79話、からしを付けるのはほどほどに
「小皿の縁に、からしを付けてっと。さて、最初は大根から食べようかしら」
「おっ、いいね~。なら、私もっと」
先ほど半分に割った大根を、ハルが用意してくれた小皿へ移し、更に半分割る。こうしておけば、からし有りと無しで、二度楽しめる。
四分の一まで割った大根の断面に、白い部分は無し。芯まで満遍なく、出汁が染み込んでいる。ほんのりと色付いた茶色が、視覚的に食欲をそそるわ。
「う~ん、おいひぃ~」
買ってからそれなりに時間が経っているので、冷めているかと思いきや。外も中もホクホクとしていて温かく、とても食べやすい温度に収まっている。
味付けのベースは、二、三種類ぐらいありそうね。かつおと昆布の風味を強く感じるので、きっと二番出汁の方だ。それと、香ばしい醤油の味もほのかに見え隠れしている。
総合的な味付けは、やや濃いめ。けれども、噛むとじゅわりと溢れ出てくる大根の優しい甘味が、出汁の濃さを上手く調節してくれて、丁度いい加減まで薄めてくれた。
毎度毎度思うけど。大根って、どれだけ出汁を吸っているのかしら? 一欠片に対して、旨味を含んだ水分が倍以上出てきている気がするわ。
「次は、からしを付けてっと」
塊を食べると悲惨な目に遭いそうなので、表面全体へ均等に伸ばし、よく馴染ませてっと。
「うわっ、すごい。味がここまで変わるんだ」
大根の風味を一切邪魔せず、むしろ引き立てていくマイルドな辛さよ。辛いには辛いけど、舌に少しだけピリッとくる程度だ。
けど、主役はあくまで大根だという事を忘れさせず、健気に後押しをしていく役目に落ち着いている。この、後からピリッとくる刺激がたまらない。
「大根とからし、すごく合うじゃない。私好きかも~」
「いいよね、大根にからしの組み合わせ。無限に食べられるわ~、うんまっ」
同じく大根にからしを付け、ほっこり顔で食べ進めていくハル。それよそれ、私が見たかった顔は。おでんを買ってきた甲斐があるってもんだわ。
「メリーさん。次は何を食べる?」
「そうね。牛すじは最後に取っておくとして、味が濃い物と薄い物を交互に食べていきたいから……、どうしようかしら?」
この場合だと、次にたまごかはんぺんを選ばなければならない。たまごの味は分かるけど、はんぺんって食べた事がないのよね。
「ちなみに、ハル? はんぺんって、どういう食べ物なの?」
「はんぺんは、簡単に言っちゃえば茹でかまぼこの一種で~。魚のすり身の中に、山芋とか色々入れて、気泡を大量に含ませた物って感じかな?」
「へえ、茹でかまぼこ。魚を使用してるなら、味はたまごより薄そうね」
「そうだね。なら次は、たまごにしますかい?」
「そうね、そうしましょ」
次に食べる物が決まったので、お互いにたまごを小皿へ移していく。固まった黄身が少しズレているから、ここから更に半分にするのは、ちょっと危なそうね。
よし、無理に割る必要は無い。半分だけ齧り、残った方にからしを付けよう。
「んふっ、黄身が濃厚~」
中までしっかり火が通っている事もあり、ちょっとパサつきが目立つけど。出汁がいい具合に、滑らかさを補充してくれている。
外の白身は、ブリンとした楽しい食感と淡泊さが健在。出汁の色がちゃんと移っているというのに、まるで物ともしていない。俺はたまごだぞっていう主張が、ダイレクトに伝わってくる。
黄身もそう。熱が加わり凝縮された濃厚なコクが、出汁の豊かな風味を押しのけて、口の中全体を支配していく。
からしを付けても、そんなに変わらない。からしのツンとした辛さと香りが、いの一番に鼻を通っていくけども。すぐさま、たまごの黄身が上塗りをして、後味もずっと黄身のままだ。
「たまごって強いのね。少量のからしじゃ、ビクともしないわ」
「それは、単にからしの量が少なすぎるせいかもね。私は逆に付け過ぎて、強烈な辛さを味わってる……」
そう言ったハルの顔はプルプルと震えていて、口を一文字にして強く噤んでいる。なるほど。からしを付け過ぎると、あんな悶え顔になるのね。私も気を付けないと。
「つ、付けるのは、ほどほどにしときなさいね?」
「この辛さが、またたまらないんスよぉ……」
「ああ、そう……」
涙目になるほどの辛さは、流石に味わいたくないわね。変な好奇心が湧いてくる前に、早くはんぺんを食べてしまおう。
「んんっ、すっごいふわふわしてる」
食感は、もふっとしていて柔らかく。全体的に淡泊な風味をしているけど、出汁と非常にマッチしている。この、何度も味わいたくなる様なふわもふ感。クセになりそう。
けど、出汁と接していた下の部分は、また違う食感になっているわね。しっとりもちもちで、ほぐれるように消えていく。
はんぺん自体がとても軽いから、出汁と接している部分が少ないものの。一つで二つの異なった食感を楽しめるので、一口で二度おいしい。
「けど、からしを付けると、からしの味しかしなくなるわね」
からしの味が強すぎるせいか。はたまた、はんぺんの味が薄いせいなのかは分からないけど。表面に軽く付けただけなのに、最初から最後まで、からしの味しかしなくなってしまった。
しかし、例の食感は失っておらず。なので、今私は、ふわふわもふもふのからしを食べている様な気分になっている。なんとも不思議な気分ね、これ。
「さてと、最後は牛すじね」
「おおっ、待ってました」
事前に串から外して分けていた牛すじを、箸で掴んで持ち上げる。牛すじって、食感の予想が難しい見た目をしているわね。
固そうな部分もあれば、柔らかそうな半透明の部分もある。いっぺんに噛むと、色んな食感が楽しめるかも? とりあえず、食べてみよっと。
「うわっ、トロトロしてる!」
いや、それだけじゃない。弾けんばかりに油が飛び出してくる。プルプルとした脂身もあれば、軟骨とまでいかないけど、コリコリとした歯応えも感じる。
そして一番の驚きは、一切れに対しての満足度。この中で唯一の肉類ともあってか、ようやく舞い込んできた肉肉しさに、口の中も喜んでいるわ。
それにしても、本当に牛肉よね? 今まで食べてきた牛肉の中で、ダントツに柔らかい。
脂身は、上顎と舌があれば十分だし。固そうな肉の部分も、軽めに数回噛んだだけで勝手にとろけていく。
風味は、脂身特有の甘さが強く出ているわね。肉本体は臭みが無く、噛めば噛むほど、出汁の旨味を含んだコクが深い肉汁が染み出してくる。
この、二つの旨味がギュッと詰まった肉汁が、私に確かな満足感を与えてくれるわ。味がまったく薄れないし、いつまでも噛んでいたいわぁ。
「牛すじぃ、最高っ……」
「う~んっ、ずっと美味しいや」
どうやらハルも、牛すじに夢中のようね。嬉しそうにニコニコしながら、牛すじをずっと噛んでいる。
「ハル。私が買ってきたおでん、どうだった?」
「んっ、めちゃくちゃ美味しかったよ。四つってのが、また絶妙な量だったね。まさに、ザ・三時のおやつって感じだったな。小腹も程よく満たせたし、超満足したよ。ありがとうね、メリーさん」
「へ、へえっ、そう。なら、よかったわ」
予想以上の嬉しい感想に、思わず声が上ずってしまったけど。今回のサプライズは、ハルも大いに喜んでくれたようだし、ひとまず大成功ね。よかった。
ならば、次もやらない手はないわ。待っていなさいよ、ハル? 時期や気温、季節とか貯まったお駄賃を考慮しつつ、あんたが喜びそうな物を買ってきてあげるわ。もちろん、こっそりとね。




