蛇血
ベルンハルトは、かつてオレーグと対峙した小さなテーブルの上に、小箱から取り出した四つの小瓶を並べた。瞬間、鼻を刺す異臭が応接室に広がる。ルドルフが顔をしかめ、鼻をつまんで口を開いた。
「ベルンハルトさま、臭いですね。なんですか、そりゃ?」
ベルンハルトは小瓶の入手経緯をぼかしつつ、その効果を簡潔に説明した。
「俺が飲んだときの感覚だが、これは毒だ。気を抜けば恐らく死ぬ。だが耐え切れば更なる力を手に入れることが出来る」
四人は息を呑み、驚愕の視線を小瓶に注ぐ。重い沈黙を破ったのはバーバラだった。
「四本ってことは、これを今から私たちが飲むってことですか?」
「いや、おまえらに任せる。さっきも言ったが、俺はおまえらを中心に据えた最強の軍を作るつもりだ。戦の前に死んでもらっても俺には何の益もない」
バーバラは安堵の息を漏らすが、クルトが無言で前に進み、小瓶を手に取った。
「え!? 今、飲むの!?」バーバラが驚きに声を上げる。
「ちょっと、あんた」
「なに?」
クルトの無感情な返答に、バーバラは苛立ちを隠せない。この少年はいつもこうだ。十傑最年少にして最強の戦士だが、感情の起伏が乏しく、何を考えているのか掴めず危なっかしい。
「今、飲むつもりって聞いてんのよ」
クルトは首をかしげる。質問の意味すら理解していない様子に、バーバラは呆れる。
「それよ、それ!今、手に持ってる小瓶!」
「あー、これ。飲んでもいいけど。今飲んだ方がいいの?」
「あんたねぇ、ベルンハルトさまの話、聞いてた!?」
「聞いてたけど・・・・・・」
バーバラがため息をつく中、ベルンハルトが低く笑い出した。
「クルト、おまえは俺にとっても大事な戦力よ。万が一おまえが勝てぬような相手なら躊躇なく飲め。それからでも遅くはない」
「・・・・・・・わかった、そうする」
「よいか、これはおまえらだから渡す。他の十傑はムダ死にする可能性が高い。飲むときはよくよく考えて飲め」
この戦いが始まる前にベルンハルトさまに渡された小瓶・・・・・・。バーバラは腰の皮袋から小瓶を取り出す。一瞬、小瓶を見つめた。私が平民からこの地位まで上がってこれたのは、他でもないベルンハルトさまのおかげ・・・・・・。あの方は、私たちを中心に。国の要に据えるとまで仰ってくれた。ここで期待に応えなきゃいけないのに。死ぬのが怖い・・・・・・。
私がベルンハルトさまに見いだされたのは、14歳のときだ。幼い時に戦火で両親を亡くしてからは王都の孤児院で育った。ある日、その孤児院が火事に遭う。大勢の孤児たちが火事に巻き込まれて命を落とした。そのなかで私と数人の孤児たちだけは奇跡的に火の手から逃げ出す。しかし、孤児院から焼け出された後は戻るところも無くなり、街を彷徨うことになった。
それからは、その子たちと助け合いながらも、スラム街で盗みをしながらなんとか生きて来た。それはそれで楽しかった気がする。そんな生活にもすっかり慣れてきたころ、盗みに失敗して衛兵に捕まりそうになった。そのときだ、私に妙な力があるって知ったのは。霧みたいなモヤモヤが急に出てなんとか逃げ切れた。だけど、そのあとは悲惨だった。たまたま現場を見ていた奴隷商人に捕まり、その後は見世物小屋に売られた。昼は霧の能力を晒す見世物として、夜は男たちの慰み者として。絶望の中で何度も死を考えた。そこに現れたのが、第二王子のベルンハルトだった。
彼は私の能力を見出し、練兵場へと連れ帰った。
そこでオーラの制御と戦闘技術を徹底的に叩き込まれる。強者と戦い、殺した。戦っては殺し、殺しては戦った。ベルンハルトさまは勝利のたびに私を褒め、認めてくれた。その言葉が、私の生きる理由だった。もっと褒められたくて、もっと殺した。もう貧困も屈辱もない。好きな物を食べ、好きな服を着て、自由に生きる。それが私の唯一の幸せだった。
ダメだ、ダメだ、ダメだ。このままじゃ、ベルンハルトさまに合わす顔がない!
バーバラは震える手で小瓶の蓋を開けた。鼻を刺す異臭が漂う。意を決し、赤黒い液体を一気に飲み干す。液体が喉を滑り落ちると、焼けつくような痛みが走った。内臓が炎に炙られるような激痛が全身を駆け巡り、どす黒いオーラが彼女の意識を侵食し始める。それはかつてベルンハルトを襲った思念と同じ、底知れぬ闇だった。
「うぅ・・・・・・、嫌だ、嫌だ、ヤメ・・・・・・」
バーバラは頭を抱え、必死に抵抗する。だが、闇は容赦なく彼女の心を飲み込もうと迫る。目の前が揺らぎ、過去の記憶——孤児院の炎、スラムの飢え、見世物小屋の屈辱——が洪水のように押し寄せる。
ベルンハルトさま・・・・・・私は、あなたのために・・・・・・!
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