命尽きるまで
あ! あった…………。
40年前私が通っていた中学校は文化祭や体育祭が終わり、進学の為に慌ただしくなる前の11月に修学旅行が行われる。
その修学旅行の数日前に私はインフルエンザに感染しベッドの上で唸っていた。
修学旅行に行けない事が確定した私の部屋の窓の下に、幼稚園の時から一緒に行動していた3人の幼馴染たちが来て、「お土産買って来るから帰って来るまでに治っておけよ」と励ましの声を掛けて帰って行った。
それが幼馴染の3人を見た最後。
否、幼馴染の3人だけで無く、修学旅行に行った生徒全員と引率の先生たち全てが修学旅行に行った切り帰って来なかった。
事故ならまだ諦めも付く。
事故では無く、特急電車に乗っていた乗客乗員全員が特急電車ごと失踪したのだ。
失踪の第一報は特急電車が通過する筈だった駅の駅員から発せられる。
「通過する筈の特急電車が定時になっても現れない」と言う報告。
第2報はもっと具体的に、線路と並走している国道を走っていたトラックの運転手の、「特急電車が俺のトラックを追い抜いて行くのを横目で見ていたら、強風に煽られて舞い上がった雪に特急電車全体が覆われたんだけど、舞い上がった雪が収まったら特急電車が丸ごと消えていたんだ」と言う証言。
大騒ぎになり、警察と鉄道会社が特急電車が走っていた線路に繋がる全ての路線を調べても、特急電車は見つから無かった。
その特急電車が私の目の前にある。
でも、特急電車の中にも特急電車の周囲にも人の姿は皆無。
此の極寒の地にいるのは、私と私を此処まで連れて来てくれた原住民の人たちだけ。
原住民と言っても此の場所に1番近い集落の住民。
その集落は此処から200キロ以上離れた所にある。
特急電車の周りには、120年程前に北海で遭難信号も出さずに消えた豪華客船、独ソ戦時代のドイツとソ連の戦車、アメリカ西海岸とハワイの間で雲の中に入った切り消息を断った旅客機、200年前南極大陸に探検隊を上陸させたあと行方が分からなくなった帆船など、消息を断った船や航空機などが多数あった。
因みにこの地は1番近い海から500キロ以上離れていて、海から此処の間には標高4000メートル級の山脈が横たわっている。
バミューダトライアングルという言葉を聞いた事があると思うが、此の場所はバミューダトライアングルで消息不明になった船舶や航空機と同じように突然消息を絶った、ただし此方は吹雪や霧や雲などホワイトアウトによって消息不明になった物が集まっている。
否、何者かに集められていると言った方が良いのかも知れない。
私は原住民の人たちに手伝ってもらい、特急電車の多数の扉や窓に持って来た裏表両方に文字が書かれた紙を貼り付けた。
特急電車の扉を抉じ開けて中に入りたいという思いはある。
でも、外から見た限り特急電車の中は乗っていた人だけがいないだけで、消えた時のまま時間が停止しているように見えるのだ。
だから扉を抉じ開けた途端、特急電車の中の時間が動き出し乗っていた人たちの痕跡が消え去るのを恐れての事。
紙には幼馴染の3人を始め生徒や先生方、それに同じ特急電車に乗っていた乗客乗員の家族からのメッセージが書かれている。
私はインフルエンザの熱にうなされながら聞いた、修学旅行中の生徒と先生方が特急電車ごと失踪したと言うニュースを耳にし誓った。
皆んなを私が見つけ出す、と。
高校大学で複数の言語を学び身体を鍛え冒険家と成る可く必要なノウハウを得た。
大学卒業後プロの冒険家となり、失踪した特急電車の痕跡を求め世界中を飛び回る。
その為に必要な金を援助してくれたのが、偶々失踪した特急電車に乗っていた乗客乗員の家族の人たち。
だから私は命尽きるまで彼等の捜索を続ける所存なのだ。