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う→うち



「今日家で飲みません? 結構いい焼酎入ったんですけど?」


「ああ、今日はちょっとパスだ。ごめん」


 後輩の堀の誘いは普段ならホイホイと乗っかる魅力的な提案なのだが、今日は学会要旨の提出前日でなにしろ時間がない。


「えー中島さんこれないんすか」


「ああ、ちょっと今日は時間がない」


「ねえねえ、それじゃあうちが行こうか?」


 俺と堀の会話に割って入ったのは、いまどきの女子大生、佐藤だ。

 見た目のいい堀に露骨にアプローチをかけているのだが、堀の方にはその気なしといった様子。まあ、めんどくさいから首を突っ込もうとも思わないので、それ以上のことは何も知らない。


「いや、新しく入ったのは焼酎だから。佐藤さん焼酎とか飲めないっしょ? 飲めないお酒をネタに一緒に飲むわけにもいかないしね。また今度」


 堀は逃げるように自分の席へ戻ると、白衣を着て実験室へといってしまう。


「もう、堀君てば照れちゃって。堀君とうち、結構お似合いだと思いません?」


「さあ?」


 俺は堀とお前は合わんと思うけどな。性格的に。そんな本心は表に出さず、つとめて無愛想に返す。俺はこの佐藤と言う女性が苦手だ。

 俺がいないときに俺のことを無愛想だの、陰気だの何だのと悪口を言っているのも知っている。そしてその俺に対しては、違う誰かの悪口を言って聞かせ、共感を得ようとする。そういうところが嫌いだ。その場にいない人間の悪口を滔々と語るようなやつはみんな苦手だ。

 俺がパソコンのディスプレイに向かったのを見て、佐藤は興味を失ったように去っていく。ともかくまとわりつかれずに済んだようだ。


「ナカジマさん。ちょっといい?」


 そして佐藤が去った途端に声をかけてきたのは、なれなれしいが嫌みではない憎めない奴。


「なんッスか? レンさん。ちょっと忙しいんすけど」


「ちょっとだけ。おねがい。ひとつだけききたいことある」


 俺のつんけんした答えにも彼女は相変わらずひるまない。

 はぁ、と一つため息はついて見せるが、内心それほど嫌がってもいない。

 彼女の質問は作業の休憩にはちょうどいいし、何より気がつくことがあって面白い。そして、俺がそれほど嫌がっていないことに彼女も気が付いているから、こんなふうにずうずうしいくらいに声をかけてこられるんだろう。


「さっき、ほりくんが『ウチ』って、いってた。 あの『ウチ』は『home』の『ウチ』だよね? でもそのあと、サトウさんも『ウチ』っていってた。あの『ウチ』も『home』?」


「ああ、そのことですか。ほりくんの『ウチ』は『home』であってますよ。佐藤さんの『ウチ』は、アイマイミーの『アイ』の意味です」


「でも、『I』は『ワタシ』でしょう? なのに、どうして『ウチ』?」


 うわ、これはまた難解だな……。

 英語における一人称は、『I』一つ。だけどこれに対して日本語の一人称は腐るほどある。

 私、僕、俺、あたし、うち、わし、わたくし、それがし、拙者、わて、わがはい……etc

 これらのニュアンスの違いを説明するというのはとても難しい。


「確かに、『I』は私です。でも俺は自分のことを『オレ』っていうし、堀君は『ボク』って言います。だけど、俺とか僕は男が自分のことを言う言葉で、女の人だと、『ワタシ』とか、『ウチ』とかそういう言い方をするんですよね」


「でもなんで、ちがうの?」


「う~ん。自然とそうなる感じかな。俺も昔は自分のことを『ボク』って言ってたけど、自然と『オレ』になってたし。佐藤さんも昔は私って言ってたけど、自然と『うち』って言うようになったんじゃないかな?」


「う~ん。にほんごむずかしいね。それじゃあワタシも自分のこと、『ウチ』っていったほうがいいのかな?」


「どうしてそう思うんですか?」


「だって、さとうさんかわいいから。まねしたらかわいくみえるかも」


 確かに佐藤の見た目はいい。だがしかし、一人称をまねたからといって、見てくれが似るわけではない。どちらかといえば、似るのは会話した時の印象だろう。それなら佐藤なんぞより、今のレンさんのほうが遙かにましだ。


「まねしなくていいっすよ。レンさんは今のままでいい」


「でも……」


 食い下がろうとしたレンさんに一言。


「今のままでもレンさん十分かわいいっすから」


 これだけリップサービスしておけば黙るだろう。冗談と同時に少しの打算を持って放った言葉だった。しかし、ちらりとレンさんをみると、そんな打算は吹き飛ぶ。

 目の前にあったのは、焦ったような顔に若干上気した頬。


「もうっ!」


 ……そして、掛け声とともに手加減の感じられない強烈な張り手が背中に一つ。


「いたっ!」


 その衝撃に思わずもれる声。


 レンさんはそのままこちらと顔を合わせることもなく、席に戻っていってしまった。

 照れたのかな? それにしてもさっきの彼女、結構かわいかったな。相変わらずからかい甲斐のある人だな。再びノーパソに向かいながら、俺の口元は少しニヤけていた。



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