共闘
州都アウレリアのノルディッヒ城。その謁見の間に隣接する一室は、装飾こそ施されているものの、簡素で落ち着いた雰囲気を湛えている。部屋の中央にはテーブルが置かれ、開け放たれた窓からはアウレリアの美しい街並みが一望できた。8月も半ばに差し掛かる、暑さの残る日だった。アルスは窓辺に立ち、リヒャルト伯爵と対峙していた。
「アルトゥース殿下、まずはエルンの領主に就任されたことを心よりお祝い申し上げます。領地の改革に着手されたばかりと伺っておりますが、こんな折に殿下自らお越しいただけるとは思いもよりませんでした。申し訳ございません」
リヒャルトが深々と頭を下げる。
「頭を上げてください、リヒャルト伯爵。実は僕も気になっていたことがあって」
「と、おっしゃいますと?」
リヒャルトの目が鋭く光る。
「単刀直入に言います。僕のところにも来たんです」
「ガーネット聖典教が、ですか?」
「いえ、三大ギルドのひとつ、レオノール大商会です。彼らがエルンへの進出を打診してきたんです」
「三大ギルドが・・・エルンにまで?」
リヒャルトの声には驚きが滲んだ。エルン州は、前領主ハインツの悪政により餓死者が出るほどの荒廃した土地だった。リヒャルトもその惨状を耳にしていただけに、アルスがそんな場所の領主に任命されたのは不運とさえ思っていた。そこに三大ギルドが触手を伸ばしているという事実は、彼にとって予想外だった。
「ええ、レオノール大商会がエルンでの商売を希望してきたんです。でも、僕は断りました。彼らを入れても領民の利益にならないと判断したからです。むしろ、領内の経済を発展させる上では障害にしかならないと考えました」
「それはなぜです?」
リヒャルトが興味深げに尋ねる。アルスは、かつてエルンを訪れたヘルマーに語った内容をリヒャルトにも丁寧に説明した。彼が挙げたのは三つのポイントだ。
奴隷経済の弊害
レオノール大商会が扱う商品は奴隷による生産だ。破格の安さで消費者に提供できるが、地元の商人にとっては価格競争で潰されるだけ。雇用も生まれず、領民が彼らの商品を買えば買うほど利益は外部に流出し、領内経済は疲弊する。
生産性の低下
奴隷労働は賃金がないため労働意欲が低く、創意工夫や品質向上が望めない。粗製乱造された低品質の商品では、技術革新や経済発展の基盤となる知恵が生まれない。
奴隷解放の信念
エルンではすでに奴隷を解放している。これはアルスの信念に基づくもので、人を所有することは許されないと考えている。強制はしないが、奴隷経済そのものに発展性がないと確信している。
アルスは時間をかけて熱心に語った。リヒャルトは耳を傾け、深く頷くしかなかった。彼自身、奴隷を買い取って解放するような大胆な行動は取っていない。それだけに、アルスの若さと行動力に驚嘆した。この若い領主は、経験豊富な自分が見てきた課題をすでに実践に移しているのだ。
「アルトゥース殿下、ご慧眼に心から感服いたしました。その上で、ぜひお知恵を拝借したい」
リヒャルトは自然と再び頭を下げていた。
「いえ、頭を上げてください。それでは、ノルディッヒで起きていることを詳しく教えてください」
「承知しました」
リヒャルトは最近の事件を語り始めた。ガーネット聖典教が鍛冶ギルド長エハルトの知人を次々と殺害し、脅迫とも取れる行動に出ていること。改宗を拒む異教徒を奴隷化や虐殺の対象とする教義を盾に、エハルトを追い詰めていると推測されること。
「なぜエハルトさんが狙われるんでしょう?」
アルスが首を傾げる。
「殿下のお話を聞いて、確信しました。実は以前、ノルディッヒにも三大ギルドのひとつ、グランバッハ商業協会が接触してきたのです。しかし、この地域は地元の鍛冶ギルドと建築ギルドで経済が回っています。私は領内経済を守るため断りました。その際、強硬に反対し、私を後押ししてくれたのがエハルトだったのです」
「つまり、ガーネット聖典教と三大ギルドは裏で繋がっていて、ザルツ帝国とも関連がある…ということですね」
アルスの鋭い理解に、リヒャルトは目を丸くした。
「その通りです。今回の事件も、すべて辻褄が合います。彼らの狙いはエハルトを脅迫し、三大ギルドをこの領内に引き入れることでしょう」
「もしエハルトさんが脅迫に屈したら、どうなりますか?」
「私が最終的な判断を下す立場ですが、エハルトが領民の総意として意見書を提出すれば、私としても断るのは極めて困難です」
アルスはふと前世の記憶を呼び起こした。ガーネット聖典教や三大ギルドのやり方は、かつての地球で見た歴史と重なる。戦国時代の日本では、キリスト教宣教師が布教を名目に分断工作を行い、植民地化を目論んだ。
フィリピンはスペインの植民地となり、国王フェリペ二世の名を冠された。キリシタン大名を生み出し、神社仏閣を焼き払い、反対者を奴隷として売り飛ばしたその数は5万人とも言われる。豊臣秀吉が激怒し、伴天連追放令を発布しなければ、日本も同じ運命をたどっていたかもしれない。
「・・・殿下? アルトゥース殿下?」
「あ、すみませんでした。少し考え事を・・・」
アルスは現実に引き戻され、頭を整理しながら言葉を続けた。
「領民の意向を無視するのは、どんな理由でも反発を招きますよね。伯爵としては、ガーネット聖典教を追い出したいわけですね?」
「その通りです。しかし、司祭長を強制的に追放したり、宣教禁止令を出せば、信者の反発を招く恐れがあります。さらには、ガーネット教を国教とするザルツ帝国を敵に回すリスクもある。簡単には手出しできません」
「理由なく追い出すのは難しい・・・か」
アルスが呟く。
「さらに悪いことに、ガーネット教の次の標的はエハルトの子供たちだという情報が入っています。外堀を埋め、身内を攫って脅すのは彼らの常套手段です。この情報は最近私の配下が掴んだもので、これまでは泳がせていましたが、護衛を密かに付けています」
リヒャルトによると、エハルトには17歳の息子と15歳の娘がいる。アルスはこれを聞き、じっと考え込んだ後、ふと思いついたように口を開いた。
「それなら・・・」
アルスはリヒャルトとの会話の中で思いついた作戦を、静かに、だが力強く語り始めた。
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