バレンタイン─天下分け目の大決戦─
今日は二月十四日。
すなわちXデー当日、有史以来最大の決戦である。関ヶ原だって目じゃないぜ。
決戦に向けて武器は用意した。
デパ地下で買ったちょっと高いやつ。
バレないように確実に決める為、他の装備は普段と変わらない状態。
標的の趣味嗜好や行動パターンは把握済み。
勝利は確実、後は狙いを定めてフィニッシュするだけ。
そう、フィニッシュする、だけ……。
意気揚々と視線を横に向けると、伝説の剣が刺さった標的の姿があった。
なんてこったい。
私は戦いに挑む前に負けていたらしい。
◆
「で?目の前で浅井がチョコ貰ってんの見て?用意した物も渡さずに、のこのこ逃げてきたわけだ。雑魚の負け犬じゃんお疲れ様」
「ゆらちゃんひどいよぉ。なぐさめてよぉ」
「私より先に私の机を占領するバカが悪い」
べしっ!と頭をはたかれた私は、のそのそと突っ伏していたゆらちゃんの机から体を起こす。
いや、朝から絡んだのは悪いと思うけど、失恋した乙女に雑すぎない?
「席にも着いてないのにダル絡みされる私の身にもなってくれる?」
「それはそうだけどぉ!キズついているのです私は。だからなぐさめて♡」
「今のあんたを簀巻きにして浅井の前に転がしてやろうか」
心の底からごめんなさい。
私の精一杯の猫撫で声にちょっとイラッとしたであろうゆらちゃんに、冷たい視線を向けられる。
あぶないあぶない、ゆらちゃんはやる時はやる女。このままだとホントに簀巻きにされる。
そして私は、幼馴染からただの変態女に格下げされて、しなしなの心がミキサーにかき混ぜられたみたいにグチャグチャになるのだろう。
「チョコ貰っただけで失恋確定とかじゃないでしょ。軟体生物みたいにぐでんぐでんになる前に、渡す物渡してきたら?」
幼馴染やめるくらいの覚悟を決めてきたんでしょ?
再びゆらちゃんの机でぺしょぺしょになっているのを哀れに思ったのか、私の頭を撫で回しながら、口元に笑みを浮かべてそう告げる。
やっぱりゆらちゃんはかっこいいなぁ、と親友を見上げる。
覚悟。
それは確かに決めてきたのだ。
男女の幼馴染なんて不確定な関係は、意外にも脆い。
疎遠になるのは一瞬だし、先に進めようとすると、これまでの関係が一気に大きな壁として立ちはだかる。
友達よりは近いけど、恋人よりは遙かに遠い。
家族のように気安い仲は、二人の間にどこか絶対的な距離をつくる。
まるで変わることなどないかのように。
そんなことないのに。
「チョコ、さあ。包んであったの」
「うん」
「傍目からでも分かるくらいの感じでさ、多分、私の用意した物の方がめちゃくちゃ綺麗に包んであると思う」
「結局、一緒に作ったのは日和って食べちゃったもんね」
「その節はありがとうごさいました」
「美味しかったから別に」
「それは良かった」
「だから、さ」
そう、だから。
好みの味を知っているのに、手作りらしいちょっといびつな形を渡した時の反応が怖くなって、結局逃げたのである。
きっと、チョコを渡したあの子も怖かったと思う。
好きな人がどれだけ立派な人であろうと、今日この日に、好きな人への想いを込めたチョコを渡すのは、怖い。
「逃げたんだよねぇ、渡す前も、渡そうとした時も」
負けたのは、今日じゃなくてもっと前。
むしろ勝負の土俵に上がらなかった時点で、私には戦いに挑む資格すらなかった。
今日はそれを思い知っただけ。
「じゃあ、どうする?何もせず諦めちゃう?」
「そうだねぇ。諦めちゃおうかなぁ……」
「私はいいよ。それでも」
「ぇ゙」
「浅井と付き合おうが諦めようが、私は日菜の友達だし」
「ゆらちゃん……」
「でもさ、無理でしょ。このままなの。日菜って、こういうもやもやを残したら余計に引きずるタイプでしょ」
そう言われると、何も言い返せなくなる。
しっかり悩んだ上で、今日チョコを渡してちゃんと告白をしようと決めたのだ。
ただの幼馴染には戻れなくなるのを覚悟した上で、告白をしようと決めたのだ。
結局、ゆっくりとその場から立ち去ったので、あの二人がどうなったのかは知らない。
つまり、まだ失恋したと決まったわけじゃない。
それにもし失恋するのなら、ちゃんと失恋したい。
「ゆらちゃん、私頑張るよ」
「ん。まあ、勝っても負けても、飛び込む胸くらいは空けといたげる」
◆
「ごめん、ちょっと待たせたな」
「連絡もらってたから大丈夫。ゆらちゃんとイチャイチャしてたし」
「相変わらずだな。やっぱり最強はゆらちゃんか」
「私の許可なくゆらちゃんと呼ぶのは許せぬ」
放課後、用事が出来たので少し遅れるとの連絡があった。
今朝のこともあるし、何の用事なのかは、まあ察せた。
もしも、彼女とお付き合いに発展していたら、こうして一緒に下校することもなくなるのだろう。
恋人に不義理を働くような奴ではないし。
少なくとも、幼馴染との約束を電話一本で反故にするような奴でもない。
だから帰り道を一緒に歩き出した時点で、断ったのだろうな、とはなんとなく分かった。
とはいえ、今の私には正直関係がない。
やった、とか、なんで、とか一瞬思ったけれど。
私は、私の恋に決着をつけに来たのだ。
「あの、さ……日菜、今日なんだけど」
「はい、これ」
夕暮れの中、二人の間に珍しく会話がなくなり周りから人の気配が薄れる頃。
鞄から用意したチョコを取り出して渡す。
「え?!あ、ありがとう!……って、日菜?」
一応、チョコ自体は毎年渡している物ではあるから、すんなりと受け取ってくれる。
でも、今日は。
いつも通り受け取ってもらっては困るのだ。
「これ、さ。ちょっと奮発したんだよね」
「お、おぉ……ありがとう!けど、無理しなくて良かったんだぞ。俺は日菜から貰えるだけで嬉しいんだから」
「毎年渡してるのにいつも、ありがとう、って言ってくれるところが好き」
「へ」
歩く速さをさりげなく合わせてくれるところが好き。
喋ってる時に目を合わせてくれるところが好き。
大事な話を茶化したりしないところが好き。
小さい頃、雷が怖かった時に一緒にいてくれたところが好き。
二人で作った変な作品をまだ持ってくれてるところが好き。
一度堰を切ってからは止まらなくて、他にもいっぱい、思いつく限りの好きを伝えた。
「あなたが、好き。……もう、幼馴染じゃ満足出来ない」
だから、私と、恋人になってください。
そう伝えて頭を下げる。
目線を合わせられない。
自分の顔が、耳まで赤くなっているのを感じる。
数秒、私の中では数分、時間が停まったみたいに無言が続いて。
幼馴染からの、思いがけない告白に驚いたにせよ、何も言わないのはおかしいな、と、ふと顔を上げると。
「……っ」
私よりも赤い顔を、その大きな手で覆った好きな人がいた。
「あの、好きなんだけど……一応、告白してるんだけど……大丈夫?」
「大丈夫、だし。ちょっとタンマ。急な告白で驚いたというか、嬉しいというか、先に告白されてちょっと悔しいところもあったりして、頭の中が混乱してるから、ホントに、ちょっと、タンマ」
驚いた。嬉しい。悔しい。……嬉しい?
「ね、それって都合よく考えてもいい?私の好きが伝わったって、受け入れてもらったって思っていい?」
思わず、一歩近づく。
仰け反る彼に、また一歩近づく。
「ちょっ、ホントに待って。落ち着くまで待って。これ以上俺に情けない姿を晒させないでくれ」
「?……全然情けなくなんかないよ、ちゃんと考えてくれてるところも好き」
また好きなところが増えてしまった。
「……分かってた、分かってたけど、流石に日菜が強すぎる。いや、これ俺が弱いのか?これが惚れた弱みか?」
「こたえ、聞いてもいい?」
赤くなった顔に、呟く言葉の端々に、思わず期待してしまう。
多分そう。だけど、ちゃんと言葉で聞きたい。
「……ホントは俺から告白したかったんだけど。まあ、日菜の好きが俺と一緒か分かんなくて、関係壊れるの怖くて、これまでもちょっと言えなかったけど」
まだ、二人とも顔は赤いままだけど。
お互いの瞳は、お互いだけを映してて。
「俺を、日菜の恋人にしてください」
思わず、目の前の恋人に抱きついた私は悪くないと思う。
◆
「結局、収まるところに収まったと」
翌日、学校で……ホントは当日電話したけど、ゆらちゃんにこの決戦の報告をした。
大勝利。そう、これは大勝利である。
勝ち目の薄い戦に挑み、勝利したのだ。
だというのに、ゆらちゃんはおめでとうと言ってはくれても、驚いてはくれないのである。
「むしろ勝ち目しかなかったでしょ。失恋だのなんだの、こいつ何言ってんだって思ってたし」
「そんな!?」
あんなにも私は一喜一憂してたというのに。
むしろこれは負け確だと思い、泣きそうになったまである。
恨めしい目でゆらちゃんを見る。
教えてくれれば良かったのに……。
「当事者にしか分からないようなものってあるでしょ?……あんだけ両想いっぽいのにうだうだしてるから、手放しには教えられないし」
「ゆらちゃん……!」
「それに、ああやって言った方があんたも本音を言えるでしょ?」
「ゆらちゃん……!!」
「予想通り両想いだったし、純粋な好意で浅井はさぞかしボコボコにされたでしょ。良かったわね。完全勝利、これから先もあんたは勝ち続けるわよ」
「ゆらちゃん……?」
恐怖である。一体ゆらちゃんには何が見えているのか。
というか、私はこれからも戦い続けることになるのか……何と?まあ、好都合だけど。
「それで?ハッピーエンド迎えたのにまだチョコ渡すの?」
「うん。手作りは渡せなくて食べちゃったって言ったら、すごく残念そうだったから」
ホントに残念そうだった。
たとえ形が悪かろうが、炭になっていようが欲しかったらしい。
私は激怒した。
確かに形はちょっといびつな物もあったが、流石に炭などは作らぬと。
つまり、挑戦状である。
かの邪智暴虐の恋人に私の実力を見せねばならぬと奮起した。
なので。
「またお時間を作ってはくださらぬか?ゆら殿」
「……仕方ないわね」
「ゆらちゃん!!!」
目の前の親友の胸に飛び込んだ私は悪くないと思う。




