13 : さよならまでの物語が始まった。2
フランシェドールから魔術を教えられたばかりの頃、ノルジスは人気のない森を見渡して、もう少し街に近い場所へ引っ越さないかとフランシェドールに提案した。もちろんフランシェドールは「なぜ」と訊いてきた。べつに不便はないだろうと。もちろん不便など、魔術があれば感じない。だが、どうしても食糧の調達には街へ出なければならず、またその食糧を手にするためにはお金が必要だった。
『あんたがどうやってそーゆーの調達してっか知んねーけど、さすがにおれもいつまでもタダ飯食うわけにゃあいかんし、一応こっちのことはだいたい憶えたから、街で働いてみてもいいだろ』
『われは人間が嫌いだ』
『……。おれも人間なんだけど?』
『おんしは別よ。われの後継だからな』
『はあ……いや、べつにいんだけどさ、おれ、男だし……ヒモって性に合わねぇんだわ。働いてその分は返してぇとか、思うわけよ』
気持ちというか、そういう性格であることを理解して欲しい、とフランシェドールに頼むと、では好きにしろと言われた。
引っ越しと言っても、森の奥から手前に移動するだけで充分だ。新しい街が作られようとしていたから、なにもかも新しく始めるのだというところに興味が湧いて、森からは出なくてもよかったのだ。
トーエイという名の森で、街が近い場所で、ノルジスは生活を始めた。
『たまには帰ってくるのだぞ』
『え? ドールも一緒に暮らそうよ』
『われは人間が嫌いだ』
足掻きのようにドールは「人間嫌い」を理由に街のそばで暮らすことを拒否し、森の奥に帰ってしまったが、べつにそれでもかまわなかった。帰るところはドールのところしかない。懐具合がよくなったらドールのところに帰ればいいのだ。それまでは自立した生活をし、この世界の情勢というものを把握しておこうとノルジスは考えた。
だから、トーエイの森の魔術師が生まれた。
最後は、魔力に怯えた人々によって、トーエイの森の魔術師はその存在を抹消されたけれども。
かまわなかった。
ノルジスはただ、この世界の情勢を知ることさえできれば、よかった。
『ドール、いる?』
努力して力を尽くしたのに、その力を忌み嫌われ恐れられて街を追い出されたその日、ノルジスはひどく身体が重かった。
『……なにがあったのだ、ノルジス』
青褪めたフランシェドールの顔を、今でも憶えている。よく笑い、よく怒り、よく感情を動かすひとであったけれども、フランシェドールのその顔を見たのは初めてだった。
『井戸に、毒を……入れられたみたいでね』
この頃から口調を改めていたノルジスは、身体のバランスを崩して倒れる寸前のところで、フランシェドールに抱きとめられた。
『……っ、やはりわれは人間が嫌いだ!』
『うーん、僕もちょっと、苦手になったなぁ』
『軽口を叩いておる場合か! 今少し待ちや。歩けるか?』
『ここまで歩いてくるので限界。もう、無理』
街の人間に殺されかけて、苦しみもがいて、ああこのまま死ぬのかな、と思いながら数日をフランシェドールの看護で永らえた。
『どの世界でも人間は怖いなぁ……』
つくづく、思った。
『開口一番がそれかえ……だから言うただろうに。われは人間が嫌いだ』
『ドール』
『なんだ』
『僕は人間じゃないの?』
『それも言うた。おんしは、われの後継だ』
『……ドールは人間じゃないの?』
『それも言うたな。われは、魔女だ』
フランシェドールは、自身を人間ではないと肯定した。ノルジスのことも、人間ではないと肯定した。
『魔女って、なに』
『魔に魅入られた者、という定義がある。だが違う。魔力を循環できる者だ。われはそう考えている』
『僕はなに?』
『おんしは魔王。魔を統べる王たる存在、魔女の良心』
わからない、と言えたらよかったのだけれども、すでにそのとき、ノルジスは己れの役割を理解していた。存在理由を知っていた。またそれを受け入れることに、異論はなかった。
フランシェドールの言葉に、そうかと、頷く。それしか言えなかった。
『ドールのほかに、魔女はいる?』
『昔はいた。今はわれひとりだ』
『ドールだけ?』
『多くは狩られ殺され、生き延びた者は滅びの道を選んだ。だからわれひとりとなった』
『ひとり……』
『おんしを呼んだは、われと同じ存在が、もはやこの世界にはおらぬからよ』
孤独だったフランシェドールは、けれども孤独を悲しんではいなかった。それが当たり前のように、自然に淘汰されていくように、言葉にした。
『なんで僕を呼んだ?』
『おんしに、われの力を継がせるためよ』
『なぜ?』
『われは、見届けねばならぬ。それが勇みし者との約束だからな』
『なにを約束したの』
『勇みし者は言うた。人間に絶望しても、僅かな希望を捨ててくれるなと。自分の言葉を理解できるわれならば、希望があるはずだと』
過去の約束を淡々と語るフランシェドールは、その紅い双眸に、なんの希望も抱いていないように見えた。
『われは、僅かな希望とやらを、見届けねばならぬ』
『そのために、僕が必要になった?』
『今はわからぬだろうが、そのうち、わかろうよ』
その顔を今でも憶えている。
淡く微笑んだフランシェドールが、本当に僅かな、とても小さな、希望を持った目をしていた。
『……ドール』
『ん?』
『僕との約束も、憶えているかい?』
『ああ……魔術と引き換えであったな。もはや完璧か?』
にっと笑ったフランシェドールに、ノルジスも微笑んだ。
『僕に家族をちょうだい』
手を伸ばすと、フランシェドールは優しく握ってくれた。
『おんしとの約束だからな』
『ああ。僕に家族を……僕より先にいなくならない家族を、ちょうだい』
魔王と呼ばれても仕方ない。魔王という存在はフランシェドールが願ったことだ。その願いを受け入れる、つまり魔王と呼ばれることを受け入れる代わりに、ノルジスもまたフランシェドールに願っていた。
そのために情勢を知り、世界を知り、街を知り、金銭の感覚を憶え、人間を観察した。
『しかし、酔狂なことよの』
『なにが?』
『われの後継となる代わりに、家族を寄こせとは』
苦笑するフランシェドールの手を引き、甲に口づけした。フランシェドールは擽ったそうにしていた。
『欲しいんだから仕方ない。僕はもう、置いていかれるのは御免なんだよ』
『われの存在……いや、もはやおんしもそうだが、忌み嫌われるとわかったであろうに、関係ないと言うか』
『家族さえいれば、なにがあっても、乗り越えられるものだよ』
『……そうか』
仕方ないの、と受け入れてくれたフランシェドールは、ノルジスの手の甲に、口づけの返礼をしてくれた。
それからしばらくして、銀と金の双子が生まれた。
世界に愛されし者の象徴を持ったわが子たちに、フランシェドールが一瞬だけ嫌そうな顔をしたのを憶えている。だが、愛され続ける存在だとノルジスが言うと、フランシェドールは笑って頷いてくれた。




