【19】 休日①
〈???視点〉
少女にとって、その『人物』は。
いつだって『そこ』にいるのが、ただ『当たり前』の人間だった。
少女が物心がついた時から。
おおよそ、半月に一度ほど。
たとえ、どんな忙しい用事が、家族の予定に組み込まれていたとしても。
一ヶ月に、最低一度は。
両親は、彼のもとへ。
顔を出すことを、欠したことはなく。
別に、そうした習慣を。
強要されていた訳ではないが。
ただ、なんとなく。
親を真似したがる、子どもの本能で。
両親の行動に、付き従う少女もまた。
自然と、その人物と過ごす時間が、増えていったのである。
そして、あるとき。
ふと、疑問に思う。
『……マム。どうして、このひとは、いつもねているのですか?』
大人なのに。
少女がいつ、顔を見せても。
その人物は、横たわった寝台から、起きあがろうとはしてくれない。
何度となく、母親や少女が声をかけても。
ついぞ、その人物からの応答が。
あった試しはない。
『……?』
ただ、眠っている。
いつも、眠っているように見える。
少なくとも少女がこの部屋を訪れるようになった『3年間』ほどは、その人物はずっとずっと、夢の世界の住人であった。
『……アリス。きっとね、この人は、迷っているのよ』
『……ヘム?』
父親譲りの、滑らかな闊達で。
疑問を呈する聡い少女に、母親は苦笑。
『……でしたら、いつか……このヒトは、めを、さますのでしょうか?』
『……ええ、そうね。そうでないと、いけないわ』
慣れた手つきで。
寝台横の机に置かれた、花瓶の中身を、入れ替えながら。
祈るようにして。
自分自身に、言い聞かせるように。
呟く母親の姿は、少女にとって、とても印象的だった。
(……きっと、このヒトは、マムにとって、タイセツなヒトなんですね)
大事な、家族にとっての。
大事な、人間であるのなら。
きっと自分にとっても、大事な人なのだろうと。
幼い自我に、情報を刻み込んだ。
だとすれば……
『……このヒトも、アリスが、まもってあげないと、いけませんね』
大きく膨らんだ、母親の腹部を見つめながら。
じきに姉となる少女は、自然と芽生え始めた責任感を、口にする。
『ええ……そうね。是非、そうしてあげてちょうだいな。だって、アリスも、この子たちも、この人がいなければきっと、この世界に、生まれてきてくれなかったんですから』
無邪気な輝きに、目を細めて。
母親は、少女が生涯、忘れることのできない言葉を口にした。
『だってこの人は……アリスと、ママの、命の恩人なんですもの』
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〈カケル視点〉
「んあああああ……」
ゴロゴロゴロゴロ、と。
敷きっぱなしの、寝具の上で。
身悶えて。
「んおおおおお……」
ジタバタ、と。
水中でもないのに、足をバタつかせるという。
なんの生産性もない、無意味な行動を。
目を覚ましてから、すでに小一時間ほども、繰り返している。
「ぬっ……ふうう……うううううんっ!」
本日は、土曜日。
MTGの週末大会があった、翌日である。
基本的に僕は、週末大会に参加するために。
金曜日の夕方と、その次の土曜日までは、固定でシフト休みを入れさせてもらっている。
その代わり、それ以外の平日は、ほぼほぼ限界出勤だけど。
まあ、それはいい。
とある事情から。
さほどお金に、困っていないけれど。
それは、僕が稼いだお金というわけではないし。
お金なんて、あればあるだけいいものだ。
何よりもそうすることで、一応は『恩人』枠でもある店長に、報いることができるのだから。
そうした生活に、不満はない。
だから、僕がこうして朝っぱらから。
朝食も取らずに、寝台で身悶えし続けている理由とは……
『……やっぱり、夢尾さん。弱くなって、いますよ』
昨日、いちカードゲーマーとして。
無様が過ぎる敗北を喫してしまった、黒単デッキの使い手……ヒカルくんから。
突きつけられた、宣告が。
軽い、悪夢となって。
頭の中を、グルグルと。
駆け回っているからだ。
「んギギギぎい……っ!」
最終的には、海老反り状態で。
喉元に血管が浮かぶほど、歯を食いしばりながら。
敗北の味を、噛み締める。
(くやじい……けど、否定、できないッ! 確かに昨日の僕は、お粗末が、過ぎたッ!)
いや、そうじゃない。
それだけじゃない。
昨日より、もっともっと、以前から。
きっと僕は、慢心して。
油断して。
停滞していた。
現状維持に、満足して。
前に進み続けることを、怠っていたのだ。
そんなの、一心不乱に僕の背中を狙い続けていた少年に追いつかれて、当然である。
(いったい、いつからだ!? いつから僕はこんなに、不甲斐なく、なっちゃったんだ!?)
自覚して。
自問すると。
すぐに、答えは出てしまう。
(アミ、さん……ッ!)
一度は、何も無くなった。
空っぽな、僕に。
もう一度、熱を灯してくれた『MTG』を。
本気で目指すと、心に決めてから
すでに一年近くもの間、邁進してきたつもりだけど。
いつの間にか、そんな僕の周りには。
幾つもの光が、灯っていた。
それは、アミさんだけじゃない。
こんな僕に、未だに良くしてくれるアリスの家族とか。
僕をお店に雇ってくれた、旧友とか。
気心知れた、ヲタク堂の常連客たちとか。
それこそ直近では、生意気だけど可愛げのある、自称生徒のメスガキ様とか。
そういった、眩くて暖かな灯火が。
暗闇の中、歩き続けてきた僕の行手を。
遮って。
惑わしているのだ。
(いや……そんなの全部、言い訳だな。結局は、僕自身の、自分を御せない未熟さが、原因だ……っ!)
ぶっちゃけ、今日のお休みだって。
建前としては、週末大会のあとで。
お店の常連客で、友人でもある、カードゲーマーたちと。
場所を変えてもう少しデッキを回したり、談笑したり、羽目を外したりと。
そういう場合を想定しての、予定調整ではあるのだけど。
それ以外に。
ここ、数ヶ月ほどは。
アミさんが、土日を頻繁に休み続けていることも。
ひとつの要因としては、否めない。
だってお店に行っても、あの笑顔に、逢えないだなんて。
寂しくて。
心が、凍えてしまうじゃないか……
(……ってえ! そんな腑抜けたこと考えてるから、内心で見下していた中学生に、ボコられるんでしょうがあっ!)
そうだ。
僕は、なんやかんやと言いながら。
そんな自分を、棚に上げて。
無意識のうちに。
2回りも年下で、カード資産も碌になく。
変な拘りで、黒単デッキばかりを使う、MTGの経験で勝るヒカルくんのことを。
一方的に、見下していたのだ。
「ふッぐうううううッッッ!」
なんなら、幼馴染ーズから、一目置かれて。
キララちゃんからは、先生扱いまでされて。
浮かれて、いたのだ……ッ!
「んゴオオオおおおッ!」
一体、何様だというのだ?
ちょっと、年上扱いされたぐらいで。
年下相手にイキリ散らかしている、三十路オーバーの、中年カードゲーマーごときが。
有頂天に、なっていただなんて……
(……そんなの、イタ過ぎるだろおおおおおおッ!?)
人生経験の浅はかさが、露呈している。
恥ずかしい。
死にたい。
穴があったら、入りたい……っ!
「んふううううッ! ん、んんんん〜ッッッ!」
でも、僕に。
それを実行する度胸なんて、ないから。
穴に、全身を埋める代わりに。
枕に、顔面を埋めて。
ジタバタ。
ドタバタ。
年甲斐もなく、身悶えること。
さらに、30分ほど……
「……ん。外出よ」
ようやく、今の僕に必要なのは。
終わらない、自己嫌悪などではなく。
気分転換であることに、気がついたので。
再び気持ちが、負の大渦に呑み込まれる前に。
身支度をして、外出してしまおうと。
やっとこさ寝台から、身を起こす。
と。
ヴヴヴヴヴッ……
ちょうど、そのタイミングを。
見計らっていたかのように。
スマホに、着信があった。
「……?」
誰だろ、と思う反面で。
同時に予感がある。
だってこんなときに、いつも。
都合よく、奇跡的なタイミングで。
声をかけてきてくれる、有り難すぎる存在に。
心当たりが、あったからだ。
「……」
すぐに、スマホを開いて。
国民的な通話アプリを起動せると……
【中学生に負けちゃう、ざこざこセンセ♡】
【今日はお店に来ないんですか〜?】
「キミじゃないよっ!?」
思わず叫んでしまった。
その声に反応したかのように……ピコピコンッ。
さらに、こちらを煽り散らかすような。
憎たらしい、メスガキチックなスタンプが、連投される。
「……ッ!」
しかし僕は、大人だからね。
こんなことで、キレたりなんかしないんだ。
「……ふう。【ごめんだけど、今日は用事があるからね。お店に顔を出す予定はないんだ(笑) 本当にごめんよ。(>人<;)】っと」
よし、完璧なお断りメッセージだ。
ちゃんとした、若い子向けの神対応で。
失礼なメスガキを、軽くいなしてやるぜ。
すると……ピコンッ。
【はいはい、おじさん構文おつおつ〜♡】
【嘘つかなくても、いいですからっ♡】
【どうせヒマでしょ?】
「……」
ブルブル、と。
怒りで、スマホを握る手が震えた。
「はあああっ!? ヒマして、ないんだが!? ちょうど今から、出かけるつもりだったんだが!? あとおじさん構文じゃないしっ!」
え?
だ、大丈夫だよね?
アリスに今まで一度もそんなこと言われたことなかったから気にしてなかっけど、そんなこと、ないよね……っ!?
ピコン、ピコン、ピコン。
【今なら、キララちゃんが遊んであげますけどお〜?】
【明日は用事があって、ムリですからね〜?】
【今すぐ来るべしっ♡】
メスガキの煽りが止まらない。
いや、用事がないのは図星なんだけど。
今さら『……じゃあ行きます』とか、流石に、情けなさすぎる。
「ふ、ふふ……【そうか、それは残念だね。月曜日にお店で待ってるよ】っと」
出会った初日に、当前のようにして。
登録をさせられた、通信アプリ如きで。
こんなにも、心を乱されるとは、思わなかった。
それに、キララちゃん。
今回だけじゃなくて。
わりと、ちょくちょく。
MTGに関係ない、本当にどうでもいいメッセージとか、送ってくるんだよね。
既読無視すると、反応するまでスタンプ連打してくるし。
今どきの中学生って、こういうものなの?
アリスともちゃっかりアドレス交換しているらしいから、今度、聞いてみようかな?
(っていうか、そう考えるとアリスは、連絡は用事がある時だけだし、返信も急かしたりしないから、相手をしていてすごく気が楽なんだな〜)
急用でもない限り。
一日二日の既読スルーも、普通に許してくれる。
そのうえで、向こうからの返信は。
メチャクチャに早いんだよね。
スマホの前で、いつも正座待機してるんじゃないかって、くらいに。
「……ん?」
ともあれ。
そんなお断りメッセージを入れてから。
今度は少しだけ、間を置いて。
ピコン、と。
なんか妙に、哀愁をくすぐるスタンプが、送られてきたあとで。
【月曜日、絶対ですよっ!】
何故か僕が、叱られているようだが。
どうやら、お誘いのキャンセルを。
了承いただけだようだ。
(……ごめんね。今日はちょっと、MTGに、触れたい気分じゃないんだよ)
MTGという共通の話題を、介さなければ。
僕のような中年オジサンと、現役中学生との接点など、見当たらない。
よってわざわざ、休日に待ち合わせたとしても。
会話を続けられる、自信がないのだ。
例外があるとすれば……
ピコンッ。
「ん? キララちゃん、まだ文句を言い足りなかったのかな?」
再度、メッセージの着信があって。
アプリを確認すると……
「……」
今度こそ、それは。
予感していた人物からの、連絡だった。
「……ん、よし」
内容に目を通してから、すぐに返信。
十数分には、家を出て。
駅前にある繁華街へと、向かったのだった。
この森は静かすぎる。
リスたちの賑わいが必要だ。
――ラノエルドの隠遁者――




