シャルの秘密
アルスの言葉に、フランツは苦笑した。
「かもしんねぇが・・・・・・あんだけ守り固めてるような奴とは二度と戦いたくねぇ」
フランツの正直な感想に、アルスは笑った。だが、同時に、ローグという邪眼の将を思い出した。あの男の異質な戦い方は、ヘルセの軍とは明らかに異なる。森の奥で交錯した剣戟と、ローグの凍てつく眼光が、アルスの胸に再び蘇る。いつかまた相まみえる予感が、柔らかな風と共に彼の心を掠めた。
帰途の途中、アルスはミラとシャルを交えて幕屋で話を聞いた。森の木漏れ日が、幕屋の布にまだらな光を投げかけている。シャルの黒いオーラと、邪眼族の謎が気になっていたのだ。三人が集まると、ミラが切り出した。
「シャル。実はな、貴様が以前話していた邪眼族についてアルスが聞きたいというんじゃ。話してやってくれないか?」
シャルは、静かに目を閉じた。まるで遠い記憶の底に沈むように、長い睫毛が微かに震える。
「邪眼族についてですか。何故そのことをアルスさまが?」
「僕が戦った相手がそう名乗ったんだ。それで、ミラが君なら知っていると話してくれてね」
「アルスさまは、私が邪眼族だと思いますか?」
アルスは少し視線を外して首を振る。
「わからない。でも、黒いオーラを発するのは邪眼族だけじゃなかった。ベルンハルト兄さんも黒いオーラを発していたし・・・・・・だから、もし何か知ってるなら教えて欲しいんだ」
アルスの真剣な眼差しに、シャルは小さく頷いた。
「私の父親は旅の楽師でした。色々な国を巡り、日銭を稼いでいたそうです。ある時、帝国に行き、そこからさらに西の村である女性と恋に落ちました。その村では、外部の者と接触することは良く思われていなかったようで、娘を連れて村から逃げたそうです」
シャルの声は、遠い記憶を辿るように静かだ。
「それが貴様の母親じゃったというわけじゃな?」
ミラが確認すると、シャルは「はい」と答え、続けた。
「村を出てから逃亡生活を続けたせいか、病弱だったせいか、母の身体は弱っていきました。そこで妊娠が発覚したのですが、彼女は出産をするだけの体力が残ってなかったのです。最後の力を振り絞って私を産んだ際に、亡くなったと父親から聞きました」
「お父さんは、普通の人だったんだよね?お父さんなら邪眼族の村も知ってるのかな?」
アルスの問いに、シャルは黙って首を振った。
「彼はもう亡くなってます。母が邪眼族だったのではないか?というのは、後になって知った事なのです」
「どうやって知ったのじゃ?」
ミラが尋ねると、シャルは首飾りを外し、ふたりに見せた。蛇の金細工に、赤い宝石が眼として輝いている。
「この蛇の首飾りが母親の形見なのです。私が気になって調べたことがありまして。この蛇はゼルディウス教という邪眼族の信仰の証です」
シャルの声は、自身の血に宿る謎を静かに受け入れるようだった。
「なるほど・・・・・・だから、シャルのオーラは黒いということなのか」
アルスの言葉に、シャルは小さく微笑んだ。
「私にも邪眼族の血が流れているということなのでしょう。もっとも、私は専ら普通の人間のつもりなのですけどね」
その軽い口調には、シャルの神秘性と人間らしさが混在していた。
「随分、人間離れしてる人間じゃと思っておったがの」
ミラがからかうと、アルスは笑って口を開いた。
「シャル、暇な時で良いから僕やみんなに稽古をつけてくれないかな?」
「私が稽古を?アルスさまは十分お強いと思いますが」
シャルの驚いた声に、ミラが笑う。
「うん。ローグって邪眼族の人と戦った時に戦いづらくて。魔素の使い方が独特というか・・・・・・」アルスの言葉には、未知の敵への好奇心と警戒が滲む。
「フフ、わかりました。そういうことでしたら」
シャルが微笑み、頷いた。
「ありがとう」
「なんじゃ、結局稽古の話になってしもうたの。王が個人の武なんぞ鍛えてどうするんじゃ?」
ミラが呆れたように溜息をつく。
「アハハ。まぁ、今後必要なことがあるかもしれないからさ」
アルスは笑って答えた。
ヘルセとルンデルの戦から二か月。暖かな陽光がローレンツの王都ヴァレンシュタットを照らしていた。石畳の通りには商人の呼び声が響き、市場の喧騒が夏の風に混じる。
レオノール大商会の本部は、壮麗な大理石の建物で、陽光を浴びて輝いている。その最上階の執務室で、ビルギッタは豪奢な椅子に腰を下ろし、上機嫌に微笑んでいた。今朝、彼女の手元に届いたのは、昇進を告げる手紙だった。窓から差し込む光が、彼女の髪を眩しく照らし、執務室の磨き上げられたオーク材の机にまだらな影を落とす。
「正直、ヘルセが敗けて私の立場も危うくなるかと思っていたけど・・・・・・」
ビルギッタは、手紙を指先で弄びながら、満足げに目を細めた。
「ヘルセの敗北は私の責任でもない。結果はどうあれ、ヘルセの財政が傾いたことで、三大ギルドの影響力をこの国に深く根付かせる土壌を作ったと考えれば・・・・・・いずれにせよ、上の連中もやっと私の才を認めたということね」
彼女の声には、野心と狡猾さが滲み、唇には勝利者の笑みが浮かぶ。昇進は、彼女がトップの座に一歩近づいた証だった。心配は杞憂に終わり、ヴァレンシュタットの夏の空気のように、彼女の心は軽やかだった。
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