アルスの決断
エルム歴738年5月1日。これが、アルスの元にバートラム大将軍のかつての副官ジスが訪れた経緯である。
ジスはアルスに今までの経緯を説明し、援軍の助力を願い出た。アルスは別件で王都を訪れていたミラも呼んで改めてジスに説明をしてもらう。現状、ファニキアはアルスが統一してから一年が経とうとしていた。この一年足らずの間に、西の隣国ハイデと国境沿いで小競り合いが何度か起こっている。
会議室では蝋燭の光が揺れ、書類が散らばる机の向こうで、窓の外から春風が吹き込んでくる。ファニキアはアルスの統一から一年足らず。西のハイデとの国境での小競り合いが続き、東のヘルセとの緊張が高まるなか、ルンデルへの援軍は重い決断だった。
アルスが地図を広げたまま、ミラに問う。
「ミラ、リザやアシュたちからは、まだ何の連絡も?」
その問いにミラは首を振った。
「残念じゃが、あやつらの動きはわからんままじゃな」
「そっか。僕らは西にハイデ、東はヘルセと国境を接している。ルンデルに援軍を派遣した時点でヘルセと戦争状態になる」
「当然じゃが、そうなれば西だけでなく北東方面の守りも固めなくてはならんの」
アルスはテーブルの上に地図を広げて、睨みつけた。ファニキアの王都があるキャスティアーヌ州とバルサック州はヘルセと隣接している。ルンデルに援軍を派遣するなら、同時に攻められる覚悟もする必要がある。アルスはあらゆる可能性を地図を睨みながら思考を巡らせた。
「正直、厳しいのでは?」
ミラも地図と睨めっこをしながら呟く。ジスはその呟きを聞いて顔を曇らせたが、何も言わなかった。ジスもこちらに来るにあたってファニキアの状況を理解している。そのうえで無理を承知でお願いするしかない。アルスは、ミラの呟きを聞いても微動だにせず地図を見ているだけだ。しばらくの沈黙が流れた後、ようやくアルスが口を開いた。
「援軍は送るよ」
その一言でミラとジスは顔を上げてアルスを見た。
「正直、現状で援軍を送るのは避けたい。だけど、ここでルンデルを見捨てれば三大ギルドに対抗するための牙城の一角が崩れてしまう。そうなれば僕が今まで戦ってきた敵に、背を向けることになる」
「あ、ありがとうございます!」
ジスは思わず頭を下げた。
「じゃが、大丈夫かの?」
「もちろん数は抑える。だから、それほど大規模な援軍は送らない、というか送れない」
「それで結構です。本当に感謝いたします」
「アルスがそう決めたなら、儂も覚悟を決めるとしよう」
アルスはミラが答えてる間も、思考を巡らしているようだった。
「ジス、ひとつ確認していいかな。援軍の要請はローレンツにも?」
「はい。今回、我が軍だけではかなり厳しい戦況になるのは必至と判断しました。それで、フリードリヒ国王にもご助力を願えればと」
アルスはジスの言葉に頷いて、さらに質問する。
「ゴドアにも当然、要請はしてるんだよね?」
「はい、その通りです」
「なるほど。帝国と睨み合ってるゴドアは、直接の出兵はしないだろうね。だけど、圧力をかけるくらいなら出来るはず」
ジスはそれを聞いて目を見開いた。
「仰る通りです。ゴットハルト陛下がそのようにおっしゃったようで、我々もそのつもりで動いております」
それを聞いてアルスは頷いた。
「少し引っ掛かるところもあるけど・・・・・・。そこまで手を打ってるなら、僕から言うことは何もないよ」
「引っ掛かる、とは?」
「いや、気にしないで大丈夫。援軍はフランツを向かわせるよ、前回の戦いに参加出来なくてだいぶ文句言われちゃったからね」
そして、アルスとジスが会談した次の日。ヘルセはルンデルに宣戦布告し、軍を起こす。アルスはすぐにフランツに命じて、バルサック州のロシュ・ロワール城から援軍を派遣した。
ルンデルの王都レムシャイトは、ヘルセの宣戦布告を受けて慌ただしく動き出す。ヘルセ軍が北の城モンシャウの北東方面に集結しているとの報告を受けて、ルンデル側も続々と兵が北へ向かった。モンシャウ城の東には三つの城塞都市が連なる。北から南へ、それぞれネール、ロイツェン、ベルクだ。
ゴットハルトは予め王都から北にかけて兵を集めておいた。南側のヘルネ、ビネスター周辺は山岳地帯であり、大軍の展開には適していない。そのため、その三つの城塞都市にそれぞれ5000の兵を常駐させた。5月2日時点では、ゴットハルトはモンシャウにいて情報収集に努めている。
敵の動きを読み違えれば一撃で吹き飛ばされてしまう、まずは何よりも正確な情報が必要だった。逐一入って来る断片的な情報を頼りに、アンリと共に戦略を組み立てていく。ゴットハルトは地図を前に唸る。壁一面に貼られた詳細な地図には、敵の動きを示すピンが刺さり、兵士の足音が遠く響く。
机上には報告書が散乱し、松明の光が髭の伸びた顔を照らしている。アンリが冷静に言う。
「レムシャイトの東を探った限り、そこから敵が来る気配はないですね」
「そうだな・・・・・・。逆に、ネール周辺を探ってる偵察兵のほとんどが帰って来ないことを考えると、敵の狙いはまず間違いなくそこだろうよ」
「向こうからの偵察兵を片づけたという報告もかなり上がってきてますが、やはり一番多いのはネールと、その南のロイツェン周辺です」
アンリの返答を聞いて、ゴットハルトは髭を指で引っ張りながら地図を太い指で差す。
「かと言って、王都を空にするわけにもいかねぇな。ここと、それからここにも兵を置いておくべきか・・・・・・」
ゴットハルトが指を差したのは王都レムシャイトの東にある城塞都市ケール・ニールとラウナ・シュッツである。この東はロムルス伯爵が統治していたインファンテ州と隣接している。襲撃に遭った街ダルジェントとも近かった。
「兵を割かれるのは正直痛いですが、ここまで偵察兵が潰されてる以上は、仕方なさそうですね」
「レムシャイトより南から兵を集めている。それでなんとかするしかねぇだろ」
執務室に沈黙が落ち、遠くで角笛が低く響く。ゴットハルトの握る拳が、戦争の覚悟を静かに物語っていた。
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