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君と暮らす退屈な日々  作者: サクラギ
≪第一章≫
11/53

>3

「私はヴィータ、元は人だったが、アード当主の慈悲を頂き、アード当主に仕えている。おまえとは初対面だが、ユズナとは面識がある」


 元は人だと聞き、最初の印象が間違っていなかったことを知った。ヴィータと名乗った彼には、一族特有の蔑んだ態度や狡猾さがない。それに、コウヤと会話をする点でも一族とは違う。しかし、ユズナと面識があると聞き、気持ちの上で一歩引いてしまったのは確かだった。


 城の扉を潜り中へ入ると、広い空間となる。広間の色は全て白で統一されており、明かりとりの窓のないその部屋は、暗く闇に沈んでいた。

 しかし、一族であれば暗闇など暗闇ではなく、特別な目が見せる風景は、薄い濃淡を持って物質を確かな形と伝えた。


 天井を支える柱が5メートル間隔に5列、10本と奥へと続き、視界の遥か先に、緩やかなカーブを描く階段が5段あり、その上部中央に豪華な椅子が設えられていた。

 当主専用のその椅子は、闇に溶ける黒色をしており、蝋燭の灯されていない燭台が四つ角に置かれている。


 一族の謁見の為に造られた間であるが、当主が下りて来たことはなく、広間に一族が集まったこともなかった。


 広間の横壁左右に2つずつの扉がある。階段の上段の左右にも扉があるが、そちらもまた当主専用の扉となり、そこは開かれたことのない扉となる。


 ヴィータは、広間に入ってすぐ左側の扉へ歩み、躊躇いもなく扉を開くと、奥に続く廊下を歩く。

 廊下から庭に続く道を歩き、塔の入口を潜れば、中央広間を囲うようにある4つの塔のひとつに入ることになる。

 太い円柱の塔は、壁際に造られたらせん状の階段を使用し登って行くのだが、塔の中央に4本の塔を四角く繋ぐ廊下があり、支えのない廊下は宙に浮いている形で、下から見上げたその造りは心許なく、いつ崩れ落ちてもおかしくないと思えた。


 ヴィータはその廊下を奥へと進んで行く。

 そして奥の塔に辿り着くと、塔の中央に位置する、本来なら高い場所から落ちて行くしかない場所に扉があり、その扉を潜ると、なぜか当主専用地区へ出る。当主専用区は、城の敷地内にあるらしいのだが、そこがどの位置にあるのか知らされておらず、外観から見当をつけることもできなかった。


 そういう仕組みを知らない者がこの回廊を渡ると、一周しても扉は見つからない。当主が許可を与えた者のみに見える扉である。


 バジルもこの扉を使用するが、コウヤを連れているからか、当主専用区へ直接入ることはなく、ユズナのいる塔を経由する。

 コウヤひとりの場合は、裏口を使用し、使用人に案内をしてもらう。その場合、当主専用区へではなく、ユズナのいる塔に案内される為、当主専用区へ直接入るのは珍しいことだった。


 ヴィータは、コウヤを連れていてもお構いなしに、何のためらいもなく当主専用区へと入って行く。躊躇ったのはコウヤの方だ。

 確かに当主が呼んでいると聞いて城へ来た。しかし、許可をもらった訳ではない。扉を潜る前に足を止めると、すでに先に進んでいたヴィータが振り返った。


「どうした」


 曇りのない黒い瞳がコウヤを見る。


「……当主の許可もなく、こちら側へ入って良いのかと思って……」


 躊躇いがちにそう言えば、ヴィータが頬を緩めた。


「問題はない」


 たった一言でコウヤの迷いを一蹴したヴィータは、背を向け、歩みを進めた。

 コウヤは躊躇ったままだったが、ヴィータの背を追う。ひとりにされてしまった方が戸惑いが大きくなる。城内でコウヤを咎める者はいないが、当主の意思に逆らう行動は控えたかった。


「人の思考で見れば、この造りは奇妙に映るが、これが当主と呼ばれる者所以の力だ。人の思考は捨てた方が良い。刻印を得るということは、全てを当主に捧げるということだ」


 振り返りもしないヴィータの背中について歩きながら、人であればやはりこの仕組みに惑ったことがあるのだと思った。


 不意にヴィータの小さな笑みを聞く。

 何がヴィータの感情を揺らしたのかと思っていれば、続く言葉が聞こえて来た。


「こういう不可思議な現象を見せられると、過去、人が優位に立っていた時代があったなど信じられなくならないか? アード当主は、人が大陸を支配していた頃、人に紛れ、人を装い、

普通に暮らしていたのだと聞く。だが、他の当主は別だ。人が大陸を穢した砲撃により、地中での眠りを覚まされたのだ。この状況もまた、人の傲慢により引き起こされた、最悪の状況だが、当主が現実に存在している以上、受け入れる他、生きるすべはない」


「……当主とは、何なのでしょうか」


 それは以前から考え続け、答えの出ないものだった。


「それは当主にしかわからないだろう。私はただ、受け入れ、最善の道を模索して進んで行くしかない、ただの所有種だ」


「……所有種」


 それは当主に刻印を与えられた人のことを、一族が総称として呼ぶ言葉だ。

 しかし、自身のことを所有種と言うヴィータは、一般的な所有種とは違う。所有種が当主の城に入ることを許されるのは珍しい。女ならば、当主に所有される立場を得られ、傍に置いてもらえることもある。だがヴィータは男だ。庇護に値する子どもでもない。


 ヴィータは腰に剣を佩いている。剣に長けた者だとすれば、当主を守る為に傍に置かれているのかもしれないと思ったが、それ以前に、当主に逆らえる一族はいないのだから、守る者が必要だとは思えない。ヴィータにもまた秘密があるのかと、疑いは深まるばかりだった。


 コウヤの戸惑いを察したのか、ヴィータは足を止め、コウヤを振り返った。


「私にも当主に預けた女がいる。彼女が易く生きられるのなら、私が当主に忠誠を誓うくらい容易いものだ」


「……俺と同じ?」


「いや、同じではないだろう。ユズナはまだ、アード当主のものではない。ベレス印も仮でしかなく、この先、どう転じて行くのかはアード当主の采配次第だろう」


 それはコウヤも感じていることだ。

 ヴィータの預けた女は、アード当主の印を持つ。この先、アード当主に捨てられることがなければ、尽きることのない命を、変わることなく生きて行く他はない。それはヴィータにも言えることだろう。


 ヴィータの後ろには扉がある。

 黒く重厚な造りの扉の細工は、薔薇の刻印と同じ、咲き誇る薔薇の模様だった。


「私の案内はここまでだ。この先の部屋で当主がおまえを待っている」


 ヴィータの重々しい言葉を聞いたコウヤは息を飲む。

 以前に会ってから、すでに1年以上が経過していた。

 1年など一族にとってはため息ひとつの長さなのかもしれないが、コウヤには、確実に成長を遂げた1年となる。

 あまり変化を見せない成長であるが、ベレスとの約束が近づいたことに変わりはない。


 ヴィータの手で扉が開けられる。

 光のない世界に、ひどく眩い光彩が降り注いだ気がした。


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