第02話:魔物の煮込みと、抽出の化学
異世界の朝は早い。
宿屋の狭い厨房で、私は巨大な寸胴鍋と格闘していた。
追放初日に手に入れた豚の皮での実験は、それなりの成果を上げたけれど、満足にはほど遠い。
(……柔らかすぎる。これじゃあ、ただの『煮こごり』だわ。私が求めているのは、歯を押し返してくるような、あの暴力的なまでの弾力なのよ!)
私が求める「ハード系グミ」を作るには、より純度が高く、より凝固力の強いゼラチンが必要不可欠だ。
そこで私は、なけなしの金貨を握りしめ、村のハンターたちが集まる市場へと向かった。
「おじ様、その一番隅っこにある、カチカチに乾燥した不気味な皮。それを全部譲ってくださる?」
「あん? こいつは『岩殻大トカゲ(ロックリザード)』の皮だぞ。硬すぎてなめすこともできねえし、食えたもんじゃねえ。端切れを捨てるつもりだったんだが……」
「最高ですわ。それこそ私が求めていた『コラーゲンの塊』です!」
怪訝な顔をするハンターから、私は格安でその「ゴミ同然の皮」を買い叩いた。
普通の料理人なら見向きもしない部位。だが、これこそが至高のグミへの近道なのだ。
(いい? ゼラチンの正体は、動物の皮や骨、腱を構成するコラーゲンというタンパク質。ロックリザードみたいに、過酷な環境で体を支える魔物の皮には、それだけ強靭なコラーゲンが密集しているはずよ)
宿に戻った私は、さっそく岩のような皮を鍋に放り込み、魔石コンロの火を最大にした。
ぐつぐつと煮え立つ鍋。周囲には、魔物特有のなんとも言えない生臭い獣臭が立ち込める。
「うわっ、なんだこの臭いは! エリアーヌ様、本当に大丈夫なんですか?」
鼻をつまみながら様子を見に来たのは、宿の主人……ではなく、なぜか私についてきた元・騎士の護衛、ロランだ。
追放された私を不憫に思ったのか、あるいは単に暇なのか、彼は「グミ」という未知の単語に興味津々らしい。
「ロラン、下がっていなさい。これは科学の儀式よ。不純物を取り除き、純粋なタンパク質を抽出する神聖なプロセスなんだから」
「神聖な儀式にしては、ドブ川を煮込んだような臭いがしますが……」
「失礼ね。この臭みこそ、強力なゼラチンが溶け出している証拠よ。さあ、火力を上げて一気に……」
その時だ。私は、前世で読んだ「料理の科学」の記憶をふと思い出した。
勢いよく沸騰する鍋。踊るような泡。
しかし、私の脳内の警報が鳴り響く。
(待って。たしかゼラチンって、熱に弱かったんじゃなかったっけ……?)
慌てて火力を弱める。
だが、時すでに遅し。鍋の中の液体は、どこか濁り、嫌な予感がする質感を帯びていた。
「どうしたんですか、お嬢様。急に火を弱めて」
「……失敗したかもしれないわ」
「えっ、あんなに自信満々だったのに?」
「ロラン、よく聞きなさい。ゼラチンはね、非常にデリケートなタンパク質なの。高温で長時間沸騰させすぎると、せっかく溶け出したタンパク質の分子チェーンがズタズタに断裂してしまうのよ」
そう。これを「タンパク質の変性」と呼ぶ。
一度分子が壊れてしまったゼラチンは、冷やしてもお互いに手を繋ぎ合うことができず、網目構造を作れない。
つまり、どれだけ冷やしても「固まらないドロドロの液体」になってしまうのだ。
(なんてこと……! 強ければいいと思って火を強めすぎたわ。グミへの愛が空回りして、素材を殺してしまった!)
「お嬢様、顔が青いですよ。そんなにショックなら、もう一度買いに行けばいいじゃないですか」
「そんな余裕、我が家の家計簿にはありませんわ! ああ、私のロックリザードが……私の弾力が……!」
私は膝をつき、床を叩いて悔しがった。
悪役令嬢としてのプライドなんて、この時ばかりは雲散霧消していた。
目の前にあるのは、ただの「臭いスープ」に成り下がった元・最強のゼラチン候補。
(でも、諦めないわよ。努力家であることだけが、私の取り柄なんだから。今の失敗で学んだわ。温度管理こそがグミ作りの心臓部。摂氏八十度から九十度の間で、じっくりと、かつ粘り強く抽出する。それが正解なのね)
「ロラン、立ち止まっている暇はないわ。この失敗作をどうにかして浄化しつつ、次の抽出方法を組み立てるわよ!」
「えっ、まだやるんですか? もう夕食時ですよ?」
「夕食なんてグミができれば必要ありませんわ! さあ、火魔法の微調整の練習よ。一ミリ単位で火力をコントロールしなさい!」
「無茶言わないでくださいよ! 俺、剣士ですよ!?」
宿屋の厨房に、私の怒号とロランの悲鳴が響き渡る。
周囲から見れば、追放された令嬢が魔物の皮を煮込みながら騎士を怒鳴りつけるという、地獄のような光景だったに違いない。
けれど、私の心は燃えていた。
(タンパク質の構造、熱の伝導、不純物の沈殿……。すべてがパズルのピースのように組み合わさっていく。これよ、この感覚。世界にないものを作り出すこの高揚感!)
私は数時間かけて、失敗作の液体を濾過し、再び新しい素材で挑戦を始めた。
今度は、魔法で細かく温度を計りながら。
鍋の中の液体が、少しずつ、けれど確実に「清流のような透明度」を持って輝き始める。
「……見て、ロラン。これが純粋なゼラチンよ。不純物が一切ない、クリスタルのような輝き……」
「おお……。さっきのドブ川とは大違いだ。これ、本当に固まるんですか?」
「ええ。この液体の密度なら、きっとかつてない『跳ね返り』を見せてくれるはずよ」
私は、慎重に液体を小さな木型に流し込んだ。
これを井戸の水で一晩冷やせば、結果が出る。
(明日になれば、私は人類で初めて『魔物の弾力』を手にする。その一歩が、世界を揺るがすことになるなんて、今のロランはまだ知らないけれど……)
私は、冷えていく木型を愛おしそうに見つめながら、疲れ果てて椅子に沈み込んだ。
鼻につく獣臭も、今は最高の香水のように感じられた。
(待ってなさい、グミ。明日、私はあなたを噛みちぎってみせるわ!)
悪役令嬢の再起をかけた、真夜中の実験。
その成果は、朝日とともに明らかになる。
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