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「おまえがコウヤか」
名を呼ばれ、蝶門の向こうへ馳せていた視線を、声の方へ向けた。
門を守っていた一族が、その者を避けるように方々へ散っている。散っていながら意識はその者へ向けているようで、その視線の中には侮蔑が見え、けれどその者には逆らえないといった様子が伺えた。
だいたいコウヤの名を呼ぶ者も珍しかった。
ベレス印を持つ者ということは、コウヤの首筋にある印を見ればわかること。印に興味を示す者はあっても、その者の名などどうでも良い。一族の誰もがそういう態度だった。
男は、コウヤと視線を合わせると、コウヤを観察するように目を眇め、見つめている。
コウヤは、不思議とその視線を嫌だと思えず、コウヤもまた男を観察した。
一族の者は、髪の美しさを見せつけるように、長く伸ばしていることが多い。しかし、男の髪は短く、頭の形がわかるほどだった。色は白に近い金髪。瞳もまた一族には珍しく黒い色をしている。
体を包む衣服は、程よくついた筋肉の形を見せつけるように、ぴったりと体にそっている。下ばきも同様、体にそっていて、腰のベルトから膝下を覆う布が巻かれており、左腰で合わせた布が、肩幅に開かれた足の前を割り、太ももから足先までが見える。
足は膝下丈のブーツに包まれ、腰布の上には長剣を佩いている。色は全て黒。ベルトとブーツに付けられた金属、腰から斜めに下がる長剣が黒く光りを放っている。一族であるから、この男もまた美しい容姿をしていたが、街ですれ違う一族とは違い、凛とした美しさ、狡さのない真っ直ぐな印象を受けた。
「私が門を開こう」
そう言った男は、蝶門へと向かい、右手を差し伸べる。
男の手に反応したように、蝶門が左右に割れた。
男の視線がコウヤへ向く。
コウヤは躊躇いながらも蝶門を潜り抜け、数歩進んだところで男を振り返った。
男は立ち止まることなく奥へと進んで行く。
その背を追いかけようと足を踏み出せば、背後で蝶門が閉まった。
「……あの、ありがとうございました」
この男は誰なんだろう。そう思いながら男の背に続いて歩いた。
「いや、お礼を言わなくてはならないのは私の方だ」
男の声の中に躊躇いがある。
振り返らなかったから表情は見えなかったが、男の言葉が本心から発せられたのだとわかった。
「何のことですか? あなたと会うのは初めてですよね?」
男と共に歩みながら、城の入口に近づいて行く。
蝶門の中へ立ち入れるのは、当主の許可を持つ者だけで、許可は当主の許しだと言われており、許しがない者に扉が開かれることはない。
男の足が扉の前で止まった。
コウヤが見たことのある、この扉を開いた者は、バジルだけだ。
城に仕える従者や侍女は、彼ら専用の御用通路があり、正門であるこの扉を使用することはない。コウヤもまた、ひとりの時は、正門を避け、裏へ回る。
「あの、俺、大丈夫です。案内はここまでで……」
男がどういう者か知らないのに、別の入口があると教えて良いのかわからず、言葉尻を濁して誤魔化した。
「いや、問題はない」
男は、躊躇うような視線をコウヤに向けた。
すぐに扉が開き始める。外開きの扉の為、数歩下がって開ききるのを待った。
「この扉を開ける者は、当主への忠誠が試される」
男は開いた扉の中へ足を進め、コウヤもまた後に続いた。
「私の忠誠は揺るがぬ。何も躊躇うものはない」
固い声音を聞きながら、コウヤはこの扉の持つ意味を知った。
バジルもまた、当主に試されていたのかと初めて知る。
同時に扉を開こうとしなくて良かったと、忠誠など誓っているとはいえないコウヤは、焦る気持ちを内心に隠した。




