向け、両ひざをついている。背中に流れる金の髪が、光に輝き、幻想的に映った。


「妹のサーシャです」


 ヴィータは、歌声よりも小さな声でそう告げると、扉を閉め、壁際に佇む。

 コウヤもヴィータの隣に立ち、不思議な光景から目が離せなくなっていた。


 よく見ると、サーシャの背中の右側に、深紅に染まる薔薇の刻印がある。アードを意味する刻印を持ち、アード城にいるということは、アード当主に所有されているということか。


「元は人だったって言ってたよね」


 ヴィータの黒い瞳がコウヤを見る。

 一族では見たことがない目の色は、人であった頃の名残なのだろう。


「そうです。妹も、私も、遠い島国で暮らしていました」


「そうなんだ。でも、アードに連れて来られたのなら、運が良かったんだよね」


 全て焼き払われ、消されてしまうよりはマシだと、コウヤにはそう思えてしまう。しかし、一族がいなければ連れて来られることもないと思えば、ヴィータたちだって十分に不幸だと思う。けれど、どうしても自分よりは良いだろうと思えてしまった。


「今ではアード当主の配下ですが、私の暮らしていた区域と関係を結んでいたのは、ストラです。島国といっても面積が広いので、地区ごとに支配者が違ったのです」


「そんなこともあるの?」


「はい、地区ごとに所有者が違っているので、地区同士の争いもありましたし、地区から逃げると刑罰に処されました。一族とは、決められた数の人を差し出すことで、奇襲から逃れることが出来ていましたが、それもまた、いつまで守られるかわからない状況で、いっそストラの刻印を得てしまった方が楽ではないかという短絡的な考えを実行する人もいたくらいです」


 サーシャの歌は、途切れることなく歌い続けられている。

 ふたりは、サーシャの後姿を見つめながら、なぜか遠い場所にある島国の情勢を話し合っていた。


「あなたも、その……自分から刻印を?」


「いいえ、まさか。人でありたかったと思っていますよ。ですが、状況が許してはくれませんでした。サーシャがストラ当主の目に留まり、大陸に渡るよう命が下ったのです」


「じゃあ、彼女はストラ当主の所有物だったってこと?」


「そうですね……所有物ではあったのでしょう。ですが、ストラの刻印を受けてはいませんでした」


「人のまま、ストラの元にいたってこと?」


 それは、人としての感情を持ったまま、一族が蔓延る世界に捕らえられていたということになる。その状況は、人の感情を捨てられず、血肉の飢えも知らず、人が捕食されて行く様を見守ったということだろうか。


「私は妹を救う為、他地区を支配していたアードに助けを求めました。アード地区は、他の地区とは違い、捕食されるということが無いと聞いていたし、人としての生活を尊重している、人に近い性質を持つ当主が治めていると聞いていたので、もしかしたら……という望みを掛け、願い出で、……アード当主の気まぐれだったのでしょう、私の願いは受け入れられ、妹を助けに行く許可を頂けました。ですが、実際、助けに行くことが出来たのは、妹が大陸へ渡ってから1年も後のことでした」


「……1年も人のままで、ストラ当主の下で暮らしていたんだ」


 静かな歌声が消え、水滴の落ちる音だけが残った。

 光の一筋が落ちる舞台の上で、サーシャは身動きひとつすることなく、まるで人形のように座り続けている。


「ストラ城から妹を救い出すのは大変なことでした。私と共に戦った、妹の恋人は、その時、命を落としてしまいました」


「刻印を受けていなかったの?」


 コウヤが控えめにそう言うと、ヴィータは痛そうに表情を歪めた。


「シド……妹の恋人の名ですが、彼もアードの刻印を受けていましたが、まだ完全に体に刻まれていなかったせいなのか、修復が不可能なほどの状態に陥ったからなのか、彼は復活することはありませんでした」


 ヴィータの手が胸を押さえる。辛そうに目を閉じ、その表情は涙を耐えているとも思える。


「……私が残るのではなく、彼が妹の傍に残っていれば、妹の心がこれほど壊れることはなかったのかもしれません。妹は笑うことも、泣くこともせず、ああして疲れ切るまで歌い、何を考えることもせず、ただ座り続けているのです」


 サーシャの儚い印象はその為なのかと、コウヤは目の前のサーシャの背中を見つめた。


「美しく生まれると、そういうこともあるんだね。……でも、違うね。俺の妹は、さして美しくもないし、血の匂いの良し悪しが一族の選ぶ基準なんだよね」


 不運は、見初められてしまう偶然にあるのかと思う。

 あの時、あの場所にいなければ、こんな運命と出会わなくて済んだのにと思うことは何度もあった。何度も考え、考えても仕方のないことだと意識を遠ざけた。


「ユズナは美しく成長していますよ? あなたはいったいいつからユズナと会っていないのですか?」


「妹が美しい? そんなはずないだろ? ……」


 そう言ってみたけれど、もう5年は会っていない。

 最後に会ったユズナは、幼い頃と差して変わらず、相変わらずの泣き虫だった。


「ユズナには感謝しています。誰にも心を開かなかった妹が、ユズナにだけは従うのです。

ここでの歌声が、ユズナの部屋まで届くのだそうです。ですから、ああして疲れ果て、歌を止めると、ユズナが妹を迎えに来る。しばしの休息と食事を与えて下さるのです」


 ヴィータの声が止むと、どこからか、ひたひたと裸足で濡れた地を踏む足音が聞こえて来る。

 足音の方へ視線をやると、女がひとり、サーシャの方へ歩いている。


 黒い足元まであるベールに身を包んだ女は、サーシャの横に膝を折ると、サーシャの体を支えるように立ち上がり、ふたりでゆっくりと元の道を引き返して行く。


「ユズナは毎日、ああして妹の世話をして下さいます。少しずつですが、笑顔を取り戻していると、ユズナが言っていました。本当にとても感謝しています」


「……ユズナ?」


 ゆっくりとした足取りで歩んで行き、コウヤの視界から消えて行く。

 ユズナは、小さな子どもだった。しかし、サーシャを支え、歩いて行く姿は、ベールで隠れているとはいえ、大人の女性だとわかる。


「ここにユズナを預けてくれた、あなたにも感謝しています」


 ヴィータは、コウヤの方へ体の向きを変えると、胸に手を当て、恭しく腰を折る。感謝を表しているのだとわかるのだが、コウヤはユズナの変化が気になり、それどころではない。

 ヴィータは、それを察したのか、すぐに背後の扉を開け、コウヤを案内するように待つ。


「ユズナの部屋へご案内します」


 コウヤは、そう言ったヴィータの顔を見て、震えるほどの緊張を強いられていることに気が付いた。

 見て見ぬふりを続けている間に、ユズナはユズナの道を歩み始めている。

 それがコウヤと共にある道ではなく、アード当主と共にある道なのだと、はっきり自覚してしまうことが怖くて仕方がなかった。


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