マリアの死闘
そう言った直後に、男の周囲から立ち上るオーラの色が濃くなった。誰が見ても身体強化のレベルを更に引き上げたことがわかる。認めたくないけどこの男、のらりくらりとずっとこの調子なのに剣の腕だけは本物みたい。おまけにでかくて距離感も狂う。でも、ここでこんな奴に負けたらアルスさまに合わす顔がない。絶対に負けられない!
マリアは再び剣を構えるとベルタスと相対した。こうして相手と向き合うとベルタスの身長の高さはマリアを遥かに上回っている。当然リーチも相手が長い。剣を数合ほど切り結ぶがやはり一撃一撃がとてつもなく重い。打ち合うほどに剣から伝わる衝撃でマリアの指先が痺れ感覚を奪っていく。しかし、そのことを百も承知の上でマリアは剣を斜め上段から振り下ろした。
当然、ベルタスはそれを剣ごと弾き飛ばす勢いで横に薙いだ。その瞬間、手首の力を抜いて受け流しつつ相手の力をそのまま利用してくるりと一回転する。勢いそのままあっという間に相手の懐に飛び込むと同時に手首を返して鋭い一撃を打ち込む。回転による速度を上乗せした剣先はベルタスの左わき腹を確実に捉えたが、同時にベルタスは剣先を咄嗟にあばらで受け止め負傷した左手でマリアの右手首を掴みそのまま持ち上げた。
マリアの右腕がぎしぎしと音を立てる。なんというタフネス、なんという握力だろう、骨と筋肉がすり潰されるような痛みが走った。
「ぐっ・・・・・・」
苦痛に顔を歪めるマリアの顔を剣先でぺちぺちと叩く。それを見てベルタスはニヤッと笑った。
「おいおい、散々手こずらせてくれたじゃねぇか嬢ちゃんよ。最初から俺に従っていればよかったんだよ。俺をこんなにしやがって。ええ?こりゃ高くつくぜ?お代はお前さんの身体で払ってもらおうじゃないか、安心しろ、お前がぶっ壊れるまで俺が使ってやるからよ、へへへ」
ニタつきながらマリアの身体を指先でなぞる。
「ちっ、鎧越しじゃよくわからんな、剥ぐか」
そう言って、剣を鞘に納めようと下を見た瞬間をマリアは見逃さなかった。刹那、ベルタスの左わき腹に激痛が走った。マリアが怪我をした脇腹をつま先で蹴り、えぐったのである。
「このっ!」
ベルタスの手が緩んだ隙に距離を取ろうとしたマリアだったが、反射的に出された蹴りをモロに腹に食らってしまった。体の軽いマリアはそのまま林道の反対側の木まで吹っ飛び叩きつけられた。背中を強打した彼女の視界は歪み、耳はぐわーんぐわーんとおかしな音が鳴っている。
ベルタスはしばらくうずくまっていたが、剣を抜いてマリアのほうに歩いてきている。口元は笑っているが、その目は怒りに燃えていた。マリアは朦朧とする意識の中で昔のことを思い出していた。
マリアはまだ幼かったころから騎士の戦いや開拓者の冒険談などがとても好きだった。コンラート家の令嬢として淑女のたしなみを幼い頃から教育されてきたが、剣にも興味があった。母親は反対したが、父親がマリアの味方をしてくれた。貴族の令嬢としての教育を受けながらも剣の鍛錬のために兄たちと一緒に励んだ。
ある時、マリアが剣の稽古中に腕に怪我を負ったことがあり、その時は母親が泣いて止めてくれと頼まれたことがあった。あの時の母親の言葉がマリアの脳裏によぎる。
「マリア、マリア、もうお願いだから、お願いだからやめてちょうだい!あなたの婚約者がこんなこと知ったらどう思うのか考えたことがあるの?あなたの人生のことよ、マリア!」
そう泣きながら懇願する母親を見てマリアは戸惑いを隠せなかった。剣の道を諦めたほうが私の幸せなの?私が剣を諦めたらお母さんは幸せなの?マリアの婚約の相手は侯爵家であるブラインファルク家だった。相手が一目惚れとのことで、下流貴族のコンラート家としては上流貴族への扉を開く千載一遇のチャンスでもある。
しかし、マリア自身が全く興味のない相手だったのだ。そんな悩みを抱えるうちにマリアは何をやるにも心が虚ろになっていく。それを見かねた父親がマリアに言ったのだ。
「マリア、おまえはおまえの道を行くがいい。私はおまえの笑顔が見たいのだ。私はおまえの喜ぶ姿を見ていたい。コンラート家の家訓はな、『鋼の如き意志を持て』だ。一度強く思ったのならそれを貫き通すんだ。決して折れてはいけないよ」
その父親の一言でマリアは婚約を破棄し、士官学校へ行く決意をしたのだ。
「鋼の如き意志を持て」父親の言葉がマリアの意識の深くから湧き上がってきた。彼女は懐から小瓶を取り出す。アルスから貰った例の魔素水。それをぐいと飲み干す。そして、力を振り絞って立ち上がった。
「ははは!立ってるのもフラフラな状態でまだ俺と死合う余力があるってんのか?舐めた真似してくれやがって、もういい、お前はここで殺す」
「死ぬのはあなたよ」
「ククク、あの世で後悔しろ」そう言ってベルタスは剣を振り下ろした。
構えたマリアの身体から周囲の色が変わるほどのオーラが立ち込める。次の瞬間ベルタスには無数の剣先が雨のように降り注いでくるように見えた。
「白雨千刃流」マリアの技を見てアルスがそう名付けた。白く見える豪雨のような無数の刃がベルタスの身体を貫いていく。防御も回避も不可能。剣速は先ほどまでの比ではない、マリアの動きは明らかに先ほどまでとは別人だった。馬鹿な、どこにこんな力が・・・・・・
「ぐはっ」
血を吐きながら後ろに倒れたベルタスの目には、煌々と輝く月明かりに照らし出されたマリアの姿は、まるで一枚の絵のように映った。天使・・・・・・、いや、戦姫か。
「クク、おまえ、つく、づく、いい女だ、な・・・・・・」そう言って、ベルタスは静かに目を閉じた。
「わたしには心に決めた人がいるの、少なくともあなたじゃないわ」
例え勘違いでもね・・・・・・そう、心の中で呟くと木にもたれて座り込んだ。思った以上にダメージが残っていたようだった。
後方では、ヴェルナーが小隊を率いて傭兵部隊の掃討を行っていた。ヴェルナーの二刀による剣術は全く隙が無い。傭兵たちが何人も彼を小隊長とみて集団で挑んだが、全ての攻撃が跳ね返された。それどころか、彼らが猛烈に剣を打ち込んでいるはずが、いつの間にか追い詰められ討ち取られているのである。
「こっちはどうだいヴェルナー?」
「うわっ!えっ!?アルスさまですか!?紛らわしい恰好で後ろから話しかけないでくださいよ」
ヴェルナーが驚いたのも無理はなかった。アルスの恰好はルンデル軍の兵士の恰好である。アルスが声をかけなければヴェルナーは斬りかかっていたかもしれない。
「あはは、ごめんごめん、潜入するのに敵兵の装備をちょっと拝借してたんだ」
アルスはいたずらっぽく笑い、兜を脱いで脇に放り投げた。
「こちらは順調です。先ほど、先頭のほうでマリアがデカい奴と戦ってるのをちらっと見かけました」
「ふむ、大丈夫かな?」
「彼女のことなので大丈夫とは思いますが、体格差があるので少し苦戦してるかもしれません」
ヴェルナーから見えたのは、大きな男とマリアが対峙している姿であった。戦闘中であるため、チラッと視界に入っただけである。ただ、ふたりの体格差が余りにあったので見ようによってはクマと人が対峙しているかのようだった。
「よし、それならちょっと行ってくるよ」
ヴェルナーの言葉を聞いて、アルスはヴェルナーに敵将を既に討ち取ったことと、今後の作戦を伝えると先頭のほうへ走っていってしまった。
もう敵将を討たれたんですか・・・・・・なんという人だ、たったひとりで戦場の勝敗を決してしまうとは。ヴェルナーはアルスが去ったほうを呆れたように見つめていた。
※※※※※
風切り音が聞こえる。冬の冷たい夜風がマリアの頬を撫でた。いつの間にか気を失って眠ってしまっていたらしい。目を開けるとマリアはアルスに抱きかかえられていた。
「え?・・・・・・」状況を理解出来ないまま困惑していると、アルスが気がついた。
「目を覚ましたね、今救護班のところに向かってるんだ。大丈夫かい?」
アルスが心配顔で覗いている。というか、この状況!彼女の鼓動が速くなる。顔が近い!別の意味で大丈夫じゃない!
「え?はい、なんとか」
なんとか取り繕いながらも顔を赤らめながらマリアは答えた。
「でも、どうしてアルスさまがわたしを?」
「ああ、それはね、ヴェルナーが教えてくれたんだ」
アルスは、気になっていた状況をマリアに尋ねた。マリアほどの手練れが気を失う事態である。余程のことがあったのだろうと思ったからだ。彼女はそれまでのいきさつを話した。アルスは黙って頷く。
「すまない、僕がもう少し早く戻って来れたら良かった」
「いえ、アルスさまのせいじゃ・・・・・・」
「いいんだ。それより君が無事でいてくれて良かったよ、この戦場に連れ出したのは僕だからね。何かあったら僕の責任だ・・・・・・」
「・・・・・・アルスさま」
救護班のいるところまでマリアを運ぶと、アルスはエリクサーを持ってきてくれた。マリアは以前にもアルスからエリクサーを貰っていた。総合演習場で母の見舞いをしていると言った話を覚えていて、アルスが持ってきてくれたのだ。
「こんなに高価な薬、わたしなんかに良いのですか?」
「おかしなこと言うね、他に誰に使うんだよ?」そう言ってアルスは笑った。
受け取ったエリクサーを飲み干すと、身体から痛みがスッと消えた。そういえば魔素水と少し似ている感覚を覚える。というのも、エリクサーは身体に魔素を巡らせ、回復を劇的に早める効果がある。魔法ではないため瞬時にとはいかないが、通常なら一か月はかかる怪我を僅か数日に縮めてしまうほどだ。
「アルスさま、ありがとうございます」
「それじゃあ、僕は先に行くね」
「それならわたしも一緒に」
「マリアはもう少しここで休んでてくれ」
「すみません。無事で帰って来てくださいね」
一方、アルス軍の中央部隊の指揮をとっていたフランツは的確な指示と間断の無い苛烈な攻めを展開していた。
いつも拙書を読んで頂きありがとうございます。
☆、ブックマークして頂けたら喜びます。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。