ハイデ公国
「コンラッド大司教はどう動く? 教会のガラスは、教皇の象徴だ。アルトゥースの冒涜を、黙って見過ごすはずがない」
グレゴリーが頷き、声を低める。
「すでに動向を探っております。掴んだ情報によれば、コンラッドは激怒し、騎士団50万の動員を教皇に願い出ているようです。殿下、帝国軍が騎士団と手を組めば、ファニキアを粉砕できます。名誉と帝位が、我々の手に!」
レオニードの目が鋭く光る。
「至急、大司教に手紙を出す。グレゴリー、その戦、我々も参戦するぞ」
「おお、殿下、よくご決断されました!殿下が参戦されれば、ファニキアなど瞬時に灰燼と帰すでしょう。私も微力を尽くすとしましょう」
グレゴリーは、大袈裟にレオニードの参戦を称えた。
「だが、問題は父上だ。教皇との共闘を快く思われないかもしれない・・・・・・」
若き未来の皇帝——レオニードに、グレゴリーは、すかさず提言する。
「殿下、民衆を動かすのです」
「民衆、どういうことだ?」
「『アルトゥースが教会のガラスを砕いた』と、酒場と市場で噂を広めます。そうすることで、民衆の怒りに火を付けます。こちらで扇動者を用意いたします」
「なるほど・・・!それならば、父上も動かざるを得ない」
権謀術数の最中に生きてきたグレゴリーにとって、この程度の策は容易に浮かぶ。若き皇帝を補佐する——これは、公爵家の権力と権威を高めるために、是が非でも手に入れたい未来だった。
ヒースルールの手駒である扇動者が、すでにヴェズドグラードの民衆を動かし始めていたことを彼らは知らない。酒場では「アルトゥースが教皇を侮辱した」と囁かれ、市場では「ファニキアが帝国を脅かす」と叫ばれる。
レオニードは、玉座に戻り、グレゴリーに命じた。
「コンラッドと連携し、共同作戦を立てろ。ファニキアを討ち、アルトゥースの首を取る」
グレゴリーは恭しくお辞儀をすると、宮殿を後にするのだった。
ハイデ公国——ファニキアの西の隣国であるこの国は、貴族たちの中から王を輩出し、彼らによって政権が維持されてきた歴史をもつ。だが一方で、過激派の貴族の派閥と、穏健派の両者の権力闘争は激しく、数十年前には貴族戦争と呼ばれる内紛まで起きた。
今も尚、ふたつの派閥に分かれて衝突が絶えないが、現在は過激派と呼ばれる貴族連合に天秤は大きく傾いている。現王も過激派から選出された王だ。過激派とは、帝国との関係を盤石にし、帝国の力を後ろ盾として、東に領土を拡大することを夢見る者たちだ。
他方、穏健派と呼ばれる者たちは、西の隣国マルムートとの経済的結びつきを強化し、帝国とも一定の距離を保つことで戦争に反対する。ヒースルールとローグの創り出した嵐に、この国も飲み込まれようとしている。
公国の首都マルグレーヴは、夏の陽光に輝くタペストリーで彩られていた。織物市場は、公国の生命線であり、交易路を支配する誇りだ。だが、過激派を代表する国王ニコラス・デル・グランデスの執務室は、熱気と緊張に満ちていた。神託戦争後、過激派が権力を握り、穏健派は影を潜めている。
シルヴァント商会の会長エドゥアルド・モンテーロは、過激派の伯爵アレサンド・クロワの屋敷を訪れていた。夏の暑さが、マルグレーヴの石畳を熱く焼き、窓から市場の喧騒が響く。エドゥアルドの手には、羊皮紙が握られていた。ファニキア王家の封蝋が、陽光にきらめく。アレサンドが眉を上げた。
「エドゥアルド、これは何だ? シルヴァント商会が、なぜこんな書簡を?」
エドゥアルドは、落ち着いた声で答える。
「我々の交易担当カールが、シャンテ・ドレイユの交易会議で入手しました。ファニキアの政務官が書類を整理中に誤って落としたものを、拾ったのです」
アレサンドが書簡を奪い取り、広げる。青いインクが窓から差し込む光に照らされている。書簡の中には、ファニキアの経済圏拡大のため、ハイデの織物市場を奪う指示が書かれていた。署名されているのは、新国ファニキアの初代国王アルトゥースだ。
彼の目は、怒りに燃える。
「本物か? シルヴァント商会が、ファニキアと裏で繋がってる。というふうにも取れるが?」
エドゥアルドは笑って首を振った。
「伯爵閣下、シルヴァント商会は織物とガラスの交易で中立を保ちます。ファニキアの内部文書が流出したのは、彼らの綻びを示します。カールは、会議でアルトゥースの指示書を目撃したと証言してるのです」
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