宝石に転生 呪いのルビーと呼ばれています
俺には前世がある。
人間だった。
はっきりと覚えている。
俺は殺されたのだ。
死後、俺は暗い中にいた。
長い間、何もできずにまどろんでいた。
何もしようとは思わなかった。
することもできなかった。
手足の感覚が無かった。
多分手足がないのだ。
顔があるかどうかも疑わしい。
くしゃみをしたくなることも、あくびが出ることも、鼻水が垂れることも、俺にはなかった。
ただ、暗い場所にいる。
それだけがわかった。
どれだけの年月そうしていたのかもわからない。
ある時突然、俺の体を鋼鉄の何かが揺さぶった。
俺の体の範囲がどのぐらいかもわからない。
だが、鋼鉄の何かが掠めたことはわかった。
俺は、硬く暗い中から取り出された。
ごつごつとした黒い節だらけの手でつかみ出され、ずっと暗い中にいたのに、いきなり強い光に当てられた。
「こりゃすげえ。真っ赤な宝石だ。ルビーだな」
「研磨するのが楽しみだな」
俺を掘り出した、薄汚れた人間たちが歓声を上げていた。
どうやら俺はルビーらしいと、この時に知った。
※
俺は動くことができない。
ごつごつした男たちの無骨な手で撫で回され、硬い道具で削られた。
黄金の椅子が用意され、かっちりと嵌め込まれた。
しばらく旅をした。
動くことはできないので、俺の持ち主らしい男のなすがままに運ばれた。
暗い場所から出してもらえるのはほんの短い時間だけだったので、景色は楽しめないし、旅の醍醐味はなかった。
旅の終わりは突然だった。
俺を連れ回していた男が大金をやり取りし、俺はガラスケースに入れられた。
どうやら、売られたらしい。
ガラスケースの中で、俺は初めてじっくりとこの世界を眺めた。
ガラスケースの外は店だったが、店の正面は大きなガラス張りになっており、二重のガラス越しではあったが、俺は外を見ることができた。
俺の体は、赤く輝く宝石だ。つまり顔がなければ目も耳もない。
それなのに、ガラスケースから見える外の世界を見ることができたし、行き交う人間たちの話し声を聞いた。
時には、美味しそうな匂いが漂ってくることもあった。
ルビーの宝石として鎮座した俺は、この世界が、俺の知っている世界ではないことに気づいた。
俺の知る世界には、空を飛ぶホウキも絨毯もなかった。
俺が暮らした世界には、人間に似た醜い鬼なんていなかった。
俺が生きた世界には、話をする動物はいなかった。
どうやら、俺は異世界に転生してしまったらしい。
物語で読んだことがあった。
むしろ、好きでよく読んでいた。
せっかく異世界に転生したというのに、俺は手も足も出ない。いや、手も足もないのだ。
せめて、異世界らしいことが何かできないか、動こうともがいた。
宝石が勝手に動けば、それだけで異世界感がある。
元の世界だったら、ホラーだ。
だが、どんなに踏ん張っても、1ミリも動ける気配がなかった。
落ち込む俺の前を、元気な男の子が走り抜けようとして転んだ。
俺は羨ましいとも思ったが、転んで泣き出した男の子を憎んでも仕方がない。
助け起こしてやりたかったが、動けない。
くわえる指もないまま、もどかしく見ていると、男の子はふわりと浮き上がった。
すぐに、男の子を浮き上がらせた何者かが姿を見せた。
まだ若い、だが色気に満ちた女が、男の子を立たせた。
魔女という存在だろうか。
男の子は、黙って駆け出した。
女はその場に留まり、ガラス越しに俺を見た。
「あらっ、珍しい。魂持ちの宝石ね。欲しいけど、お値段が高すぎるわ。もし自我があるのなら、退屈でしょう。ひとつ教えてあげる。魔力は、魂に宿るのよ」
女は言うと、指を鳴らした。
途端に姿が消える。
だが、俺の心には、いつまでも女の言葉が響いていた。
※
俺は、宝石屋の看板商品として、長く飾られるはずだった。
意外と早く売れたと思ったが、体感で何年だったのかわからない。
何度か、俺が眺め続けた通りが人混みで一杯になった。
政争やら戦争やらがあったのかもしれない。
そう思うと、何年、あるいは何十年とショーウインドウの中にいたのかもしれない。
俺を見た太った男が、どうやら俺を購入したようだ。
俺は黄金の台座に嵌め込まれたまま、ふわふわしたもので梱包され、闇に閉ざされた。
ケースに入れられたらしい。
外に出された時は、太った中年の男を飾るのかと気が重くなったが、逃げられるものでもない。
なにしろ、動かす体がないのだ。
俺は、魔力は魂に宿るという言葉を信じ、魔力を溜め込むことをイメージし続けた。
魔力が体内に溜まる感じは覚えたと思う。
だが、溜まった魔力を使用する方法を知らなかった。
俺に助言した魔女が、魔力の使用法を教えに戻ってくるということもなかった。
従って、俺は魔力を貯めることはできるが、それ以外はただの宝石にすぎず、持ち主を選ぶこともできなかった。
長い間揺られ、再び明るい場所に出たとき、目の前にいたのは綺麗な女の人だった。
目を輝かせて俺を見つめ、俺が嵌め込まれた台座ごと持ち上げて俺を凝視した。
もともと真っ赤な宝石の俺が、赤面するところだった。
綺麗な女性は、感謝の言葉を口にしながら、俺を胸に飾った。
どうやら、俺の台座は首飾りなのだと、この時に知った。
俺の新しい所有者になった綺麗な女性は、マリーといった。
マリーはまだ子供ではないかと思われるほど若々しく、俺のような大きな宝石を身につけるのは早すぎると言いながら、俺を誇らしげに胸に下げた。
マリーが俺をぶら下げて出席した最初のパーティーで、それは起きた。
パーティーはただ飲み食いするだけでなく、男女の交流としてダンスが行われていた。
俺は何もできず、ただマリーの胸の上で跳ね続けた。
マリーは舞踏会を大いに楽しみ、何人かの男を魅了した。
マリーにとって、大切な場所となるはずだった。
突然、会場の壁が崩れた。
崩れた場所から、赤黒いトカゲの巨大な顔が現れた。
トカゲの頭を踏みつけ、汚れた鎧に覆われた騎士風の男が現れた。
パーティーに集まっていた人々は、多くは逃げ惑い、逆に迎え撃つための兵士たちが雪崩れ込んだ。
どうやら、汚れた鎧の騎士は、近くの塔に住む灰色男爵と呼ばれる男らしい。
灰色男爵は兵士たちを相手に1人で無双した。
マリーは逃げようとして、足を取られてへたり込んだ。
マリーに手を伸ばした男は、マリーとダンスを熱心に踊った男だと俺は記憶していた。
マリーは男の手を掴んだ。
男が、手だけになった。
手首から先が、灰色男爵の剣によって切断され、鮮血が飛び散った。
マリーが絶叫する。
灰色男爵は、マリーの美しさを意に解すことなく、剣を振り上げた。
マリーを守らなくては。
俺は、かつて魔女に言われたことを信じていた。
魔力は、魂に宿る。
身動き一つできない俺でも、ずっと意識はある。
魂はあるはずだ。
なら、魔力だってあるのに違いない。魔力を貯めるイメージだけはしてきたのだ。
俺は、とにかくマリーを守りたかった。
灰色男爵の剣がマリーの額に向かって振り下ろされた瞬間、俺はほんの一瞬光を放ち、その直後に灰色男爵の持つ剣が折れた。
「えっ? 私……生きているの?」
マリーが胸に手を当てた。
『早く! 逃げて!』
俺は必死で訴えた。
聞こえるはずがない。
そうは思った。
だが、マリーは応えた。
マリーは、まるで俺の想いが伝わったかのように、灰色男爵に背を向けて駆け出した。
「おのれ! その娘を喰らえ!」
灰色男爵の声に、俺は絶望した。乗ってきたトカゲに向かって命令しているのは明らかだ。
マリーは全力で走ったが、ダンスで疲れていたのだろう。
足をもつれさせ、再び転倒した。
マリーの頭上で、トカゲの牙が打ち鳴らされる。
転倒しなければ、食い殺されていただろう。
俺は再び魔法を使えるようイメージした。
大きなトカゲだ。
しっぽを切っても伸びてくる。
切るなら、頭だ。
俺は、輝いた。
意識してではない。
魔法を使いたい。マリーを助けたいと願った。
その願いが頂点に達したのだろう。
俺は赤く輝き、透明な刃を出していた。
マリーが倒れている。
その手前に、大量の血液が流れ落ちる。
少し遅れて、重い音が響いた。
トカゲの頭部が、床に落ちた。
自らの血溜まりの中に、落ちたトカゲの頭部が目を見開いたまま沈んでいた。
『マリー、逃げて!』
トカゲは死んだ。
だが、安全ではない。
俺は訴えた。
だが、俺の願いは空虚に響いた。
さっきとは、何かが違う。
俺は、身動きはとれない。
何が起きたのか、わからない。
「……驚いたな。呪いのルビーか。ドラゴンを失ったが、その代償としては悪くない」
何やらわからないことを言いながら、誰かが俺を持ち上げた。
俺は、マリーの首にかかっていたのだ。
はっきりとわかる。
マリーは動かない。
俺を持ち上げた何者かは、マリーの頭を蹴飛ばして、俺をむしり取った。
『マリー、起きて! 逃げて!』
俺は訴えた。
笑い声が聞こえた。
近かった。俺を持ち上げた奴が笑っているのだ。
「この娘がマリーか。死んでいる。二度と起きることはない。貴様が命を吸い上げて殺したのだ。代償にドラゴンの首一つなら、悪くはあるまい」
俺は、ゆっくりと回転させられた。
ペンダントにされた俺は、俺を持ち上げて覗き込んでいる、真っ黒い顔色の男を見た。
灰色男爵と呼ばれていた男の、ヘルムを脱いだ姿だと感じた。
俺の声が聞こえるのだろうか。
「ああ。俺は貴様の声を聴ける。残念だが、私は首にかけたりしない。よかろう。この国を手に入れるため、役に立て」
俺には、灰色男爵が何を言っているのかわからなかった。
灰色男爵は、俺を懐にいれてその場を走り去った。
乗ってきた大きなトカゲは、死体となっていた。
俺は、床に転がされたマリーの冥福を祈った。
後日、俺は箱に詰められ、送られた。
再び箱が開いた時、俺を見つめているのは、とても綺麗な、首の長い、髪の上にティアラを乗せた女性だった。