蠢動~神託戦争
「ガーネット様のお導きがあらんことを!」
「「「「皆に祝福を!」」」」
街道沿いで白い司祭服の男が叫ぶと信者らしき集団が続いて叫んでいる。ここ、ノルディッヒ領で最近よく見られるようになった光景だ。ノルディッヒはアルスの治めるエルンの隣、北西に位置する。ここは西の国レーヘとの国境を接する地方でもある。東のルンデルとの境を接するヘヴェテや北方のフライゼンと比べて、紛争も無くとても静かで穏やかな地域ともいえる。そんな地域のため、鍛冶師や建築士が色々な地方から集まり独自の発展をしてきた地方として有名だ。
また、その地の貴族を束ね治める、若き伯爵リヒャルト・フォン・バウアの治世が優れているという背景があるのも同時に知れ渡っていた。ノルディッヒの州都アウレリアでは、七月に差し掛かろうというこの季節、街を行きかう人々の装いは既に夏の始まりを想起させる。街の家々は独創的で、花々で飾られた街を見ているだけで楽しめる。
また、バロック建築をベースにしたような荘厳な建物がいくつかあるのが特徴的だ。街の通りには、いくつもの工芸品や家具屋、日常の雑貨、鍋やフライパンなどの金物、建築資材に至るまで無数の看板が往来する人や馬車を圧迫するかのように立ち並んでいるのは、さすが鍛冶・建築の街と言われる所以だ。
その脇を、装飾の施された壮麗な馬車がゆっくりと通り過ぎていく。馬車の窓から漏れる視線が一瞬、白装束の集団を捉えたが、すぐに通り過ぎ、街の喧騒に溶け込んでいった。
「最近、妙に多くなってる気がしませんか?」
馬車の中の小太りな男が尋ねた。尋ねられた男は振り返り、少し考えるような素振りをして答えた。
「卿の察する通り、確実に以前より浸透している。困ったものだ」
「対策を打たれないのでしょうか?」
「そうしたいのはやまやまだが、後手に回ってしまった。知っての通り、当初彼らは行商人に偽装して入り込んで来た。珍しい異国の商品を持ち込み、興味を持った者を取り込んだ。そして、裏で布教しながら、やがて地下組織を作り上げていった。私の落ち度だ。もう少し気付くのが早ければもっと強引な手も打てたのだが、ここまで広がってしまってはこちらとしてもなかなか手が出せん。領民にも反発するものが出てくるかもしれんしな」
「何か事が起きるまでは・・・・・・ですか?」
小太りな男は切り分けた不満のひときれを言葉の端に乗せて尋ねる。
「アチャズ、卿はマルムートの悲劇を覚えているか?」
「神託戦争ですか、あれはどう考えてもザルツ帝国の差し金でしょう」
エルム大陸の西、レーヘとハイデを隔てたさらに西に位置する大国マルムートは、かつて「神託戦争」――あるいは「マルムートの悲劇」と呼ばれる一連の事件に飲み込まれた。隣接するザルツ帝国との国境で起きたこの紛争は、ガーネット聖典教の暗い影を大陸に投げかけた。
ザルツ帝国では、ガーネット聖典教が国教として君臨し、その教義を広めるため宣教師が各地に派遣されている。マルムート国王は当初、宣教活動を黙認していた。ザルツ帝国内で広く信仰され、怪しげな噂も聞こえなかったからだ。
だが、ガーネット聖典教が一神教であることが災いする。他の神を崇める者を異教徒とし、改宗を拒む者を奴隷化や殺戮の対象とする裏の教義は、マルムートには知られていなかった。東部領地でガーネット聖典教の影響力が増すにつれ、事態は暗転する。教会は領主に金品や交易利権をちらつかせ、改宗を誘導。改宗した領主たちは、地元の祭りや神事を「悪魔の儀式」として弾圧し始めた。
伝統を守る民衆は奴隷として売られ、殺される事件が続発。国王が宣教禁止と司祭追放を命じた時には、すでに手遅れだった。信者たちの抵抗は激化し、改宗した領主が「神託」を宣言。ついに大規模な反乱が勃発する。
ザルツ帝国はこれを密かに支援し、信者たちの要請を「異教徒からの救済」という大義名分に利用してマルムートへ侵攻。混乱の中で、マルムートは東部領土を大きく失い、国力を大きく削がれた。
これが「神託戦争」の真相だった。ザルツ帝国にとって、ガーネット聖典教は領土拡大の道具に過ぎなかったのだ。この事実は、大陸情勢に詳しい者たちの間で密かに囁かれた。ローレンツの貴族、リヒャルト伯爵とその腹心アチャズも、馬車の中でこの話題を交わしていた。
「卿はそう考えるか?」
「と、申しますと?」
アチャズはリヒャルトの問いに戸惑った。ガーネット聖典教を武器にしたザルツ帝国の利益は明らかだ。だが、リヒャルトの視線は何か深い思惑を孕んでいる。
「マルムートの東は馬の産地として昔から有名だな」
「ええ、それが何か?」
「ザルツ帝国は何が有名だ?」
「ザルツ帝国と言いましたら、小麦、製鉄、重工業に、んー、それに馬の産地としても有名ですね・・・・・・」
アチャズにはリヒャルトの言わんとしていることがいまいち飲み込めないまま答える。
「そうだ。ザルツ帝国は領土拡大を果たした。だが、すでに馬の産地が領内にあるにも関わらず、何故そこを攻め取る必要があったのだろうな」
「そう言われてみれば・・・・・・。リヒャルトさまは何か裏があるとお考えでしょうか?」
「あるであろうな・・・・・・。とはいえ、それが何かはまだわからん」
リヒャルトは窓の景色を眺めながら答えた。歴史を遡れば、宗教というのは常に権力者の道具にされてきた。宣教師を派遣し、新しい教えを広める。それは教会側の目的だが、ここに国家という権力が関わればその目的は一変する。教会の教えを否定する者は異教徒として抹殺、もしくは奴隷として売り飛ばす。そして、国内で分断を起こし紛争に発展させる。その混乱に乗じて植民地にするという手段は歴史上幾度となく行われてきたのだ。分断すれば国の力は削がれる。うまくすればそのまま国を乗っ取り、傀儡政権を作り出すことも可能だ。ザルツ帝国はそれを行う国だ。
しかし、分断を図るなら国力のある国に対して行うのが常道だ。力のない我が国に対して、わざわざそんな迂遠なことをする必要があるのだろうか?
「ザルツ帝国とガーネット聖典教は切っても切り離せない関係ですから、当事者の一角でもありましょう。別の組織がいたとして、リヒャルトさまの推測の通りであればここに聖典教会が入り込んできているのは、ザルツ帝国よりもむしろその者たちの思惑が働いているのやもしれませんね。なにせ、ローレンツは彼の国からは飛び地になるのですから」
アチャズに思考の糸を切られたリヒャルトは、馬車の狭い天井を見上げた。
「いずれにせよ、動きは監視している。動きが出るまでもう少し待つしかないだろう」
小さく溜め息をつき、再び窓の外へ視線を移す。馬車は街道を進み、アウレリアの中心にそびえるノルディッヒ城の城門をくぐった。
ザルツ帝国の陰謀、ガーネット聖典教の暗躍、そして三大ギルドやファニキアの影――ローレンツの未来は、アルスのエルン領と交錯しながら、大きな嵐の前触れを予感させていた!
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