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い→烏賊

 飲み会の席。俺はイカの刺身の山を猛烈な速さでもくもくと食べていた。

 ことは十分前にさかのぼる……。




 日本の食文化において、魚介類はとても重要なものだ。特に多少値段の張る飲み会の席となれば、刺身、塩焼き、てんぷら、煮つけなど、様々な魚介類が振舞われる。というか、ほとんどが魚料理になると言っても過言ではない。


 研究室内全体を巻き込んだ大規模な実験が終わり、その打ち上げと称して飲むことになった。


「今日は私がおごるから、少しいいお店にしましょう」


 という非常に魅力的な提案が先生からなされたことで、学生どもはこれ幸いと普段はなかなか行くことのない、ちょっとランクの高いお店を予約した。

 そして、その「ちょっとランクの高いお店」というのはつまり、魚介類のたくさん出るお店だったわけだ。

 普段よりいい料理、いいお酒がただで飲み食いできる。この条件に対して不満を持っている学生はほとんどいなかった。ただ一人、彼女を除いては……。




「only fish !?」


 あらかじめ頼んでおいたコースメニューを見たレンさんの第一声はそんな英語だった。

 オンリーフィッシュといういい方はちょっと極端だったが、確かにコースメニューの多くは魚介類で、特に刺身やカルパッチョなどの生食系のものが目立った。


 乾杯の音頭が取られて、ほとんどの学生がうれしそうに箸を進める中で、レンさんの箸は一向に進まない。海のない国出身のレンさんはシーフードが大の苦手で、特に生食系のものは、


「クサイ!」


 と一蹴する。そんなわけで、彼女が箸をつけることができているのは、サラダと野菜のてんぷらくらいのものだった。

 そんな様子を見た俺は、自分の焼酎と一緒に、唐揚げと牛筋煮込みを彼女用に頼んでくる。メインの料理に何も手をつけられないのでは、流石に彼女がかわいそうだ。


 注文を終えて席に戻ってくると、レンさんに先生が話しかけているところだった。


「Try it !」


 どうやら、刺身を食ってみろとレンさんに勧めているようだ。

 先生が言うのでは断れないと思ったのだろう。レンさんはめちゃくちゃ嫌そうな顔で烏賊の刺身を口に運び、めちゃくちゃ嫌そうな顔で咀嚼し、めちゃくちゃ嫌そうな顔で飲み込んだ。こんなに嫌そうにものを食われると、こっちの気分まで悪くなる。

 俺は、食わず嫌いされるのは嫌いだが、食って嫌いなのは仕方がないと思っている。育ってきた環境は違うし、好みだってある。食って嫌いなものは、どうしたって嫌いななのだから仕方がない。逆に嫌いなものを無理して食われると、食い物の方に申し訳ない気分になる。


「Taste good ?」


 先生にそう聞かれて、「いいえ」と答えるわけにもいかなかったのだろう。レンさんはひきつった笑顔でうなずいた。すると、


「そうかい? それじゃあ私の刺身もあげよう。たくさん食べてね」


 レンさんの皿には断る間もなく先生の烏賊の刺身が移動し、一瞬のうちに二人前になる。

 さらにひきつるレンさんの顔。そんなレンさんをよそに、先生は満足そうにうなずいてトイレに向かっていった。


「焼酎ロックと唐揚げです。筋煮込みはもう少し待ってくださいね?」


 先生と入れ違いに、先ほど頼んでいた料理と酒が素晴らしい早さで届いた。

 この店はうまいだけでなく早い。だからこそ学生の多い大学周りで、多少高くてもやっていけているのだろう。そして今日、この早さはレンさんにとって天の助けになる。


「レンさん。exchange it ?」


 俺は届いたばかりの唐揚げの皿を差し出しながら、レンさんに問いかける。


「Thank you ! ナカジマさん。すごいうれしいよ!」


 さっきまでの渋い顔はどこにいったのかというくらいにいい笑顔の彼女。

 そして、烏賊の刺身推定2人前と鶏のから揚げは素早く交換がされる。交換の瞬間に彼女は笑顔で追加要求をしてくる。


「センセイがかえってくるまえに、たべちゃって。たべてないってわかると、センセイがっかりする」


 彼女はそういうところはしたたかで、だけど憎めない。


「いいッスよ。それよりほら、おなか空いてるんでしょう? 唐揚げ食べたら?」


「ありがとう。ナカジマさんのそういうとこ、ダイスキ!」


 不意打ちのような言葉に一瞬箸が止まる。しかし、すぐに持ち直して、烏賊を食べる作業に戻る。

 先生が戻ってくる頃には、烏賊の刺身は俺が食べきって空になった状態でレンさんの隣にあった。


「おや、レンさん。もう刺身を食べちゃったのかい? おいしかった?」


「はい! おいしかったですよ」


 先生の問いかけに、彼女は迷うことなく答える。

 そのしたたかさに内心で苦笑する。


「そうかい? そんなに気にいったなら、もっと頼んであげようか」


 先生の言葉に、レンさんは笑顔のまま固まった。

 ……あ~あ。調子に乗るから。まったく。

 だけど、先生が烏賊の刺身を頼んでしまうと、結局また俺が食べることになるので、レンさんに助け船を出しておくことにする。


「レンさんは、刺身食べてお腹いっぱいらしいので料理はそれくらいにしませんか? それよりお酒が飲みましょう? レンさんは甘いお酒がいいよね。果物のお酒いっぱいあるんだよ。このお店。先生もせっかくですから日本酒でも頼みましょうか?」


 俺のフォローもあって、烏賊の刺身の注文は酒の注文に差し替えられた。

 ちらりとレンさんの方を見る。両手を合わせて頭を下げて小さくなっている彼女の姿は、面白くてかわいかった。





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