ソフィアのたたかい2
「おまえはよくやったよ。俺にもおまえの熱意がしっかり伝わってたぜ。悪いのは話を聞かないあいつだ」
ソフィアは無言でフランツの手を両手でぎゅっと握った。彼女の衣服が涙で濡れている。フランツはハンカチを探そうとしたが、持っていないことに気づき、頭を搔く。ソフィアがぽつりと呟いた。
「熱意・・・・・・は伝わったのですね」
「あ、ああ。これ以上ないくらいにな」
「フランツさま、ありがとうございます」
ソフィアが顔を上げた瞬間、ドアがノックされ、彼女の背中がビクッとする。ドアが開き、ジェルモがひょっこり顔を出した。彼はソフィアの赤い目と握られた手を見て驚く。
「これは・・・・・・失礼しました。お取込み中でしたか」
「あ、いや! いいんだ!」
「だ、大丈夫ですわ! なんでもないですわ!」
ジェルモは一旦引っ込みかけたが、ふたりの必死の呼び止めで部屋に入る。わちゃわちゃした雰囲気が落ち着き、ジェルモも椅子に座った。
「おふたかた、昼間の謁見に同席できず申し訳ありませんでした。陛下は私抜きでおふたりと直接話したいとのことでしたので」
フランツが腕を組み、鼻を鳴らす。
「ジェルモには悪いが、あいつはソフィアの話を途中で止めて、会談を中断したんだ」
「そのようですね。失礼ですが、ソフィア殿はどのような話を陛下にされたのでしょう?」
ソフィアは昼間の謁見の内容をジェルモに説明する。ジェルモは聞き終わり、短く息を吐いて「なるほど」と呟く。
「何もおかしなことは喋っちゃいないはずだ。ゴドアだって3大ギルドと対立してんだからよ」
「いえ、我々ゴドア人は実利を重視します。まして陛下は国の方向性を決めるお方。ソフィア殿の志と熱意は十分に伝わったと思いますが——」
「実は」
ソフィアが言いかけたので、ジェルモは口をつぐんだ。
「実は、先ほどフランツさまがそのことを教えてくださいましたわ」
「え? 俺?」
フランツが驚いて自分の鼻を指差す。
「ええ。私はハサード王にファニキアの建国経緯と志を共有することに重点を置きすぎ、ゴドアの利益を後回しにしてしまったのですわ。もちろん、最後にその点も話すつもりでしたが、熱が入りすぎて・・・・・・陛下の反応があまりにもなかったものですから・・・・・・」
「はっはっは! あの方は人を見極める時はいつもあのような感じなのです。事前にそのことをお伝えすべきでしたね。同席するつもりだったので、あまり詳しくお伝えせず、申し訳ない」
「いえ、私の不手際でしたわ。心のどこかでジェルモさんに頼ってしまったのですわ」
ジェルモは微笑み、立ち上がった。
「いずれにせよ、私からもう一度陛下に掛け合ってみます。ソフィア殿の熱意は、きっと陛下に伝わっていると思います。3大ギルドがラドリンクスで定例会議を行っていると耳にしております。そんな時だからこそ、ゴドアとファニキアの協力は互いに利益をもたらす。私はそう信じています」
ジェルモの助力もあり、数日後、フランツとソフィアは再びアル・ジャハール宮殿の謁見の間にいた。白大理石の壁に星と月の文様が刻まれた宮殿は、砂漠の陽光を浴びて輝く。謁見の間は、巨大なドーム天井に青と金のモザイクが星空のようにきらめき、床の幾何学模様のタイルが燭台の光に映える。
両側には、青いターバンを巻いた衛兵が槍を構え、香炉から漂うサンダルウッドの煙が重厚な空気を満たす。窓の外では、椰子の影が揺れ、遠く市場のラクダの唸り声が微かに聞こえていた。前回と異なるのは、ジェルモの同席が認められたことだ。ハサード王の瞳が、ソフィアとフランツをじっと見据える。
ソフィアは一礼し、落ち着いた声で切り出した。
「ハサード陛下、再度の会談に応じていただき、心より感謝申し上げますわ」
フランツは内心納得がいかない。なぜソフィアが頭を下げる必要があるのか。だが、彼女の足を引っ張るわけにはいかない。彼は黙ってソフィアの隣に立った。
ハサードは短く答えた。
「聞こう」
「まず、ファニキアはゴドアとの国交を結ぶにあたり、経済的な結びつきを強化したいと考えておりますわ。現在は3大ギルドの制度下で商売せざるを得ませんでしたが、貴国のゴドア商会は国営です。私たちも国営のファニキア商会を立ち上げる準備を進めておりますわ」
ソフィアが話す間、ハサードは眉一つ動かさない。だが、前回と違い、彼の目に光が宿っていることにソフィアは気づく。彼女はハサードの圧に屈せず、前回言えなかった計画を続ける。
「ギルドに所属する商人は多額の契約金と税金を払い、経済的豊かさを得られませんわ。そこで、国営商会の出番です。ファニキアはゴドアと国交を結び、経済協力を望みます。具体的には、ゴドア商会の商人から税金や通行税を一切取りません。その代わり、貴国でも我が国の商人を保護して欲しいのです。さらに、ローレンツ、ルンデルも同様の措置を取れば、ファニキア、ゴドア、ローレンツ、ルンデルの四か国で、3大ギルドに対抗する新たな経済圏を築けますわ」
ジェルモが穏やかに尋ねた。
「ソフィア殿、新たな経済圏について、具体的に教えていただけますか?」
ソフィアはジェルモの誘導に乗り、自信を深める。
「四か国の経済圏とは、単なる流通の解放ではありません。アルトゥース陛下が考えているのは、経済特区の創設ですわ」
「経済特区?」
ハサードの声に、初めて興味の色が混じる。
「はい、ある区域を定め、他国の商会の売り上げに対する税を無税にするのです。無税なら、あらゆる地域から一流の商会が集まります。その場所は一大交易都市へと発展しますわ。たとえば、ファニキアのミュール港近郊を特区にすれば、交易船が集い、市場が活性化します。さらに、私たちが事前に特区に投資——飲食店、劇場、闘技場などの施設を建設すれば、利用料や売上金で莫大な利益を得られます。商人たちは家族を呼び、そこで暮らし、富を集中させる。得た利益を国民に還元し、優良なビジネスに再投資する。これを各国で展開するのですわ」
ソフィアは、アルスと事前に練った計画の概要を全て伝えた。現代の国家級特別経済区と政府系ファンドを彷彿とさせるこの構想に、ジェルモも驚きの表情を隠せない。
「ひとつ確認したい。3大ギルドを招き入れることになりませんか?」
ジェルモが問うとソフィアはいたずらっぽく笑った。
「3大ギルドには課税しますわ。他の商会を装って潜り込んでも構いません。これは経済戦争ですわ。3大ギルドの下に集うのは所詮商人。こちらに利があれば、分断を起こせますわ」
「ギルド傘下の商会を引き剥がす!?」ジェルモの声に驚きが滲んだ。
ソフィアは口を閉じ、ハサードの反応を待つ。全てを伝え終えたのだ。ハサードは初めてソフィアに直接語りかけた。
「チェスをしたことがあるか?」
唐突な問いにソフィアは戸惑う。伯父リヒャルトに教わった数回の経験しかない。
「数回ほどですが、ありますわ・・・・・・」
「チェスは王のゲームだと言われる。馬鹿げていると思わないか? 双方が同一の駒を持ち、ルールは不変だ。これが現実を投影しているだと? バカバカしい。だが、余がそれでもチェスをする理由がわかるか?」
ソフィアは困惑しつつ考える。国交と経済協力の話から、なぜチェスなのか。しばらく考えた末にソフィアは正直に答えた。
「わかりませんわ」
「ゲームに隠された本質を暴くためだ。ポーンは盤上の駒ではなく、血の通った生きた兵士だ。余が言いたいのは、ポーンは自軍の兵であり、敵軍の兵でもある。国を統べる者は別の角度で見る。国が窮地に陥り、強敵に囲まれたら? ポーンは忠実な兵か、余を陥れる存在か? 後者なら、それはチェックであり死だ。志や熱意は重要だが、信頼の理由としては欠ける。結束するには、共通の利益と共通の敵が必要だ」
ソフィアは息を呑む。
「つまり・・・・・・?」
「合格だ。そなたは余の欲する答えを、いや、それ以上のものを持ってきた。3大ギルドを分断し、経済圏を築く構想は、ゴドアの利益に叶う。貴国を国と認め、国交を結ぼう。経済協力の詳細は、余の政務官と詰めるがよい」
ハサードは初めて相好を崩し、燭台の光が彼の髭に映えた。
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