インタビュー
対象世界USO-9488では「エルマー症候群」と呼ばれる突発的な錯乱症状の存在が確認されている。
発症者は前触れなく「天上の巨大な眼に見つかった」という妄想や幻覚に囚われ、その後短ければ数秒以内に致命的な自傷行為に移る。情報を発症者から直接、ある情報災害的トリガーを中核とした形式で伝えられることで伝染、数日中に発症することがわかっている。2016年1月に初の症例が確認され、2016年12月には世界で100例目の発症者が認定されるなど、緩やかに発症者を増加させてきた。
その極めて特殊な伝染条件から爆発的な拡大には至っていないが、近年その条件に変化が現れたのか、明らかに発症者の実例が増加してきている。
この文書は、対象世界にて2025年10月3日にテレビ放送された夜間番組の一部を文字起こししたものである。内容は、日本国内某所での発症者家族が住む家へのインタビューであった。
番組スタッフ田園風景の中、道を歩いている。ぽつんと位置した家屋に着き、インターホンを鳴らす。しばらくして、玄関のドアを開けて女性が顔を出す。彼女は鬱々とした表情で目を伏せ、挨拶するスタッフに会釈で応える。
ナレーターは彼女について、「ハラシマ ユキコさん、57歳」と紹介する。続けて彼女とその娘と言及される人物が笑顔を見せた写真を表示する。
ハラシマ ユキコ氏の娘、エミ氏は、数日前にエルマー症候群を発症し、幸運にも勤務先の同僚によって取り押さえられたことで、自殺衝動が減衰するまで生き延びることができた。
リビングに通された番組スタッフのカメラに、その一角の棚が荒れている様子が映る。
ユキコ氏が沈んだ声で言及する。
「昨日の痕です。お父さんが居てくれてなんとか……」
スタッフが後ろを向くと、薄暗い部屋に敷かれた布団から人間の足がはみ出ているのが映る。テロップが、それを「静養するエミさん」であると紹介する。
場面が切り替わり、ユキコ氏とスタッフがダイニングテーブルを挟んで会話する。
「えー、9月の30日に発症……でしたね」
「はい、はい……突然……」
「勤務先で、あのー、取り押さえられたということで……ご連絡受けたときは、どんな状態だったんでしょう……?」
「…………なんだか、もう別人みたいでしたね。ちょっと頭を打ったりしたらしいんですけど。うん……それにしても。目が、なんだかぎらぎらしてて。ずっと、動物みたいに呼吸してて。もう苦しそうで……」
「うーん……」
「(自傷を)止めてくれてたのが、パート先の同僚の男の子と、あとから、店長さんも来てくださって。それで、脇からこう、抱えてね。止めてくれてたんです。1階なので飛び降りたりとか、そういうのはなくて。でもあの、刃物とか油とかあるお店なので」
「そうですよね」
「カウンターに何回もおでこを……ぶつけ……」
ユキコ氏が鼻をすすり、涙が流れる。堪えようとする様子だが、すぐに耐えられなくなり、声を押し殺したまま泣き始める。
「無理には……」
「いえ、いえ、大丈夫です。ありがとうございます……」
「……全然、周りにいなかったんですよ。多分。インターネットからかなぁ、と思うんですが、知ってる限りでは――親の知るところなんて僅かですけど、近くにはいませんでした」
「――発症者というか、伝染元になりそうな人ってことですね?」
「はい、いませんでした。ずっとニュースの出来事だと思ってて……」
さめざめと泣きながら話すユキコ氏を数秒写し、場面が切り替わる。
エミ氏は幼いころから人懐っこく、しっかりした人物であり、学生時代も明るく、クラスの中心的存在だった。趣味は散歩や友達とのカフェ巡りで、8月の終わりにはグループで花火大会を見に行くなど、社交的な人物だったという。画面には、その際の写真として、浴衣を着てりんご飴を片手に笑顔を見せる、かつてのエミ氏の姿が映っている。
「花火のときにいたのかな……あの時からなんですよね。なんだか時々頭が痛いって言いだして、1回……9月の26日。仕事を休んだんですよ。調べたらほかのところでも、頭痛は前兆かもって話が見つかって、ああ、あの時に気づけたのかも……って」
ユキコ氏の言葉を遮るように大きな物音がする。はっとした表情で顔を上げる彼女に続いてカメラが背後を向くと、エミ氏のものと思われる足がばたばたと激しく動いている様子が見える。彼女は絶叫している。
ユキコ氏がただちに部屋へ入り、カメラも後を追う。そこでは初老の男性が暴れるエミ氏を抑え、つとめて優しい声で大丈夫、大丈夫、と呼びかけている。テロップにより、彼はエミ氏の父親であるノブヒコ氏であるとわかる。
「うわああああああああああああああああああ!!!!!」
「大丈夫、大丈夫だよ、父さんここにいる、ここ!」
「いや!!!たすけて!!!いる!!!!(このあと音声がビープ音で隠される)」
「エミ!!やめて!!」
「スタッフさん出て!!声聞くな!!」
カメラには一瞬、恐怖に顔を歪めながら絶叫するエミ氏の顔が映るが、伝染の危険があることから、すぐに外へ出される。音声が切れ、無音の中玄関ドアの映像が映る。ナレーターは状況について、以下のように告げる。
「エミさんはいまも、数日に一度ほど錯乱状態に陥る。そのときにかならず抑止できるよう、父親が彼女の傍で、常に様子を見ていることにしたのだった」
しばらく時間を置いて、映像音声が戻る。ドアが開き、父親のノブヒコ氏が姿を現す。彼の首元には痣が見える。
「すいません、大丈夫ですか。聞いてませんか」
「私たちは、ええ、大丈夫です……え、お父さんたちは――」
「ぼくたちは、まあ、ええ。仕方ありませんから……」
ノブヒコ氏は苦笑しているが、彼らはおそらく、伝染の条件を満たしている。
映像がダイニングテーブルに戻る。今度はノブヒコ氏だけが映っている。
「ぼくたち夫婦が発症するのが、本当にいつになるかわからないので……そうなるまでに、まぁ、少しでもできることを。発症した家族がどうなるかを、やはり知ってほしい。そういう気持ちで、取材を受けることにして」
ノブヒコ氏が穏やかに、淡々と語る。
「正直怖いんですけど、でも、うん、親……ですし、はい」
「(仮設隔離)施設には……?」
「ええ、連絡しました。なんですけど、うーん……」
「……」
「正直、このさき、これで……あー、どうしていこうかって思うと……」
父親は沈黙する。
この家の近くには民家がなく、この場所そのものが隔離環境であることを考慮すると、もし家族全員が家の中で発症した場合、おそらく誰にも発見してもらえない。そのことを理解したうえで、彼らはここに留まっている。
インタビューは、早期の対策や原因究明に資金を投じること、隔離施設を増設することを国に求める内容で締めくくられた。夫妻に挨拶し、リビングを去ろうとするスタッフのカメラに、窓際で茫然と外を眺めるユキコ氏の後ろ姿が映っていた。
玄関から手を振ってスタッフを見送るノブヒコ氏、遠ざかる家と広がる田園風景を車内から撮影した映像で、この取材資料は終了した。
伝染に繋がる伝達情報は、妄想や幻覚内容の一部であり、単なる絶叫や大半の発言には伝染力がないと考えられている。観測台はこれらを「ウロボロス」影響下での情報汚染の一種であると認識しており、特に現地で活動する渡界エージェントは、発症時にこのような伝染性のキーワードに言及しないよう、特殊な訓練と存在情報的トリガーの埋め込み処置が行われている。
具体的なトリガーについては、読者への伝染を防止するため、掲載しない。




