サシャの意外な提案
リザは溜め息をつき、埃だらけの服を軽く払いながら椅子に腰掛けた。彼女の声には、疲れと苛立ちが混じる。
「エルザに詳しく話すようにと言っておいたんだが、あいつ忘れたな。いいか、アシュ、今回の仕事はただのレジスタンス支援じゃない。ミラさまの計画の要なんだ」
「詳しく話してくれ」
リザは窓の外を一瞥し、信者の行列が遠ざかるのを確認してから声を低めた。
「ファニキアは建国したばかりで、足元がグラグラだ。アルスさまはレーヘを平定したとはいえ、国内はまだまとまりきってない。西のハイデ、北のロアール、東のヘルセ、どこもファニキアを飲み込む隙を伺ってる。そこに帝国が加われば、ひとたまりもない」
アシュは腕を組み、頷く。
「帝国か。ガーネット教の教皇と皇帝の二頭体制だな。動きが読みづらい」
「その通り。特にガーネット教は、ファニキアが教団を追い出したことで報復を企んでる可能性もある。3大ギルドも同じだ。あいつらはファニキアから締め出されて、何を仕掛けてくるかもわからない。ミラさまは、帝国の目をファニキアから逸らすことで時間を稼ごうとしてるんだ」
「で、ゴドアとの国交はその一環か?」
「そう。ゴドアは大国だ。3大ギルドを嫌って独自の経済圏を築いてきた。あそこがファニキアを国として認めれば、帝国も簡単には手出しできなくなる。アルスさまやミラさまが、ゴドアとの交渉に取り組んでいるはずだ。だが、帝国や教団が動く前に、ファニキアに準備の時間を与える必要がある。だから、私たちはここでマルムートのレジスタンスを焚きつけて、帝国の注意を北に引きつける必要があるんだ」
「つまり、レジスタンスの蜂起をでかく見せて、マルムート本国を動かし、帝国をそっちに釘付けにするってわけか」
「その通り。マルムートが本気で動けば、帝国はグランデ州やバ・ローズ州の防衛に兵を割かざるを得ない。そうなれば、ファニキアへの圧力が減る。ミラさまの狙いは、ファニキアがゴドアやルンデルと経済圏を固めるまでの時間稼ぎだ」
アシュはリザの説明を聞き終わると深く頷いた。
「ようやく全体像が掴めたな。相変わらずミラさまは考えるスケールがデカい」
「ねぇ、ちょっと聞きたいんだけどいいかなぁ?」
それまでぼーっと窓の外を眺めていたサシャが振り返って尋ねる。彼女はベッドの縁に座り、足をブラブラさせながらイチジクの袋を膝に置いている。リザがそれに反応した。
「なんだ?」
「マルムートを巻き込むならさぁ、その裏切った領主の暗殺をマルムートの犯行に見せかけたらいいんじゃない?」
この提案がまとも過ぎて、アシュはしばらく口が開いたままになった。確かにその手は、ローレンツの国王であるフリードリヒが用いた策であり、それを意趣返ししたのはアシュ本人である。ミラン・キャスティアーヌの城兵を殺害し、ファディーエ王子のハンカチを括り付けた矢で国王にメッセージを送ったのだ。
「リザ、マルムートの情勢はどうなってる?」
「私が組織の連中から聞いた話では、マルムート国王はすぐにでも奪われた領地を取り返す勢いだったらしい。ただ、公爵を中心に機を窺うようにと諫められて思いとどまったそうだ」
「その公爵の名前は?」
「ルナンド・ノーヴァ。王の相談役だ」
「少し調べてみる必要がありそうだな」
「そっちは任せた。私は引き続き潜る。サシャ、お陰で良いヒントになったかもしれない、ありがとう」
「へへへ!リザさんに褒められちゃった♪」
こうしてアシュとサシャは調査に、リザは引き続き潜入工作をするために散らばっていった。リベイラの街は夜を迎え、教会の鐘が重く響く中、市場の明かりは次第に消え、通りには冷たい霧が漂い始めた。アシュは宿の窓から最後にリベイラ城を見やり、ナイフの柄を握りしめた。サシャはベッドで毛布にくるまり、すでに小さないびきを立てている。リザは闇に紛れて再び街の裏通りへと消えた。
帝国領内にはいくつかの交易都市が存在する。そのひとつがラドリンクス、3大商業ギルドの拠点として名高い都市だ。エルム川の河口に広がるラドリンクスは、巨大な石造りの埠頭に無数の小型商船が停泊し、帆布が風に揺れる。街の中心には、ユーベルタール北方商会の本部ビルがそびえ、大理石の柱と金箔の装飾が陽光に輝く。周辺にはレオノール大商会や他の有力商会の館が競い合うように立ち並び、通りには絹のローブを纏った商人や護衛の傭兵が忙しく行き交う。
市場は色鮮やかなスパイスや宝石、異国の織物で溢れ、塩漬け魚の匂いと香木の煙が混じる。埠頭では荷役人夫の怒号と滑車の軋む音が響き、市場の喧騒に重なる。だが、華やかな表面の裏には、商会間の権謀術数が渦巻く。ラドリンクスの空気は、富と野心、そして緊張感に満ちていた。
※フリードリヒ国王:アルスの兄にしてローレンツの国王。
※ファディーエ王子:レーヘ(現ファニキア)の第二王子でローレンツで毒殺された。これがきっかけでフリードリヒとアルスは毒殺の嫌疑を掛けられ国王裁判に発展した。
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