戦の影
アレサンドは、書簡を手に、屋敷の鑑定官を呼んだ。
「この封蝋と筆跡を調べろ。急げ!」
鑑定官が羊皮紙を丁寧に調べ、短時間で答える。
「双頭の鷲の封蝋、筆跡はファニキア王家のものと一致します。筆跡もアルトゥース王の署名と酷似しています」
アレサンドの唇が歪む。
「これが本物なら、ファニキアはハイデを経済植民地にする気だ。至急、国王に報告する」
彼はエドゥアルドに命じる。
「カールを連れ、マルグレーヴ宮殿に来い。真偽を確かめる」
マルグレーヴ宮殿の執務室は、夏の陽光に照らされていた。国王ニコラス・デル・グランデスが玉座に座し、過激派の貴族のみならず、穏健派の面々も渋々列席していた。アレサンドが書簡を差し出し、声を上げる。
「国王陛下、シルヴァント商会がファニキアの書簡を入手しました。アルトゥース王が、ハイデの織物市場を奪うとあります!」
ニコラスが書簡を受け取り、青いインクを凝視する。
「シルヴァント商会だと? なぜ商会がこんなものを? 本物か?」
アレサンドが答える。
「配下の鑑定官が封蝋と筆跡を調べ、アルトゥースのものと一致すると証言しました。それは、シルヴァントの交易担当カールが、シャンテ・ドレイユで入手したと主張しています」
エドゥアルドとカールが執務室に入る。カールが一礼し、証言を始めた。
「失礼いたします。国王陛下、シャンテ・ドレイユの交易会議で、ファニキアの官僚セリナが書類を整理中に落としたものを拾いました。会議中に、アルトゥース国王の署名入り指示書を目にしています。この書簡は間違いなく本物です」
室内がカールの証言でざわめき出した。過激派貴族の一人であるミゲル・ド・タランベールが前に出る。ニコラスが信頼する辺境伯で、三大ギルドとも繋がりを持つ男だ。
「陛下、私の交易路の情報網でも、ファニキアが織物市場を狙う動きがあると聞きました。教皇の騎士団とレオニード王太子の帝国軍が、すでに動いているとのことです。今、参戦すれば、帝国との信頼を深めるだけでなく、領土と名誉が手に入るでしょう」
「アルトゥースを討ち、織物市場を護る!」
それまで成り行きを見守っていた、穏健派の代表であるイグナシオ公爵が立ち上がる。
「陛下、拙速は禁物です! 書簡の出所をさらに調べるべきです! たかが一商会が得た情報を元にこのような国家の大事を決め、国情をいたずらに不安定化するのは得策ではありません」
だが、ニコラスは書簡を握り潰し、決断を下す。
「アレサンド、ミゲルの証言で十分だ。シルヴァント商会は監視下に置くが、書簡は本物とみなす。即刻、王に事の次第を報告し上奏する。フランシスコ、ミゲル、アレサンド、キコ、ハビエル、戦の準備だ。ファニキアを討つ!」
穏健派の抗議は、過激派の熱狂に飲み込まれる。ヒースルールは、ユーベルタール北方商会を通じてシルヴァント商会に書簡を渡し、カールに偽の証言を用意させていた。それだけではない、三大ギルドがハイデに武器を提供することまで根回しを進めていた。ここから、ハイデ軍の動きが慌ただしくなる。
ファニキアの経済特区シャンテ・ドレイユでは、異変の噂が広がり始めていた。先日、ハイデとロアールにあるガーネット教会が焼き討ちされ、ファニキア製のステンドグラスが砕かれたとの急報が届く。また、市場では「アルトゥース王がガラスを襲撃させ、教皇を挑発した」との囁きが流れ始めていた。
ミラン・キャスティアーヌ宮殿の一室は、息を呑むような静寂に包まれている。これまで数々の会議がこの部屋で行われてきたが、今、建国史上最も重い緊張が空気を支配していた。
窓から差し込む陽光が、磨かれた大理石の床に熱を投げかけ、室内を蒸し暑くする。中央の円卓を囲むのは、アルスの主要メンバー全員だ。誰もが、迫りくる危機の影を感じていた。
「みんな、聞いて欲しい。恐らく、近いうちにこの国は戦争になる」
アルスの第一声に、ミラが続く。
「皆も知っておろうが、異変に気付いたのは、あのガラス襲撃事件じゃ」
ミラの言葉に、その場にいた全員が緊張した面持ちで頷いた。彼女はさらに続ける。
「闇ギルドのアジトをジュリが襲撃。その際、その場に居た襲撃者のひとりから、依頼主は『ファニキアの高貴な方』という情報を得たんじゃ。我々は、その人物が国内に残ってる旧貴族の残党ではないかと当初は疑っておった。じゃが、違った」
いつも拙書を読んで頂きありがとうございます。
☆、ブックマークして頂けたら喜びます。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。




