第09話:元婚約者の後悔、甘い誘惑
エリアーヌ・グミ製作所の正門に、見覚えのある、けれど今やひどく色褪せて見える馬車が止まった。
降りてきたのは、かつて私を断罪し、国外へと放り出した張本人――アルフレッド元婚約者である。
かつての尊大な輝きは失せ、着ている上着の袖口には心なしか綻びが見える。
「久しぶりだな、エリアーヌ。……いや、今はエリアーヌ殿と呼ぶべきか」
アルフレッドは無理に作った笑みを浮かべ、私に近づいてきた。
私は工場の帳簿を閉じる手を止め、冷ややかな視線を彼に向ける。
(……あ、これ、金の無心に来た元カレの目だわ。前世のドラマでもよく見た、一番関わっちゃいけないタイプのやつ)
「殿下、わざわざ何のご用かしら。ここはあいにく、贅を尽くした晩餐会も、ヒロインをエスコートする舞踏会もございませんのよ」
「皮肉はやめてくれ。……聞いたぞ。お前の作った『グミ』という菓子が隣国で爆発的に売れ、医療用の止血剤も軍部が買い占めているとな。……エリアーヌ、お前を追放したのは、私の本意ではなかったのだ」
「あら、あの広間で『国外追放を命ずる!』と喉を枯らして叫んでいたのは、どこのどなただったかしら」
私が鼻で笑うと、殿下は恥を忍んで身を乗り出してきた。
聞けば、あの後、リリアン嬢との贅沢三昧で国庫は底をつき、さらに彼女のワガママに愛想を尽かした貴族たちが次々と離反。今やこの国の財政は破綻寸前なのだという。
「エリアーヌ、お前の利権を我が国に戻せ。そうすれば、追放を取り消し、王太子妃の座も約束しよう。お前が作ったその……グミの独占販売権を私に譲るだけでいい」
(……絶句。この人、グミをただの集金道具としか思ってない。私の十五年の渇望と、ここ数ヶ月の血の滲むような試行錯誤を、たった一言で買おうっていうの?)
「お断りします。……それより殿下、新作のサンプルが出来たところですの。一ついかが?」
私は、並べてあった艶やかな輝きを放つグミの皿を差し出した。
そのグミは、今までのものとは一線を画す「美しさ」を持っていた。
「ほう、これはまた……。表面がキラキラと光っているな。まるで宝石のようだ。これまでのベタつく菓子とは違う」
殿下は一つ、大粒のグミを指でつまんだ。
驚いたことに、指には一切ベタつきが残らない。グミはさらさらとしていて、宝石のように鈍く光っている。
「殿下、それが私の最新の研究成果『光沢コーティング』ですわ」
(グミの表面に、蜜蝋や植物性のオイルを薄く纏わせる技術よ。これがなければ、グミ同士がくっついてただの巨大な塊になってしまうし、空気中の湿気を吸ってすぐに劣化してしまう。この薄い皮膜こそが、品質を守る鎧なのよ!)
「なるほど、見た目も美しい。これなら高く売れそうだ。……んぐっ!?」
殿下がグミを口に放り込み、勢いよく噛み締めた。
その瞬間、ガキッ、という鈍い音が響く。
「……あ、あがががが! あ、顎が……!? なんだこれ、石か!? 歯が折れるぞ!」
「失礼ね、それは『超ハード系・ドラゴンテイル味』よ。ロックリザードのゼラチンを限界まで濃縮した、私にしか噛みこなせない逸品ですわ」
涙目で顎を押さえる殿下を冷たく見下ろしながら、私は自分でも一粒、グミを噛み砕く。
表面のオイルが舌の上で滑らかに溶け、次にやってくるのは鋼のような弾力。
噛みしめるたびに、殿下の浅はかな言葉への怒りが浄化されていく。
「殿下、グミは『甘い誘惑』に見えて、実はとっても『硬い』のです。安易な気持ちで手を出すと、その顎を砕くことになりますわよ」
「ぐ、ぐぬぬ……。エリアーヌ、お前、ここまで強情な女だったとは……!」
「努力家と言ってくださる? もうお帰りください。私はこれから、世界中の澱粉と格闘しなければならないので忙しいのです」
私はロランに目配せをし、殿下を無理やり馬車へと押し戻させた。
去りゆく馬車を見送りながら、私は指先を眺める。
オイルコーティングされたグミは、少しも指を汚さない。
(グミを守る皮膜は、今の私自身のようね。他人の勝手な都合に振り回されない、強く美しいバリア。……さて、嫌な客も帰ったことだし、最後の仕上げに入りましょうか!)
私は工場の奥へと戻り、誰よりも高く、誰よりも硬い、夢の頂点を見つめた。
お読みいただき、ありがとうございました。
ブックマーク登録や評価欄☆☆☆☆☆から応援をいただけますと励みになります。




