自己紹介三人目 1
体力勝負の翌日、授業が終わり放課後となった今、表裏は掬央と共に帰路についていた。
「まだ身体がだりぃ」
「俺もだ。朝起きたらあまりの筋肉痛で悶えたぐらいだ」
「あの野郎、無駄に走らせやがって……!」
「見事に一杯食わされたな」
「お前もだろうが! 先にへばりやがって!」
「お前が余計なことをしたからだろう!」
「そっちこそお酢を飲ませたこと忘れてねえぞ!」
昨日は完全にばててしまったためにできなかった、不満を言い合う。どちらが足を引っ張っていたかと責任の所在を押し付け合った。
「まあ、どう足掻いても勝ち目はなかったけどな」
「天職は絶対に教師ではないな」
「勝負の後もぴんぴんしてたぞ」
「ああ、副会長を見事に捕らえていたからな」
勝負の後、審判を務めていた末広は役目を果たしたと言わんばかりそそくさと帰ろうとしていたが、山田に掴まれてそれは叶わなかった。完全に他人事のようにのほほんとしていた彼だったが、山田からすると指導対象であったようだった。
山田曰く、護身術の授業に関してはこの勝負によって水に流すが、それとは関係のない末広のサボりまで許した訳ではないと。ニコニコと笑顔でありながら、後ずさった末広。表裏は彼の頬に一筋の汗が伝ったのを覚えていた。その後はあっという間に彼は捕まった。そして、「げっ」と言葉を残して連れて行かれた。
「ところで、どこに向かっているんだ?」
話は変わり今のことへ。表裏たちは街中を歩いていた。表裏が何か食べて帰ろうと掬央を誘ったのだ。
そして、現在はその目的の店へと向かっている途中だった。
「気になるラーメン屋を見つけたんだ。ちょうど最近できたばっかりらしい」
「ラーメンか。それはいいな。何ラーメンだ?」
「知らねえ。そんな詳しく見てねえし」
「そこは調べておけよ。大事だろ」
「下調べ無しで行くのも楽しいだろ?」
「まあ、それもそうだな」
そう言って陽が傾き始めた中、二人は歩いていく。
「そう言えば、想太は誘わなかったのか?」
その掬央の言葉に表裏は首を振った。
「誘おうとしたけどいなかったんだよ。先に帰ってたみたいだ」
「昨日に続いてか」
「何かと忙しいのかもな」
「もしかしたら、他校の生徒とデートなんてことも……」
表裏はその光景を想像して、舌打ちした。醜い男の嫉妬であった。
彼は次に想太を見かけたら追求しようと心に決めた。
「抜け駆けしやがって……!」
「まだ決まったわけではないがな」
その時、表裏の耳が喧騒を捉えた。路地を曲がった先の向こう。そこから誰かの怒号が聞こえてきたのだ。
表裏は掬央と顔を見合わせて早足で進んで覗き込んだ。
「どういうつもりだ!?」
「い、いや僕は……」
「ああ!? 聞こえねえぞ!」
そこでは見るからにガラの悪い不良たちが一人の少年を恫喝していた。少年は表裏たちと同じ星見学園の制服に身を包んで蹲っていた。
「やるぞ、掬央」
「ああ」
表裏たちは頷き合ってそこに飛び込んだ。
彼らに不良たちの意識が向いた。
「何だお前ら。こっちは忙しいんだよ。どっか行けよ」
「奇遇だな。俺もたった今、忙しくなりそうな気がしてんだ!」
表裏はそう言って、少年の腕を掴んだ。そして、掬央が持っていたスプーンを投げつけた。
「あ、あれ浦原くん!?」
表裏が引っ張って立ち上がらせた少年が驚きの声を上げた。その声は表裏にも聞き覚えがあった。というか先ほどまで話題に出していたものだった。
「想太、お前かよ!?」
「二人こそ、どうしてここに!?」
「俺はこいつに誘われてな、偶然だ」
驚愕し合う三人だが、そうもしていられない。掬央がスプーンを投げたが効果が切れてしまえば、目の前の不良たちが襲ってくることは目に見えていた。
そのため、表裏は想太の手を引いて急いで逃げ出した。
「デートはデートでもこのような形だとはな!」
「こんなもん羨ましくねえよ!」
「待ちやがれ!」
「げっ! もう来てんじゃねえか!」
「まだ他に仲間がいたようだ!」
掬央のスプーンに当たっていない者もいたようで、すぐに表裏たちを追いかけてきた。そして、数を徐々に増やして彼らを追い詰めていった。
彼らはそんな不良たちを撒くために次から次へと細い路地に飛び込んでいった。
やがて、街の喧騒から外れて人気の少ない路地裏へと辿り着いた。そこは表裏たちと想太が初めて会った場所であった。
表裏たちはそこで一息ついた。随分と走ったために息が荒くなって、汗もかいてしまっていた。
「二日連続かよ……」
「本当にな……」
表裏は想太に目を向けた。ここにきてからどうにも想太の口数が減っていたのが気になっていた。疲れてそれどころじゃないのか、怯えているのか。
「なあ想太、ここまで追われるのって何かあんだろ。喧嘩にでも巻き込まれたのか? それでもし、脅されでもしてんなら言ってくれ。力になる」
そう言って表裏は想太へと手を差し出した。それに応えるように想太も手を伸ばした。
そして、弾いた。
弾かれた手を押さえて顔を顰める表裏。
「おめでたい頭をしているね。脅されている?違うさ、僕が誘導していたんだ。彼らは単純で扱いやすくて助かったよ。ほんの少し悪意を分けるだけで思った通りに動いてくれる。今回も役に立った。君たちをここに連れてこれた」
「想太……? お前、何を言ってやがる……?」
突如豹変した想太の雰囲気に頭が追いつかない表裏。だが、手のひらの痛みがどうしようもなく現実だと伝えてきていた。
さらに、想太が続ける。
「君たちのバカさ加減にはそろそろうんざりしていたんだ。目障りだ。だから、今ここで叩き潰す」
想太が笑みを浮かべる。それは表裏たちが学校で見たものとは似ても似つかなかった。
想太が一歩前に進み腕を引く。大きく振られた腕は、一切の躊躇いが感じられない勢いを持って表裏へと向かった。
「……っ! まじでやろうってのか想太。いいぜ、上等だ! 手出すなよ掬央!」
「はあ、好きにしてもいいが事情を聞き出せ」
「ああ! 口を割って理由を話させる!」
かろうじて顔を傾けて躱した表裏は、想太が冗談を言っているわけではないと悟った。本気で自分のことを殴ろうとしたのだと理解できてしまった。
だが、表裏には想太が何を思ってこのような行動をとっているか全くわからなかった。
だからこそ、対峙することを選んだ。
表裏は大きく後退し距離を取る。
掬央は表裏に言われた通りに手を出すつもりはないようで、二人から離れた場所に移動していた。
そして、表裏は想太を見据えた。
今まで表裏が見てきたおどおどした彼はそこにいなかった。酷薄に笑い、堂々と立っている彼がそこにいた。
「準備はいいかい?」
「そっちこそ、ハンカチ持ってきたか」
「その減らず口、すぐに聞けないようにしてあげるよ!」
そうして、二人は同時に駆け出した。
「わざわざ一人で来るなんて舐めてるね」
「そうでもねえさ!」
表裏は正面から飛びかかり、拳を握った。腕を引き、大振りのまま想太に向かって振るった。
当然、不意をついたわけではないため、想太は余裕を持って反応した。表裏の拳を受け止めるように軽く身体の前に伸ばされた手。
「……何!?」
しかし、その手は全く見当違いの場所を守っていた。そのため、表裏の拳は何の抵抗もなく突き刺さった。
「ぐっ! いつの間に……裏返したな!」
そう、表裏はすでに想太の身体に触れて彼の左右を裏返していたのだ。手を弾かれた時に咄嗟に行ったことであったがそれが活きてきた。
「よーいどんで始まる戦いなんてねえんだよ!」
手早く終わらせようと、想太が困惑している間に決めてしまおうと、表裏は追い打ちをかけた。
再度懐に潜り込んで、腕を振るった。
だが、今度はぱしんと音を立ててあっさりと想太が出した手に受け止められた。
「裏返したはずじゃあ!?」
「最初は驚いたけど、それは以前も見た。左右が裏返ったならば、そのまま僕も逆の手を出せば良い。それだけの話だよ」
今度は想太が拳を握り、振るう。それを表裏は掴まれた手を振り払って避けた。そして、後ろに跳んで距離を取った。
表裏は冷や汗を流す。ここまで早く対応されてしまうとは全く思っていなかった。彼が知っている頼りない男ではない。今目の前にいる想太は危険な相手だと悟った。
表裏は制服のネクタイを解き、手に持った。再び想太に向かって突っ込んでいく。
表裏は想太の不自然について多少は知っていても、細かい内容は全く知らない。つまり、想太の手の内を彼はほとんど予測できていなかった。そのため、想太にペースを握られることは危険だと彼は考えた。
「また正面からかい? 今度は外さないよ!」
表裏は想太の近くまで行くと、手に持ったネクタイを投げつけた。想太の顔を目掛けて飛んでいく布。
「そんなもの、目眩しにならないよ!」
そう言って簡単に払われてしまった。しかし、想太はそこで顔を顰めた。手を押さえて表裏を睨む。
「どうだびっくりしただろ? ただの薄っぺらい布だからな。裏返しても大した硬さにはならないが、柔らかい物だと思って触れると少し痛えだろ」
「それで、これが何だって言うんだい? 嫌がらせ程度の効果しかないよ」
「いいや、気を逸らせた!」
表裏は想太が裏返されたネクタイに気を取られて隙に、再び懐まで潜り込むことに成功した。そして、今度はより強く腕を振るって、倒しにいった。
「なんっだっ……! この感触……!」
「君があまりにもうざったいから、カチンときたんだ」
じんじんと拳に伝わる痛みに思わず顔をしかめる表裏。伝わった感触は鉄を思わせるような硬いものだった。その頑強さを表しているかのように想太は表裏の拳を受けても微動だにせず、そよ風でも浴びているかのような有様だった。
そして、攻撃をしてダメージを与えられていないことに表裏が動揺している中、想太が腕を振り上げた。
「それにカッともなった」
「何を……。ぐっ……!」
それを手で触れることは間に合わないと察した表裏は咄嗟に腕を交差して受ける。だが、その威力は先ほどまでとは比べ物にならないほどで、表裏の身体は宙を浮いた。それは数メートルほど離れた壁まで飛ばされるほどであった。表裏はどうにか壁と身体の間に手を挟んで、壁の硬さを裏返すことによって勢いを殺して止まることができた。
(やべえ……! 想像以上に強い。このままじゃ、追い込まれるのは俺の方だ)
表裏は着地と同時に間髪入れず駆け出した。少しでも、握られたペースを取り戻そうとしたためだ。
しかし、無闇に正面から行っても無駄なのは先の二回のやり取りでわかっている。
なので、表裏は今度は攻め方を変えた。想太の近くまで来ると、壁を裏返してその部分を取り出した。そして、石のようになったそれを想太に投げた。
「また投げるだけか。効かないよ!」
今度もあっさりと砕かれてしまったが、表裏の狙いはそれではない。
「――いいや、今度は上からだ!」
想太の意識がほんの僅かに投石に向かった瞬間、壁を裏返しながら持ち場を作って、駆け登ったのだ。
頭上からの攻撃。それならば確実に当てられて、尚且つ威力も期待できるはずだと、彼は考えた。
(よし、いける!)
そう彼が確信をして、想太に拳が当たろうした瞬間、彼は地面に叩きつけられた。
「……何が……起こった!?」
「そう何度も翻弄されちゃ、僕は落ち込んじゃうよ」
重力が何倍にもなったかのように彼は全く動けなくなる。羽をもがれた蝶のように這うことしかできない。そんな彼に想太が迫る。だが、彼は諦めていなかった。
(どんな原理で、どうやったか知らねえが。これはチャンスだ!)
彼は今、地面に手をついている。重くなったせいで自然と手で身体を支えていた。これを利用しない手はなかった。
彼は地面の硬さを裏返し、想太を地面に沈めようとした。
「重くなったってことは、地面に手をつくってこ――」
その瞬間身体が軽くなった。想太が沈んで思わず解いてしまったのだと思った彼は顔を上げた。だが、そこには想太はいなかった。
顔を動かして周囲を見渡す。それでも、いない。彼が混乱していると、そんな彼に影がかかった。
彼は咄嗟に上を向く。
「次から次へと来られたら僕は浮き足立っちゃうよ」
「上か……!」
そこには、宙に浮いた想太がいた。その状態のまま表裏に殴りかかってきた。
それを彼は地面を転がり何とか避ける。着地もまともに考えられていなかったため、尻餅をつきながらも想太から視線は外さない表裏。
「まだ避けられるか。でも、そろそろ追い詰められてきたんじゃないかな?」
僅かに目を細める想太。そう言った彼にはまだまだ余裕があるようで外したことを気にも留めていないようだった。
対して表裏。彼は辛うじて、大きなダメージを受けていないが、至る所に擦り傷や汚れが見受けられた。
「バカ言え、俺だってお前の不自然の弱点を見抜いたっての」
それでも、表裏は強気な姿勢を崩さない。そう宣ってもみせた表裏。しかし、これはただの戯言のように思えるが全くのでまかせというわけでない。表裏は想太の不自然に関してある特徴を確かに見抜いていた。
「お前の不自然、いろんなことができるようだが、同時に二つ以上の現象を起こせねえんだろ?」
確信したのは想太が宙を浮いた瞬間。その瞬間身体の重さがなくなった身体。仮に二つ以上を起こせた場合、あの時に重力を解除する理由はない。
「確かに正解だよ。僕の不自然は感情によって様々な効果があるけど、それを同時に起こせるのは一つずつだ。でもね、それがわかったところで何になるんだい? 現に君はもう僕に追い詰められている」
そんな想太の言葉に表裏は笑った。それはやけになったわけではなかった。
「そうだな。こっちはすでにピンチの連続だ」
彼は足を肩幅に開き、右手を突き出した。そんな彼の顔に浮かぶのは自信過剰なまでの笑み。これまでとは一線を画す迫力を彼は放ち出した。
「だから使うぜ! 食らえ! 必殺――」
左手は右手首を支えるように持ち、雄叫びを上げる。歯を食いしばり、身体中の力をかき集めるかのように支える手に力を込める。
「そうはさせるか!」
そんな表裏の様子に、想太が更に勢いを増して迫り来るが、すでに時遅い。
彼は裂帛の気合いと共にその言葉を解き放った。
「――なんてもんがあったらとっくに使ってる!」
その言葉に、顔の前で腕を交差していた想太が腕を解いた。相当力を込めていたのかその腕はぷるぷると震えていた。
「何だそんなもんがあると信じてたのか?」
表裏がそう挑発する。
すると、想太は血相を変えて襲いかかってきた。
「舐めやがって! そんなに僕を怒らせたいのかい!」
表裏はあれほど力を込めていたはずの構えを解いて、脱力していた。想太の怒りも柳に風といったように意に介していない。
そして、彼は意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「便利な必殺技の代わりに便利なやつがいるんだよ」
その瞬間、想太の動きが突如不自然に止まった。パントマイムでもしているかのようにその場でぴたりと身体だけが動きを止めていた。それでも、想太自身は動こうとしているようで、顔を苦しげに歪めている。
しばらくの間、苦悶の表情を浮かべていた彼だったが抵抗をやめたのか大人しくなった。そして、忌まわしげに呟いた。
「……長井の不自然……!」
想太が動きを止めた原因、それは掬央によるものだった。表裏がした意味のない必殺技のポーズはそれを当てるためのものだった。
つまり、表裏は一対一で戦う気などさらさらなかったのだ。
「誰がタイマンなんざやるか。わざわざ有利を手放すほど俺は甘くはねえよ!」
完全に無防備となった想太に表裏の拳が突き刺さった。想太は吹き飛び、大の字に倒れて静かになった。
「ふぅ、危なかった」
座り込む表裏。実際のところ、彼はかなりのピンチだった。それこそ、このような手段を取る必要があるほどに。
「流石だな。見事に卑怯な一撃だ」
そこに掬央がやってきた。上手く想太を狙い撃ったスプーンを手に持って呆れた顔をして歩いてきた。
「これが一番被害の少ない方法だろ」
「それはそうだが、絵面があまりにも酷かった」
「片棒を担いだくせによく言うな」
「俺はお前に担がされたんだ」
ひどく気を張った戦いが終わり、弛緩した空気が流れ始める。
(ああ、疲れた。明日も筋肉痛だ)
昨日の体力勝負に続いて、今回のこの戦い。きっと明日の自分は今朝と同じようにベッドから起きる時に悶えてしまうのだろう。表裏はそんな益体もないことを考える。
「……つくなあ」
その時、そんな声が聞こえて表裏たちはばっと想太の方を向いた。確かに倒したはずであったが、思わず身構えてしまうような不思議な脅威がある声。
もう一度気を張り直し、警戒する。立ち上がり、いつ何が起こっても良いように戦えるようにする。
「ああムカつくなあ……!」
そして、想太から黒くおどろおどろしい何かが溢れ出した。