おれは宇宙人らしい :約5500文字
「あっ!」
おれは思わず声を上げた。そうだ……そうだ、思い出したぞ。むしろ、どうして今まで忘れていたのか不思議なくらいだ。
頭の奥で何かが弾け、封じ込められていた記憶が一気に浮かび上がってきた。いくつもの過去の光景や耳鳴りのような声がチカチカと瞬き、そして断片的だったそれらは急速に繋がり、輪郭を取り戻していった――そう、これはまさに……ビッグバン。
こうしてはいられない。
おれは部屋を飛び出し、駅へ向かって走った。
おれは――宇宙人だ。
この星には数年前に調査任務のために派遣された。
母星の名はハバカル。おれはそこで生まれ、幼少期から徹底的な訓練を叩き込まれた。数多の候補の中から選抜された、誇り高きエリート諜報員である。
この星の人間と完全に見分けがつかないよう、肉体は精密に改造されている。たとえ血液検査やDNA鑑定を行っても判別するのは不可能。骨格、内臓、体臭に至るまで完璧な擬態だ。
記憶を失っていたのは、おそらく催眠処置の影響だろう。人間社会に違和感なく溶け込むための措置だ。おかげで潜入はうまくいっている。これまで何一つとして問題なく、誰からも疑われることもなかった。
しかし、今“目覚めた”。それはつまり――時が来たということだ。
吊り革を握る腕が震え、おれはもう片方の手でそれを押さえつけた。
乗り換えを繰り返し、目的の駅に到着した。
見知らぬ住宅街を歩き、通行人に道を尋ねた。何度か道を間違えながらも、ようやく目的のアパートにたどり着いた。
古びた二階建てアパートの一階。表札と部屋番号を確認し、おれはインターホンを押した。数秒後、間延びした声がドアの向こうから返ってきた。
「はい……うおっ」
「同胞よ……」
ドアが開き、そいつが出てきた瞬間、おれは熱く抱擁した。
「ペペロペクリスティンヌ……いや、ここでは『立花』と呼んだほうがいいな」
「お、おお……」
目の前にいる男――立花は、おれと同じくこの惑星に派遣された同胞である。つい先ほどその事実を思い出し、こうして訪ねてきたのだ。
しかし、よく考えればこいつが記憶を取り戻している保証はない。おれとしたことが少々軽率な行動だったかもしれない。
だがこの反応を見る限り、どうやら杞憂だったようだ。
立花もまた記憶を取り戻しているらしい。となると、やはり何かしらの作戦が動き出したと考えるのが自然だ。その点も含め、じっくり話し合う必要がある。
「どうしたんだよ、急に」
立花は笑みを浮かべ、おどけた口調で言った。久々の再会がうれしいのだろう。
「ああ、立ち話もなんだ。上がらせてもらうぞ」
「いや、それは――」
「あなたー? 新聞屋さんだったー?」
「えっ」
おれは思わずぎょっとした。廊下の奥から女の声が聞こえてきたのだ。
おそらく立花の女だろう。だが、それ自体は別に驚くことではない。現地の女と交際するのは、潜入に当たって非常に有効な手段だ。情報収集の効率も上がるし、社会的な立場も安定し、周囲から疑われにくくなる。だが――。
「い、今、『あなた』って言ってたよな……?」
おれは震える声で言った。
「まさか、結婚までしたのか……?」
「ああ……」
立花は静かに頷いた。おれはよろめき、そのまま一歩後ずさった。
なんてことだ。地球人の女など、我々ハバカル星人の美的感覚からすれば到底受け入れられるものではない。ピロット星のナメクジの糞以下だ。
ここまで考えないようにしていたが、かつて関係を持った地球人の女のことを思い出すと、吐き気が込み上げてくる。ああ、記憶を封じられていたのも納得だ。本来の価値観を維持したまま任務に就いていたら、数週間と持たずに発狂していただろう。
「て、手とか繋いだりするのか……?」
動揺のあまり、間の抜けた質問が口をついて出た。
立花は暗い顔で頷くと、ちらりと背後を振り返った。それからさりげなく横へずれ、室内が見えないよう身体で塞いだ。どうやらこいつもあまりこの件には触れてほしくないようだ。
だが、よく考えれば立派なものだ。任務のためとはいえ、そこまで己を犠牲にできるとは。あっぱれなハバニカル精神である。ヤルソーラ!
もっとも、それは記憶を失っていた期間中の出来事なのかもしれない。だとすれば、こいつにとっても凄まじい衝撃だっただろう。事故に遭ったどころか、墓の中に埋められたような気分だったに違いない。
「ま、まあ、あれだ……。すごいな」
「あ、ああ。ありがとう。それで――」
「ぱぱー! まだー?」
「えっ」
おれは完全に言葉を失った。廊下の奥から今度は子供の声が響いてきたのだ。
「お、おい立花……。今、『パパ』って……まさか、お前のことじゃないよな?」
おそるおそる訊ねると、立花は「いや、まあ」と口をもごもごさせて答えた。
これは正気の沙汰じゃない。本部を人権侵害で訴えるべきではないか――一瞬、そんな考えすら頭をよぎった。
我々ハバカル星人の感覚で言えば、地球の女とまぐわうなど、ヤギと交尾するに等しい。確かに、捕獲した地球人の精巣を移植され、生殖機能が付与されている。だが、だからといって子供まで作るとは……。地球の子供など、悪魔猿と呼ぶにふさわしい存在だというのに。
それをこいつは……。いったいどれほど従属精神に満ちた男なのだ。
ポルポタヤム! おれは胸の前で指を組み、ハバカル国の紋章を形作った。
いや、それとも、それも記憶を失っていた期間中の出来事なのか。だとしたら、間違いなくこいつはこの星で最も不運な男だ。
「ちょっと……近くの公園で話そうか。おーい、ちょっとそこの公園まで行ってくるよ!」
立花は廊下の奥へ向かって声を張ると、素早くドアを閉めた。
おれたちは並んで歩き出し、近くの公園へ向かった。出てきたときよりも日が傾いている。遠くで犬が吠え、自転車のブレーキ音が短くなった。静かな休日の午後だ。
会話はない。空気が少しひんやりしてきたのは、気のせいだろうか。
公園に着くと、立花は「ちょっと電話する」と言って離れていった。おれは少しほっとした。ベンチに腰を下ろすと、自然と深いため息が漏れた。木製のベンチはやや塗装が剥げており、ざらついていた。時計が一つあり、午後三時を少し過ぎていた。
やがて立花が戻ってきた。隣に腰を下ろしたところで、おれは口を開いた。
「その……大変だったな」
歩きながら、なんて言葉をかければいいか考え続けていたが、結局何も浮かばなかった。おれがやつの立場なら、いっそ殺してくれと願っていたところだ。
立花は短く笑った。それは枯れかけた花が風に揺れる音のような頼りない響きだった。
「そっちはどうしてた?」
立花が訊ねた。
「どうしてたも何も、今までどおりだ。さっき記憶が戻ったばかりなんだ。お前はいつ戻ったんだ?」
「あー……ああ、まあ、結構前かな」
「そうか……。しかし、よく耐えられるな。結婚なんて。まあ、途中で投げ出すわけにもいかないか」
「ああ、そうなんだよ。でも……意外と悪くない、かな……」
「悪くない……? お前、正気か?」
考えてもみれば、任務とはいえ現地人とまぐわい、あまつさえ娶るなどハバカル星人の純潔精神に反する行為だ。
こいつ、まさか精神までこの星の人間に染まりきってしまったのではないだろうな。
おれはぐっと立花を睨みつけた。すると立花はびくっと肩を揺らし、引きつった笑みを浮かべた。
「任務を、祖国のことを忘れたわけじゃないよな?」
おれは声を低くして訊ねた。
「あ、ああ。もちろんだ……」
「ならいい。……いや、すまん。うまくやっているようだしな」
「ああ、まあ……」
おれは小さく息を吐き、空を見上げた。雲が内側から焼かれているように、赤く黒く滲んでいた。
目を細めて見ていると、ふいにバイヴォーダンの夜の記憶が蘇った。あれは訓練時代の中でも特に過酷な任務だった。傷も消されているが、意識すると皮膚の下で鈍く疼いた。
あ。そういえばたしか、立花も一緒だったはずだ。
そう思い出し、視線を落として立花を見ると、おれはふっと笑った。やつは首を小さく動かし、周囲をしきりに警戒していた。相変わらず心配性な男だ。
擬態は完璧だ。誰一人として我々の正体に気づく者はいない。それは立花自身――いや、やつのほうこそよくわかっているはずだ。
おれは立花の肩を軽く叩いた。すると立花は「――っ!」と声にならない音を漏らし、大きく体を跳ねさせた。
おれは思わず吹き出した。立花は照れくさそうに頭を掻き、視線を逸らした。
「……それで、お前はどう思う?」
おれは身を前に傾け、手を組んで立花を見上げた。
「記憶が戻ったということは、これから何かが始まるはずだ。本部から連絡は来ているのか?」
「い、いやー……特にはないな……」
「なんだ、そうか。お前が先に戻ったのなら、と思ったが……。だが近々、他の連中とも顔を合わせる必要がありそうだな」
「いや、それはどうかな……」
「なんだ? やけに乗り気じゃないな」
おれはぐっと上体を起こし、視線を鋭くした。
「愛国精神はどうした? まさか非国民に成り下がったわけではあるまいな」
「お、落ち着いてくれ。ほら、誰が見ているかわからないぞ」
「そんなの――いや、確かにそうだな」
おれは顎に手を当てた。
「一箇所に集まるのはリスクが高い。この星、この国にも監視機関は存在するはずだしな」
「そういうことだよ。今はまだ待機しておいたほうがいい。しばらくは……」
「ふん。潜伏せよ、か」
おれは腕を組み、背もたれに深く身を預けた。
「まあ、祖国の意向には従うがな。だが、いつまでこうしていればいいのか……」
「ずっと……じゃないか」
立花はぽつりと言った。
「少しずつ仲間を増やして、やがて大きな作戦行動に移る。ひょっとしたら、それは何世代も後の話かもしれない……」
「なんだお前、参謀気取りか?」
おれはせせら笑った。だが、その笑いの奥で背筋にうっすらとした寒気が走っていた。日が傾いたせいかもしれない。
風が吹き、公園の外の道路の落ち葉がさらわれていく。乾いた葉がアスファルトを擦る音がやけに耳に残った。冷えが胸の内側にまで入り込んでくる。
「何か……何か成さないと、だろ?」
おれは言った。なぜか声が震えていて、すぐに小さく咳払いした。
「おれたちは選ばれたエリートだぞ」
「ああ……でもさ」
立花がゆっくり顔を上げた。
「普通に生きる……それ自体が任務だろ?」
それでいいじゃないか――立花は前方をじっと見据えてそう言った。目を細めたその顔には、どこかあきらめたような、あるいは達観したような静けさが漂っていた。
おれはその表情が妙に癪に障った。
「ただ従うだけじゃない。本部のさらに奥にある意図を読み取り、最良の結果を出すのがエリートの責務だろう。この星は、それもこの国の政治体系は不完全すぎる。隙を突くのは簡単だ。例えば、まず宗教法人を買い取り――」
おれは身を乗り出して語った。語り続けた。
記憶を取り戻したおかげだろう。思考が以前よりも遥かに鮮明になっており、この国の盗り方がおれにはいくらでも浮かんだ。どれも現実的で効率的、確実性の高い手段だった。地球人は弱い。確かに群れは強力だが、その繋がりは意外と脆いものだ。分断は容易い。
話は尽きることがなく、永遠に語り続けられるのではないかと思えるほどだった。
立花はおれを見上げながら何度も頷き、時折「ああ……」や「そうだな」と相槌を打った。
しばらく喋り続けた。喉に渇きを覚えた頃、ようやく言葉が途切れた。
そのときだった。立花の目が大きく見開かれた。
どうやら、ようやく真の意味で目覚めたらしい――。
「ぱぱー!」
そう思った瞬間だった。
覚えのある声が背後で弾け、おれは振り返った。直後、影が一瞬だけおれの身体を覆い、そして視界に立花の背中が飛び込んできた。立花は素早く子供に駆け寄ると、そのまましゃがみ込んだ。まるで、おれの視界から子供の姿を隠そうとするかのように。
「あなた、どうしたの? お友達?」
「あ、ああ……」
女が立花に歩み寄った。立花は子供を抱き上げ、こちらを振り返った。
午後四時過ぎの斜陽が三人の輪郭を強く縁取っていた。その光が妙に眩しくて、おれは思わず目を細めた。
「……話はまた今度にしよう」
おれは立ち上がって立花のもとに歩み寄り、そう言った。立花は何か言おうと口を開いたが、おれは軽く手を上げて制した。それから「いいんだ」と、やつの肩へそっと手を置いた。
その瞬間、立花は何かに気づいたように「あっ」と小さく声を上げた。それからほっとしたように微笑み、「ああ……またな」と静かに言った。
四人で公園を出る。立花の妻は小さく頭を下げ、子供はおれに向かって無邪気に手を振った。
おれはぎこちなく会釈し、三人に背を向けて歩き出した。
「――さん。ここにいたの」
顔を上げたそのときだった。正面に二人の男が立っていた。
「ダメじゃない。勝手に外に出ちゃ」
「お友達のところに来ていたんだね。寂しかったの? でも、みんな待っているよ」
二人は自然な動きでおれの両脇に回り込み、そっと腕と肩に手を添えた。
「さあ、お家に帰ろうね」
この二人はおれが潜伏している施設の職員だ。監視の目があるが、慣れれば何ということはない。むしろ衣食住が保証されている分、拠点としては悪くない。
おれはわざと弱々しい笑みを浮かべ、「あい」と、か細い声で答えて小さく頷いた。これがおれの擬態術。無害な男を演じているのだ。
「次からは外出したいときはちゃんと言うんだよ」
「あい……」
「戻ったらお薬も忘れずに飲もうね」
「あい……」
風が吹き抜けた。
男たちが「冷えてきたね」「ねー」と言った。「大丈夫?」とおれを気遣う声が、なぜだか妙にこそばゆかった。
おれはふと後ろを振り返った。
遠くで三人が手を繋いで歩いていた。夕日がその影を長く地面へ伸ばしている。真ん中の小さな影は、左右の大きな影との差を埋めようとするみたいに、ぴょんぴょん跳ねていた。
おれは前へ向き直り、そのまま歩き続けた。
目の奥に、今見た光景が焼きついている。それはなぜか妙に熱を帯び、息づくように輝いていた。
おれは宇宙人だ――。
それだけは間違いない。




