あ→雨
「なあ、ナカジマさん。ききたいことあるんだけど」
ノーパソの前で難しい顔をしてうんうん唸っている俺に声をかけてくるやつに心当たりは一人しかいない。
「なんすか? レンさん」
本名ペルジデオ・レン。通称レンさん。この研究室の留学生にして、俺がゼミ前でイライラしているときでも躊躇することなく話しかけてくることができる唯一の人物である。
海のないアジアの国の生まれでシーフードが苦手な、ちっこい女性だ。
「ナカジマさん、忙しい?」
一旦集中をぶった切っておきながら、忙しいかどうか確認し直すあたり策士である。怒るに怒れない。俺は大きくため息をついて言う。
「いいっすよ。そろそろ休憩入れようと思ってたんで」
若干ぶっきらぼうな俺の返事にも、
「そう! ありがとう!」
満面の笑みでうれしそうに返事をする。
ああ、満面の笑みでお礼を素直にぶつけてくるところが苦手なんだ。
この人は素直であるがゆえに扱いにくい!!
「それで、聞きたいことってなんです?」
「あの、『アメ』のことおしえてほしい」
『アメ』? 彼女のアクセント的には、キャンディーの方のアメだった。
しかし、以前にアクセントの違いで会話が全然通じなかったことがあったので、今回も彼女の言う『アメ』がキャンディーであるのか、レインであるのかはあらかじめ確認しておくべきだろう。
「うん? アメって言うのはレインの雨? キャンディーの飴?」
「candyじゃない. rainの方.」
英語が話せる彼女のキャンディーとレインの発音は俺のものとは全然違う。
そしてとりあえず、彼女の言う質問の対象は、『雨』の方だとわかった。
「うん。それじゃあ雨のことですね。うん。それで、雨の何がわからないんです?」
「ニホンゴでrainは、『フル』っていう。ゆきもそう。『フル』でも、なんで、『フル』なの? おちるじゃないの?」
おおう、これはまた難題ですなこりゃ……。
俺は心の中でひそかに頭を抱える。
「エイゴでユキがフルは『snow fall』でも、これをそのままニホンゴにすると、ユキがオチル。なんで、ユキやアメは、オチルじゃなくてフルなの?」
うムムムム……。
この問題の難易度はめちゃくちゃ高い気がする。言ってみれば3を4分の1で割ると何故12になるのか、そもそも、4分1ので割るというのはどういうことなのかと聞かれているような感じだ。
本質に近い質問であるほど、それに対する解は難しくなる。正直、「そういうものなんだよ」と教え込んでしまうのが一番手っ取り早いのだが、それでは彼女は納得してくれないだろう。
考えよう。彼女が納得してくれる理由を……。
まず整理しよう。降るが動詞として当てはまる言葉を。
まず、雨、雪、星なんかの空にあるもの。後はアニメで言うと、「親方! 空から女の子が降ってきた!!」なんて言うセリフもあったな。
そこで気がつく。ああ、そうか。『降る』は、黙視できないような高い空から物が落ちてくることを言うんだ。だから、落ちるという枠の中に、降るは入る。
「レンさん。降るはね、高い空から何か物が落ちてくることを降るって言うんだ」
「ソラからおちてくるのはフル?」
「そう。降る」
「でも、なんで、おちるっていわないの?」
「降るは、すごく高い空から神様がものを落とすこと。人にはできないこと。落ちる、落とすは、人にもできること。そういう日本人の言葉の選び方なんだと思うよ」
「ふ~ん」
レンさんは俺の言葉を聞きながら、だんだん笑顔になってきた。
「カミサマがおとすのは『フル』か。おもしろい。ニホンゴのそういうところ、ムズカシイ。でもすきだよ!!」
「そう言ってもらえると、日本人の俺としては光栄ですね」
「ナカジマさん、ありがとうね」
そう言って彼女は席に戻っていった。
やれやれ、ずいぶん適当な受け答えだったけど、なんとか納得してもらえたみたいだ。
一度大きく伸びをして、再びノーパソの画面に戻る。パワーポイントを作らなければ。
こん詰めていたさっきよりも作業がはかどる予感がした。