【30】 過去③
〈カケル視点〉
(ちょっと……早く、着きすぎちゃったかな)
日中はだいぶ、暖かくなってきたものの。
夜はまだ、冬の冷気を残している街中を。
愛車のママチャリで、駆け抜けて。
アプリで指定されていた、駅前の待ち合わせ広場に、到着した僕は。
予定時刻まで、まだ余裕があることを確認して。
近場の自販機で、缶コーヒーを購入。
(キララちゃんは……無糖か微糖かわかんないから、ココアでいいか)
甘いものが嫌いな女子はいないだろうという、主観のもと。
ガシャコン。
ガシャコン。
自販機から取り出した缶を。
ひとつは、上着のポケットへ。
もうひとつは、プルタブを開けて……ズズズッ。
(うん。コーヒーはやっぱり、無糖が一番美味しいね)
ほっと一息。
冷えていた身体に、熱が宿る。
(たしか……あの事故に遭う前は、牛乳や砂糖を、たっぷり入れる派だったんだけどなあ)
昏睡から、目を覚まして。
久しぶりに、飲んでみると。
それらの添加物が、不要に感じられたのだ。
そりゃ、10年も寝たきりしてりゃあ。
味覚も、変わるってもんよ。
(でも、身体は勝手に成長しちゃってても、心の方は、高卒前で時間が止まってたんだから……そんな半人前が、慌てて社会に出たところで、失敗するのは、当然なんだよなあ……)
およそ10年ぶりに。
奇跡的に、昏睡状態から目を覚まして。
自分の置かれている現実を、思い知った僕が。
とにかく、いの一番に求めたのは。
社会への、復帰。
失われた時間の、穴埋めであった。
『大丈夫かい?』『無理は、しなくていいからね?』『何も焦る必要はないよ』『色んなことを少しずつ、進めていこう』『時間はまだある』『これからだ』『キミは素晴らしい行いをしたのだから、その報酬は、あって然るべきなんだ』『だからもっとゆっくり、しっかりと、休んだっていい』『あなたには、その権利がある』
なんて。
家族、親戚、友人。
お世話になった病院の先生や。
目を覚ました僕を、献身的に支えてくれた、嘉神乃原夫妻など。
色んな人が。
色んな角度から。
親身になって、親切な助言を、与えてくれていたのだけれど。
当時の僕は、それを真摯に、受け止めることができていなくて。
それよりも、一刻も早く。
失った時間を、埋めたくて。
焦って、いたのだ。
(馬鹿だよなあ……我ながら。気持ちばっかりが逸っていても、地に足がついてなきゃ、結果なんて、ついてこないのに)
昏睡状態に、なる前の僕が。
いつか自然と、そうなれると思っていた。
一人前の社会人ってやつを、目指して。
焦がれて。
囚われて。
自分の人生が、もう、終わっているだなんて……考えたく、なくて。
湧き上がる焦燥を、否定するために。
必死で、病院のリハビリを受けて。
ガムシャラに、必要な知識を詰め込んで。
周囲の静止を、振り切るようにして。
目を覚ましてから、一年半ほどで。
僕は病院を、後にしたのだ。
そのうえで、である。
散々と。
そうやって、周囲の意見を。
蔑ろに、していたくせに。
自分にとって、都合の良い条件……ルイスの持ち掛けてきた、彼の会社への『お誘い』には。
つまりは誰もが認める、上場企業という肩書きには。
ちゃっかりと、飛びつく形で。
誘われるままに、入社して。
2年と保たずに、失敗した。
(そりゃ、新気鋭の上場企業……しかも中枢の社員なんて、生え抜きの、エリートたちだもの。そんな中に、社会人経験のない、学歴もない、どころか知識だって付け焼き刃状態の半端者が、ホイホイと混ざりに行ったところで、成功するわけがないんだよ)
しかも、そのときの僕は。
いったい何を、勘違いしていたのか。
ルイスの会社に入れたのは、コネ以外の、何者でもないくせに。
周囲にそれを公言するのは、恥ずかしいと思っていて。
会社の関係者には『僕との関係は秘密にして欲しい』って、ルイスに頼み込んでいたんだ。
そんな僕という人間を……周囲の人が。
どのような目で、見ているのか。
深く、考えもせずに。
(当時の僕は、そんなこともわからない……気づくことすらできない……自分自身への理解が全く『足りていない』状態だったんだなって、今なら、痛いほどわかるよ)
客観的な、視点で見ると。
あの時の僕は。
みんなから尊敬されている、敏腕社長が。
破格の高待遇で直接雇用してきた、中途採用の新入社員。
およそ30歳という、働き盛りな年齢を見ても。
つまりそれだけ、有能な人物なのだろう、と。
値踏みされて、当然だ。
実際に、入社した直後は。
職場のみんなも、積極的に、僕に声をかけてきてくれていて。
これから一緒に、頑張ろうと。
素晴らしい仕事を、成功させようと。
期待して、くれていたんだ。
でも……すぐに。
薄っぺらい虚栄の皮は、剥がれ落ちてしまった。
まず第一に……仕事が、できない。
頑張ってはいるんだれど、とにかく、適性がないために。
どれだけ集中して。
必死こいて。
寝る間を惜しんで、確認しても。
細かいミスが、無くならずに。
散り積もって。
やがて他人の負担へと、なっていった。
そのうえ……人間が、できていない。
流石に悪人、とまでは。
思われていなかったと、思うけど。
でも社会人としての礼儀が、一般常識が、機微が。
致命的なまでに、欠けていた。
だから他人の本音と建前が、見抜けずに。
空気が読めなくて。
周囲に、馴染むことが。
最後まで、できなかった。
そして何よりも……自分のことが、理解できていない。
だから何をやっても、上手くいかなくて。
焦って、無理ばかりをする。
無茶をして。
無謀を重ねて。
それでも、結果が出せない。
空回りし続ける。
失敗ばかりが積み上がっていく。
そんなことを繰り返していれば……やがては、周囲から呆れられて。
諦められて。
孤立して。
1人で勝手に、追い込まれて。
当然のように、自滅した。
それが僕だ。
(あの頃は、ストレスでろくに眠れないし、ご飯は食べられないし、幻聴みたいなものまで聞こえてきたしで、ほんと、サイアクだったよなあ)
最終的には、出社しようとすると。
震えが止まらなくなって。
玄関から外に出られないまま、数日が過ぎていた。
事態がここに至ると。
流石に、情報が拡散して。
無様を知られるのが恥ずかしくて、当時は意図的に遠ざけていたルイスも、ようやく現場の状況を把握する。
それでも、自主退社ではなく。
あくまで、会社都合という形で。
会社から僕を、切り離してくれたのだ。
しかもたっぷりと、退職金まで用意して。
(……うん。自分の力量も弁えていない馬鹿野郎が、コネに縋って、見栄を張って、暴走して、周囲に迷惑をかけまくった挙句に、責任も取らずにお金だけ頂いて、トンズラとか、控え目に言ってクズの所業ですわ)
そんなこんなで。
働く場所と、理由と、意欲を失った僕は。
晴れて、完全無欠の無職と成り果てて。
使う暇のなかったお金と。
退職金に頼りながら。
半年ほど、無味無臭の生活を送っていた。
そんなときに……偶然。
たまたま街中で、旧友のクロウと再会して。
何度か連絡をとったのちに、まだ僕たちが高校生だった頃に熱中していた、MTGに触れて。
当時の僕が、感じていた。
純粋な喜びを。
無邪気な楽しさを。
生きている『熱』を、思い出すことができて。
少しだけ、前を向くことができた僕は。
恩返しをするつもりで、今度はクロウの経営する店に、転がり込むかたちで。
現在に、至っているのだった。
だからこそ。
(……もう、これ以上、間違えたくないし、僕のような失敗をする人間を、少しでも減らしたい)
従業員として、大事なお客様を、お店に繋ぎ止めること。
立派な建前ではあるが、本音でもない。
きっと僕の、本当の望みは。
色々と手遅れな、僕なんかと違って。
まだまだ先のある、キララちゃんに。
無意味な時間を、浪費させたくないってこと。
僕にはもう手の届かない、青春ってやつを。
あの子には少しでも長く、満喫してほしいんだ。
そのために、僕はここにいる。
うん、これが自分勝手な自己投影だと、理解はしていても。
結果として、誰かの為になるのなら。
間違った行動では、ないはずだ。
(それが本当に……僕にできるかなんて、わからないけど……)
一週間も、学校を休んでしまうほどに。
気落ちしてしまっている、中学生女子に対して。
カードゲームが趣味の、冴えない中年オジサンが。
果たして、どこまで気の利いたことを言えるのか。
甚だ、怪しいところではあるが。
少なくとも。
前職のような、資料と睨めっこする事務職よりも。
今のような、実際に人と対面する接客業のほうが。
適性としての手応えを感じている、僕としては。
そこまで不利な条件じゃない、と。
思っているんだけどね。
ともあれ。
(そろそろかな?)
慣れない状況に、不安を抱きつつも。
人に頼られて、高揚もしているのだろう。
次々と湧き上がる、とっ散らかった思考を。
コーヒーを啜りながら、整理していた僕が。
スマホで時間を確認しようとして……どんっ!
「セーンセ、どーしたんですかー? 冴えない顔が、なんかだかとっても、曇っちゃってますよー?」
背中に、衝撃。
からの。
「きゃはははっ! なんか、全身から陰キャのオーラ振り撒いちゃって、だっさーいっ♡ そこまでわかりやすくイジけてるなんて、そんなに、キララに構って欲しかったんですかー? かっわいそーっ♡ 中学生にすがるオジサンとか、まじ哀れーっ♡ ザコすぎーっ♡」
可愛らしい声音に反した、怒涛の連続罵倒爆撃である。
本来なら、こんなの。
イラついて。
ブチキレて。
然るべきなんだろうけれど。
「……ははっ。色々と、手痛いよ」
僕は、安堵すら覚えて。
「中年は、けっこう繊細なんだから、もっと丁寧に扱っておくれよ」
情けない本音を、漏らしつつ。
ゆっくりと、振り返ってみれば。
「……久しぶり、キララちゃん」
「えー? そうですかー? そんなに時間、経っていないと思いますけど……まあそれだけ、キララに逢いたかったんですねーっ♡ んもっー、しょうがないセンセーですねーっ♡ キララに口答えなんて、ナマイキですよっ♡」
最初から、メスガキ全開なキララちゃんが。
にやーっ、と。
挑発的な八重歯を、覗かせていたのだった。
戦争で不毛の地となったこの場所は、敗戦国が辿るであろう荒涼たる未来を、ありありと想起させる。
しかしそれでも、冬は明けて。
やがて雪解けが、訪れるのだ。
――アンダカン荒原――




