78話、お駄賃は還元するもの
「さてと、ハルは喜んでくれるかしら?」
あえて電気を点けず、しんと静まり返った薄暗い廊下内に、私の弾んだ小声が溶け込んでいく。
いつもだったら、真っ先に電話を掛けて、ハルに帰ってきた事を知らせるのだけれども。電話をしたら、ハルは話している最中に廊下まで来て、私を出迎えてしまう。
そうなると、サプライズで購入した物がすぐにバレてしまうから、何も知らせずに帰宅した。
でも、メリーさん故の宿命か。電話を一回我慢しただけだというのに、体が変に疼く。
右手だってそう。気が付いたら傘を持っていなく、代わりに携帯電話を握りしめていた。
……私、傘と携帯電話、いつ持ち替えたの? まったく気が付かなかった。危ない、自らハルを呼ぶ所だったわ。
発信寸前の携帯電話を、音を立てずにポケットへしまい込み。携帯電話を再び取り出したいという欲求を抑えつつ、部屋の明かりが漏れている扉へ向かい、その扉を静かに開けた。
「ただいま」
「え? あ、メリーさんか。ビックリしたー。おかえり」
私に挨拶を返してくれたハルは、完全に不意を突かれ、目をまん丸にさせている状態でいた。
これ、意外と効果てきめんね。タブレットに接続したイヤホンを、慌てて外している。
「ふふっ、珍しく驚いてるわね」
「驚くに決まってんじゃん。最初、誰が来たのかと思ったよ。そっちこそ珍しいじゃん。電話しないで帰って来るだなんてさ」
「まあ、ちょっとね」
流石に今回は、ハルに緩い文句を言われても仕方がない。珍しいも何も、これが生涯で初めてなのだから。お陰様で、体の疼きが止まらないわ。
電話をせずに帰宅してきた理由を濁した私は、ハルの隣まで行き、買い物袋だけを差し出した。
「ほら、今日も良いネギを買ってきたわよ」
「おっ、ありがと……、ん? メリーさん。ビニール袋を持ってるけど、何か買ったの?」
買い物袋を受け取るや否や。早速、違和感のあるビニール袋に着目したわね。そう。この中に、サプライズが入ってる。
けど、外はまあまあ肌寒かったのに対し。部屋の中は、湿度を度外視すれば、かなり過ごしやすい温度になっているじゃない。
もしかして、買ってくる物を間違えたかも? これだったら、肉まんやあんまんの方が無難だったまでありそうね。とりあえず、玉砕覚悟で出してみよう。
「ほら。外が肌寒かったから、これが食べたくなっちゃってね。私のお小遣いを使って買ってきたのよ」
「わあ、おでんじゃん」
満を持してかは分からないけども。ビニール袋から黒い容器を取り出し、中を隠している半透明の蓋を開けてみれば。容器から昇る湯気を浴びたハルが、意外そうな声を漏らした。
買ってきた物は、芯まで味が染みていそうな大根。黄金色をした出汁の海で、ぷかぷかと浮かんでいる真っ白なはんぺん。
肉肉しさが健在で、見た目からして柔らかそうな牛すじ。そして、出汁の色がほんのりと移ったたまご。どれも意外と安かったので、お駄賃が半分以上残ってくれた。
「へえ~、牛すじまであるじゃん。メリーさん、チョイスがいいね~。こりゃ美味そうだ」
「でしょ? さあ、一緒に食べましょ」
「えっ? ……私も?」
どこか歯切れが悪い、ハルの反応よ。内心、まさかと思っていそうね。断られる前に、割り箸を渡してしまおう。
「ええ、その為に買ってきたのよ。はい、ハルの割り箸」
「ああ、ありがとう。……でも、本当に私もいいの? このおでん、メリーさんが頑張って貯めたお小遣いで、買ったやつなんでしょ?」
「私のお小遣いって言っても、元はあんたのお金よ。今日はいつもより寒くなるって言ってたから、おでんが美味しく食べられると思ったけど……。部屋の中は、案外暖かいわね。完全に失敗したわ」
「あっははは……」
相槌がてらにから笑いしたハルが、「確かに」と続ける。
「閉め切ってるから、寒気が入ってこないせいもありそうだね。でもなんだか、おでんを見たらめちゃくちゃ食べたくなってきちゃった。出汁の匂いがマジで美味そう」
どうやらハルも、だんだんおでんの気分になってきたらしい。その証拠に、にんまりとしているハルの顔は、おでんに釘付けだ。
本当によかった。遠慮されていらないって言われたら、どうしようかと思ったわ。
「しっかし、バランスが整った最強のラインナップだねー。どれを食べても正解じゃん。ちなみにこれって、全部メリーさんが選んだの?」
「そうよ。インターネットやテレビを観て、特に食べたいって思った物を選んでみたの」
「ふむふむ。だったら、メリーさんのチョイスは抜群に高いよ。おでんだったらこれ! っていう具材ばかりあるし。何よりも、三時に食べる量としては丁度良いんだよね」
意外と、ハルからの評価が高いわね。そして、ハルの着眼点も的を射ている。本当なら、もう二種類買おうと思っていたのだけれども。夕食が近い事も考慮して、買う量を抑えたのよ。
「そうね。本当だったら、焼きちくわとかしらたきも買おうとしてたんだけど。ちょっと量が多くなりそうだったから、今回は買うのを止めたのよ」
「ああ~、焼きちくわとしらたき! いいねぇ。両方共、おでんには欠かせない具材だ。やべえ、ガチおでんが食べたくなってきた……」
「私は一向に構わないわ。けどおいしく食べるなら、やっぱ寒い日がいいわね」
「そうなんスよ~。これから暑くなるだろうし、おでんは秋以降までお預けかな」
秋以降。今は六月に入ったばかりだから、最低でも四ヶ月以上は待たなければならない。……想像以上に長いわね。ちゃんと我慢出来るかしら? あまり自信がないわ。
「とりあえず、冷める前に食べましょ。半分こにするから、自由に食べてちょうだい」
「おお、ありがとう! じゃあ、私も手伝うよ」
「ありがとう。なら、たまごとはんぺんをお願い」
「オッケー、任せといてちょうだい!」
そう意気込んで、分けるのが難しいたまごを、慎重に割っていくハル。そこまで正確に大きさを測らなくてもいいのに。
上手く割れなかったとしても、大きい方はハルに譲るわ。だって、あんたに食べて欲しくて買ってきたのだから。




