マルの決意
「無事でよかった、マル姉。・・・また危ない仕事?」
いつの間にか長女のリエナが起き上がり、落ち着いた声で言う。
「心配しないで、リエナ。約束したでしょ、必ず帰って来るって」
マルはノエラの髪をそっと撫でる。次女は眠そうに目をこするが、マルを見上げて微笑む。
「マル姉ちゃん、おかえり!」
「ただいま!」
幼いミリスがマルの周りをくるくると回る。
「今日はお土産ある?」
ミリスの行動に苦笑しながら、マルはしゃがんでミリスを抱きしめた。
「ごめんね、今日はお土産買ってくる暇がなかった」
マルの胸が熱くなる。ノーラ様の子供たち・・・今の私の全てだ。 だが、包帯男の依頼――「アルス王の命」と称したミラ暗殺の失敗が、頭をよぎる。最初で仕留めきれなかったのは痛かった。次は、間違いなく警戒レベルを挙げて来るだろう。ある程度の時間を空けて、警戒が緩むのを待つか・・・?
突然、屋外でガッという物音。 マルは短剣を握り、子供たちに「下がってて」と目で合図した。リエナがノエラとミリスを後ろに庇う。マルは静かに扉に近づき、息を殺して開けた。
扉に短剣が突き刺さり、羊皮紙が揺れる。マルの心臓が冷たく締まる。闇ギルドの手紙だ。
「暗殺の失敗は任務の失敗を意味する。戦が始まる前に完遂を望む。期限は一週間」
隠れ家がバレている!――その事実は、マルを恐怖に突き落とした。この子たちが・・・狙われている!?マルは手紙を握り潰し、考える。今まで、こんなことはなかった。試されてるのか?そもそも、あの包帯男の依頼は本当にファニキア国王の依頼なのだろうか?それとも、彼個人の?
マルの心の奥底に沈んでいた疑念が、次々と沸き起こって来る。ジュリの言葉が再び響いた。
『名誉と誇り・・・』
私は何のために戦っている? 子供たちを護るため、彼女は決意する。
(ミラン・キャスティアーヌ宮殿へ潜入し、真意を確かめる)
マルはリエナ、ノエラ、ミリスをファニキアの別の隠れ家に移し、夜の王都へ向かった。ミラン・キャスティアーヌ宮殿は、月光に照らされ、石壁が冷たくそびえる。マルは裏口の排水溝を見つけ、鉄格子を短剣でこじ開ける。湿った石の通路を抜け、宮殿の厨房裏に潜り込む。物音を立てぬよう、影から影へ移動。衛兵の足音が遠ざかる隙を突き、階段を登る。だが、広間の角で気配が動いた。
「また会ったな」
ジュリだった。剣を構え、鋭い瞳で睨む。
「また暗殺の闇を這うのか?」
マルは冷静に立つ。短剣を握るが、抜かず、口を開く。
「前に言ったね。『鬼人族の戦士は、名誉と誇りのために戦う』と。・・・あなたが仕えるアルトゥース王は、本当に仕える価値のある王?」
ジュリは剣を僅かに下げ、答える。
「アルスさまは我々を救った王だ。かつて船が難破し、海岸に流れ着いたとき、命を失う寸前だった私たちを拾い上げ、生きる道を示してくれた。民を護る王だ」
マルは目を細める。包帯男の嘘・・・?
「なら、なぜそんな王が自国の宰相を殺せと命じるの?」
その瞬間、背後から重い声。
「その答えは、アルスさまに直接確かめたらどうですか?」
マルは息を詰める。パトスが広間の影に立つ。マルは彼の気配に全く気付かなかった――その事実に、背筋が冷える。パトスは続ける。
「アルスさまに危害を加える気なら、見逃せません。ですが、真実を知りたいなら、剣を預けなさい」
マルは一瞬考える。リエナ、ノエラ、ミリスの顔が浮かぶ。彼女は短剣をパトスに差し出した。
「・・・アルトゥース王に会わせて」
ミラン・キャスティアーヌ宮殿の謁見の間へ続く廊下は、冷たい大理石の床に衛兵の靴音が響く。高い天井には、戦場の場面を刻む壁画――戦士が剣を掲げる姿が、燭台の揺れる炎に照らされていた。窓の外では、夜の王都が月光に煌めき、遠くで街の喧騒がかすかに聞こえる。マルはジュリとパトスに挟まれ、短剣を預けた手が空虚だ。
衛兵が重い扉を開ける。謁見の間は広く、床に敷かれた深紅の絨毯が玉座へ伸びていた。壁には金糸のタペストリー、ファニキアの紋章が輝く。玉座にはアルスが、穏やかな眼差しで立っていた。傍らに宰相、ミラの鋭い視線がマルを射る。部屋の隅に、執事姿の男が目に入った。マルの瞳が一瞬大きくなる。間違いない、先日、剣を交えたばかりのあの執事だ。緊張が空気を締め付ける。マルは冷静に一歩進んだ。
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