父王への報告
アルスが洞穴から這い出て顔を上げると、空は満天の星で埋め尽くされていた。まるで無数の宝石が闇に散りばめられたような光景に、しばし息を呑む。だが、その美しさに浸る間もなく、帰って来るなり鋭い声が夜の静寂を切り裂いた。
「いったい今までどこにいたのですか!?どれほど心配したことか、もう少し帰りが遅ければ捜索隊を組むことになっていたんですぞ!」
声の主は、カール・フォン・ハンス・オスター。アルスに剣術を教える指南役を自ら買って出てくれた、稀有な存在だ。彼はローレンツの将軍職を退いた老年の男だが、均整の取れた体躯からは、今なお鍛錬を怠らない気迫が滲み出ている。引退した将軍とは思えないほど、鋭い眼光と堂々たる佇まいは健在だ。
カールは他の王子たちと同じように、アルスを分け隔てなく扱ってくれる数少ない人物だった。その厳格さは、王子たちの教育にも如実に表れている。今、カールは腕を組み、人差し指をリズミカルにトントンと叩いている。彼が完全に怒っているときの癖だ。
アルスは内心で舌を巻いた。参ったな・・・・・・。今日の出来事をどう説明すべきか、アルスは頭を巡らせた。あのクリスタルの光、身体に流れ込んだ得体の知れない力、壁に刻まれた謎の文字――とても信じてもらえる話ではない。それに、なぜか後ろめたさも感じていた。とてつもない秘密に触れてしまったような、胸の奥がざわつく感覚。結局、アルスは真実を伏せることにした。
「心配をかけてごめんなさい」と素直に頭を下げ、木の根に足を取られて転び、気を失っていたと嘘をついた。カールは深いため息をつき、呆れたように眉を上げたが、アルスの無事を確認して安堵したようだった。
「アルトゥースさま、明日は陛下にも無事であったことをしっかりご報告なさるのです。あなたもローレンツの将来を支える柱になるのですからな」
アルトゥース。それがアルスの正式な名前だ。だが、僕にはこの名がどうも好きになれない。だから、親しい者には普段「アルス」と呼んでもらっている。カールの言葉に、アルスは小さく頷いたが、心は重かった。
明日は父上に報告か・・・・・・自室に戻った後はベッドに転がったまま頭を搔いた。咄嗟に出た嘘とはいえ、もう少しまともな理由にすればよかったな。今さらながら自分の言い訳が情けなくなってきた。父上や兄上たちの失笑を買うのは必至だからだ。
考えてもどうしようもないな。アルスは首を振ってベッドから起き上がった。今日起きたことをもう一度振り返ってみる。あのクリスタルの光、何か得体の知れない力を感じた。それにあの文字は一体何だったんだろう。現代の文字でないのはハッキリしていたが、どこかで見たことがあるような気がしていた。
ただ、記憶を辿ってみてもどこで見たのか、もしくはただの勘違いか・・・・・・。わからないことだらけだ。ふーっと息を吐きながら天井を見つめる。
「とにかく明日の報告が終わったら調べてみよう」
次の朝、謁見の間にはアルスと王子たち、そして父であるルドフ・フォン・アーレ・ド・ラ・ローレンツ王の姿があった。
アルスの父王ルドフは忌み子ということで、アルスを特段憎んだりしてはいなかったが、興味関心も無かった。アルスの現状は父王の側近たちによる、忖度の積み重ねによるところが大きい。だからといって、父王ルドフがその惨状を知って改善を求めたこともなかった。
「いえ、ですから木の根っこが思ったよりも大きくてですねぇ・・・・・・」
必死に言い訳をするアルスだったが、聞いていた王は手で顔を覆って溜め息をついていた。
「おまえというやつは・・・・」それを聞いていた侍女が可笑しくて可笑しくてという様相で笑いを堪えている。
「ハッ!バカかこいつはっ!ただの下見に行った奴が木の根っこでこけて気を失ったなんて話が洩れたらローレンツの恥さらしだっ!おまえなんかそのまま大人しく野垂れ死んでおけばよかったんだ!」と嘲笑するのは第二王子のベルンハルトだ。
兄弟の中では一番背が高く、鍛え上げられた肢体には惚れ惚れするがアルスにとっては苦手な兄であった。
彼との苦い思い出は嫌と言うほどある。カールは王子たちを呼んで、時々兄弟の間で実戦稽古をさせた。第二王子のベルンハルトは剣術において右に出る者はいないと言われたほどの腕前であり、やがてはローレンツの軍の中枢を担うことを期待されている。
末っ子のアルスとベルンハルトでは、体格が全く違うにもかかわらず、ベルンハルトはカールが見てない隙を狙ってアルスを滅多打ちにしていた。木刀で脇、腹、腰、胸、足と容赦なく叩きこまれる。そのうち耐えられなくなったアルスが、胃のなかのものを吐き出して倒れると、蹴り飛ばして決まってこう言った。
「弱い弱い弱い・・・・・・。王族にあるまじき弱さだ。貴様が弱いせいで、ローレンツ全体が弱く見られるのだぞ?貴様にはその自覚がない!弱いままなら死んだほうがマシだ」
カールがいれば止めてくれるが、席を外していたときは僕は一度死にかけた。木刀の突きが頭に入り、そのまま昏倒したのだ。幸い、カールが訓練場の隅で倒れていた僕を見つけて介抱してくれたおかげで未だにこうして生きている。
そんなアルスの心の葛藤を察したのか、長兄フリードリヒが穏やかに割って入った。
「まあまあ、経過はどうあれ無事に帰ってこれてよかったよ」
フリードリヒの笑顔に、アルスは心の中で叫んだ。フリードリヒ兄さん! 文武に秀で、穏やかで人望も厚い長兄は、アルスにとって数少ない味方だった。だが、その言葉にベルンハルトが冷たく切り返す。
「てめぇがそうやって甘やかしているからコイツがダメになったんじゃないのか?」
フリードリヒは肩をすくめ、苦笑いを浮かべる。ベルンハルトとフリードリヒの仲は、決して良好ではなかった。長兄の優秀さが、ベルンハルトに常に比較の影を落としていた。幼少期には明るかったベルンハルトだが、兄への嫉妬と劣等感から、次第に言動が荒々しくなっていったという。
アルスには、そんな兄たちの確執が、どこか遠い世界の出来事のように感じられた。だが、この時の僕には、ベルンハルトが後に歴史に残るような大事件を起こすなど、想像もつかなかったのだ。
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