リッカールト死す
数人は部隊長の怒声に気付いてポカンとしていたが、まだ大半の部下たちは騒ぎに夢中で声が届いていないようだ。そんななかでリッカールトは、喧騒のなかから遠くに聞こえて来た怒声と、僅かな周囲の様子の変化をいち早く察すると、何気なく立ち上がった。
心臓の鼓動が速くなる。まずい!こんなところでバレたら、命を懸けてここまで来たのに犬死にになってしまう。周囲の様子を注意深く窺う。上司の命令は、このバカ騒ぎで大半の連中は気付いていない。
さすがに近くにいた連中には聞こえたようだが、意味までは理解していない。どうする?怒り混じりに命令した上司の横で、身なりの良い人間がこちらを注視している。ルキウス?いや、それにしては歳を取り過ぎてる・・・・・・。
逡巡するリッカールトの記憶の断片から、作戦時のアンリの言葉が蘇った。ルキウスと行動を共にしてる老軍師か!
脱出した兵士たちを英雄に祭り上げて騒いでいる連中。そのなかで、部隊長の怒声を聞いた瞬間に周囲の様子を窺うようにして立ち上がった兵士を、アーベルクは見逃さなかった。
「そいつだ!今立ち上がった男を捕らえよ!」
そのアーベルクの声で周囲の兵士たちの動きが止まり、リッカールトたちに視線が集まった。さっきまで英雄と讃えていた相手に対する尊崇の念は、驚き、不審、そして敵意へと変わっていく。
兵士たちの軍師アーベルクに対する信頼は、たった今祭り上げた自分たちの英雄に対する感情をいとも簡単に上回ったのだ。決死隊であるリッカールトの仲間たちは、怪我で鈍っているのが災いしてすぐに捕まえられた。こうなったら、出来ることはもうひとつしか残されていない。リッカールトは姿勢を低くした。
「その男も捕らえよ!」
アーベルクがそう叫んだ瞬間、その場に奇襲を報せる角笛の音が鳴り響いた。アーベルクを含め、周囲の兵士たちの視線が一瞬だけリッカールトから外れる。彼にとっては、その僅かな隙で十分だった。魔素を巡らせ、剣を抜きざまに近くの兵を斬り倒して走り出した。
兵士の断末魔の叫びで、逸らされた視線が再びリッカールトに戻ると無数の槍が突き出される。万全の状態なら捌けたのかもしれない、だがこのときリッカールトの身体は自らが受けた棒打ちのために満身創痍だった。
いくつかの槍が彼の身体を貫く。リッカールトは胃から込みあがって来る血を二度吐き出した。ガクンと力が血とともに抜けていくのを感じたが、再び魔素を巡らせ槍を叩き斬る。さらに、そこに別の槍が、彼の身体を後ろから貫いた。彼の目には、ゆっくり近づいて来るアーベルクの姿が映るが視界が妙に暗い。
(く、こん、な、ところで・・・・・・)
「隊長、あとは頼みます!!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
「隊長ぉぉぉぉぉぉ!」
不意にリッカールトの後ろから叫ぶ声が聞こえた直後、爆発が起こる。決死隊の仲間たちが焚火に火薬玉を投げ入れたのだ。爆発自体はそれほど大きいものでなかった。だが、火薬玉は細かい鉄片を含んでおり、爆発と同時に細かい鉄片が爆散する仕掛けになっている。近距離での殺傷力は想像を絶するものだった。焚火に集まっていた大勢の兵士たちがバタバタと倒れていく。
リッカールトを後ろから刺した兵士も絶命していた。あいつら・・・・・・役目を果たしたか。爆発による衝撃と煙で濛々としている状況のなか、刺さっていた血まみれの槍を後ろ手で引き抜くと、そのまま剣を構えてよろよろと歩き出す。見えない・・・・・・。何も、何も見えない・・・・・・。リッカールトの視界は、多量の出血でブラックアウトしていた。一歩、二歩、フラフラと歩いていく。
「ほれ、もうちょいじゃ・・・・・・」
「ちょい右・・・」
「そこじゃ・・・・・・」
突然、リッカールトの頭のなかにコーネリアス将軍の声が響いた。リッカールトは最後の力を振り絞り、魔素を練り上げ斬撃を飛ばす。圧縮された斬撃波は軍師アーベルクの胸を抉った。
「ア、アーベルクさまっ!」
倒れるアーベルクの傍に駆け寄って来た兵士たちの槍によって、リッカールトは胸を貫かれる。彼にはすでに貫かれたという感覚すら無くなっていた。リッカールトは、コーネリアスの声が聞こえたことを不思議に思いながら昔のことを思い出す。
リッカールトがコーネリアスと出会ったのは、彼が10歳の子供のころだった。戦争で親を亡くし、日々食べるものに困っていた時だ。孤児院で毎日いじめられる、それが嫌で飛び出した。酒場で酔っ払いから金をくすねようと思っていた少年は、ひとりの老人に目をつける。
老人は、酒を飲み始めると、そのうち酔っ払ってうとうとし始めた。しめしめと思って近づき、眠っている老人の革袋を漁り始める。そんな少年の首根っこは、寝てるはずの老人の手にガッチリと捕まえられていたのだ。
「ふぉっふぉ。こんないたいけな老人から盗みを働くとは悪い子だのう」
「な、なんで起きてるんだ!?は、離せよ!」
「儂が気付かんとでも思ったのか?」
少年が口を開く前に、腹の虫が盛大に鳴ったのを見て、老人は笑いながら少年を席に座らせた。
「わっぱ、儂の奢りじゃ。好きなもんを注文せぇ」
「は!?なんで急に!?お、俺は爺さんから金盗もうとしたんだぞ?」
「それとこれとは別じゃ。子供が飢えるような世界は大人に責任があるでな。儂の責任でもある。ほれ、つべこべ言わずに注文せんかい」
少年はキツネに鼻を摘ままれたような気分だったが、あれこれ考えるより、まずは空腹を満たすことを優先した。それからというもの、老人はその店で頻繁に食事をするようになる。
そのたびに老人は彼がこっそり見ているのを見つけると、食事に誘うようになった。それが、リッカールトとコーネリアスの出会いのきっかけである。
13歳になったリッカールトは、軍に入った。誰からそう言われた訳でもない。ただ、そうしたいと思うようになっただけだ。コーネリアスは護衛を嫌って一度も許したことがなかったが、魔素が他人より多いというだけで、若いリッカールトを護衛として任命した。
彼なりの贖罪のつもりだったのだろうか?今となっては、その真意はもはや誰にもわからない。リッカールトは、護衛としては力不足だったが、多くの時間を共にすることが出来た。彼にとって、この国を命を懸けて守る理由は、それで十分だった。
「よう、戦ったの」
「コーネリアス、将軍・・・・・・」
「ふぉっふぉ、それでこそ、儂の息子じゃ」
「俺は、戦えたでしょうか?」
リッカールトの目に涙が溢れる。コーネリアスは、子供がいなかったが養子も取らなかった。そういう意味ではリッカールトが一番コーネリアスの傍にいたが、息子と呼ばれたことはなかった。それでも、リッカールトが帰れる場所は、唯一コーネリアスがいるところだったのかもしれない。コーネリアスは微笑みながら頷くと、手を差し出す。
「さあ、帰るかの」
「はい!」
息を引き取ったリッカールトの目には、一筋の光が、零れ落ちていた。
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