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君と暮らす退屈な日々  作者: サクラギ
≪第一章≫
13/53

>2

「刻印が濃くなったな」


 当主の視線が首筋に張り付く。

 思わず右手で首筋を覆ったが、感触の違う肌の上の刻印が、どう変化しているのかまではわからなかった。


「約束の時が近づいて来た証だ」


 当主の背後にベレスの影がちらつく。

 当主を相手に立っているだけでも限界なのに、コウヤが対するのはアード当主だけではない。むしろベレスを意識しなければならないのだ。アード当主は、目の前にしただけでも恐ろしく気が遠のく。これでも他種族の当主より穏やかで理解が深いのだという。最悪の当主と噂されるベレスを前にして、戦う意思を持続できるのかと不安になった。


 風に靡く金の髪が脳裏に浮かぶ。

 血に濡れた指先、舐め上げた赤い舌。鋭く光る血走った目。

 震えるほど恐ろしく、しかし、幻想の中の住人のように美しく映った。


 コウヤは首を振り、頭の中に浮かび上がった映像を消そうとした。

 幼い頃、一度だけしか見ていない光景が、こうも鮮やかに残っていることは、不幸としか思えない。恐ろしさと共に来る絶望の光景。いっそ醜く記憶していればと思う程に、ベレスはアード当主を前にしても遜色なく美しかった。


「ユズナは私が譲り受けようと思う。おまえはどうしたい」


 そんなことを言う為に自分を呼んだのかと、コウヤは怯える気持ちの奥で冷笑する。

 うまくユズナを取り込んだものだとコウヤは考え、しかし、それを言葉にすることはできなかった。


 固く拳を握り込む。爪が食い込み、その痛みが人でありたいと思う気持ちを強くした。


 当主が笑みを含んだ息を吐く。

 呆れたような表情を見たコウヤは、怒りを覚え、それもまた自身の中に眠らせた。


「おまえはその姿同様、中身もまた成長が遅れているようだ」


 侮蔑の色が濃く届く。

 アード当主の放つ特有の気は、血色に染まり、その匂いまでもが血を孕む。

 コウヤは血の匂いに息を詰まらせ、思わず袖で口元を覆っていた。


「ユズナは美しく成長している。おまえとは違い、知識を手に入れ、静かに状況を見守っているからだろう」


 当主は、サイドテーブルからグラスを取り上げ、赤黒い液体を口に運ぶ。喉元が動き、飲下した様が見て取れる。

 血の匂いが増した。


「おまえは物を知らぬ。知らぬまま時を迎え、いったい何を得ようというのだ。私は長い時を生きている。過去も今も、知らぬことの方が少ないだろう。なぜ会いに来ぬ。目を閉じ、耳を塞いでいたところで、時は来る。今のままではベレスの思い通りに事が進む。私の思惑通りとも言えようか……」


 暗い笑みが当主の表情に浮かび上がる。

 当主の思惑がどんなものか想像もつかない。ただ、コウヤの望むものではないということだけはわかり切っていた。


「たとえば……そうだな」


 言葉を切った当主は、眇めた目でコウヤを見る。

 深い瞳の青が冷たくコウヤを射た。


「どうしておまえの住む島がベレスに襲われなければならなかったのか。どうしておまえたちだけが残されたのか……。どうして世界は一族で溢れたのか……」


 コウヤは、当主の視線を受け止めることだけで精一杯だったのだが、問い掛ける当主の言葉を聞き、今まで考えても答えのでなかった事柄の答えを、当主が持っているのだと知る。それは予感の中にあった。しかし、聞いて答えを貰えるとは思っていなかった。


「……聞いても良いのですか?」


 静まり返った部屋の中に、思いのほか大きく響いたコウヤの声。思わず息を飲んだ。


「……長い話を聞く覚悟があればな、話してやらぬことはない。しかし、その態度のままでは話す気にもなれぬ。おまえはなにせベレスのお手付きだ。ここで対等に私といられるのは、おまえとユズナだけだということを覚えておくが良い」


「……対等、ですか」


「そうだ。ベレスの気配がない以上、ベレスは眠りについていると思って良い。ベレス一族は根絶やしにされた。となれば、現在、ベレスを名乗れる者は、おまえとユズナしかおらぬ。ベレスの目覚めがない以上、おまえをベレス当主代理としても良い。わかるか? その意味が」


「……ベレス当主代理?」


 コウヤは、アード当主の言葉を頭の中で転がし、どういう意味があるのかと探った。


「ベレスを目覚めさせなければ、俺はベレス当主の座を奪える?」


 アード当主の表情に、企むような笑みが乗る。


「……そんなことが、本当に?」


 可能性の出現に、身を震わせたコウヤは、目頭が熱くなるのを感じ、堪えるように目を瞑る。


「目覚めさせないことが出来れば、の話だ。実際それは難しいだろう。だが当主の座を奪うやり方はある。教えて欲しいか?」


 もったい付けるように、当主は口端を上げて笑み、間を置いた。


「教えて欲しくば私の話を聞くが良い。それでもまだ、その意思を保っていられるのならば、教えてやっても良い。どうだ? 聞きたいと思うか」


 コウヤは考えもせず頷いていた。

 ベレス当主の座を奪うことができたら、コウヤの意思で人に戻れるかもしれないからだ。アード当主と同列に並び、アード当主の手からユズナを奪い返すことも可能となる。


 そんな甘い汁を見せられて、拒むことの方が難しかった。


「聞かせてください。お願いします」


 懇願するように胸に手を当て、視線を下げた。

 ユズナの為に、自身の為に。

 アード当主に頭を下げることくらい簡単なことだった。


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