極致
ミラもまた、隣で静かにガラスの器を眺めている。彼女の瞳には、驚嘆と深い思索が混ざり合っていた。
「儂もこれまで数々の驚きを味わってきた・・・もうこれ以上驚くことはないと思っておったんじゃがな」
彼女は低く、感嘆の声を漏らした。
「このガラスの器、瓶・・・このような造形美が、人の手で生み出されるとはな・・・」
ミラはひとつの器を手に取り、その表面に刻まれたファニキアの刻印をじっと見つめる。やがて、彼女はゆっくりとアルスに向き直った。
「だが、考えねばならぬことが山ほどある。このガラスは、ただの工芸品ではない。技術の革命じゃ。どうやってこれを世に広め、価値を知らしめるか・・・それが肝心じゃな」
アルスは頷き、ミラの言葉に耳を傾けた。
「確かに。どんなに素晴らしいものでも、知られなければただの飾り物だしね。価値を理解させる必要がある」
「その通りじゃ」
ミラの声には、確信が宿っていた。
「そこで提案だが、ゴドア、ルンデル、ローレンツの王家に、このガラスを献上する。まずは王宮に集う貴族たちにその美しさを見せつけるんじゃ。噂は、野火のように広がる。ましてやこの技術なら、なおさらじゃ」
「なるほど」
アルスはミラの意図を即座に理解した。
「王室や貴族がターゲットなら、確かに効果的だ。一般のガラスだって高価なんだから、この品質ならなおさらだよ」
「それだけではない」
ミラは静かに微笑んだ
「教会も狙えるぞ。」
アルスの脳裏に、ガーネット教会の荘厳な姿が浮かんだ。高くそびえる尖塔、色とりどりの光が差し込むステンドグラスの窓。あの荘厳な美しさは、教会の権威を象徴するものだ。
「ステンドグラスか・・・・・・」
アルスは呟いた。現存するステンドグラスでさえ、莫大な価値を持つ。もしファニキアの技術で作られたステンドグラスならば、その価値は計り知れない。
「ガーネット教会かぁ・・・・・・」
アルスは一瞬、躊躇の色を見せた。ガーネット教の影響力は大きいが、アルスもミラも因縁がある相手だ。因縁どころか、間違いなく対立している組織のはずだ。
「ガーネットだけではない」
ミラは穏やかに、しかし力強く言った。
「イシス教の教会だって、このガラスを欲しがるじゃろう。どの宗派であれ、美と権威を求める心は変わらん。ましてやファニキアの、このガラスならなおさらじゃ」
「確かに・・・。それに、今のファニキアに、顧客を選り好みする余裕はないよね」
アルスは苦笑しつつ、ミラの慧眼に感服した。
「細かい話は、ニナも交えて詰めるのが良いじゃろうな」
ミラはそう締めくくり、卓の上のガラスを見つめる。その輝きは、ファニキアの未来を映しているかのようだった。
ザルツ帝国の誇る交易の要衝、ラドリンクス——その都市の中心にそびえるユーベルタール北方商会の壮麗な館では、年に数度のみ開かれる大陸経済会議が、厳かな空気の中で幕を開けようとしていた。重厚なオーク材の扉が静かに閉ざされたその向こう、燭台の揺らめく柔らかな光に照らされた円形の会議卓には、三大ギルドの重鎮たちとその傘下の有力商会の代表たちが、互いの思惑を胸に秘めながら一堂に会している。
壁には金色の商会紋章が誇らしげに掲げられ、インクと古びた羊皮紙の香りが漂う室内に、窓の外を流れるラドリンクスを潤す清らかな川のせせらぎが、かすかな安らぎを運んでくる——だが、その音すら、会議に漂う重苦しい空気を完全に払拭することはできなかった。
なぜなら、この卓に並ぶ新たな役員の椅子のひとつ、ビルギッタが堂々と座るはずの席が、今は冷たく空虚なまま放置されているからに他ならない。彼女の不可解な死が、未だ解明されぬ謎として全員の心に暗い影を落とし、会議の空気を一層重くしていたのだ。
「結局、あの戦によって我々が手に入れたものは、ヘルセに対する権益の強化だけであった——それも、どれほどの価値があるのか、疑わしいものだ」
レオノール大商会の会長、レオノールが深いため息とともに吐き出した言葉には、苛立ちと失望が滲んでいる。それに対し、ユーベルタール北方商会のバーリンド会長は、冷静に事実を突きつけるように応じた。
「当初、我々はヘルセの勝利を確信していた。だが、ルンデルが予想を遥かに超える奮闘を見せた——それだけだ」
グランバッハ商業協会の会長ヘルマンは、銀の縁取りが施された杯からコーヒーを一口啜ると、静かに口を開いた。
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