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箱1 幾万回目の君


 夢を見る。夢を見る。夢を見る。


 …夢を、視ていた。


 目覚めと共に視ていた夢の内容が霧散していく。いや、夢を視ていたかどうかすら、最早曖昧である。思い出そうとするも、記憶そのものに霧がかって、そこへアクセスできないような、そんな感じ。


「おはよう、鎖月(さつき)


 少女が視ていたはずの記憶を呼び戻そうとした時、眼前に深緑色が満ちる。それは、深緑色の髪をした、端正な顔立ちの青年――(さく)であった。鎖月と呼ばれた少女は未だ夢と現実の区別が付いていないのか、寝ぼけ眼が半開きになってはいるものの、往生際悪く再び布団の中へと戻ろうとする。腰まであるであろう長い髪の毛を巻き込みながらも、声の掛けられた方に背を向けるようにして再び眠りに就こうとしたが、そうは問屋が卸さなかった。


「そろそろ起きねば朝食が冷めるぞ」


 ゆさゆさと布団にくるまった少女の体を、一見変わった古風な口調で語りかけつつも、優しく揺さぶる。鎖月は、むぅ、と一声唸ってはみたものの、起きなければならないことは一応理解しているため、ゆっくりとだがその体を起き上がらせ、やはりまだ寝ぼけている目で青年、朔の方に向き直る。


「おはよう、朔」


「おはよう、寝坊助のお姫様」


 そう言うと朔は鎖月の額に軽いキスをした。鎖月がそれに動じないということは、これが毎朝のルーティンになっているということの証だった。




 二階にある鎖月の部屋から一階のリビングに行くと、ふわりと朝食の良い匂いが漂ってきた。朔はいつも鎖月より早く起き、こうして毎日朝食を作ってくれている。いや、朝食だけでなく学校に持っていくお弁当や夜ご飯まで三食全て作ってくれている。


 そんな朔という青年は何者か?


 答えは鎖月の同居人であり、同時に家族であり、世界で一番愛している恋人である。十二歳の中学一年生の鎖月からしたら朔は推定で十以上も離れた大人であったが、二人の間にそのような年齢差など関係なかった。互いが互いを愛している。これ以上ないぐらいに。それでいいではないか。周りの人間が、この世界がどう思おうが関係ない。二人にとって世界は、自分達二人しか居ないようなものなのだから。


 だが朔とどのようにして出会い、惹かれ、恋人になったのかは実のところ鎖月ははっきりとは覚えていないのだ。朔曰く、自分達は運命で結ばれているのだから、出会いは必然であり、同時にこうして一緒に居るのは、当然のことであるとのことだった。全くもって具体的でない説明に首を傾げたこともあったが、今こうして最上の愛を囁いてくれる、与えてくれる朔の前に、そんな些末な疑問はどこかへと行ってしまった。


 とどのつまり、出会いも今日に至る経緯もよく分からないまま、鎖月と朔という二人は蜜月の日々を送っていた。それこそ、本当に世界に二人しかいないかの如く。無論、成人している朔が、未成年でそれも十代前半の鎖月と恋仲にあるのを、世間様としては容認できないことだろう。しかし、この物語において、それは重要ではないのだ。重要なのは、愛があるか否かなのだから。




「美味しいか?」


「美味しいよ、いつだって朔のご飯は美味しいよ」


 向かい合わせで席に着いた二人は食事を始めた。朔の作るご飯は栄養バランスや彩りを考えられて、バランス良く作られている。朝だからと言って手を抜かず、食卓に並べられたその料理を一目見ただけで食べて欲しい相手への愛情が伝わってくる。そして味も勿論とても美味しい。元々美味しい料理には違いないのだが、朔からの愛情という名の隠し味(隠せていないが)も上乗せされ、お腹も心も満たされる。先程まで眠いと駄々を捏ねていた鎖月も、朔のご飯を食べていく内にその美味しさと満足感から徐々に目が覚めてきた。


「そういえば今日、何か変な夢を視たような気がする」


 その言葉に同じく朝食を食べ進めていた朔の箸がピタリと止まった。――ほんの一瞬だけ、空気が冷えた気がした。だがすぐにいつもの柔和な顔に戻ると、鎖月に尋ねた。


「どんな夢だった?」


 質問に対し、当の言い出しっぺの鎖月は、うーん、と首を傾げながらも答えた。


「なんかこう……ハッキリとは覚えていないんだけど……えーっと、何だったっけ?」


 鎖月は頭上にクエスチョンマークを浮かべつつ、曖昧模糊な返答しかできなかった。いや、これでは返答にすらなっていないだろう。肝心の夢の内容を綺麗さっぱり忘れてしまっているのだから。しかし、その返答にどこかホッとした様子で笑みを浮かべる朔。


「そうか、忘れてしまったのであれば、仕方ないな」


 恐らくそんなに重要な内容ではなかったのだろう、とどうしても夢の内容を思い出せない鎖月を納得させるかの如く朔は続けた。


「でも何かこう……、凄く大切な夢だった気がするような……、しないような?」


 既に見終わったことだというのに、鎖月は頑なに思い出そうとするもどうしても思い出せない。鎖月はよく夢を視る体質だが、起きた瞬間に忘れてしまうなんてことは誰にでもよくあることだ。何も特別なことじゃない。


「……それより、今日の帰りもいつも通りか?」


「えっ?あ、うん、いつも通り。授業が終わったらすぐに帰ってくるよ」


 帰宅部である鎖月は、放課後に友達と遊ぶ約束などがない限り、いつも同じ時間に帰宅する。それを確認したのは、帰宅時間に合わせてお風呂や夜ご飯を作るためでもあったが、同時に夢のことでうんうん唸っていた鎖月の気を逸らすためだった。だが、鎖月は咄嗟の質問にそのことに気づかない。




 それから他愛もない雑談をしつつも朝食を食べ終えると、鎖月は学校の制服に着替え、長い髪をひとまとめのポニーテールにし、横髪だけを垂らす髪型にセットすると、教科書やノートなどが入ったカバンを手に学校へと向かった。


「いってきまーす」


「ああ、気を付けて行くのだぞ」


 朔の言葉を背に玄関を出た鎖月は、学校――、小学校から進学してそろそろ三か月になる中学校へと歩みを進めた。

読んでくれてありがとうございます。




次回、【箱2 砂上の箱】


更新は 2/7 21:00。




次の箱で、また会いましょう。

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