【22】 休日④
《弁明》今回作中で触れているADHDに対する認識は、あくまで作者の実体験に基づいた個人の感想であり、他者にこの認識を布教しようという意図はありません。正式な医学的見解との差異が見受けられる場合は、ご容赦ください。
〈カケル視点〉
専門用語で言うところの、ADHD。
日本語では『注意欠如・多動症』と呼ばれる。
この精神疾患は。
名前にすると、大仰で。
何か、重大な病気なんじゃないかって。
知らない人は、思うかもしれないけれど。
実のところ。
人間であれば、誰しもがある程度は身に覚えのある行動の、振れ幅が。
脳の構造的に、より顕著に。
表れてしまう症状のことで。
専門の医療機関に罹れば、普通に生活している人間でも半分ほどが『軽度のADHD傾向』ぐらいの診断を、下されてしまうのだという。
実際、職種や生活様式によっては。
生涯それに気づかない人も、いるって聞くし。
ADHDだからって。
なにか特別な治療を、受診したり。
ましてや、隔離されたりすることなんて。
ほぼほぼない。
個性の延長と言われれば、それまでだ。
だから、医療機関でADHDの認定を受けたからといって。
実際の生活に、悪影響がないのなら。
必要以上にそれを、重く受け止める必要はないものだ……と。
まあ、その程度の心持ちで。
僕自身が抱えている、問題だった。
そして、先のアリスの発言は。
遠回しにそれを、指摘するものである。
(ちょっと迂遠で、わかりづらかったけど……アリスなら、そうするか)
いくら本人が、すでに過去を、呑み込んでいるとはいえ。
ADHDが、一因となって。
盛大にやらかしてしまった、僕の失敗談を。
知っている、アリスからすれば。
迂闊に触れづらい、話題なのだろう。
それでも、あえて触れてきたと言うことは。
僕の望む解答が、そこにあるということ、か。
(でも確かに、そういった点で見ても、僕とヒカルくんは、同じタイプの人間だ)
ひとつの事柄に対する、異常な集中力と。
それ以外に対する、極端な無関心ぶり。
まさにADHDの、代表的な特徴である。
となると。
ふむ。
(じゃあ仮に、僕とヒカルくんが、同系統の人間だとして……)
敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。
仮想敵に対する、突破口を。
真剣に、模索するのであれば。
同類である自分を、見つめ直してみることが。
手っ取り早いのかも知れない。
(……)
そして……
僕の抱える、ADHDの症状として。
真っ先に、思い浮かぶのは。
ADHDが抱える症状のなかでも、とくに代表的なものとして、挙げられやすい。
極端に『偏った集中力』だ。
これは、ざっくり説明すると。
自分が興味がある事柄には『驚異的な集中力を発揮する』一方で。
そうでないものには『集中力が持続しない』という。
人間であれば、ごく自然な反応でありつつも。
ADHD傾向の人間にとって、これは根本的な『改善が難しい』、非常に厄介な特性なのである。
なんというか。
もう努力とか、工夫とか、習慣とか。
そういった段階の、お話じゃなくて。
脳がそもそも『そのようにできていないため』に。
たとえどれだけ本人が強く、本心から。
改善を望んでいても。
結果が伴ってくれないという。
残酷な、構造的な問題なのだ。
わかりやすく、僕自身の例を挙げるなら。
僕は、過去に与えられた課題や、仕事において。
それが『自分が関心を寄せるもので、短時間のうちに集中して取り組む』作業であるならば、それなりに高い成果を発揮できいた一方で、そうではない『自分が関心を抱けないものを第三者からの指示で長時間取り組む』作業においては、どんなに集中していても、どこかで集中力を欠いてしまい、結果として小さなミスを、繰り返し続けていた。
そうして、何かを失敗して。
後になって、振り返ってみても。
何故、自分がそのとき『そんなことをしてしまったのか』かが、理解できない。
何が原因だったのか。
自分自身にすら、わからないのだ。
そんな状態で、どれだけ自分なりに。
必死になって、真面目に取り組んで。
真剣に、真っ当な努力を積み重ねても。
脳の構造的に、その『適正』がないのだから。
そうした行いは、ほとんどの場合が。
徒労に、終わってしまっていた。
それどころか、繰り返してしまう自分のミスから。
周囲の人たちに、多大な迷惑を、振り撒くことで。
やがて、自信を失って。
周囲からも信用を得られずに。
いつの間にか、組織から孤立してしまう。
これがADHD傾向の患者に、起きやすい。
典型的な、失敗例だろう。
(でも……それはあくまで、ADADの、側面の一部でしかない)
先んじて『適正』という、言葉を用いたように。
人間には、得手不得手があるものだし。
何事にも、向き不向きというものがある。
ADAH傾向の脳は、それがより顕著に、出てしまうだけのことであり。
科学において。
見方を変えれば。
性質が裏返ることがあるように。
視点を変えれば、世界が変わることもある。
そして前提となる認識が変われば、自ずと。
問題への『正しい』対応も、見えてくるものだ。
(以前の僕は、自分自身のことがわかっていなかったがために、いろんな人に、迷惑ばかりをかけて、けっきょく最後は逃げ出しちゃったけど……今はもう、自分の長所と欠点が、はっきりとわかっている)
僕のような人間の『強み』を活かすなら。
脳の構造として、修正することが難しい短所を、埋めるよりも。
突き抜けた長所を、伸ばしてやる方が。
効果的で、効率的だ。
仕事でも。
趣味でも。
遊戯でも。
その方針は、変わらない。
であるならば。
(ああ……なるほどね。それで『深さ』か)
アリスが最初に漏らした、『深さ』とは。
深度。
練度。
純度。
どんな言葉で言い表しても、いいけれど。
何かひとつの物事に対して。
個人が捧げた時間とか、熱量とか、努力とか。
そういったものを、ひっくるめた。
言葉なのだろう。
そして……ADHD傾向の人間とは。
会社や工場などで、長時間に渡って拘束される、マルチタスクが必要となるような分野の作業には。
悲しいほど、適性がない一方で。
短時間で、高い創造力や発想力が求められる分野に。
自分の興味や趣向が、上手く重なれば。
凄まじい集中力を発揮して。
良い結果を出すことが、実例として証明されている。
天才発明家である、トーマス・エジソンや。
音楽の父である、モーツアルトなどが。
その最たる例じゃないかな。
ともあれ。
まあ、そんな歴史的な偉人には、及ぶべくもないけれど。
僕やヒカルくんにとってのMTGとは、間違いなく後者。
自分の適性を遺憾なく発揮である、最高の舞台である。
そして、アリスの分析を信じるならば。
此度の敗因は、デッキの相性や、小手先のプレイングなんかじゃなくて。
もっと、それ以前の問題。
関心《MTG》に対する、集中力の深さなのでないか。
そういう、推測だった。
(……たしかに僕はこのところ、MTGに、集中しきれていなかったな)
言い換えるならば。
己《ADHD》の強みを、活かしきれていなかった。
だから負けた。
なるほど、簡単な話だ。
(だとすれば、改善案としては……)
一年ほど前の、僕のように。
MTGのことだけに、朝から晩まで。
没頭し続けていれば、いいのだろうけれど。
(……現実的に、それは難しいよね)
僕はもう、32歳。
まごうことなき、中年のオジサンだ。
世間一般の感覚であれば、僕くらいの年齢の人間は。
就職して、結婚して、家庭を持って。
家を建てて、仕事と子育てに邁進することで、社会の歯車を回していく。
そういう立場である。
でも、現実として。
今の僕は。
友人が経営している個人店に雇われた、時間労働者で。
独身で。
童貞で。
もちろん所帯や恋人など、持ってはおらず。
趣味として熱中しているのは、現時点で何の収益性もない、海外産のカードゲームだ。
客観的にも。
主観的にも。
これは酷い。
社会という構造に全く必要のない、不具合品である。
そんな僕が、ここ最近は。
何かと幸運な巡り合わせに、恵まれて。
思いを寄せる人とか、趣味を活かせる職場とか、気の合う友人とか、自分の能力を評価してくれる人たちに、出会うことができたのだ。
たしかにMTGで負けたことは、悔しい。
自分の価値を、否定された気分だ。
とはいえ、だ。
じゃあその何の役にも立たない矜持を、守るために。
せっかくに手に入れた、その他の大事なものたちを。
蔑ろにしてしまう行為とは。
果たして、人としてどうなのか。
本当に、正しい選択なのか。
少し前までは。
何も持たないがゆえに。
失うことを恐れなかった、僕だけど。
ふと気づけば、大事なものを、いくつも抱え込んでしまっている今の僕は。
手に入れたそれらを、手放すことを。
簡単に、決断できなかった。
(ああ……これが、今の僕と、ヒカルくんの、差か)
なるほど。
ストンと、腑に落ちた。
敗北の原因が、脳に染み渡る。
「……うん、よく、わかったよ。というか、さすがアリスだね。たったあれだけのやり取りの中に、僕の知りたいことが、全部詰まってた」
「……恐縮、です」
随分と、長い間。
思考に沈んでいた僕を。
無言で、待ち続けてくれていた少女は。
肩の荷が降りたような僕の微笑みに、ふるふると。
絹糸の金髪を、波打つように。
左右に揺らした。
「……むしろ、また、身の程を弁えない発言で、カケルさんの気分を、害してしまいました。……ごめんなさい」
「い、いやいやそんなことないよ!? アリスの指摘は、ごもっともだし、すごく納得もいったからさ! むしろ僕のことを、僕以上に理解しているんじゃないかって、ちょっと怖くなったくらいだよ!」
「……それは、その通りですので」
「あれ、真顔で返された!?」
ここは『そんなことないですよ』って、苦笑いするとこじゃないの?
なに、その自信に満ちたドヤ顔は?
小さいのに大きい胸まで、張っちゃって!
可愛いなあ、もうっ!
なんて。
(やっぱり……僕はこういう『今の日常』を、手放したくないなあ)
きっとヒカルくんは、今頃。
月末の大会へ向けて、デッキの最終調整に、取り掛かっている頃だろう。
一方で、つい先日。
彼に敗北したばかりの僕は。
MTGから離れて、こうしてふた周りも年下の少女に、甘やかされている。
そりゃ、負けるべくして負けるわ。
僕が逆の立場なら、そんな腑抜け野郎を相手にして、絶対に負ける気がしないもの。
(……このへんが、潮時ってヤツなのかなあ)
いいじゃない。
ちょっと人よりも、遠回ししちゃったけど。
魅力的な異性と、交際して。
彼女と交際すれば、今の職場は。
クビになっちゃうだろうけど。
むしろ、これを機に。
時間労働者ではなく、福利厚生がちゃんと整った、正規社員の仕事に転職して。
できればそのまま、幸せな家庭まで築いちゃったりして。
僕みたいな、失敗ばかりの人間でも。
人並みの、幸せを掴んだって。
いいじゃないの。
「……」
そんな、夢の妥協というか。
理想と現実への、折り合いというか。
この世界に生きる、ほとんどの人間が。
人生のどこかで、向き合うであろう。
人生における、重要な選択を。
「……辞め、ますか?」
値踏みするように。
確かめるように。
咎めるように。
「あ、アリス?」
「……もう……諦めて、しまいますか?」
いつの間にか、深く染まった。
底の見えない、湖面の瞳で。
深淵から、美しい少女が。
じっ……と。
覗き込んでくる。
「……」
その、問いかけに。
僕はやっぱり、即答できない。
わかっている。
頭では何が『正解』かなんて、わかりきっているのに。
心の奥で……チリチリ、と。
未だに、燻っている熾火が。
それを口にすることを、この後に及んで、躊躇わせているのだ。
「……大丈夫、ですよ」
そんな、僕の『間違った選択』を。
むしろ、肯定するかのように。
「……たとえ、カケルさんが、どんな答えを選ぼうとも……私は……私だけは、ずっと、必ず、絶対に、カケルさんがそれを、望む限りは……応援を、し続けますから」
「……」
どうして。
この子はここまで、献身的なのか。
社会的な地位もない。
異性としての魅力もない。
血縁者ですらない、こんな僕に。
環境にも、魅力にも、才能にも恵まれた少女が。
健気な想いを、尽くしてくれる理由。
そんなもの、決まっている。
「……だって……それが……それくらいしか……私には、カケルさんにできる、恩返しなんて――」
「――はい、ストップだよアリス。そこまでだ」
ああ、くそっ。
ちょっと、不安にさせ過ぎちゃったな。
不甲斐ない、僕を前にして。
徐々に加熱していたアリスの言葉を、強引に堰き止める。
「だから、それはもう言わない約束だし……少なくとも僕はそんなこと、アリスに、望んじゃいないからね?」
「……でも」
「はいはいはい、この話はこれでお終いっ! アリス、ためになる意見をどうもありがとうね!」
「……」
無理やりな、僕の打ち切りに。
アリスは納得いっていないみたいだけど。
生産性のない、過去の悔恨なんて。
それこそ時間の無駄だからね。
(というかそもそも、本来アリスには、こんな時間なんて、必要ないんだ)
アリスという、稀有な人間の。
青春という、貴重な時間を。
僕のような、人生に失敗した中年なんかのために。
こうして、浪費させるだなんて。
許されることではない。
アリスのような『真っ当な人間』は。
僕のような『間違った人間』に。
深く、関わるべきでは。
ないのだ。
「……」
そんな僕の拒絶に……むんっ、と。
やや、口先を尖らせたアリスが。
「……カケルさん。私は――」
色素の薄い唇から、何かの言葉を。
吐き出し切る前に……
「――ゴルらあああゲロカスクソ野郎おおおおッ! お嬢様に対して、舐めた口を効いてんじゃねえぞおおおおおッ!」
……バンッ!
三度、扉が乱暴に開け放たれて。
懲りない狂犬が、乱入してきた。
「――柳生っ!」
「……っ!」
しかし、今度は。
先ほどよりも、不機嫌なアリスから放たれる、凍てついた絶対零度の視線を。
容赦なく突きつけられて……
「……はっ、はうううっ♡♡♡」
ゾクゾクゾクッ、と。
アキラさんは、恍惚の表情を浮かべて、全身を震わせていた。
うん、普通に気持ちが悪い。
「……ハウス、ですっ!」
「わんわんっ! きゃいんきゃいんっ♡」
そして、とても満足そうに鳴きながら、退出していった。
あの人、一体何しに来たんだろう?
もう本格的に、手遅れなのかもしれないね。
あとで通報しとこ。
「ん、んん……まあ、アレだね」
三度、気を取り直して。
あの発情駄犬が、また乱入してくる前に。
さっさと話を、まとめてしまおう。
「アリスのおかげで改善点は見えてきたから、あとはまあ、できるだけのことを、やってみるさ」
「……」
「ん? アリス?」
「……でも……カケルさんは、来週の大会で成績を残さないと、家に、顔を出して、くださらないのですよね?」
おっと、その話題をまだ覚えていたか。
上手く誤魔化せたと、思っていたのに。
「……そのためには……黒瀬くんに、勝つ必要が、ありますよね?」
「まあ、大会で当たったら、そういうことになるよねえ」
とは、言いつつも。
不思議と僕は、この時点で。
あの銀弾デッキを使いこなすヒカルくんが、負ける姿を、想像できなかった。
つまり、僕が大会で好成績を残すためには。
きっとどこかでぶち当たるヒカルくんに、勝つことが。
必要条件となってくる。
「……勝て、ますか?」
「勝つよ。勝つさ。というか、やる前から負けるカードゲーマーなんて、この世にいないからね」
「……」
そんな僕の、薄っぺらい虚勢なんて。
やっぱり、見透かしているのだろう。
聡過ぎる少女が、再び。
口を開く前に……
「……じゃあそろそろ、時間が勿体無いし、次の曲を入れちゃおうか! アリスだって夕方前には、戻らないといけないんでしょ!? だったらこれ以上、時間は無駄にできないよ!」
僕は……ピピピッ!
有無を言わさずに、リモコンを操作。
自動停止してした機械を、再起動させることで。
個室の中を、騒々しい音楽で。
埋め尽くすのだった。
⚫︎
そんなこんなで。
色々と気分転換ができた、休日を過ごして。
たまたま連休だった、翌日の日曜日は。
ヒカルくんとの、対戦や。
アリスとの、会話から。
接種することができた、刺激や発想を、起爆剤として。
丸一日ほどかけて、いくつか新しいデッキを、組んでみて。
ようやく週明けの、月曜日である。
(本当は、昨日作ったデッキを、常連さんたちとぶん回したいんだけどなあ……)
残念ながら、本日は。
ワガママなメスガキ様が。
ご来店される、ご予定だ。
(……キララちゃんを、無視は、できないよなあ)
この辺りの、優柔不断が。
アリスやヒカルくんの、指摘する。
僕が弱くなっている、理由なんだろうけれど。
でも、ひとりの人間としては、間違っているとは思えないし……
(……はてさて、どうしたもんかなあ)
答えの出ない、問題に。
頭を悩ませるものの。
(ま、しゃーない。なるようになるか)
なんて、たかを括っていた。
僕の思惑とは、裏腹に。
その日……放課後になっても。
キララちゃんがお店に現れることは、なかった。
頭蓋をくり抜いて、内側を覗き込んでみても、そこに答えがあるとは限らない。
だからと言って、それをしない理由にも、なり得ない。
――邪教団式療法―ー
⚫︎
〈報告〉明日から基本の投稿時間を、夕方に移動させます。一日に連投する場合は朝か昼となり、夕方の投稿が当日の最後となる予定なので、よろしくお願いします。




