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05 : この世界の魔。





 魔の軍勢が、そこにはいた。


 魔とは、すなわち魔獣のことだ。意志を持たず、理性を持たず、他の動物と同じように行動するが、数多の動物とは一つだけ異なる部分があった。破壊衝動を持っていることだ。

 魔獣は破壊する。自然や動物、人間、とにかく生きているものすべてを破壊する。ときには街を、国を、森を、世界を壊そうと動く。

 なぜ魔獣が存在するのか、そしてなぜ魔獣は破壊衝動があるのか、その解明は成されていない。とにかく魔獣が襲ってくるから、その対処に追われて原因など究明していられないのだ。ただ、彼らが使う力を転用することだけは考えられた。それが魔術と呼ばれる力だ。魔術を使えない者は、精霊に力を乞い、霊術が使えるようになった。進歩したと言えるだろう。だが、魔術や霊術を使っても、魔獣が破壊衝動を止めることはなかった。その数も、減ることがなかった。だから今も、人々は魔獣と闘い続けている。


 ノルジスは目の前の魔獣軍に、そっとため息をついた。

 こちらの声が聞こえるくらいの格がある魔獣は、どうやらいない。いや、いたとしてもこの熱気、あてられて思考力は奪われている。

 ノルジスの声は届かないかもしれない。


「なんという数……っ」

「そうだね」

「これを見てなんとも思わないのですか、ノルジスさま! あなたは魔王だろう!」


 魔王、魔を統べる王、だからなんだというのだ。


 ノルジスたちが魔獣の群れに遭遇したのはアルファンデスの首都に向かって五日め、中央に向かっているので都市や村の点在が多く見られるようになってからのことで、今まさに宿泊しようと考えていた騎士団の砦を前にしてのことだ。なにか様子がおかしい、とツヴァイが言って、様子を窺いながらゆっくりと降下したところで、はっきりと魔獣の群れを視認した。騎士団の砦が、魔獣の群れの進行を阻止していたのだ。


「とにかく、砦の内側へ! 応戦しなくては」


 砦の屋上では、弓隊らしき騎士たちが、魔獣の群れに応戦している。砦の内側では、門が破られた際に備えてか、十数人の騎士たちが準備に追われ、忙しなく行き交っている。砦を盾にしている後ろの街では、人々が逃げるための準備もしていた。いや、もはや避難が始まっている。


「……そう。それで、怒ったのか」

「ノルジス?」

「僕は傍観するよ、セヴン。セヴンも、手を出さなくていいからね」


 もちろんレヴンも、手を出さなくていい。そうふたりの息子に言うと、ツヴァイが怒った。


「あなた方は魔術師として呼ばれたのですよ!」


 なぜ手伝ってくれないのだ、ということらしい。

 ノルジスは、それまでできるだけ笑みを絶やすことなく過ごしていたが、このときばかりは気を遣っていた表情を無視した。


「あの声が聞こえないのなら、僕になにか言う前に、僕にこの事態の収拾のつけ方を見せてみろ」

「な……っ」

「ほら、聞こえないんだろう? なら、きみはさっさと、竜騎士としての役割を果たしなさい」


 暗に、行け、とツヴァイを促す。彼女は顔面を蒼白にしながら、しかし呆然としてもいられないので、さっと身を翻して緑竜を真っ直ぐ砦の内側へと降下させた。


「ノルジス……これはちょっと、ヤバいんじゃないの?」

「まあね。けれど、僕は傍観するよ」

「うーん……おれ、ちょっと手を貸したいなって、思ったけど」

「それなら、もう少し待ちなさい。今はその必要はないよ」

「そう? なら言うこと聞く」


 にこ、と笑んで、セヴンは頷く。レヴンも同じように微笑んで頷き、黒竜を操作して少し上空まで戻った。


「ベジ、悪いね。もう少しだけ飛んでいてもらうよ」


 高速移動させているが、一日中飛んでもらっていることに代わりはないので、黒竜もさすがに疲れている。休ませてやらなければ、黒竜も可哀想だ。それでも少しだけ我慢してもらうと、だいじょうぶだよ、とばかりにきゅるきゅると鳴いた。雌の黒竜は優しい。見ているだけでいいの、とまでノルジスに訊ねてくる。


「……本当は見ていたくないよ。でもね、必要なことだから」

「なにが必要だと思うの?」


 レヴンに問われて、そこで漸く、ノルジスは笑みを浮かべた。


「彼らにも感情はある」


 破壊衝動があるだけで、ほかの生きものとあまり代わりがない魔獣は、その力があまりにも強いから忌避されるが、だからといって感情がないわけではない。他の動物たちがそうであるように、嬉しいときや悲しいときがある。それを上回る破壊衝動が、彼らが駆逐すべき存在とさせているのだ。


「正々堂々と戦っていれば、この争いは起きなかっただろうね」

「……もしかして」


 レヴンがそれに気づいた。セヴンもそれに気づいた。息子たちは琥珀色の瞳を細めると、悲しそうに騎士団と戦っている魔獣たちを見やった。

 やはり僕たちは、人間より魔に近い存在だ。魔の感情が、これほどまでに、よく伝わってくる。


「僕は魔王……なんだね」

「ノルジス……」

「魔の気持ちがわかる。ここが、痛いくらい……」


 ぎゅっと、胸元を握る。

 魔獣たちの感情が流れてくるようで、痛くて仕方なかった。それでも、魔獣たちを助けることができない。彼らの破壊衝動を、奪うこともできない。魔獣の破壊衝動は本能にも近しい。やめさせることなど、できるわけがなかった。


 魔王だからなんだというのだ。魔のためにできることなんか、なにもない。ただ魔の感情がわかるだけで、痛みがわかるだけで、なにもできやしない。できることがあるとしたら、それはただ一つだ。


「このためだけに魔王という存在があるのなら……人間たちはひどく歪んだ目を持っていることに、なるよね」


 まあ、それでもいいけれど、と少し投げやりだ。仕方のないことだからではない。魔王だから、そう思うのだ。

 そう、ノルジスは魔王だ。人々が言うように、魔王という存在は自分だ。かつて人間であり、人間のように感情や理性があり、葛藤し矛盾する生きものだ。魔王は自分だ、と今なら思う。

 いや、こういう光景を見るたび、思ったことだ。


「魔王は悲しいね……ノルジス」

「うん、悲しいよ」

「人間はそれを、わかってくれないけどね」

「きみはわかるだろう、レヴン」

「セヴンもわかってるよ、ノルジス。おれたちは、ノルジスの息子だからね」


 優しく笑む息子たちに、親としてというより、一緒に生きるものとして、涙が出そうになった。


「きみたちは本当に、僕を甘やかすのが上手だね」

「そのためにおれたちがいるんだよ、ノルジス」


 息子たちがいてよかったと、わが子がいてよかったと、ホッとしながらノルジスは深呼吸し、笑みを取り戻すと黒竜の背をぽんぽんと撫でた。


「もういいよ、ベジ。お疲れさま」


 首を振り向かせた黒竜は、本当にいいの、と心配していた。だいじょうぶだよ、と声をかけると、黒竜はゆっくりと降下を始める。


「おれたちが行くよ、ノルジス」

「そうだね。けれどその前に、声をかけてもいいかな」

「騎士たちに姿を曝すことになる。忌み子だって、ノルジスが罵られるのはいやだよ」

「僕は魔を統べる王だよ、セヴン。相対したなら、声をかけるべきだろう? それが敬意というものだ」


 でも、と渋るセヴンに、だいじょうぶだから、と言って。


「竜騎士さん」


 砦の門で魔獣に剣を向け、多くの騎士に指示を出したり出されたりしているツヴァイの横に降りると、ツヴァイが騎乗している緑竜に下がるよう伝えた。


「ノルジスさまっ? ララファ、こら下がるな!」

「竜騎士さん、伝えてくれるかな」

「はっ、ノルジスさま?」

「僕らが行く。巻き込まれないよう、下がりなさい」

「な…っ…無茶です、ノルジスさま! ノルジスさまっ!」


 ツヴァイのほかにも緑竜に騎乗している竜騎士はいて、ノルジスとセヴン、レヴンが黒竜から降りると緑竜たちが視線を寄こした。ツヴァイの緑竜に伝えたように、下がるよう、言葉をかける。するとすぐにノルジスの存在を把握した竜たちは、あるじの竜騎士たちがいきなりのことに戸惑うのも無視して、全員が下がり始めた。


「なにが起きた!」

「竜たちが命令をきかない!」

「なにを恐れた、おまえたち!」


 竜騎士、そして騎士たちが、各々状況に混乱していたが、ノルジスが前に進み出ていくと魔獣たちもなにかを感じて少し下がったので、ほんの僅かだが静寂がその場を包んだ。


「レヴン、セヴン、おいで」


 生じた静寂、そして空間に、ノルジスは息子たちと躍り出る。

 持っている色を隠す目的のあった灰色の外套は、巻き起こった風で頭巾が払われ、ノルジスの黒髪と黒い双眸、レヴンの銀髪と琥珀の双眸、セヴンの金髪と琥珀の双眸を露わにした。


 誰かが息を呑んだ。


「忌み子……と、愛されし子?」


 誰かがそう言った。


「そう……この世界で、レヴンとセヴンは世界に愛されし子。魔王が存在するなら、聖王も存在する」


 嫌われる存在があるなら、愛される存在もある。その道理は確かにあって、レヴンもセヴンも、世界に愛される。

 息子たちに、そういう存在であれと願って、本当によかったと思う。ただ、当人たちは、そのことにあまり興味はないようだが。


「ノルジスだって、愛されし子なんだよ?」

「ノルジスは忌み子ではない。魔王、だからね」

「おれたちがふたりで聖王であるように、ね」


 セヴンが、レヴンが、にっこりと微笑んでノルジスの背を押してくれる。


「可愛い息子たちだ」


 ふふ、とノルジスも微笑むと、その慈愛に満ちた瞳で、動きを止めた魔獣たちを見つめた。


「疲れたね」


 そう、声をかけた。


「もう、休もうか。きみたちの声、僕は聞いたよ。聞こえたよ。とても……とても、悲しかったね」


 行こう、と魔獣たちを促す。

 もうここにはいられない、いてはいけないのだと、教える。


 ぐるる、と低い唸り声がした。


「僕たちの手を貸そうか?」


 べつの場所から、また低い唸り声がする。

 ノルジスは少し眉をひそめたが、小さく息を吐き出すと、仕方ないね、と肩の力を抜いた。


「レヴン、セヴン、頼んだよ。僕は力を出せないからね」


 もし、起き続けている今の状態でなければ、この手を魔獣たちに貸すことができたのだけれども、もしたとえ体力が充分にあったとしても、魔獣たちにとって一番の選択をさせてやることはできなかったと思う。


「だいじょうぶだよ、ノルジス。おれたちは、ノルジスの息子なんだから」

「心配しなくていいよ、ノルジス」


 今この場は、息子たちに任せるのがいい。いや、その選択をできる今の状態が、相応しいと言える。

 魔獣たちの苦しみを長引かせることはないのだから。


「おやすみ、いとしき魔よ」


 レヴンが、セヴンが、それぞれ力を解放する。ふたりの足許には光りの陣が浮かび、その陣は魔獣たちを取り囲むように増えていく。


 レヴンとセヴンの姿に騎士たちがざわめいた。魔術師だと気づいたのだろう。それも、ただの魔術師ではないと気づいたはずだ。魔獣の群れに、たったふたりで、しかも恐ろしい数の陣を敷いていくのだ。


 魔獣たちを完全に取り囲んだ陣は、一度その光りを弱め、だがレヴンとセヴンが一言詠唱すると、眩しい光りとなって拡散した。


「おやすみ」


 息子たちが発したもう一言で、拡散していた光りが一つに収束する。そうしてふっと光りが消えると、そこにはもう魔獣の姿など、欠片も残っていなかった。


「またいつか、どこかで逢おうね」


 魔の消滅は、欠片も残らない。彼らの消滅は、なにも残さないのが通例だ。血を流すこともない彼らは、戦いの痕跡だけ落として、姿を消す。その存在を、奪われるかのように。


「ノルジスさま!」

「……手を出すつもりはなかったんだけどね」


 再び訪れた静寂を割るように、ツヴァイが動かない緑竜から降りて、こちらに駆け寄ってきた。


「あまりにも声が悲惨だったから、つい、ね。申し訳ないことをした。きみたちの活躍の場を奪ってしまったね」

「そんなことはありません! すごい……力でした」

「僕はなにもしていない」

「そうかもしれませんが、魔獣たちはあなたの声を聞いていた……それに、セヴンどのとレヴンどのが」

「息子たちは、見てくれのとおり、世界に愛されし子だからね」

「本当に……?」

「ここでの嘘には意味がない」

「金と銀の双子……」

「中身はともかく、見てくれはそっくりだよ。気づかなかったの?」

「あ、いえ、そうかとは考えていたのですが……レヴンどのは学校の先生、セヴンどのは学生と聞いたので」


 この竜騎士は自分たちの言葉をきちんと理解していただろうか。

 何百年も生きていると、言ったのは、ノルジスだけがそうだからではない。ノルジスの息子たちも、同じくそれくらいの年月を経ている。たまたま今は学校に通わせていただけだし、数十年ごとに学校には通わせている。生きるのにお金は、学歴は必要なのだ。そのために、学校へはきちんと通わせていたのである。今回レヴンが学校の先生になっていたのは先に卒業していただけで、セヴンは時期をずらして学校に入学させていただけのこと、同じ顔でも兄弟であるならべつに双子だと言わなければ、歳の差などわからなくなる。そもそも双子でも、レヴンとセヴンの場合は外見だけがそうであって、中身は似てない。ノルジスへの愛だけは同じだが、それだけだ。


「僕は息子たちより二十五歳上ってだけで、この子たちも僕と同じくらい生きていることに変わりはないよ?」

「そ……そうでしたか」

「息子だって言ったでしょうが。それとも疑ってるの? まあ疑われても仕方ないけど。この見てくれの違いじゃあね」


 そういえばツヴァイは初め、ノルジスとセヴンの親子関係を疑っていた。セヴンが似てなくてよかったと言ったせいか、その疑いは持ち続けられていたらしい。


「似てない親子だから仕方ないけど、おれは間違いなくノルジスの子どもだよ?」

「おれも……生まれたときから一緒にいるからね」

「ああ、レヴンって無駄に記憶力いいよね。生まれた瞬間から記憶あるんだっけ?」

「うん。ノルジスが、ものすごく嬉しそうな顔してたの、憶えてるよ」

「うわぁ。おれもその顔憶えてたかったなぁ。ま、いろいろと見てきたから、その分は補ってるけど」


 間違いなく、親子である。むしろ、ノルジスとしては、本当に親子だろうか、とは疑えない。確かにこの子たちは生まれてきたのだ。わが子、として。そしてノルジス自身、息子たちが生まれたその瞬間に、父性を感じた。

 レヴンとセヴンは、間違いなくわが子である。


「その魔術師たちは親子関係にあるのか」


 ふと、どこからかそんな声が湧いてきて。


「まったく似ていないな」

「フェリ殿下!」


 声に振り向いたツヴァイが、慌てて膝を折り、騎士の礼をした。ツヴァイの敬礼を受けた人物は、どうやら、ノルジスたちをここまで呼んだ当人であるようだった。


「初めまして、トーエイの森に住まう魔術師どの?」


 空色の双眸が、肩より下まで伸ばした薄茶色の髪を風になびかせながら細められる。


「わたしはアルマ・フェリトワ・アルファンデス。フェリと呼ばれている。そう呼んでもらえるだろうか」


 外見はノルジスと同じくらい、つまりそれはレヴンやセヴンと同じくらいなわけだが、この目の前の王族は外見のままの年齢だろう。成人したか、まだ少し先か、それくらいだ。魔術師を統率していると聞いたが、そのわりには静かでおとなしそうな、読書でも好きそうな穏やかさがある。荒々しさなんて欠片もなく、王族というより貴族の子弟といったほうがしっくりくるのは、偉ぶっていない様子からだろうか。


「名前をお訊ねしても?」

「……どうして僕から目を反らさないかな」

「トーエイの森に住まう魔術師は、黒髪黒眼の忌み子でもあると、文献に残っている。あなた方の中で、その容姿を持つのはあなただけだが?」

「……そんな文献あるのかよ」


 その文献燃やしてこようか、と言ったのはノルジスではなく、セヴンとレヴンだった。


「レヴン、ちょっと行ってこようか」

「うん。とりあえずお城燃やせばいいかな?」

「それはやり過ぎ。ああでも、どこに文献があるかわかんないしね。まあいいか」


 不穏なやりとりを始めた息子たちを止めたのは、もちろん城に居をかまえるフェリトワだ。


「待て待て。文献は貴重なんだ。なにか気に喰わないところがあったなら、その部分だけ削除させよう。文献を燃やすのはやめてくれないか」


 城は燃やされてもいいのか。思わず突っ込みそうになったがやめておく。


「貴重だといいながら、文章は改竄してもいいの?」

「あなたの気分を害すものであることは確かだろう」

「僕はべつに、忌み子と呼ばれても気にはしないよ。僕の見てくれはこのとおり、忌み子だからね」

「だが、だからといってそう呼ばれて、嬉しいわけがない。もともと削除するつもりでいた部分だ。改竄など気にしないで欲しい」


 まるで人間の鏡だな、と思った。正義感が強いのか、それともただの偽善者なのか。

 微妙な王族だな、僅かに警戒を抱きつつ、ノルジスは身体の支えを息子たちに頼んで、トーエイの森からここまで来ることになった原因をしばらく眺めた。







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