体力勝負 1
迎えた放課後。徐々に陽が伸びてきたことを示すようにまだ青空が頭上に広がっている中、表裏は再び体操服に身を包み、グラウンドに来ていた。
その周囲には野次馬として幾人かの生徒。
「それで、勝算はあるのか?」
そして、掬央がいた。表裏が彼を連れて来たのだ。無論抵抗されたが、勝利した時のメリットを言えば、彼はあっさりとついて来た。
「誰が勝算もなしに勝負を挑むかよ」
「お前ならやりかねんと思ってな」
「というか、お前が俺のことを黙ってりゃ俺は無事だった!」
「それはこっちのセリフだ! お前が裏切ったからこんな面倒なことになったんだろうが!」
「大体なあ! あんな穴だらけの作戦で上手くいくか!」
「じゃあどうしろと!」
「そりゃあこう、すごい感じで……」
「お前も碌なアイデアがないじゃないか!」
そこで表裏は一人足りないことに気づく。想太がいなかったのだ。直接来てほしいとは言ってはなかったが、表裏は当然来るものだと思っていた。またバカなことをしていると呆れ顔でやって来るものとばかり考えていた。
「おい掬央。想太は?」
「俺も見ていないが、来ていないのか?」
どうやら掬央も知らなかったようで首を傾げて問い返してきた。
そんな彼の様子に表裏は歯噛みする。ただでさえ低い勝率が更に低くなったと。
「マジか……。くそ、あいつにも頼もうと思ってたのに」
「なんだ作戦でもあったのか。どうせ、またくだらんものだったろうが」
「舐めんじゃねえよ。あの筋肉男に勝つためのもんだ。今回のはきっと上手くいく。というかお前にも協力してもらうからな」
「何故俺がそんなことをする必要がある」
心底わけがわからないと言わんばかりに、いつの間にか手に持っていた缶を開ける掬央。ちびちびと缶を傾けるその姿はこれから勝負が始まることなど眼中にないことを伝えてきた。
まさしく他人事といった様相の掬央。彼に対して表裏はどうにか冷静さを保ったまま説得に移る。
「き、掬央くーん。いいのかな~、お前だって指導対象だろ~?」
「作戦があるのだろう?」
終いには彼は二本目を取り出した。一本目を飲み終わり、ようやくこちらの話を聞く気になったのかと思えばこの態度。表裏は彼の手から缶をひったくった。
「何をする!? 新発売ジャーキーサイダーだぞ!」
「知らねえよ!? というか、そんなゲテモノ飲んでんじゃねえよ!」
「ゲテモノとはなんだ! これにはどうにか話題になろうという迷走した企業努力を感じられるだろう!」
「お前もバカにしてんじゃねえか!」
「俺をお前みたいに先入観で判断するような奴といっしょにするな! 俺はちゃんと確かめて判断する男だ!」
「だったら、飲ませてやるよ!」
そう言って、表裏は缶を思いっきり開けた。二人のやり取りのせいか、勢いよく開けたせいか飲み口から噴水の如く溢れだした。そして、それは見事な曲線を描いて掬央の目に直撃した。
「ぐあああ! シュワシュワだあああ!」
「どうだ美味いか! 感想を聞かせてくれよ!」
缶を揺らしながら目を押さえた掬央に尋ねる表裏。ちゃぷちゃぷと鳴る水の音がどうにも心地よかった。さらに、彼は掬央にも聞かせてやろうと耳元まで持っていった。
そんな彼の手が掬央に掴まれた。目を瞑ってしまっているため闇雲に掴んでいるのだと、表裏はそっと引き離そうとした。しかし、離れない。それどころか、手に持った缶を強引に奪われてしまった。
「何だ、飲み足りねえのか? それほど気に入ったか!」
「ああ、お前にも教えてやりたいほどになあ!」
表裏は咄嗟に距離を取ろうとした。だが、掴まれた手がそれを許さなかった。
掬央が持った缶からちゃぷちゃぷと音が鳴る。表裏にはそれが先ほどとは正反対の不吉な足音に聞こえた。そして、掬央が缶を勢いよく振った。それによって缶の残りが表裏目掛けて飛び出した。
「シュワシュワだあああ! ぐああ! 瞼の裏で弾けやがる!」
「そうか、それほど嬉しいか。なら良かった」
「どう見ても苦しんでだろ!」
表裏は目を押さえて喚いた。その際、垂れてきたジュースが口に入り顔を歪めた。口内にジャーキーの風味が広がったのだ。それでいて、サイダーと銘打っているからか甘みもあって独特な味を作り出している。加えて、後にはベタついて味がしつこく残った。端的に言えば不味かった。
「こんなもん買いやがって……! お前の味覚、おかしいんじゃねえのか!」
「何を言っている。こんなものおいしいわけないだろうが!」
「だったら持って来てんじゃねえよ!」
「味と興味は別だ!」
「ほう、騒ぐ元気があるとは随分と余裕じゃないか」
騒ぐ二人に割って入る声。その聞こえた声に二人は思わず口を噤んだ。
表裏はゆっくりとその方を向く。そこには後ろに末広を伴った山田がいた。
表裏の頬を汗が伝う。呑気に手を振ってきている末広の姿などもはや視界に入らなかった。
「随分と遅い登場じゃねえか。そっちこそ余裕かましてんじゃねえのか」
「それは悪かったな。心の準備をする時間が必要かと思ってな」
「いらねえよ。勝つのは俺だからな!」
「威勢だけはいいな」
表裏と山田の二人は睨み合いながらスタート地点へ向かって行く。片やどこか顔を引き攣らせながら、片や自信を漲らせながら。
そして、足を止めた二人の前に末広が立つ。彼がこの勝負の審判を務めるのだ。彼もサボりが見つかり、それを見逃してもらうためにわざわざここまで来ていた。
「それじゃあ二人とも。勝負のルールを説明します」
そう言って彼はそこにあった体育の授業などで用いられる大きなタイマーを指差した。
「体力勝負ってことなので、足の速さを競うわけじゃありません。ということで一定の制限時間を設けてそれまでに一周するという形にします。ちなみに制限時間はおおよそ十五歳の平均タイムに設定しています」
「どうやったら負けになるんだ? 間に合わなかったらそこですぐに終わりか?」
表裏が詳細なルールを尋ねる。圧倒的に分が悪い彼にとって敗北条件というのは最も大切なものだからだ。
そんな彼に対して、末広は少々間を置いた後答えた。
「じゃあこうしようか。シャトルランって知ってる? あの体力テストとかで行われるやつ」
「一応何となく知ってるけど」
「それと同じにしよう。二周連続で間に合わなかったら負け。つまり、一度遅れてしまっても次の周の終わりまでに巻き返せばどうにかなるってことだね」
「なるほど。マジで体力勝負だな」
ルールを確認して二人は位置についた。
表裏は深呼吸をした。大きく息を吸い、少しでも息を整える。ゆっくりと足を伸ばして準備運動も行う。
対して、山田。彼は全く気負いがないようで、リラックスした様子でその場で軽く足を上げて駆けていた。
その彼の様子にたまらず引き攣った笑いが出てしまう表裏だが、どうにか抑える。
「何だ浦原。怖気付いたか?」
「バカ言え。あんたが負けた時を想像して笑いが止まらなかっただけだ」
「それにしては随分と不恰好な笑顔だったがな」
「それは元からだ!」
「ふっ、そうか。そうしておこうか」
二人が言葉を交わしていると、末広が大きく手を上げた。
それを見た表裏は集中してできるだけ身体から力を抜き、固さを取り除く。さらに、無駄な力が入らないように足で地面の感触を確認した。
「審判はこの僕、生徒会副会長羽打末広が務めます。間に合った、間に合っていないなどの細かい判定は僕が全て行います。それでは、よーいスタート!」
末広が力強く腕を振り下ろすと同時に、二人はスタートした。
しかし、表裏の頭の中には一瞬の間、勝負のことが抜け落ちていた。それほどの驚きがあったのだ。
「あんた、副会長かよ!?」
そう叫びながら表裏は駆け出した。