騎士中央士官学校へ
「これは、すごいな・・・・・・!身体の内側から力が溢れ続けてくる」
アルスは一人、訓練場の片隅で息を整えながら呟いた。かつての屈辱――「魔素無し王子」と呼ばれた日々が、苦い記憶として胸をよぎる。だが、今、身体を駆け巡る魔素の奔流は、そんな過去を吹き飛ばすような力に満ちていた。
アルスは興奮を自覚しながらも、自重しようと心を抑えた。だが、心の奥では抑えきれぬ期待が膨らむ。もしこの力を完全に制御できれば、きっと何か大きなことができる――そう、胸の高鳴りが止まらなかった。それからの日々、アルスは魔素を操る訓練に没頭することになる。身体に流し込む魔素と、頭で感じる感覚のズレを修正することに全力を注いだ。
一日、二日、一か月と時間が過ぎるごとに、動きは洗練されていった。数か月後には、感覚のズレはほとんどなくなり、魔素を自在に操れるまでに上達していた。走れば風を切り、剣を振れば空気が唸る。かつての自分とは別人のような身体能力に、アルスは驚きと喜びを隠せなかった。
だが、最も頭を悩ませたのは、剣術指南役カールとの稽古だ。かつてはカールに歯が立たなかったアルスだが、今、魔素を巡らせれば互角以上の戦いが可能だと確信していた。しかし、カールは鋭い男だ。魔素を使った瞬間、異変に気づかれるだろう。そこでアルスは、基礎能力の向上を理由に、魔素を使わない稽古を申し出た。カールは怪訝な顔をしたが、アルスの熱意に押され、基礎鍛錬に付き合ってくれた。
魔素による身体能力の爆発的な向上は、身体への負担も大きい。だが、魔素量が急激に増えたアルスにとって、基礎鍛錬はむしろありがたかった。どれだけ厳しい訓練を重ねても、身体が悲鳴を上げることはない。カールの厳格な指導の下、アルスは己の限界を超える力を少しずつ制御し始めた。
※※※※※
大陸エルム歴731年、十三歳の春。アルスは騎士中央士官学校への進学を決めた。王族としての道が閉ざされていることは、嫌というほど理解していた。ならば、軍務に就き、戦場で功績を挙げる――それがアルスにとって最も現実的な道だ。
この学校は、軍人を養成する基礎教育機関だが、貴族や王族だけでなく、成績優秀な平民にも門戸を開く稀有な場所だ。創設者の理念により、身体強化は一切禁止され、純粋な身体能力と技術が重視される。それがアルスには好都合だった。魔素の力を隠しながら、己の基礎を磨けるのだ。
さらに、この学校では上級課程で魔素の訓練や研究が行われるという。それも、アルスが進学を決めた理由の一つだった。あのクリスタルの力が何を意味するのか、もっと知りたい。ファニキアの秘密、そして自分の身体に宿った魔素の可能性を解き明かしたい――そんな思いが、アルスを突き動かしていた。
騎士中央士官学校の教室に足を踏み入れた初日、アルスは周囲のざわめきを感じた。王族の入学は、たちまち噂の的となる。教室の一番奥の席に案内され、着席したアルスは、早くも腫れ物に触るような視線にうんざりしていた。
貴族の生徒たちは遠巻きにアルスを観察し、平民の生徒たちは畏怖の目で距離を取る。疎外感は、王宮での日々と変わらない。そんな中、屈託のない笑顔がアルスに差し向けられた。隣の席の少年だった。栗色の髪に、深い青の瞳。いたずらっぽい笑みが印象的な少年が、気さくに声をかけてきた。
「よろしく!」
アルスは一瞬驚き、つられて笑顔を返した。
「ああ、こちらこそよろしく!」
少年の名はフランツ・クレマン・リンベルト。名前からして平民の出だろう。後で聞いた話だが、フランツはアルスの素性を知った瞬間、一瞬だけ驚いた表情を見せたという。だが、それだけだった。数年後、フランツは笑いながらこう話した。「いやぁ、あのときはどうしようかと思ったよ。俺の最初の友達が王族だなんて思わなかったからさ、正直とんでもない奴に声掛けちゃったんじゃないかってちょっと焦ってたんだ」と。
学校生活に慣れてきたある日、アルスは騒ぎを目撃した。フランツが、隣のクラスの男子とその取り巻きに絡まれていたのだ。
「おい、なんでこの学校にドブネズミがうろちょろしてるんだ?」
「おい清掃人はいないのか?」
「臭い臭い、臭すぎるんだよ平民風情が」
嘲笑と共に唾を吐く彼らに、フランツの右拳が少年の一人の顔面に炸裂した。すかさず取り巻きがフランツの襟を掴み、押し倒そうとするが、フランツは身をかがめ、掌打で手を払い、一番近くの生徒の腹に蹴りを叩き込む。吹き飛ぶ生徒。怯んだ隙に距離を取るフランツの動きは、まるで戦場を舞う戦士のようだった。
その尋常ならざる立ち回りに、アルスは驚きつつも、身体が勝手に動いていた。フランツを再度掴もうとした生徒に右フックを叩き込み、フランツと少年たちの間に割って入った。
「大勢で寄ってたかってやることか?」
アルスの声に、少年たちの中から「殿下!?」と驚きの声が上がった。貴族の生徒たちが動揺する。王族が平民の側に立つなど、誰も予想していなかったのだ。
「くそっ、行くぞ」と舌打ちし、彼らは去っていった。
「ありがとう、殿下」フランツが服を払いながら声をかける。その呼び方に、アルスは苦笑した。
「よせやい、殿下なんて。アルスでいいよ」
「ハハッ、ありがとうアルス」
フランツのいたずらっぽい笑顔が戻り、アルスもまた笑みを浮かべた。
「アルス、あいつらいったいなんなんだ?」
フランツの問いに、アルスは少年たちの中に一人、見知った顔があったことを思い出した。ヨーゼフ・フォン・ブラインファルク。レバッハ地方を治めるブラインファルク侯爵家の子息だ。ローレンツ最大の貴族派閥を率い、隣国レーヘとの橋渡し役を担う名門。その名は、子供でも知っている。アルスはフランツにそのことを説明した。
「ケッ、家柄だけで自分が優秀だとか思ってる連中は最悪だな!」
フランツの率直な言葉に、アルスは親しみを覚えた。家柄を言うなら、アルス自身が王族だ。そんなアルスに臆せず本音をぶつけるフランツの裏表のない人間性が、僕には素直に嬉しかった。
「いや、普通そんな大貴族に睨まれたら、どうしよう?とか言うんじゃないかと思ってさ」
アルスが笑いながら言うと、フランツは怪訝な顔をした。
「俺はそんなこと思わないよ。相手が誰であってもバカにしてくる奴は絶対許さない」
その言葉に、アルスは心から嬉しかった。立場の違いに萎縮するでも、敬遠するでもなく、本音でぶつかってくれる相手――それがフランツだった。この出会いが、アルスにとって新たな希望の光になるとは、この時には知る由もなかった。それ以降、アルスとフランツは学校内で行動を共にするようになった。階級の壁を越えた友情が、アルスの心に小さな火を灯し始めたのだ。
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