【13】 週末大会③
〈カケル視点〉
「……」
「あ、アリス? いつからそこに……?」
「……」
「……? アリス?」
「……」
「もしもーし? アリスさんやーい?」
「……」
うん、ダメだこりゃ。
ヲタク堂の遊戯空間に、整然としながらも。
所狭しと並べられた、いくつもの長机。
それを使用する遊戯者のために添えられた、折り畳み式の椅子に座る、僕の背後に。
月下の影じみて、気配はなく。
しかし月光を浴びて、美しく。
密かに輝く、雪月花のように。
無言で佇む、金髪青瞳の四半混血美少女……アリスは。
どうやらとても、ご立腹らしい。
「……」
アリスはもとより、感情が表情に出にくい体質であるために。
基本設定となる、凍てついた美貌が。
無機質な西洋人形じみている、などと。
彼女をよく知らない人たちからは、度々に言われてきたそうだけれど。
少し、変化が乏しいだけで。
ちゃんと、その内側には。
人間らしい感情が、渦巻いていることなど。
付き合いの長い僕などは、ちゃんと理解しているし。
なんなら、彼女の鉄面防壁が緩んでいるときは。
心情を汲み取ることだって、できるくらいだ。
「……」
そして、今まさに。
一見して、澄んだ湖面のような。
それでいて、底の見えない、深淵のような。
昏く凪いだ、蒼い瞳には。
沸々と。
不満や憤懣といった、負の感情が。
湧き上がっているように、見受けられた。
(……あっ)
遅れて僕も、原因に思い至る。
(そういえば今日、アリスのお出迎え、してあげてないや)
必ずそうしましょう、と。
約束している訳では、ないのだけれど。
でも、多忙な習い事の合間を縫って。
毎週こうして週末大会には顔を出してくれている、可愛い妹分を。
来店時には、出迎えて上げることが。
僕たちの、暗黙の習慣になっていた。
また、それを知っている常連客たちも。
アリスの来店が近い時間になると、それとなく。
出迎えを、促してくれていたものである。
だけど……
(……今日は、キララちゃんとデッキを回してたから、すっかり忘れちゃってたよ)
僕自身も、余計な考え事していたしね。
完全に失念していたなあ……。
「……」
ともあれ、だ。
アリスのお怒りの理由はわかった。
その程度で?
とか。
いやいや、自意識過剰では?
とか。
いやこんな超絶美少女が、オマエみたいな中年カードゲーマー風情に、そこまで興味を抱く訳ねーから!
なんて。
この状況だけを見て、僕の推測を聞けば。
そんな意見を抱く人が、大半だろうけど。
残念ながらこれ、事実なんだよねえ。
「ごめんね、アリス。お出迎え、忘れちゃってて」
「……いいです。……べつに、気にしていませんから」
「ごめんごめん。僕が悪かったよ。以後、気をつけますから。今回は許しておくれよ、ねっ?」
「……」
兎にも角にも、平謝り。
からの、絹糸のような質感の金髪を。
なでなで。
「……」
「ねえ、ホント、ごめんってば。お願いだから、機嫌直しておくれよ〜」
普段は、たとえせがまれても。
気恥ずかしさから、以前のような気安さで。
簡単にできなくなった、こうした親愛表現を。
公衆の目がある場所で、行うことで。
「……ん」
飼い主の興味を惹けて満足した、ワンちゃんのように。
渦巻いていたアリスの不満が、徐々に。
沈静化していくのだった。
一方で。
(……ホント、こうして懐いてくれていること自体は、とっても有り難いんだけど、いい加減にこういう幼い言動は、卒業してもらわないとなあ)
もし僕が、冗談で。
同衾や入浴なんかを、誘ったりすれば。
現時点で中学二年生であるアリスは、ホイホイと。
なんら警戒心を抱くことなく、従ってしまうだろうという、嫌な確信がある。
というか。
僕からそれを、誘わずとも。
彼女の方からそうした行いを、せがまれることがあるのだ。
しかも、わりと最近のハナシで。
(本当の、肉親レベルで僕を信頼してくれているからこその、言動だって、わかっちゃいるんだけど……)
アリスは現役の、中学二年生。
しかも超絶美少女だ。
対する僕は、冴えない中年のオジサン。
しかもこの歳で正社員ですらない、独身アルバイターで。
趣味は金の足しにはならない、カードゲーム。
もちろん未婚者で、ついでに童貞。
数え役満である。
これだけ、人としての負債を背負っていれば。
たとえどれだけ、僕たちの間に。
確固たる信頼関係が、構築されていたとしても。
そこに、血縁的な繋がりがない以上は。
僕たちの事情を知らない他人の瞳に、その遣り取りが、どのように映ってしまうのか……
互いに、理解したうえで。
慎重に、行動するべきだ。
少なくともそれが、アリスのためである。
(本当なら、大人である僕の方からもっと、強めに、突き放さないといけないんだろうけど……)
今まさに、目の前で。
「……っ♡」
完全に気を許してくれている、ワンコのように。
大人しく、気持ちよさそうに撫で繰り回され続ける、可愛い妹分を。
自分から、遠ざけるような真似は。
なかなかに、難しい。
(というかアリス、これ、いつまで続けさせる気? もうとっくに、機嫌は治って……っ!? って、ダメだ! 撫でるのをやめようとすると、すぐ不機嫌になる!? いや、流石にいい加減、気恥ずかしいんだけど!?)
アリスは全く、気にしていないようだけど。
いい加減、周囲からの視線が、痛すぎる。
そりゃ、こんな中年オジが、金髪美少女を延々と愛で続けていたら、何事かと思うよねえ!?
……って、おいそこ!
スマホを仕舞いたまえっ!
写メを撮ろうとするんじゃないよっ!
「……って、イヤイヤイヤ! いい加減、撫ですぎですよーっ!?」
そんな空気を、ぶち壊してくれたのは。
良くも悪くも、空気を無視できる特攻能力を有した、メスガキ様であった。
正直、有り難いでござる……っ!
「えっ!? このご時世に、いまさら撫でポとか、いったい何周遅れのコテコテを晒してくれんですかーっ!?」
「だ、だよねえ!? はい、じゃあこれでおしまいっ! アリスももう、許してくれたよねっ!?」
「……べつに……もともと、怒ってなど、いませんが?」
「ですよねえっ!」
「っていうか、センセ!? なんなんですか、その子おーっ!?」
僕の言葉に、被せるようにして。
アリスの登場に、度肝を抜かれていたキララちゃんは。機能停止状態から復旧するなり……キラキラっ!
パッチリお目目を、輝かせていた。
「いや、マジで、ドチャクソ可愛い過ぎるんですけど!? えっ、なにこれCGじゃなくて、リアル!? リアリーっ!? 存在が、信じらんないっ! ヤバいヤバい、顔の作りがカンペキ過ぎて、鳥肌立つんですけど!? 肌もキレイ過ぎるし、いやホントにマジで、実在する、人間さんなんですか!? むしろ妖精さんだって、言って欲しいレベルなんですけどーっ!?」
ペラペラと、喋る喋る。
長机の上に、身を乗り出して。
怒涛の勢いで、褒めちぎる。
(あっ……なんか、久々に見たな、こういう反応)
これまでに何度も、アリスを目にしている。
このお店の、常連客たちは。
流石にここまで露骨な反応を、見せることが、無くなったものの。
その、類稀な美しさから。
アリスを初見した人が、こういった反応を見せることは、珍しくない。
そして、不思議なことに。
感情が昂った他人を、目にすることで。
自然と、落ち着いてしまうのが。
人間という生き物である。
まさしく今の僕だ。
「まあまあ、キララちゃん。それくらいにして。アリスも、ビックリしちゃうから」
「……えっ、あっ、ご、ごめんなさい〜っ! キララったら、ちょっと、ビックリし過ぎちゃいました〜。えへへっ、ごめ〜んねっ♡」
平常心を取り戻した僕に、静止されて。
自分の醜態に気づいたキララちゃんが、てへぺろ。
すぐさまに、猫被り。
「……」
それを無表情のアリスが、無言で観察するという。
奇妙な静寂が生まれた。
やがて。
「……カケルさん」
ポツリ、と。
囁くような。
それでいて、不思議とよく響く。
透き通ったアリスの声音が、色素の薄い唇から、零れ落ちる。
「……こちらの、お方は。いったい、どなたですか?」
「ああ、この子はキララちゃん。ほら、この店によく通ってくれている、あの幼馴染み中学生たちの学校に、最近やってきた転校生らしくってさ。あの子たちの勧めで、ちょうど今週の頭から、僭越だけど僕がMTGの指南役をさせてもらってるんだよ」
「西垣キララでえ〜すっ♡ よろしくねっ♡」
「……嘉神乃原アリス、です。はじめまして」
「それでそれで!? 嘉神乃原さん……アリスちゃん……いやもうアリリって、呼んじゃっていいかな? いいよねっ!?」
「……ご自由に」
「アリリって、センセの、何なの!? 歳の離れた兄妹や親戚……は、ちょっと、遺伝的に、絶対に無理っ! 生物的に有り得ないよね!?」
「はいコラ、キミはたった今、夢尾一族を敵に回したぞー? 法廷で覚悟しろよー?」
「じゃあ、一体何なのよ!? もしかしてセンセの、カノジョさんとか!?」
「……っ!」
無理筋過ぎる、大暴投に。
流れ弾をくらったアリスが、ピクリ。
珍しく、動揺している。
これはアカン。
「いやいや、何それ!? それこそ、有り得ないから! アリスのご実家とは……まあ、その、色々とあってね。ずっと前から、長いこと、家族ぐるみのお付き合いさせていただいているだけなんだっ!」
お年頃の女の子に、そういう色恋めいた話題を振るのは、蛮勇が過ぎる。
たとえ冗談でも、ここでアリスに拒絶されたら。
僕はガチ凹みする自信があったから。
慌てて、保険をかける。
「だからアリスは、僕にとって『妹』みたいなもんだよ。ねっ?」
そんな、繊細な想いをのせた。
中年オジサンからの応答に。
「……」
「……ん?」
何故か、アリスの反応が鈍い。
それどころか……じんわり、と。
再び不機嫌なオーラを、放ち始めている。
(……あ、そっか)
とはいえ、今度はすぐに。
修正点に気づくことができた。
「なんなら本当の『家族』みたいな存在だと言っても、過言ではないから!」
不自然にならない程度に、やんわりと。
前言を訂正すると。
「……」
納得して、くれたのか。
不穏な気配が、収まっていく。
やっぱりこれで、正解みたいだ。
(ん〜……しっかし、相変わらずアリスの合否判定が、わっかんないなあ。なんでいつも『妹』扱いはアウトで、『家族』ならギリセーフなんだろう?)
やはり、年頃の娘さんとしては。
子ども扱いされるのが、嫌なのだろうか。
かといって、大人に対するように。
丁寧に距離を置こうとすれば、それはそれで、不機嫌になっちゃうし。
このへんの塩梅が、とても難しい。
「いや、でもでも〜、こんな可愛い妹ちゃんがいたら、ロリコンのセンセなんて、絶対に――」
しかし、そんな大人の配慮を。
台無しに、するようにして。
人様の人間関係を茶化すことに、喜びを見出した、モラハラモンスターが。
一息つく間もなく、新たな爆弾を。
投下しようとしたところで……
「……お嬢」
物音ひとつ立てずに……ぬっ、と。
巨大な影が、忍び寄って。
僕たちの頭上から、重々しい声音を、漏らしたのだった。
「――っ!?」
身の丈が、二メートル近い。
文字通り、見上げるほどの巨体に。
言葉を詰まらせたキララちゃんは、表情を引き攣らせて、絶句。
無意識に、お口をパクパクしていた。
ふふっ、金魚みたい。
「……禿山」
一方で、本日も遮光眼鏡が似合い過ぎている。
禿頭が眩しい、巨漢の護衛役の名前を。
護衛対象であるアリスが、呟くと。
「受付を、完了しました」
荒々しい巨体に反した、丁寧な所作で。
差し出された、肉厚な大男の手のひらには。
週末大会の登録時に貰える、受付用紙が、摘まれていた。
「……ご苦労、です」
「いえ」
どうやらリアル海坊主こと、禿山さんは。
アリスに代わって、週末大会の。
受付申請を済ましてきたらしい。
ということは。
(この、測ったようなナイスタイミング……偶然じゃないっ!)
ちょっと、椅子の上で身体を逸らして。
海坊主さんの、巨体の後方。
入り口付近の会計カウンターで、本日も週末大会の受付をしてくれている、アミさんが。
こちらを見つめながら、ひらひら。
笑顔を浮かべて、手を降ってくれている。
(ああんっ……好っきいっっっ♡)
どうやらこの助け舟は、僕の窮地を見かねた彼女が、手配してくれたものらしい。
こんなの、ガチ惚れ不可避だろう。
しゅきい……っ♡
「へえ〜っ♡」
「……」
「……はっ!」
ふと、気づけば。
不覚にも、だらしなく鼻下を伸ばしてしまっていた、僕の横顔に。
少女たちの視線が、突き刺さっていた。
「あー、あー、へー、ほーん、なるほどなるほど〜っ♡」
ニヤニヤ、どころではなく。
ニチャニチャ、と。
玩具を発見した、雌猫のように。
机上に両肘をついて、組んだ両手の甲に、顎先をのせたメスガキが。
目を細め。
八重歯を覗かせて。
ツインテールを、揺らしながら。
嗜虐心に溢れた笑みを、浮かべている。
「……」
一方で、アリスの方は……すんっ。
精神的な防御力を、引き上げたのか。
長い睫毛に縁取られた、美しい青瞳から。
感情の波紋を、消してしまっていた。
自分の気持ちを察することができる相手に対して、失礼に、ならないようにと。
彼女はときどき、こういった配慮を見せてくるのだ。
つまりきっと、そうしなければならないほどに。
内心で、呆れ返っているのだろう。
くうっ……!
お兄ちゃんポジの、威厳があ……っ!
「えー? もしかして、センセって、えっ? そういうことなんですかーっ♡ うっわ、おっろかーっ♡ 身の程を弁えてなさすぎて、ウケるーっ♡」
「な、ナナナナ、ナンのコトかな……?」
「きゃはははっ♡ すっごい、こんなに目が泳ぎまくっている人、キララ、初めて見ちゃった〜♡ うぷぷ、ぶざま過ぎ〜っ♡ 写メ撮りたあ〜いっ♡」
「……ぐっ!」
捉えた獲物を弄ぶ、猫の尾のように。
メスガキのツインテールが、左右に。
揺れる揺れる。
思いっきり、両側に引っ張ってやりたい……っ!
(くっ……この流れは、マズい! 店長が嗅ぎつけてくる前に、なんとか、事態を収集――はっ!?)
ふと、闇の波動を感じれば。
遊戯空間から少し、離れた位置。
店舗の裏側に繋がる扉から、ぬるりと。
「……」
顔を半分だけ覗かせた魔王が、無言で。
歪な笑みを、浮かべていた。
(――いやああああっ!)
この店舗は、恋愛禁止。
破れば即刻解雇という、恐ろしい鉄の掟があることは、周知の事実。
仮に、その粛清対象となるのが。
時間労働者である、僕だけであるならまだしも。
万が一にも、こちらに秋波を送ってくれている、正社員のアミさんにまで及ぶ可能性など。
絶対に、避けなければならない。
(早く……あの魔王が、言質をとりにくる前に、なんとか、この話題をうやむやにしなくてはっ!)
何か、なにか策はないのか?
最悪このメスガキの口を、物理的に、塞がなくはならないのか?
犯罪の一歩手前となる、そんな最終手段まで。
本気で検討をし始めていた……
その時である。
「……っしゃーっ! ギリとうちゃーくっ!」
「ちょ、待ってよジュリア。こっちは部活終わりで、疲れてるんだからさあ……」
極限まで追い詰められた、僕の耳朶が。
店の入り口から、転がってきた。
少年少女たちの声を拾う。
「……おや、おやおやおやおや、いらっしゃーいっ! おつかれさま、ジュリアちゃんにリュウセイくん! ようこそご来店くださいましたっ!」
「うおっ!? どうしたんだよオニーサン!? 圧がすげえぞ!?」
「え? 今日はフライデーだから、夢尾さん、シフト上がってますよね? なんで接客?」
「まあまあまあ! 人生、そんな日もありますから!」
入り口から距離を置いた、遊戯空間から……ズカズカズカっ!
凄まじい勢いで、突撃して。
にこやかな笑みで、出迎える僕に。
ジュリアちゃんとリュウセイくんは、ドン引きだ。
でも、構わない。
「あははっ♡ 必死過ぎ〜っ♡ ぶっざまあ〜♡」
「……」
背中に突き刺さる、少女たちの視線を、ガン無視して。
週末大会の定刻まで、必死に。
時間を稼ぎ続けるのであった。
こぽこぽ、と。
水面に泡が、浮かんで、弾ける。
それが熟成された、魔力なのか。
ただただ腐敗した、血液なのか。
汚泥のような、水底に。
身を沈めなければ。
わからない。
……邪教徒が残した手記
――邪教の儀式――




